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農文協トップ主張 1990年07月

東京発、大規模リゾートの時代から地元発、ふるさとリゾートの時代へ

目次

◆民活による大規模リゾートに期待されたもの
◆大規模リゾートで地域経済は活性化するか
◆欧米は「農村リゾート」で農村、都市の共有文化をつくり出す
◆地元主導で地域を活性化させる「ふるさとリゾート」

民活による大規模リゾートに期待されたもの

 初めのうち「リゾート」という言葉は新聞でもテレビでも「期待」を込めて語られていた。一九八七年五月、国会をリゾート法、つまり「総合保養地域整備法」が通過した中曽根内閣当時のことである。

「リゾート法は、一口でいえば、大規模リゾート開発を促進するためのもの。この法律の指定を受けると、融資や税制上の優遇措置、自治体と企業との第三セクターの場合には無利子融資など財政上の大きな支援が受けられる(1)」。

 この、リゾート法の制定に対し、国、企業、地方自治体には三者三様の期待があった。

 まず国は、貿易摩擦の解消のため、「前川リポート」や欧米からの要求により、強力な内需拡大を模索していた。

 企業にとっては、一九八三年から始まった民間活力(民活)導入による都市再開発が、首都圏の地価を上げるところまで上げ、集中をつづけるトウキョウ・マネーの行き場がなくなっていた。「東京経済が成立するには、トウキョウ・マネーは動きつづけ、増殖をつづけなければならない。行き場を失ったトウキョウ・マネーは、一転、堰を切ったようにしてリゾートへ、地方へと向かう(2)」。

 地方自治体は、過疎の進行や「空洞化」による地場産業の沈滞、輸入自由化にともなう農産物価格の低迷などで地域経済の深刻な落ち込みに直面しており、リゾート企業の進出による税収増、雇用機会の増大、リゾートホテル等による地場産物の買い入れなどに「地域活性化」の「期待」をいだいた。

「期待」は三者三様、基本構想は承認済み、承認待ち合わせて三四構想、最終的には「一府県一個主義」で全府県、国土面積の二〇%にリゾート地が出現することになるが、その構想の実態はどこもゴルフ場、スキー場、テニスコート、海の近くであればマリーナに一泊一人二〜三万円の高級リゾートホテル、平均単価四〇〇〇万円、なかには八〇〇〇万から一億円のものもあるリゾートマンションを組み合わせたものばかりで、これでは期待(夢)は三者三様でもいわば同床異夢。

 そして、この同床異夢を実現するために、農地や水源涵養保安林、防潮林、国立・国定公園に対するさまざまな法律による保護を緩和する必要もあった。それらは、国民生活にとって不可欠の食べものを育て、水を養い、大気を浄化し、心の安らぎをもたらす景観を守るための規制であったのだが、「リゾート法」とそれにまつわる各種の措置は、「農地の活性化」「国有林の活性化」の美名のもと、「農地改革以後最大の土地改革」と言われたほどことごとく規制を緩和してしまい、農地や山林をよりどりみどり大企業が安く買い上げられるようにしてしまったのである。

大規模リゾートで地域経済は活性化するか

 ――その、リゾート法の成立から三年がたった。いま、新聞やテレビで「リゾート」という言葉がとりあげられるときは、ゴルフ場開発による森林伐採、飲料水の農薬汚染や枯渇の問題が典型的にそうであるように、さまざまな反対運動のやり玉としてとりあげられることが多い。

 農業不振や過疎にあえぐ地域の活性化のためには、「多少の環境破壊はやむを得ない」という声もある。だが、たとえ環境破壊の問題に目をつむったとしても、大規模リゾートが導入された地域の経済は本当に活性化しているだろうか。

 たとえば、リゾート候補地になればその地域の地価は急騰する。しかしそれが、地元に何をもたらすのだろう。

 リゾート地の地価は「秩序ある二重価格」と言われている。「特定地域の重点開発地区は、行政が公共事業ベースの安い価格で押え込んで企業に卸すために低位安定で、その周辺部は中小デベロッパーや東京の地上げ業者が買い漁って狂乱地価を実現させている(3)」からである。

 この「二重価格」は、「リゾート錬金術」の源である。地元自治体との進出協定で反当たり八〇万円程度で土地を手に入れた企業は、「造成して別荘地分譲すれば一坪が一万二〇〇〇円になる。さらにその横にゴルフ場ができれば三万円に、それに加えてホテルも建てれば、同じ土地が六万から七万円にはね上がるのだという(4)」。

 一泊二〜三万円もするリゾートホテルにいったい誰が泊まるのだろうとわれわれ庶民は心配もする。だが、もともと企業にとっては、ホテルやスキー場がオープンしてからの稼働率が悪く、多少の経営赤字が出ようが、それをはるかに上回る莫大な開発利益が、まず初めの別荘地やリゾートマンション、ゴルフ会員権などの分譲で確保されているのだ。

 つまり、地元の農家や林家は、反当たり八〇万円というような、その土地にかけた基盤整備費すら下回るような価格で土地を手放すように仕向けられ、企業は、それによって得た莫大な開発利益を再び東京に還流させる。

 これで地元の地場産業や農林業を活性化させるような経済効果が本当に期待できるだろうか。税収増を期待する自治体にしても、別荘やリゾートマンションの所有者は固定資産税は払うが住民税は払わない。それでも上下水道やゴミ処理、消防の増強などは住民に対してと同様、やらないわけにはいかない。固定資産税による新たな税収があれば、その七五%が国からの地方交付税からカットされる。

 それらのことは、いま国や企業の手ですすめられている大規模リゾート開発が、国民・勤労大衆の休息のあり方を提起したり、地域の活性化をはかるという本来の主旨からは大きく外れ、株や証券と同じマネーゲームの手段になっていることを示している。

欧米は「農村リゾート」で農村・都市の共有文化をつくり出す

 「resortという英語は、保養や休養およびレクリエーションやレジャーを目的に人々がしばしば訪れるところを意味している。resortirというフランス語は、(中略)『足繁く通う』という広い原義の言葉である(5)」。

 その言葉が示すように、欧米の生活習慣、生活文化として根づいているリゾートは、「人と自然、人と人との本来的な関係をとり戻すことを基本テーマにしている(6)」という。

 欧米各国の現代のリゾートのありようをみると、その主役が農民であり、いかにリゾートが農業・農村と深く結びついたものであるかに驚かされる。

 明治大学農学部の井上和衛先生によると、イギリスのリゾートの主舞台はファーム・ハウスと呼ばれる農場民宿であり、ファーム・ハウスの規模は、農場主の妻が世話できる程度で、提供される食事は伝統的な手づくり料理が普通であるという。

 井上先生が訪れたファーム・ハウスは収容人員六名で、その他にも利用者が自炊できる貸部屋二室があり、美しい渓谷を広びろと見渡す位置にあって、その家の周囲にはテニスコートや子供の遊び場もしつらえられていた。

 その家の主人は六〇歳と五八歳の夫婦。八年前、ファーム・ハウスを始めるまでは乳牛四〇頭の酪農を営んでおり、ファーム・ハウスを始めた動機は、「子供が娘二人で、二人とも結婚で家を離れ、二人暮らしとなり、あとつぎもなく、体力も低下してきたので、牛乳の生産割当を他人に譲渡し、手間のかからない肉牛飼養に切替え、ファーム・ハウスを始めた」というものである(7)。

 西ドイツのリゾートは、さらに農業・農村保護の政策と深く結びついている。

 西ドイツ農産物の価格がEEC統一価格水準にまで引き下げられた一九六〇年代、西ドイツの農業は「フランスの農業と西ドイツの工業の結婚によって、フランスに売り渡された」と言われたほどの危機におちいった。

 そのときの西ドイツの国をあげての対応は、農業・農村のもつ国土保全の役割を重視し、「やむを得ない農業人口の減少とは別に、農村定住人口を維持するとの政策決定」をし、「農村工業か政策と並んで『農村で余暇を』という余暇政策で新たな就業機会を増やす(8)」というものであった。

 そして都市部における週休二日制の採用や五日以上の有給休暇の実現とほとんど並行して、農村部では「わが村は美しい」という景観美化コンクールが行なわれ、食糧農林省が「家族の休暇を国内で」というキャンペーンをはり、安心してくつろげる農村民宿や牧場民宿を拠点にした「農村リゾート」が国民生活に定着するようになったのである。

 さらに、西ドイツの農村リゾートを訪れる市民のもっとも大きな楽しみのひとつは、「農村の暮らし」そのものである。そこで重要な役割を果たすのが、法律で保障された農家の自家醸造権や、自家殺権である。ワインづくりやソーセージづくりなどの国民的生活文化の伝承の場としても農村リゾートはあるのだ。

 このような欧米のリゾート施設の多くは、一泊四〇〇〇〜五〇〇〇円。日本のリゾートホテル一泊の費用で、五日から一週間を滞在できるのだ。だから本当にリゾートを必要とする人々が、「足繁く通う」ことができるのである。

 こうして、農村の景観とそこに住む人々の暮らしが、まさに“農村・都市の共有文化”となり、農村の環境保全・文化創造の役割に対する国民的共通理解が醸成される。

 東京と企業の利益を優先させ、たかだか三年で破綻が見えてきた日本の大規模リゾート開発は、欧米に根づいた“農村・都市共有文化”としてのリゾートとは、その思想も内実も異なる、商業主義に特化した奇形的「リゾート」と言うべきである。

地元主導で地域を活性化させる「ふるさとリゾート」

 再び目を日本に転じてみよう。

 すると、目だたぬ形で、すでに、本当に都市住民が休息でき、それが地域の活性化にもつながるような、日本型の農山村リゾートが各地で試みられていることに気づかされる。

 たとえば福島県南会津郡只見町。ここは東京二三区の一・五倍の面積に二〇〇〇世帯、約六七〇〇人が暮らす典型的な「過疎」の町である。

 その只見町で農山村リゾートの中心となっているのが、只見木材加工協同組合である。

 この組合は八年前(林野庁の林業構造改善事業の補助を受けて)、家具生産を行なう組合として発足し、四年前に建築事業部門を、そして今年森林リゾート事業部門を新設した。いまでも家具事業は年間約一億二〇〇〇万円の売上げがあるが、急成長しているのは建築事業と森林リゾート事業であり、こちらが合わせて年間一億二〇〇〇万円の売上げを上げるようになっている(組合では都会からの移住者三名も含め、二二名の若者が働いている。過疎の村でこのことのもつ意味も大きい)。

 建築事業の中心は、一八〇年くらい前から明治期に建てられ、空き屋になっている曲がり屋形式のカヤぶきの農家を、首都圏などの別荘購入希望者に八五〇万円程度で買ってもらい、一五〇〇万程度で改修すること。そのことは、曲がり屋という有形の文化財を保存するだけでなく、いま、誰かが受け継がなければこの数十年の間に絶えてしまうであろう、カヤぶきや曲がり屋建築の技能という、無形の文化財を保存することにもつながる。

 森林リゾート部門でのユニークな試みは、昨年から始まった土地一坪無料プレゼント。これは、自力で土地を買うことをあきらめつつある都市の人々に、自分の土地をもつ夢をあたえると同時に、四季それぞれにこのイベントを行なうことによって只見の四季のすばらしさを知ってもらおうというもの。昨年春のこのイベントでは、なんど二〇〇〇人が首都圏ばかりでなく、遠く関西から集まった。

 その延長上には、「入会権の販売」や「緑のオーナー制度」がある。

 入会権の販売とは、都市の人々に、一〇万円とか二〇万円とかのまとまったお金を出してもらい、五年や一〇年は何の手続きも必要なく入れる山を提供すること。組合では「株式会社たもかく」という子会社をつくり、都会の人や地元の人に株主になってもらって、その資金で現在一五万坪を確保し、株主なら誰でも、山菜を採りに入ろうが、沢で釣りをしようが、それこそ自由に一五万坪を使えるようにしている。

 緑のオーナー制度は、いま、只見にある雑木林を、土地ごと売り、二〇年間の管理を請け負うというもの。三〇〇坪の土地と立木で二〇万円、二〇年間の管理料が三〇万円、セットで五〇万円である。前述の一五万坪の土地への二〇年間の入会権も付けてあるところが特徴である。

 組合が全国向けに発行している月間情報誌「たもかく」で別荘やログハウス、一坪無料プレゼント、入会権購入のことを知り、只見を訪れる人たちは年々増えつづけ、組合はいま、「毎年七〜八棟のセカンドハウスを建て、毎年三〇件くらいの土地をセカンドハウス用地に売り、毎年一〇〇〇人くらいの人に一坪地主になってもらい、二〇〇〇人くらいの人に組合の施設やイベントに来てもらっている」というところまできている。

 只見は特別の観光地でもなければ、大企業が進出する大規模リゾート地でもない。未利用地や荒廃地、空き家など、地域にある未利用のものを生かすこの方式のどこがこれほどまでに都市の人たちをひきつけるのだろう? この組合の専務理事、吉津《きつ》耕一さん(三六歳)は、それは一言でいうと「懐かしさ」だという。

「なぜ日本人は、盆や正月にラッシュにもまれながらもふるさとに帰りたがるのか。懐かしい家族に会いたかったり、子供のころ遊んだ川を懐かしんだり、子供のころ一緒に遊んだ仲間に会いたいからでしょう。欧米には欧米のリゾートがあるでしょうが、日本人は『ふるさとの懐かしいものに会いたい』んです。只見を初めて訪れる人の多くが、『初めてではないような気がする』と言います。それは只見に、懐かしいものがたくさんあるからでしょう」

 日本人にとって農山村は、実体的にも心理的にも、祖父母や両親の暮らす「ふるさと」である。

 欧米で定着している農山村リゾートは、吉津さんの言葉を借りて日本流に言い換えれば、「ふるさとリゾート」と言うことができるだろう。だからむしろ、きらびやかに飾りたてた観光地や、外国を見まがうような建物が立ち並ぶリゾート地より、普通の農村である只見のほうが、人をひきつけることになる。

 そのことは農業、林業など生産一辺倒の見方で農山村を見るのではなく、人の生きる場として農村や山村を見直すことにもつながる。只見だけではない。地元主導、内発型のふるさとリゾート運動は、国や大企業による大規模リゾートにとってかわる勢いで広がりつつある。

 これからは、小さくて金はかからないけれども人をひきつけ、足繁く通える「ふるさとリゾート」の時代なのだ。

注――

 (1)佐藤誠+NHKおはようジャーナル取材班『ドキュメントリゾート』日本評論社、一三ページ。

 (2)同 一二ページ。

 (3)佐藤誠『リゾート列島』岩波書店、一〇七ページ。

 (4)前掲『ドキュメントリゾート』、八七ページ。

 (5)前掲『リゾート列島』、二八ページ。

 (6)同 二七ページ。

 (7)「穀物自給率達成後の新たな課題」現代農業、八九年七月増刊号『世界の農政は今……』、一四〇ページ。

 (8)前掲『リゾート列島』、一八三ページ。

(農文協論説委員会)

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