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農文協トップ主張 1985年05月

農家も春闘並みの所得アップができる
その確実な方法

目次

◆八方ふさがりの農家経済
◆「5%所得アツプ」実現の道は米の全面作付けと販売にあり
◆農協は、超過米を高く売る努力を
◆米の全面作付けで困るものはいない

 春闘の季節がやってきた。日経連が昭和四十九年につくった賃上げのガイドラインに抑え込まれ、五十八年、五十九年には四%台という春闘史上の最低記録まで生み出した昭和五十年代であった。今年は春闘三〇年。景気もやや上向いてきたということもあって、今年こそは、と意気込んでいる労働界ではあるが、マスコミでは「五%をめぐる攻防戦」と予想されている。

 では農業界はどうか、というと、この一〇年「賃上げ」の抑制どころか「賃下げ」、つまり所得の大幅ダウンである。このままでは農業はジリ貧だ。今年、せめて勤労者並みの「五%所得アップ」を達成する方法はないものか。

八方ふさがりの農家経済

 農家は好き好んで農業所得を減らしているのではない。いくら頑張っても所得が上がらないような仕組みが、そこにはある。

米価の据置きと引下げ

 その第一は、日本農業の根幹をなす米である。米価は、昭和五十二年から事実上の据置き。昭和五十年の一万五五七〇円から、五十一年が一万六五七二円、五十二年が一万七二三二円と上がったものの、その後は五十八年までの六年間でわずか一〇三四円上がっただけ。

 この間に、経費は大幅アップ。米生産費中の〈物財費〉だけを見ても、昭和五十年の四万四八〇二円から五十八年の八万五八九八円へと、倍増している。

 その結果は、農家の手取り(所得)の極端な減少であった。昭和五十年には九万一五三四円あった一〇a当たりの所得が、五十八年には七万八九六円に、二万円も減ってしまった。こんな馬鹿なことが、農業以外の世界であるだろうか。国が米の「過剰」宣伝をテコに生産者米価を据置き、逆ザヤの解消に向けて財政支出を減らした分だけ、イナ作での農家の手取りは確実に減少した。

 しかもそれでも不足とばかりに、五十九年からは、こともあろうに〈半値の米〉=他用途米を農家に強制。他用途米を酒米にまで拡大する構想が自民党内に浮上しているそうだが、ごく少量の〈半値の米〉がいかに米価全体を引き下げる効果をもったか、計算してみるがよい。他用途米の本質は、食管の財政負担を軽減しつつ業者の要求する国際価格の米を実現することにある。

米以外の農作物もまた

 それでは、米以外の農作物はどうかというと、これまた価格が低迷し、所得は停滞か大幅な落込みである。ここ一〇年間の各種農産物の一〇a当たり所得を見ると、畜産も養蚕も果樹も軒並みダウン。野菜は大きな波がありつつも、全般的に所得は停滞している(所得の伸びのピークは四十年代にあった)。

 要するに価格のよいものは何もなく、経費高とのはさみうちにあって、所得が軒並みダウン。そこには、あらゆる作物の「過剰」という問題がある。では、なぜ過剰になったのかといえば、急増する海外からの農産物輸入が元凶だ(その背後には、日本からの工業製品の集中豪雨的輸出がある)。米の「過剰」も、元はといえば二十年代からの小麦輸入とパン食普及が原因であるが、その米麦農業からの脱皮、農業近代化の要として規模拡大してきた「成長作物」にも、今や大量の輸入農産物が容赦なくぶつけられ、あらゆる農産物の過剰と価格低迷(下落)という状況がつくられているのである。

 たとえばミカンは四十七年から過剰で、農家は第一次生産費を割りながら生産に取り組んでいるというのに、果実はもとより、ミカン消費の下支えとして大切な意味をもつ果汁も、輸入をどんどんふやす。牛肉はすでに三分の一が輸入肉だというのに、アメリカの攻勢をうけて輸入枠を大幅に拡大する。はたまた、乳製品の大量輸入と出荷調整、鶏肉・豚肉の輸入と価格低迷等々といった具合である。

 いっぽう米の減反転作が他作物の不安定化をもたらしていることも見逃せない。野菜は「過剰な」米の転作によって微増し、だぶつき状態だ。果樹でも転作リンゴで過剰になる時期がそこまできている。米の減反が野菜、果実の過剰を生み出し、期待の成長品目が価格暴落をおこすという事態が常態化しているわけだ。こういう不安定な状況をつくるなかで、値が多少高くなると、たちまち輸入野菜・果実が入ってくる。

 こうして、日本は世界最大の農産物入超国の座に坐り、あらゆる農作物の〈過剰→価格低迷→農業所得減〉という構造のもとで、農家は呻吟している。

兼業収入の道も険しい

 米もダメ、米以外の作目も軒並みダウンという状況のもとで、農業所得は、昭和五十年の一一五万円から五十八年の九八万円に、八年間で一七万円落ち込んでしまった。春闘がこの一〇年敗北しつづけたといっても賃上げの上げ幅が小さいことが問題にされているのであって、農業の、名目の所得額が年々落ち込んでいるのとは訳が違う。勤労者と違って自給ができる農家といえども、これではとても現金が不足するから、当然兼業化に拍車がかかる。今や、農家総所得に占める農業所得の割合は、二割を切ってしまった。

 だが、この兼業収入の道もまた、一段と厳しさを増しているからたまらない。四十年代末のオイルショックにひきつづく企業の減量経営化は、真先に中高年の兼業農家の首を狙った。中高年の農家をあえて肉体労働のきつい部署に配置転換する、家から離れられないことを知っていながら転勤を命じてやめさせる。そのうえで、ベルトコンベアの回転を加速し、労働強化。それに耐えられなければやめてくれというわけで、兼業農家は、農繁期の休みなど、とても言い出せる状況ではなくなった。

 しかしそれでも、太平洋ベルト地帯や、歴史的な工業集積がある地帯はまだよいほうだ。それ以外の地域では、頼りになるのは土建業と出稼ぎだけ。ところが頼みの土建業は、不況や公共事業の抑制で、仕事そのものがろくにない。出稼ぎもまた、働き口が減り、賃金も長年抑えられている。さらにまた、四十年代に低賃金を求めて進出した内陸型の農村工場は農家の主婦を使い、賃金は「地域最低賃金」ぎりぎりの状態。弱電やら自動車やらの下請け・孫請け工場での部品づくり。細かい手作業で、ノルマだけは厳しく追求される。

 土建であれ出稼ぎであれ、農村工場であれ、何年間も賃上げはなく、むしろ賃下げの例も見うけられる。だが、いくら安くても文句は言えない。求人が少なく買い手市場化している中で、首を切られるのがこわいからだ。

 こうして、低賃金で一家総出でフルに働き、米の収入と合わせてようやく一家の生計が維持される状態が続いている。

地域経済の落込み

 農家の経済はまさにジリ貧、行きづまり状態にある。これはただに農家の問題にとどまらない。商店街には閑古鳥が鳴き、商店も悲鳴をあげている。機械屋さんも、貸し付けた代金の回収ができなくて困る。そして農協もまた、経済事業・信用事業ともに落ち込むことになる。落ち込むばかりでなく、大型の固定化負債をかかえた農家の存在は農協の存立そのものを危うくする。農家のフトコロ状態が厳しくなることは、地域経済全体の沈下と直結しているのだ。とりわけ四年連続の冷害をうけた北海道、東北は危機的状況にあるといってよい。

「五%所得アップ」実現の道は米の全面作付けと販売にあり

 この落込みから脱却する道は、どこにあるのか。それは、米つくりを経営の土台として見直し、減反をやめ、他用途米を拒否することである。農家は、勤労者のようにストライキをやれない。農家の闘いは、ものをつくって売るところに成立するはずだ。

米の販売に困ることはない

 米を思い切りつくり売る条件は、充分にある。米が不足し、実需が目の前にあるからである。五十九年、福井県のある農家は「縁故米」を出し、日本晴で一万九八〇〇円、フクヒカリで一万九五〇〇円の「謝礼」を受け取った。新潟県のコシヒカリは、二万三〇〇〇円の「謝礼」。農水省が「加工用米不足」を演出し、いかに米不足を糊塗しても、米の絶対量の不足は必ず実需としてあらわれ、実勢価格として表現されるのである。

 「縁故米」はこのような悪政に対する、合法の範囲ギリギリのところでの闘いである。米をヤミで売れば違法だが、「縁故米」は違法ではない。丹精こめてつくった米の贈り物に対し、感謝の気持を謝礼で伝えるのは自然の感情だし、それ相当の謝礼をするのが常識でもあるのだから。

 大都市に近接したある県のある地域では、農家が「ペナルティ大歓迎」だという。限度数量が減らされた分だけたくさん「縁故米」を出せ、そのほうが経営にプラスになるというわけである。役場はペナルティをかける意味を見失って当惑している、という。今、このような「順法闘争」に取り組まなければ、農家はなめられ、農家経済はますます悪化していくだろう。

 事実、今もまた、六十年度の需給見通しについて、国やマスコミは「五〇万t持ち越すことができる」といっている。またしても「大本営発表」だ。五十九年の端境期を産地からの猛烈なピストン輸送で切り抜けた結果、一〇〇万tの早食いが生じ、六十年の端境期は五〇万tの米不足、というのが事実である(一七二頁参照)。

 五〇万tの米不足といえば、一瞬を争う集荷とピストン輸送が初めて行なわれた五十八年の端境期と大差がない。その早食いと五十八年度米の不作が重なって、韓国米の輸入を招いたのであった。五十九年産米が豊作だったから、今、農水省は一息ついているが、六十年産米が不作なら同じことの繰返しだ。それが今年の端境期の不足量、五〇万tの意味なのである。

 米は依然として不足である。販売先に困ることはない。米を全面作付けし、全量販売することだ。

「五%所得アップ」の確実な方法

 減反を返上し、他用途米も拒否して米を思う存分つくり、高く売ることが、「五%所得アップ」実現の最も確実な方法である。

 具体的に一・二五町の稲作農家を想定して試算してみよう(次ページの図参照)。Iのように、一・二五町のうち水稲の作付けが、一町(自主流通米七〇俵、政府米三〇俵出荷)と、プラスすること五畝(他用途米四俵出荷)。そして転作大豆が二反作付けで、五俵出荷、とする。そのばあいの農業粗収入は、転作奨励金も入れて二二三万六九一〇円になる(単価や収量は、岩手県のある農家の数字を参考にしつつ図式化した)。

 それを、大豆への転作をやめ他用途米の出荷も断わって一・二五町に米を全面作付けし、二・五反分の米を超過米として出荷すれば、粗収入はどうなるか。図のIIのように、これだけで粗収入は、以前の二二三万六九一〇円から二三八万八〇六〇円へ、一挙に一五万一一五〇円もアップする。そのアップ率は、六・七六%。

 しかも、この数字は粗収入である。今まで一部にしか作付けできなかった米を全面作付けすることによって増えるコストというのは、肥料代・農薬代くらいのものである。機械や施設に新たに投資する必要がない。肥料・農薬をわずかに追加すれば、それですむ。反当二万円もかからず、他は丸々手取りに。したがって所得の上昇率は、六・七六%をはるかに上回ることになろう。米の全面作付けの経済効果は、はかり知れない。

 これが最も確実な所得増の方法だ。もちろん米の増収という道もあるが、これほどの経済効果を早急に生むことは期待できない。三月号の「主張」でも述べたように、昨年の大豊作は万が一の偶然の要素(初期生育を抑制し、中期は長稈少けつ・太茎に、後期は好天で登熟を進めるという「絶妙な天候の操作」)によって実現されたもので、稲作技術そのものは天候に左右されるひ弱な技術に陥っているからだ。「万が一の偶然」が連続するとは考えられない。

 また不足にもかかわらず他用途米を押しつける政府である。米価値上げにも期待できない。昨年の大豊作をもって「米過剰基調」の宣伝をし、米価を抑えるに違いない。

 さらにまた、米以外の作目の新たな導入によって所得アップをはかる道も閉ざされていることは、既に触れた。新作目に取り組むにしても、米という土台をしっかりさせ、力を蓄えながら取り組まなければ、所得アップどころか借金地獄に陥るのが関の山である。減反を拒否し、他用途米を拒否し、米を全面的に作付けて超過米を出すこと。これが最も確実な「五%所得アップ」実現の方法なのである。

農協は、超過米を高く売る努力を

 今年も米は不足で、売り先に困ることはない。「縁故米」という「順法闘争」もできるし、超過米という全く合法的な形で高値を形成することも可能である。「縁故米」の謝礼額はもとより、超過米の値段も実勢価格で決まる。したがって、米の不足時には、超過米の価格が政府米の価格を上回るわけだ。

 五十八年、五十九年の新潟県笹神農協の「早期超過米」の販売実績がそれを示している。減反を返上し、限度数量をこえる米の量をあらかじめ算出し、早い時期(前年度の端境期)に超過米を出してしまう。業者は米を切に求めているから引く手あまたで、超過米の値は政府米をはるかにこえた。

 今年の端境期も、五十八年と大同小異の五〇万tの不足である。農協は笹神農協にならって、米の全面作付けを奨励し、できた超過米を少しでも高く売る努力をすることだ。農協がそういう努力もせず、〈半値の米〉の優先的確保に狂奔するようでは、実需の前に自然「縁故米」がふえていくことになろう。さらには農協離れ、食管離れが進行するに違いない。農協は国の手先、食管は農家や消費者を縛りつけるタガ、という声がすでに蔓延しているのだから。

米の全面作付けで困るものはいない

 米の全面作付けによって困るものは誰もいない。米が豊富に出回ることによって、消費者は臭素米や韓国米のような危険な米・素姓のわからない米を食べさせられる心配がなくなる。そして農村部でまず喜ぶのは商店だろう。農家経済の悪化の下で、農家とともに米価問題に取り組む商工会があるくらいだ。農協にしても悪化した自らの経営を立て直すには、結局は農家のフトコロの基礎を豊かにしなければどうにもならないことに気づいているはずだ。農家の経済と地域経済とは直結している。農家が減反を返上して困るのは、せいぜい、補助金をやらぬゾとおどされる役場くらいのものである。

 農家経済の悪化、ジリ貧状態の責は、「お上」にある。ペナルティをかけられるべきは、減反しながら米を輸入し、他用米を強制し、秘密裡に臭素米を国民に食べさせる「お上」である。このような「悪政」を打破し、「五%所得アップ」というささやかな経済要求を実現するために、今年は米を全面作付けしようではないか。

(農文協論説委員会)

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