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農文協トップ主張 1987年03月

政府税調会長の辞任と税制改革の性格
小倉会長はなぜやめたか

目次

◆税制改革に「違和感」を感じた税調会長
◆辞任の直接のきっかけは農業問題だった
◆小倉氏の「違和感」の意味する深い意味
◆なぜ売上税は「農業増税」なのか

税制改革に「違和感」を感じた税調会長

 あれほど「大型間接税はやらない」と、選挙期間中にいいつづけてきた中曽根自民党だったのに、自民党税制調査会は「売上税」の名で大型間接税を盛り込んだ税制改革を決定した。昨年十二月二十三日のことだ。

 ところが、実にこの日、政府税制調査会の会長・小倉武一氏が、会長辞任の意向を表明した。小倉氏は、およそ一二年間にわたって政府税調の会長の座にあり、この六月には任期が切れる。その任期切れを待たずに、なぜ「やめた」のか。今回の税制改革にあたっては、政府税調の答申と自民党税調の改革内容との間には、基本的に大きな相違はないようにみえる。にもかかわらず――である。

 十二月二十八日の「毎日新聞」は一面トップに「税制改革に違和感」という見出しをかかげ、小倉氏へのインタビュー記事をのせた。それによると、今回の税制改革の方向と小倉氏の考え方との間には、大きなズレがあったというのである。

 国民にとってはきわめて重要な問題である税制改革なのに、会長自身が「違和感」を感じるような改革案が決定される。こんなことがあっていいのか。その「違和感」「ズレ」とは何か。当の小倉武一氏を訪ねて考えを伺った。

辞任の直接のきっかけは農業問題だった

 小倉氏は、前記のインタビューで「辞任の直接のきっかけ」を問われてつぎのように答えている(要旨)。

「日本の税制は農業協同経営を無視して、目のかたきにしているようにみえる。それを変えるように言ったが主税局はかたくなにダメだという。しゃくにさわったから辞めた」

 農業協同経営はふつう、農事組合法人として営まれているが、この農事組合法人の法人税は大会社なみに高い。

 法人税の税率は、普通の会社=普通法人にかかるものを基本税率とし、中小法人、および特別法人にはそれよりも軽い税率がかけられる。現行では普通法人が四三・三%の税率なのに対し、特別法人には二八%の軽減税率が適用されている。協同組合は特別法人に入り、そのため農協などの税率は軽い。

 ところが、「農業経営を営み組合員に給料などを払う」農事組合法人には、この軽減税率が適用されず、普通法人と同じ四三・三%の税が課せられる。小倉氏はまず、この点を問題にしているのである。

 小倉武一氏といえば、農業基本法ができたときの農林事務次官で、いわば農基法の生みの親である。ところで、農業基本法には、農業の生産性の向上と、他産業との所得格差の解消を目標とする「自立経営農家」の育成をうたっているが、現在の農政では自立経営農家が「中核農家」に変わり、これに大きな期待がかけられている。しかし、小倉氏は、農業の担い手のもう一つの柱として協同経営があることを忘れてもらってはこまる、と強調する。

「国は、家族農業の発展、農業の生産性の向上、農業所得の確保等に資するため、生産行程についての協業を助長する方策として……農業従事者が農地についての権利又は労力を提供し合い、協同して農業を営むことができるように農業従事者の協同組織の整備、農地についての円滑化等必要な施策を講ずるものとする」(農業基本法第一七条)という規定に見られるように、協同経営の助長は、国が積極的に推進すべきことがらなのである。

 にもかかわらず、法人税法上では、農業協同経営をことさらに差別して厳しい扱いをし、協同経営の発展を妨げている。これは国による農基法違反ではないか。

 小倉氏は「農基法違反」の第二点を指摘する。それは(税制問題ではなく)「農用地利用増進法」に関することである。この法律にもとづいて、一定の条件で一定の農地を他の農家に貸した者に奨励金が支払われることになっているが、このばあい、その借り手はいわゆる中核農家でなくてはならない。協同経営が借り手では奨励金は出ない。

 結果として、この奨励金は、協同経営を破壊する作用をもたらすと小倉氏はいう。ある農事組合法人では,五十八年から六十年にかけて組合員数が六〇%減少し、農地面積は半減したという。組合法人が借り手となったのでは貸し手に奨励金が交付されないので、その組合員が奨励金を受けられるようにするために脱退してもらったからである(小倉武一著『日本農業は活き残れるか(下)』農文協・人間選書)。せっかく成立した協同経営を、国の施策がこわしてしまっているのだ。

 また、農地法では、他人に貸すために農地を取得することはできないことになっているが、このため、協同経営の組合員が農地を買って協同経営に提供することは不可能である。

 このように、税法で、そして農政で、国が助長すべき農業協同経営を、国自身が妨害している。農業基本法に対して、政府が「違法行為をやっている」のである。

 農業の危機が叫ばれる現在、日本農業の活路は、中核農家の育成よりもむしろ協同経営の助長にあるはずだと小倉氏は考える。その活路を開く主役を国が違法行為までして妨げている。

 小倉氏の政府税調会長辞任は、国がもはや、日本農業を育成しその生産性を向上させていく意欲をまるっきりなくしていることへの憤りとも受けとれる。農業の協同経営は、もちろん法人としての利益を第一義とするものではない。土地が少なく資金力の弱い農家が、協同して家族の生活を維持していくことを主目的に営むものである。そして、協同経営としての利益の蓄積は、経営体の拡充にまわされ、結果として農業の生産性向上に向けられるのである。いま、いわゆる中核農家路線にのったために借金で経営困難に陥っている経営が多く見られる時代である。そういう時代には、まさにさまざまな形での農家の共同生産、共同利用が、農業のコスト低減、生産力発展にとって、有力な方向となってくることは確かである。

 そうした協同の芽をつみとる税制を改めようとしない、また農政当局もこの問題に全く目を向けようとしないのでは、政策のうたい文句である農業の生産性向上さえも実質的に放棄しているといわざるを得ないのではないか。

小倉氏の「違和感」の意味する深い意味

 以上が、小倉氏の辞任の「直接のきっかけ」となった農業の協同経営に対する差別の問題である。さて、「きっかけ」の奥にあるものは何か。前記「毎日新聞」のインタビューで小倉氏が「違和感」「ズレ」と表現しているものの中身は何か。

 総合所得課税――利子も含めたすべての所得に対して、その額に応じて累進的に税金をかけるという考え方――が戦後の税制の基本的な方向であり、これが小倉氏にとって「違和感」のない考え方だった。

 この基本方向が、今回の税制改革(マル優廃止を伴う利子の分離課税と、売上税の導入)によって大きく変わった。

 小倉氏はいう。「中堅以上のサラリーマン、管理職……そういう人は今回の税制改革に賛成かも知らんが、それ以下のサラリーマン、労働者は賛成じゃないのじゃないかな」(前記インタビュー)

 また、こうも指摘する。「いまの日本では、個人事業者に対して冷やかな見方が一般的になってきている」

 中堅以下のサラリーマンや労働者が賛成できない税制改革、同時に個人事業者(農家はこれに含まれる)に冷やかな税制、これが今回の税制改革の基本問題であり、小倉氏の「違和感」の根源はそこにあるとしか推察できない。

 小倉氏が「個人業者に対して冷やか」という意味は、ただちに、いわゆるクロヨン攻撃に対する批判でもある。農家の税金が不当に軽いという見解に対して小倉氏は、「税負担の面において農業が優遇されているという時代は最早過ぎたと考えるのが適当であろう」と確信をもって書いている。これは、農家の所得から割り出した推算所得税負担額と、実際の申告所得税額とを比べてみて、近年では両者が非常に接近しているという数字にもとづくものだ(『日本農業は生き残れるか(上)』同前)。

 したがって青色申告などで正確に収支計算して申告している農家に対して、税金をキチンと払っていないと攻撃するのは的はずれなことなのである。「事業者は不心得者、けしからんやつだ、したがってサラリーマンの減税を――ということなんだが、いただけないんだね、私には」「個人事業者は社会の少数者になってきたんだな、昔に比べると……。(これを)あしざまにいうのはよくない、私のセンスに合わない」(前記インタビュー)

 確かに、所得税を払っていない農家はある。しかし、これは決して、所得をごまかしているということではなく、所得税を払おうにもそれだけの農業所得がないのである。これは、農家の農業収支の計算を正確にしてみれば明らかだ。兼業農家では、農業所得は赤字で、兼業先でとられた源泉徴収税の還付を受けなければ適正課税にならない人が少なくないくらいなのだ。専業農家とて、所得税を払うに充分な所得のある者は多くはない。

 このような状態を誰がつくったのか。いうまでもなく国の農業政策、経済政策である。農産物の自由化をますますおしすすめ、農産物価格を据え置きから値下げに転じようとしている政治のあり方、これが農業をして所得税を払えない、それだけの所得を得られない状況を生み出しているのだ。

 いまの農業政策を進める限り、所得税を払うに足る所得のない農家がどんどん増えていくことは確実だ。この点を政府は充分わかってやっている。

 そこで所得税の減収を補うものが売上税なのである。売上税は、農業所得があろうがなかろうが、たとえ赤字であっても、確実に税金をとりたてることができる。農業をやっている限り、税負担を課すことができる。そこが、この税制改革のねらいめである。

 売上税は事実上「農業増税」なのである。

なぜ売上税は「農業増税」なのか

 サラリーマンや労働者については、いろいろな学者や団体によって、税制改革に伴う増減税効果に関する試算がなされて、事態は相当明らかになってきている。共通していえることは、所得の少ない勤労者ほど増税となるという点だ。ある学者グループは、「年収六〇〇万円以下の家庭では増税」という計算をしているし、さらに厳しく事態をとらえる立場からは、「減税効果のあらわれるのは年収九〇〇万円以上の家庭(勤労者四人家族)であり、それ以下の層は増税となる」との試算をしている。

「所得税減税」がうたい文句の税制改革にもかかわらず、多数国民が増税となる。そのカラクリの装置が、売上税(とマル優廃止)である。

 売上税は「一億円以上の売上げ高のある事業者にかかる税金」だから、それ以外の者は関係ない、と考えていたら大間違いだ。ある製品が、メーカーから卸しに売られ、卸しから小売に売られていく中で、それぞれの流通段階(課税業者)での付加価値に対して五%の税金がかかるのが売上税である。そして、重要なのはそれぞれの段階でかかった売上税の総合計は、最終消費者が負担することである。生活資材であれ消費資材であれ、サービスであれ、その最終消費者がつまるところ売上税の負担者なのである。

 所得の大きい者も、小さい者も、区別なく負担させられるのが売上税だ。だから、所得税減税効果の少ない低所得層のほうが、増税となる。

 さて、個人業者、とくに農業の場合はどうか。

 農家は一面で生活者として、消費資材、サービスの最終消費者であるから、勤労者と同じように生活場面で売上税を負担しなければならないのは当然だ。まず、これで増税となる。

 それと同時に、農家は農産物を売上げる事業者でもある。「事業者であっても、売上高一億円に達しない者は非課税だから関係ない」、あるいは「食糧品は非課税だから売上税には無関係」と考えるとしたら、これは大きな錯覚だ。

 農家は、肥料、農薬、機械など農業資材の最終消費者なのである。だから、これら資材の流通過程でかかった売上税をすべて背負い込むことになる。

 そうであっても、農産物価格の値段を自分で決められれば問題はない。しかし、現在の農産物価格決定ではそういうわけにはいかない。逆に、農産物自由化の拡大政策のもとで、値下げを迫られている状況だ。そこへ売上税負担である。しかも生産財、消費財の最終消費者として二重の売上税負担となる。だから売上税は「農業増税」なのである(売上税については一八二ページの記事もご覧ください)。

 ◇

 こうして今回の税制改革とは、勤労者や、小さな事業者(個人事業者、農家)から、より確実に税金をとりたてるための改革なのである。これらの人の所得を減らしていくような国の政策、そして、そこから確実に税をとる税制。累進ならぬ逆進課税だ。このような路線だからこそ、小倉武一氏は、「センスに合わない」と決別したのではないか。

 今日の税制改革は、国内の産業の基本的、直接的担い手を圧迫し、それらの人びとの技能を衰退させていく路線を強化するものだ。

 そうする一方で、海外の安い労働力と自然を酷使し荒廃に導く日本経済。これは、経済の質的な亡びとしかいいようがない。

 中曽根首相は、選挙中「大型間接税はやらない」といって、三〇〇を超える議席を獲得した。今回の売上税は明らかな公約違反である。また、「投網をかけるような大規模な間接税は実施しない」ともいった。しかし、売上税は、右に見たように勤労者、個人事業者にこそ負担を重くするものである。これも公約違反のみならず、全くの欺瞞である。

 数の横暴が法律違反、公約違反を生む。この春には統一地方選挙がひかえている。自らの生活を守るために、さらには経済の質的亡びから日本を救うために、厳しい選択が迫られている。

(農文協論説委員会)

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