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農文協トップ主張 1989年03月

国際化時代で一番大事な政策は「ふるさと創生」政策だ

目次

◆国際化時代に「ふるさと創生」が必要なわけ
◆事業計画には外部の知恵も活用しよう
◆生産と生活を貫く事業を
◆独創的、個性的なふるさとを

 政府は「ふるさと創生」運動に本腰で力を入れている。参議院選に間に合うようにいそいでいるのである。平成元年度をまたず、各市町村に、今年度の補正予算で二千万円を交付し、来年度八千万円、合計一億円を交付する。

 全国に市町村は三二四五ある。そのうち人口が一万人以下の町村は全体の約半分一五〇二町村ある。この町村では住民一人当たり一万円以上の交付金となる。赤んぼうから寝たきり老人まで含めて一人当たり一万円以上の交付金だ。うち、五千人以下の町村は五六八あり全市町村の約二割を占める。この町村では一人当たり二万円以上の交付金だ。

 この交付金は「ふるさと創生」のために使うなら、市町村が自由に使ってよいのである。いや、市町村が自ら創意工夫した地域づくりを考慮せよ、というのである。名づけて「自ら考え実践する地域づくり」事業という。

 町村の役人のための予算でも、議員のための予算でもない。住民―つまり貴方のための予算なのである。

 これまで、住民は国や市町村の予算を自分のために使うことができるのは、政府のつくったメニュー(たとえば構造改善事業とか、高度水田利用事業―減反推進事業とか)から選択するしかなかった。時には強制的に参加させられさえしてきた。今回は自分で自由にメニューがつくれるのである。

 しかも、この事業は基本的には「ソフト事業」として設定されている。補助金事業にありがちな、無理矢理不必要に上等なものを買わされる事業ではない。

 『現代農業』の読者が中心になって、町村当たり一億円のお金を本当に「ふるさと創生」の第一歩になるような仕事に使うべきではないか。“むら”には『現代農業』の読者の他に、『家の光』の読者、『地上』の読者、『日本農業新聞』の読者等々いるはずだ。それぞれの雑誌・新聞に、「ふるさと創生」のアイデアは数限りなく記事として出ている。何とか「ふるさと創生」グループを独自につくって、一億円の使い方を検討し、町村長や議員をうごかして、住民の望みを果たしてもらいたい。平成元年が貴方の町村にとって意味のある元年になる。

国際化時代に「ふるさと創生」が必要なわけ

 国際化時代になぜ「ふるさと創生」なのか。国際化時代とは、外国に負けないように生産性を向上させ生き残ること、と考えている人が多い。工業にしろ、農業にしろ、あるいは第三次産業にしろ、国際競争力を強めて競争に勝って生きのこることが国際化時代の基本的生き方だと思っている人が多い。国際競争力を強めることが、国民の暮らしをよくすることだと思っているのだ。

 これまでの時代は、日本にとっては、企業の国際競争力を強めることが、国民全体の所得を高めることになってきた。しかし、国際化時代とは、そうではない時代になったということなのである。企業が栄えることと、国民が豊かになることとが一緒になるとは限らない時代を国際化時代というのである。

 たとえば、エレクトロニクスや自動車の下請け工場が町村に、あるいは町村の周辺にできることで町村はうるおった。なぜ工場が地方にやってきたのか。地方の賃金が安かったからである。そして、地方の土地が安かったからである。

 国際化時代となると、工場は地方にはこないのである。賃金や土地が安い外国へ出てゆく。外国籍企業化してゆく。それで企業は栄えるが町村は亡びる。

 国際化時代というのは、また、金が金を生む時代なのである。より高い金利をめざして金は世界に出てゆく。銀行利子だけでなく、株、債券そして不動産等々。金を金で売買して儲ける為替の売買が異常にふえる時代が国際化時代なのである。このような第三次産業にとって、地方はいらない。情報の集中する東京一点に第三次産業は集まる。世界中の第三次産業が集まる。そして地方とではなく外国と「金」の売買をして儲けるのである。企業は栄えても“むら”は栄えない。東京一極集中の経済が、地方経済を疲弊させる。それではいけない。

 ゆたかな人間の暮らしをもとめるには、地方経済を栄えさせなければならぬ。国際化時代に人間の暮らしを豊かにしようと思うなら、地方経済を栄えさせる努力をしなければならない。国際化時代には「ふるさと創生」がどうしても必要である。「ふるさと創生」をこそ全政策の基本におかなければならないのであって、決して今回の一億円限りのものであってはならないのである。

 こうした事情は後進国諸国の動きをみてもわかる。

 一九六〇年代に始まった後進国諸国の開発の前進は、一九七〇年代に矛盾が発生し、一九八〇年代には諸国の国内に大きな貧富の差を生みだした。そして後進国の国民は、「援助」で巨大な利益を得ていた独裁者的政権を次々と打倒している。フィリピンでも、韓国でも、パキスタンでも……世界中で。

 それぞれの諸国が、それぞれの地方経済を栄えさせる政治・経済を実現しない限り矛盾を解決することはできない。国際化時代というのは、高度経済成長の行きづまりの時代ということなのだ。矛盾の解決の方向は、それぞれの国が、地方経済を安定的に発展させる「地域形成」政策をとるべき時代なのである。つまり、国際的に、農業を中心にした「むらおこし」運動を展開すべき時代なのである。

 日本の人口は、五〇万人以上の都市に四分の一(三〇三七万人)が集中している。一〇万人以上の都市に約六割(七〇五一万人)。いっぽう、一〇万人に満たない町村には人口の四割しか住んでいない。しかし、町村数では九割を占めているのである。そして『現代農業』の読者の主力は、この九割の町村にいる。この人口の四割しか占めない人口一〇万以下の町村が栄えるか、疲弊するかが、国民の暮らしが豊かに安定するかどうかをきめる。その四割の町村の人口が減ってゆく動向がとまらない限り、日本の国土が豊かになることはない。

 さて、それでは一億円はどう使ったらよいか。

事業計画には外部の知恵も活用しよう

 まずいえることは、使い方を役場や議員さんだけにまかせてしまってはつまらない――ということだ。国会議員―自治体の長というような人のつながりで使い方が決められるのでは、単にその人たちの「実績」が一つふえるだけに終わってしまう。

 自治省も、国の事業などとの抱き合わせで使うのは、国のアイデアの延長であって、市町村そのもののアイデアではないから好ましくないといっているし、また、「この事業が単に地方公共団体内部の取組みに終わることのないよう、各市町村は事業の趣旨を広報紙等を通じて周知徹底し、広く住民(経済界、各種団体等を含む。)の参加のもとに地域の知恵と情報を結集することが必要である」ともいっている。

 「経済界、各種団体」のなかには、当然農協や商工会議所なども含まれるだろう。だが、この場合ただ農協の組合長が会議に出席して役場の案を諒承するような形式的なものにはしたくない。婦人部や青年部、あるいは部会の代表など、実際に村の生産と暮らしを担っている人たちの声を役場にとどけたい。

 また、日ごろ行政にはあまり接触のない「各種団体」もたくさんあるはずだ。新しくグループをつくってもいい。個人でもかまわない。どんどんアイデアを役場の事務当局に伝える。なにに使うかを一人でも多くの人たちで考えることから「ふるさと創生」の運動が始まるのである。

 ところで、全市町村の九割を占める人口一〇万人未満の町村の多くは、自主財源に乏しく、町村独自の事業を起こすことになれていない。広く住民の知恵を結集するといっても、あれもこれものアイデアが、オモチャ箱をひっくりかえしたように集まっただけでは実施案はつくれない。

 そこで、外部の知恵も活用したらどうか。すぐに考えられることは、地方大学の先生方、とくに農学部の先生方の知恵を借りることである。町村出身の知識人で知恵のある人も少なからずいる。生まれ故郷のために一働きしてもらうのはよいことだ。また、地域活性化のためのプランを立案する民間の機関もある。

 今回の一億円は計画立案のために資金をつかうこともできるのだから、これらの人びとの幅広い情報力や調査能力、住民の意向をプラン化する能力など大いに活用したい。何より先生の参加で住民プランにお墨付がつく。当節は都会に住んでいる知識人の中には、自分の持っている力を村のために役立てたいと願っている人たちが少なからずいるのである。

 戦後しばらくの民主化時代に、村々は活気にあふれていた。その活気は、村人たちの気持が農地改革の実施などによって大いに高揚したために生まれたのだが、一方では疎開していた知識人や、村々の農村文化運動を助っ人して歩いた大学の先生や運動家などの影響もあったにちがいない。国際化時代のいま、なりゆきまかせの国際化では地方が亡びる。この機会に金だけでなく人も地方に向う動きをつくり出そう。

生産と生活を貫く事業を

 事業内容について考えてみよう。自治省は、「それぞれの地域における多様な歴史、伝統、文化、産業等を活かし、独創的・個性的な地域づくりを行なうため、市町村が自ら考えることになるが、地域に必要なソフト事業が主に想定される」としている。「あえて例示すれば」としてあげている内容は、「人材の育成、むらおこし、地域間交流、国際交流、伝統文化の継承、地域アイデンティティーの確立・イメージづくり、地域特産品の開発、地場産業の育成、地域情報化の推進、イベントの開催、地域福祉サービス、健康づくり、生涯学習の推進等」である。

 もちろん、これらの項目にこだわることはない。“より多くの人がより豊かに住めるような地域をつくる事業”というふうに考えたい。それを“子孫に向けて蓄積し、自然に向けて蓄積する、いわば蓄積循環型の事業として行なう。一億円が、五億にも、一〇億にもなって地域に残るような事業である。そのような事業は、「ふるさと」=地域、地方自治体でこそ可能である。

 なぜなら、地域、地方自治体においては、そこに住む人びとが自ら住みよくなろうと考えるとき、地域の生活と生産を貫いて、どのような方向が望ましいのかを議論できるからだ。これまでは、限られた金を扱うにあたり、たとえば産業基盤投資に多くをふり向ければ、生活環境や教育などに回す財源が不足する、というような傾向があった。生産と生活が対立、矛盾する場合もあり、自治体内部の各部署で予算のとり合いも生じた。そして結局、いわゆる上意下達で地域から人も金も流出させられるような金の使い方になりやすかった。

 「ふるさと資金」一億円は、生産と生活の双方がうまく循環して成果があがっていくような事業に使いたい。

独創的・個性的なふるさとを

 たとえば、北海道中標津町の酪農家・松岡喜世之助さんは、この事業を知ったとき、土壌の成分を調べる検定器で、従来のものより検定機能が高い器械を買えないものか、と考えた。町中の、牧草地や畑の土壌成分の過不足を調べて、野菜や、牛のエサの健全生産に結びつけよう、との考えである。

 「何だ、農業生産投資で、農家の利益誘導じゃないか」と思われるかも知れない。しかし、松岡さんたちは、酪農の経営改善、健全生産に努めるいっぽう、「安全な食品を考える健全な町づくり学習会」を、町や農協、消費者に呼びかけて、実現してきた。“地域の人びとの食生活は地域の健全な食べもので”を目指して、牛乳レストランを開いたり、自給野菜の充実をはかるなどの取組みをしている。

 地域の人びとの健康を守ることと、地域の農業を守ることは一体だ、との認識があるからだ。そうした運動を、町全体として強固なものにしていく。そのための一つの武器が、町の土をよく知るのに欠かせない土壌検定器だ、というわけである。

 土壌検定器が町の合意を得るかどうかは別問題として、生産と生活が地域でつながってどちらも健全になっていくことは、同時にお年寄りの仕事をふやす高齢者対策でもあり、健康事業など福祉対策でもある。また、地域の農業や商・工業が地域の人びとの中で密度高く息づいていることは、必ず子どもの教育にも好影響をもたらす。このような、循環的に価値が蓄積されていく事業こそが一億円の使い道にふさわしい。

 国際化時代は情報化時代でもある。いま世界的にすすめなければならない「ふるさと創生」。この取組みの“地域情報”は広く多の地域、都会、世界へと発信していきたい。

 長野県のある村役場のHさんは、「村の産業も人も自然もすべてひっくるめて、その価値をもって都会と交流し、さらには国際交流をはかりたい」、そんな活動にこの資金を使えたら、という。“地域情報”の発信・交流、これが地域アイデンティティー(存在の証明)を確立し、地域に人を定着させることにつながるからだ。そのためには、まず地域の人々が、そこの自然とのつながりにおいて暮らしを享受することが基本になる。そのようなふるさとと関係することを都会の人びとは求めてる。

 たとえば、岡山県の高齢化のすすむ建部町では、いまお年寄りがいきいきと、アワなどの雑穀生産、さらには減農薬の野菜生産に取組んでいる。これは、現代の食生活で急増した子どものアトピー性皮膚炎で悩む消費者のグループとのつきあいだ(くわしくは六八頁)。年をとり現代農業の中では仕事も少なくなりがちなお年寄りが、田畑・自然との関係を取りもどす。いっぽう、アトピーの子たちは、お年寄りから孫のように心配されながら、自分の体という自然と食べものという自然との関係を、改善していく。

 現代は、都市でも農村でも、あらゆる意味で「自然」との健全な関係づくりが切実に求められている時代である。自然と共生しなくては人は生きられない。自然とかかわる“地域情報”に都市の人びとが呼応し、地域のアイデンティティーが外からも確認されていく時代である。

 地域の自然も人も、地域それぞれに固有のものである。だから自然と人とのつながりを強める方法も、それぞれの町村の条件に応じて異なった、個性的なものとなる。

 一億円の交付金を、地域の生活と生産を貫いて、自然と人を一層強くむすびつけ、町村の個性を発揮する事業に使おう。

 農文協は総力をあげて、この独創的個性的ふるさと創生を支援し、誌上でも各地の実践例を紹介していきたい。

(農文協論説委員会)

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