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農文協トップ主張 1987年08月

地域化こそ真の国際化への道
内部の情報を内部に循環させよう

目次

◆外部からの情報が地域をこわす
◆内部の情報を内部に循環させる
◆医・食・農・教育を統合させる町行政
◆非行問題から食生活の見直しへ
◆情報が循環すれば、人も物も動く
◆地域情報ネットワークが地域をうるおす
◆真の国際化とは「地域化」である

 だれもが「いまや国際化の時代だ」という。

 たしかに、諸外国の動きや、日本と諸外国とのとり決めが、たちまち国の経済を動かし、私たちの仕事や暮らしに影響する。

 また、「いまや情報化の時代だ」ともいう。

 たしかに、世界中からいろいろな情報が伝えられる。タイのおコメが日本のおコメの一〇分の一の値段だというような情報をいやというほど聞かされる。

 そういう、”国際化”と”情報化”こそ、これからの日本がとるべき道だといわれる。”国際国家日本”にとって、この二つは、車の両輪だというわけである。

 さて、この車は、私たちをどこに、どのようにつれていくのだろうか。

外部からの情報が地域をこわす

 経済の国際化にとって、情報はきわめて重要な役割を果たす。なぜか。

 第一に経済の国際化は本質的に企業間、国家間の競争を激化させるからである。自由競争にもとづく自由貿易が国際化の基本精神である。自由競争に打ち勝つ生産性の高い部門だけを各国が選択すれば、世界は全体として豊かになるという考えだ。米が安くつくれるところは米をつくり、鉄が安くできるところは鉄をつくり、そのうえでコメと鉄を交換すればよいというのである。

 しかし、そうした国際的分業がスンナリとなりたつわけではない。どちらが生産性が高いかは勝負してみなければわからないのである。ケリがつくまでは生産性向上の激しい競争が続く。徹底した合理化が必要になるわけだが、そこでモノをいうのが情報である。技術革新のための情報、生産や流通過程でのムダをなくすための情報、そのために企業のコンピューターが夜昼なくフル回転する。

 第二に「調和」「協調」のための情報が必要になる。激しい競争が相手国の経済を崩壊させるぐらいに徹底的なダメージを与えてしまうと、さまざまな形で緊密につながっている諸国間の関係がくずれ、国際関係が悪化する。競争が破局をむかえる前に、「調和」「協調」を図らなければならない。サミット、ガット、海外援助といった国家間の調整、国際的金融ネットワークなど、調和にむけた機構とそのための情報が世界を動かしていく。

 だが、その調和は、強いものにとって必要な調和である。強いものはますます強くなり、弱いものはますます弱くなる。これが、残念ながら現在の国際化の姿である。

 結局のところ、国際化は、農業や地場産業などの弱い部門をつぶしていく。そして地域として成り立っていた人々の暮らしそのものをこわしていく。国際化が進むなかで、外部から侵入してくる情報が、地域をこわすのだ。

内部の情報を内部に循環させる

 だが、ことがらを一つの面からだけみて、悲観するのはまちがっている。

 農業や、地場産業が営まれている<地域>というものを別のモノサシでみると、ある強さがあることがわかる。それは、人と自然、そして人と人とのつながりの強さである。そのつながりの強さ、緊密さが地域のいのちである。

 だが、それは国際化を一層すすめる立場からは邪魔になる。そこで第三の情報が必要になってくる。人と自然、人と人とのつながりを絶つための情報だ。

 たとえば「日本のコメの値段はタイの一〇倍」という情報。この情報はコメの、農業の、ひいては地域という人間の暮らしの場のもつ強さ、つまり自然と人、人と人のつながりを見えなくしてしまう。

 つながりを断たれれば地域は弱くなる。

 だから地域の活性化とは、外部からの情報をとりこむことによって(外部からの情報に侵されることによって)進むのではない。逆に、まず、内部の情報を内部に、活発に循環させることから始めなくてはならない。それは、外部からの情報によって内部がひっかきまわされることの、ちょうど逆である。

 内部の情報とはなにか。内部の情報を内部に循環させるとはどういうことか。ここでは、九州のある町の動きをみてみることにしよう。

医・食・農・教育を統合させる町行政

 福岡市の東南一〇キロのところに須恵≪すえ≫という町がある。かつては炭鉱の町だったが、昭和三十九年の閉山とともに四割近い人々が町を去り、一転して過疎の町になった。その後、福岡市に近いことから徐々に人口が増え、現在の人口は約二万人、農家戸数は約四〇〇戸、ほとんどが兼業農家である。

 須恵町ではここ十数年、町ぐるみで「健康づくり」にとりくんでいる。このような運動をする市町村はいくつもある。だが、須恵町のそれに特別の意味があるのは、健康を健康だけで考えなかったこと、健康の問題を医・食・農・教育の問題の総合としてとらえているところにある。

 町は、昭和五十八年に次ページのような「健康づくりの町宣言」を出している。そして町役場には「健康課」が設けられ、保健婦、栄養士、体育専門員などの専門職を含めた総勢八人で、地域の人々の暮らしにとってもっとも基本的な領域、すなわち医(医療)、食(食生活改善)、農業、教育の各分野と統合的に連携をとりながら、運動のかなめの役を果たしている。

 そして、この運動は、町の医師会、小中学校、栄養士会、商工会、農協、老人クラブ、青年団、食品公害から生命を守る会、須恵町有機農業研究会など、町内のほとんどの民間組織の協力、協賛を得て進められている。健康づくり町民会議と町とが主催して開かれる「健康づくり町民の集い」には一〇〇〇人以上が参加し盛大な催しになる。

 この健康づくり運動が進められてきた過程は三つの時期に区切られている。それは、医、食、農、教育をつなげ、確かな地域情報を循環していく過程でもあった。

非行問題から食生活の見直しへ

 まず第一期。町行政や町民のなかで健康問題が強く意識されるようになったのは、昭和四十六年ごろからである。直接のきっかけは青少年の非行化の問題だった。非行については、さまざまな議論があり情報もあふれているが、須恵町の人たちは、非行化の背景に体の問題があることをみてとった。虫歯、近眼、体格は大きくても耐えることのできない弱い体……こうした”体のゆがみ”が”心のゆがみ”をもたらしているととらえたのである。教育(非行)の問題は、医(健康)の問題であった。

 それは大人たちも同様であった。ガン・脳血管障害、心疾患などいわゆる成人病による死亡が七割近くになり、その兆候が三〇代の働きざかりから現れているといった地域の実情が問題にされた。

 こうして健康づくりがスタートする。昭和四十八年には「須恵町体力つくり推進協議会」が発足し、スポーツ振興による心身の錬磨と、食生活の改善推進による健康づくりを二本の柱として運動は進められていく。

 とくにスポーツ振興については施設の充実とあいまってその広がりと成果は大きく、五十一年には体力つくり国民会議賞という賞を受賞した。

 だがこの受賞を機に、関係者の中からは、さまざまな反省、課題がだされていった。一口でいうと、スポーツ振興のみに力点が置かれ、食生活の改善の課題がなおざりにされてきたのではないかということである。こうして、とくに食生活の見直しを中心とする運動に移っていったのが第二期である。医(健康)と食のつながりが強く意識されていったのである。

 食生活の問題は、「栄養のバランスを考えた食事をしよう」といったことではすまされない、社会的な問題と深くかかわっていた。食品公害、農薬汚染などの問題である。餌づけされて奇形がふえた高崎山のサルの話、添加物問題、企業養豚では肝臓病やガンにかかった豚が多いこと、世界の長寿国の食生活のありようなど、食べものをめぐる話題が広く集められ、町民に知らされていった。安さ、便利さ、簡便さを中心とする食情報があふれる中で、それは町民にとって食生活を根底から考えさせられる刺激的な情報であった。

健康づくりの町宣言 近年、めまぐるしい文明の進展とともに現代人の職場や社会の環境が、人間としての自然から離れてくるにつれて人々の生活様式がゆがめられ、難病・奇病の病根となりうることが明らかになり、これらの解決が今後の大きな課題となっています。

 健康は人類の永遠の願いであり、幸福の根幹をなすものであります。この基本理念に立ち、わが須恵町では、緑豊かで住みよい生活環境の確保と町民の健康増進を目指して、今後一層の努力をなすとともに、町民1人1人が自分の健康に対する自覚と認識を深め、生涯を通じてたくましい心と身体の健康づくりに努め、伝統に輝く地域社会の確立と発展を願うものであります。

 ここに町制施行30周年にあたり、全町民あげて健康づくりの推進をはかるため、わが須恵町を健康づくりの町とすることを宣言します。

 昭和58年9月26日

情報が循環すれば、人も物も動く

 こうした食べ物と健康の問題をめぐる議論の蓄積をへて、いよいよ第三期をむかえる。

 健康づくりを公約の第一に掲げた町長の出現を機に、役場に健康課が設けられ、地域の各団体などで構成される「須恵町健康づくり町民会議」が組織された。これにより健康づくり運動はより多様に展開されるようになった。

 第三期(現在)の特徴は、自らの力で健康的な食生活づくりと、そのための流通をつくりだそうとしていることである。

 食生活の面では、玄米食の推進、伝統食の見直しと普及、自然食の啓蒙・あっせんなど、自分の健康を自分で守る運動にとり組んでいった。

 それだけではない。安全な食べ物を自分たちでつくろうと、家庭菜園づくりにも力が入れられた。水田を利用し、町の援助により無料で貸出される家庭菜園には六五〇世帯が参加している。一戸当たり一五〜二〇坪の家庭菜園では、町の施設でつくられた堆肥を使って無農薬栽培が行なわれている。自分たちでつくった野菜の一部は漬物にし、月一回ひらかれる商工会主催の朝市に出され好評を得ている。

 小学校には学校菜園が設けられ、また町直営の有機農業試験畑やお年寄りによる直営菜園も設けられている。この直営菜園でお年寄りがつくったタマネギ、ジャガイモなどは学校給食に利用される。

 町があっせんしている自然食品も地元や近在から供給されるもので、その数は味〓(みそ)、醤油、天ぷら油、自然塩など七〇品目近い。しかも興味深いのは、これらの食品が町の一般商店を通して町民に供給されていることだ。現在の扱い店は二二店。ここでは「自然食品」は、「自然」や「有機」を売りものにする流通業者によって差別化された”わけあり商品”ではなく、町民の日常的な食べものになってきているのだ。地元の商店、地元や近在の加工業者をつなげた地域流通を実現しているところに、単なる産直ではない須恵町のとり組みの特徴がある。

 それを生産者側からは農協が援助する。農協では、自家菜園むけの苗をつくって供給し、また味〓(みそ)などの加工にもとり組んでいる。

 商店、業者、農協、それにさまざまな町民組織の連携、それは医―食―農―教育をつなげ、さらに工業(地場加工業)と商業(地元商店)をもまき込む、地域情報ネットワークの壮大な形成に向けたとり組みである。地域内の情報を集め循環させると、物も人も活発に動きはじめる。

地域情報ネットワークが地域をうるおす

 ところで、この健康づくり運動、決して金のかかるのもではない。健康づくりのために特別に必要な予算は、家庭菜園確保のための費用三〇〇万円だけ。あとは一般の役場が使う予算程度でよく、それに各種の事業を利用すれば充分やっていけるという。

 金がかからないだけではく、むしろ地域の経済をうるおす。成人病が減り町民が健康になれば町がだす医療費は減り、財政的に助かる。そのお金を成人病の早期発見のための検診や健康づくりの役立てれば、町民に喜ばれる。須恵町では早期検診にも大きな力を入れている。

 食べものは福岡市のデパートではなく、地元の商店で買うという消費者がふえれば、商店もうるおい、そこに品物を供給する地場加工業者も助かる。

 日曜日に家庭菜園で、親子いっしょに汗を流せば、遊園地ではできない楽しい遊びが得られ、親子の交流が深まる。子供を喜ばせるために、つまらない金を使う必要もない。

 医―食―農―教育が地域という場でつながるとき、人間にとって真の合理性が生まれるのだ。

真の国際化とは、“地域化”である

 非行、健康、食べもの、すべて日常的な身近な問題である。身近な問題であればこそ、少し前までの人間は、これを身近な人々とともに、知恵をだしあいながら解決してきた。そこには確かな地域情報が息づいていた。それは、食べものは食べもの、健康は健康といったバラバラなものではなく、生活の知恵として相互につながりをもった情報であった。

 須恵町の実践はそうした自分たちの地域情報を循環させ統合していこうというとり組みである。食生活の見直しは、どこか遠くから「安全食品」を求めることではなく、地域の農業、風土に根ざした食生活を見直すことであった。そして地域に根付いてきた加工技術とそれを守る人々とが結びつくことであった。

 内部の情報を循環させ、総合し、人をつなげ、物を動かす。この須恵町のような運動が全国津々浦々ですすめられること、それこそが地域の活性化である。「地域化」である。

 全国の地域化、これこそが真の国際化の前提である。もちろん世界中どこの国でも、その国内の地域化がすすめられることがのぞましい。

 今いわれる国際化は、全世界の人々を、その人々の住む地域を限りない競争に巻きこむ。地域内部にある情報をバラバラに切断してそこに外部から情報を入れこむ。このような国際化ではなく、内部の情報を循環させ総合して地域を豊かにし、その上で内部(地域)から外部(全国、世界)に情報を発する。それが世界の平和をもたらす、ほんとうの国際化である。

 タイの米を輸入すれば、日本人は安いコメを食べられ、タイの国も助かるというのは、ほんとうの意味での国際化のための情報ではない。人間のための情報ではない。それは、結局、日本の人々の、そしてタイの人々の食と健康を危うくするのもである。日本のコメを大事にすることが、タイのコメを大事にすることになる。地域を大事にすることが、世界の人々と真につながることになる。

 地域における人と自然、人と人とのつながりの豊かさが生みだす個性、その個性を競い合う競争なら大賛成だ。そのとき、地域と地域、国(これも世界からみれば一つの地域だ)と国は、真に調和にむかうだろう。

(農文協論説委員会)

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