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農文協トップ主張 2000年2月号

産直・加工の広がりで今、
「農家が品種を選び、つくる時代」

――個性的な市町村づくりに品種を活かす――

目次
◆産直の中から、品種選びが始まる
◆「流行」の品種と、産直で農家が選ぶ品種のちがい
◆「命の自給ライン」で息づく品種の価値
◆品種つくりは「新しい不易」つくり
◆個性的な市町村づくりに品種を活かす

 産直には農業のやり方を変える大きなパワーが秘められている。昨年10月号・土肥特集号の本欄では「産直・加工の広がりで今、農家が肥料をつくる時代」という主張を掲げたが、どうやら品種でも「農家が選び、つくる時代」が始まったようである。

 これまでも農家は品種を選んできたのだが、大量生産・大量流通のもとでは外観・揃いがよく、不特定の消費者に受け入れられる一定の味と品質を実現できる広域的な品種が求められる。産地で品種を統一する必要もあった。しかし、産直では事情は一変する。産直という小さな流通なら、そこにしかない地域品種やこだわりのある品種が生きてくる。産直では、個性の豊かさが身上になるからだ。そこでは、自分の思い、自分の必要性で品種が選ばれる。

 そして「品種をつくる」。昔から農家は品種をつくり続けてきた。よくとれた、病気に強かった、食べておいしい、変わった姿のものがでてきた、そんな作物との出会いのなかで、生産と暮らしの永続性、食べ方や楽しみまでを考えてタネを選び、残していく。こうして各地に個性的な品種がつくられてきた。タネを、品種を選ぶことが、品種を育てることにもなっていたのである。

 タネを選び、品種を育てることは農家の大事な仕事であった。そんな農家と品種の関係が、産直のなかで蘇ってきた。

産直の中から、品種選びが始まる

 栃木県上三町の上野長一さんは、除草剤のいらないイネつくりをめざしている。そんな上野さんが今、注目しているのが古い品種「農林48号」だ。

 「古い品種は個性が豊かです。そして手間や肥料・資材はいりません。個性をつかみさえすれば、とてもおもしろい。しかしその個性が問題点になることも多くて、だんだんに忘れられてしまった品種ということなのだと思います。しかし、今の品種から見れば、よほど自然に合っています。今の品種というのは、人間がコントロールするよう、力を注いでつくるようにできていますが、古い品種は、ほったらかしておいても大丈夫です」

 こう話す上野さんは、「農林48号」の分けつのとりやすさに注目した。「農林48号」は、稈長はコシヒカリより長く、穂長もコシヒカリより長めで、穂数はコシヒカリより多く、分けつはとりやすい。肥料が多いと倒れるが、肥料がなくてもラクに分けつがとれる。つまり、草があっても分けつが抑えられない、草と共生できる品種だということである。しかも少肥でいける。

 「農林48号」は除草剤をなくし肥料を減らすのにむいていて食味もいい。産直ならその全てがアピールできるし評価される。

 「産直の中から品種選びも始まるし、除草剤、化学肥料を使わないイネつくりも始まるように思います。たくさんの百姓が、自分に、土地に、風土に合う、相性のいい品種を見つけることで、ことは開ける思いがします」と上野さんはいう(本号244ページ)。

「流行」の品種と、産直で農家が選ぶ品種のちがい

 直売所での野菜販売で経営を成り立たせている福島県郡山市の鈴木光一さんの品種選びは、もっぱら味本位である(86ページ)。たとえばナスは市場で中心になっている千両系ではなく、長ナスを基本に、皮が薄くみずみずしい水ナスや漬物にすると美味しい小ナスである。トマトは酸味があり完熟するとおいしく昔懐かしい味がする強力米寿二号なんていうのもつくっていて、直売所の定番になっている。キュウリは全部、昔ながらのブルームがでるタイプの品種だ。パリパリ感があって香りもいい四葉系の品種もつくっている。

 「ブルームレスじゃないほうが、うまいに決まっているから。白っぽくなるのは、説明すればすむことでしょ」と鈴木さん。ブルームはキュウリの実が分泌するロウ物質だが、白いので農薬のように見えてしまう。それまでのキュウリとブルームレスのピカピカのキュウリを比べると、ブルームレスのほうが安全で新鮮に見える。「差別化」されて価格に差がつき、こうしてあれよあれよといううちにブルームレスキュウリが「流行」し、全国を席巻してしまったのである。

 しかし、ブルームレスキュウリは一般に味が劣り、そのうえ、ブルームレスにするための台木は樹勢が弱いものが多かったり、うどんこ病が出やすかったりしてつくりにくい。農家にとっても消費者にとってもあまりいいことはないのだが、大規模な市場流通がつくる「流行」は、そんないきちがいをおこしてしまう。大量生産・大量流通のしくみのもとでは、「差別化」のための品種選択が「流行」になって、結局、品種が画一化する、そんな目に見えない力が働いている。この過程では、「消費者ニーズ」などという得体のしれない言葉が飛び交ったりして、こうして品種が農家の生産と暮らし、消費者の生活から離れていく。

 だが、直売ならこうはならない。「説明すればすむこと」なのである。その「説明」のなかに農家の生産と暮らしが表現され、その全体を消費者が受け取る。品種をとおして、農家と消費者が結びつく。

「命の自給ライン」で息づく品種の価値

 農家と消費者が結びつくとき、品種選択の幅は大きく広がる。多収性、高品質、均一性といった大量生産、大量流通で重視される性質だけではない価値尺度で品種が見直される。たとえばイネでは、コシヒカリに代表される良食味性とはちがった品種の動きがでてきた。

 北海道美唄市の今橋道夫さんら元氣招会の農家は、数年前から米アレルギーのグループへの産直米として「ゆきひかり」の栽培に力を入れている(238ページ)。北海道のイネの品種は、「ゆきひかり」から、道産米としては初めてコシヒカリの血が入った食味の良い「きらら397」へと移ってきたが、グループに送る米を「ゆきひかり」から「きらら397」に替えたところ、「ゆきひかり」にもどしてほしいという要望が返ってきた。「きらら397」に替えるとアレルギーがひどくなる子どもがいるという。そうなる理由はよくわからないが、札幌市の長谷川クリニック・長谷川浩院長らの調査では、米アレルギーに品種間差があることが明かで、「ゆきひかり」に替えたことで「良好」または「大変良好」になった人は八割を占め、その他の銘柄米やモチ品種では、悪化した人が圧倒的に多いという結果がでている。コシヒカリ系の品種がほとんどを占めるようになったことが、米アレルギーを増やす要因になっているのではないか、という見方もある。

 一口にイネというけれど、イネ一般があるのではなく、つくり、食べているのはそれぞれに個性をもつ品種である。そしてかつての品種では同じ品種でもそれなりの多様性があった。地ダイコンにしてもダダチャ豆にしても、農家がつくる品種は地域に共通した品種ではあるが、その中味は意外に多様で雑然としていたのである。そうした品種自体の多様性が失われ、さらにそれが広域化して品種が単純化することは、人間の身体に不都合なのかもしれない。

 元氣招会では現在、全国130戸へ「ゆきひかり」を届けており、一年中切らせるわけにはいかない。

 「もし不足して食アレルギーが悪化したら……と考えると、責任は重大です。特に米アレルギーは症状が重い場合が多いのです。いっぽう、お米に余裕がない時に新しいお客様から『ゆきひかり』を何とか分けてほしいと言われるのもつらいものです。反面、お客さんから劇的にお米が食べられるようになったと聞くと、本当にうれしいものです」と今橋さん。

 産直は「命の自給ライン」である。そこでは、農家と消費者が強く結びつき、品種の価値が息づく。

品種つくりは「新しい不易」つくり

 農家が品種を選ぶ時代は、農家が品種をつくる時代でもある。

 福岡県二丈町・二丈赤米センターの吉住公洋さんは、村で育成した品種を用い棚田で赤米生産を進めている。この品種は次のように育成された(注1)。

 赤米の在来種は、長稈で倒れやすく収量も上がらず、しかも粘りが少なくて食味が現代人にあわない。かつて復活を試みた農家は、それだけであきらめてしまっていた。吉住さんたちが赤米復活の確かな手ごたえをつかんだのは、福岡県農業総合試験場の松江勇次研究員が交配した赤米を見たときからだった。

 この品種の育成に関わってきた宇根豊さん(元普及員)はこの時のようすをこう書いている。

 「対馬在来とサイワイモチを交配することによって、在来種のなかの眠っていたさまざまな遺伝子が目覚め、田んぼは百花繚乱という様相を呈していた。穂先の芒の色ひとつとっても、深紅、ピンク、紫、橙……と、幻想の世界に迷いこんだような錯覚をおぼえてしまう。

 これを試験場で選抜するのもいいが、同時に村の景観のなかで選んだらどうだろうか、と考えた。また、村のなかでは、赤米を受け入れる準備がさまざなな局面で必要だと筆者は直感した。まったく異例ではあったが、こうして研究員と百姓の共同育種が始まったのだ」。

 その結果、従来種よりも30〜50センチ短くて倒れにくく、受光体勢もよく食味も改良された品種(「未来」系統)が生まれたのである。

 宇根さんは赤米を「古代米」と呼ぶことに抵抗を感じている。江戸中期でも、九州では年貢米の3〜5割は赤米で納められており、古代米といういい方は、赤米が何か特殊な、過去の米だという先入観をつくってしまうからである。特殊な、珍しい米ではなく、農家の、日本の「原風景」に息づいている赤米だからこそ現代に復活させたい。赤米の品種つくりにはそんな思いが込められている。

 品種つくりは、対馬在来という赤米の在来種にモチの品種を交配して粘りを強める血を入れ、その中から形質の優れたものを村の田んぼで選抜・固定するという方法で進めらた。在来のものに異質な血を入れ、そして村になじむものを選んでいく。

 先月号の主張「『流行』から『不易』へ―21世紀の課題」では、次のように述べた。

 「『変わらざるもの』が時代や流行=『変わるもの』と交差して『変わらざるもの』がますます深まり、高まる。『新しい不易』として形成される。『不易』には『流行』によって全く変わらない『不易』と、『流行』によって根本は変えず個性を活かす『新しい不易』がある」

 「流行」を外部からの異質なものと置き換えれば、つくられた品種「未来」は「新しい不易」ということができる。そこでは赤米の根本は維持される。品種に歴史と文化と農家の思いが凝縮され、復活する。「研究員と百姓の共同育種」がこれを可能にした。「未来」は「改良され、しかも赤米本来の生命力を失っていない、パワーあふれる、つくりやすい品種」だと宇根さんはいう。

個性的な市町村づくりに品種を活かす

 品種は農家によって「新しい不易」としてつくられてきた。たとえば各地に個性的な地方品種が残っているダイコンでは次のようである。

 ダイコンは元々中国から伝わってきたものだが、江戸期には江戸近郊で江戸ダイコンといわれる品種群が生まれた。隆盛を極めた練馬、亀戸、この二つが自然交雑してできたとされる「みの早生」、これらの江戸ダイコンは当時すでに成立していた種苗業者によって各地に伝わっていった。それは各地の在来種を脅かしもしたが、一方では地ダイコンとの交雑によって、新しい品種を成立させる力にもなった。現在残っている地方品種には、練馬などの血を引くものも少なくない。

 外部の異質なものを受け入れ、それを地域になじませる。夏に食べるダイコンが欲しいとか、冬の青物にしたいなど、暮らしの側からの都合と田畑の都合との折り合いをつけようとする人間と地域の自然が一緒になって、地域の個性的な品種がつくられてきたのである。

 こうして営まれてきたタネの、品種の自給である。この自給は外に開かれている。外部との交差によって地域の品種は個性的になっていく。

 地域の自然と歴史・文化を体現している品種、それは、人を引きつける。そんな品種のもつ地域形成力を生かして町づくりをしようという取り組みも始まった。

 金沢市では、市、JA、流通業界が連携して「金沢市農産物ブランド協会」を発足させた(注2)。古くから伝わる「加賀野菜」を見直し、市民の食卓に途絶えていた食文化を復活しようというねらいだ。小ナスでつくりづらいが一夜漬けの味は絶品の「へた紫ナス」や加賀太キュウリ、加賀レンコンなど11品を「加賀野菜」に指定し、源助ダイコンなど消滅寸前の3品には、農家一戸当たり10万円以上の補助金を出している。店の一番目立つところに加賀野菜を並べ、若い主婦に料理方法も教えている八百屋さんもいれば、学校園で加賀野菜をつくる中学校もある。懐かしいカラシ菜の栽培と料理に公民館活動として取り組む地区もでてきた。市の旅館組合も、金沢でしか味わえない郷土野菜の料理で宿泊客を呼びたいと、各旅館にメニュー化を呼びかけている。加賀野菜の地産地消を提唱してきたのは、地元の老舗の種苗店だ。こうして伝統野菜が、農家と市民、学校を結び、行政や農協、地元商店を結ぶ。

 歴史と文化がこめられた地域の品種は、個性的な市町村づくりの大変魅力的な素材なのである。

(農文協論説委員会)

注1 農業技術大系作物編第八巻「水田の多面的利用」収録事例 
   「放棄される棚田にむらで選抜した赤米生産」(宇根豊)より
注2 日本農業新聞99年12月1日付記事「足元見つめ(1)」を参照した


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