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農文協トップ主張 2004年8月号

「ほんもの体験」で地域づくり
――長野県飯田市の体験型ツーリズム事業に学ぶ

目次
◆大盛況!「全国ほんもの体験フォーラム in 南信州」
◆飯田市の「ほんもの体験型」ツーリズム
◆インストラクターの農家が元気になる
◆「ほんもの体験」は都市民どうしの交流をも生み出す
◆「見る観光」から「体験型の観光」へ、観光業も変わる

大盛況!「全国ほんもの体験フォーラム in 南信州」

 2004年(平成16年)2月27日から29日の三日間、長野県飯田市の飯田文化会館は熱気に包まれていた。

 南信州観光公社が主催し、都市と農山漁村の共生・対流推進会議(オーライ!ニッポン会議)が共催、各省庁に旅行業界、マスコミ各社などが後援する「第一回・全国ほんもの体験フォーラム in 南信州」に、全国から400人を超える人びとが集い、三日間で、のべ1800人を超える人びとの参加を得て、大成功をおさめたのだった。

 この全国大会のキーワードは「ほんもの体験」。農家がインストラクター(指導員)になり、農業体験や農家生活の体験をしてもらう体験型ツーリズムを全国的に展開しようと呼びかける初めての大会で、飯田市を中心とする南信州の農家民泊の草分けの女性や、体験教育旅行、伝統的郷土料理、手打ちそば、渓流釣りなどのインストラクターたちが、都市民との交流の様を生き生きと発表し、「公開パネルディスカッション」では、体験型ツーリズムの価値とそのノウハウを普及している体験教育企画・代表の藤澤安良氏が基調提案。

 「地域の農家が地域の独自性に気づき誇りと自信を持つことが、地域の魅力となり、都市民のリピーターをつくりだす。訪れた人びとには感動が呼び起されて精神的な充足が得られ、地域には自信の回復がもたらされる―そのような体験型ツーリズムの大元は、地域の暮らしに根ざした『ほんもの体験』にある」と藤澤氏は述べた。

 二日目は6つの分科会を開催し、さらに「ほんもの体験フォーラム大会宣言」を採択し、次年度の大会を和歌山県で開催することを約束して散会したのだった(三日目は、さまざまなオプションツアーを実施)。

 「熱気のある大会だった。(自分の町は)何もない古い町だからと消極的になっている現状を変えたい」「いろいろな情報に接し、農家泊の交流を楽しんで、感動いっぱいでした」「この大会で自信をもらい、体験型観光のスタートを切る励みになりました」「核になっている人物の熱意があってこそ成功したのだということを感じました。考えるヒントをたくさんいただきました」…行政マンなど全国各地からやってきた参加者の感想である。

 このような全国的な大会が、東京ではなく、地図上では日本の中央部に位置するものの、交通の便が必ずしもよいとはいえない田舎の都市で開かれた。地方から全国に、農村から都市に働きかける時代がやってきたことを象徴する出来事であった。

飯田市の「ほんもの体験型」ツーリズム

 なぜ飯田市に400名もの人びとが全国から集まってきたのか。それは飯田市がすでに、「ほんもの体験」型のツーリズムで全国に名を馳せているからである。

 この大会の仕掛け人の一人である井上弘司氏(飯田市役所エコ・ツーリズム推進室長、内閣府第二次「観光カリスマ百選」認定)は、これまでの飯田市のツーリズムの取り組みについて、
1、地域固有の食材を最大限に活用した「旬」や「本物の味」、歴史が育んだ郷土食を体験しよう
2、その時、その場所、その人でなければできない体験をしよう
3、食と農を学び「いただきます」の心を醸成し、命の大切さを知ろう
4、地域に暮らす人に歴史、文化を語らせ、心で結ぶ旅をしよう
5、ゆっくりと地域の生活に溶け込む滞在で、地域の風土を享受し、心を癒そう
など、十カ条に整理している。

 引き馬にたった15分間乗るだけの乗馬体験、一セットで10人もやるような蕎麦打ち体験、よそで獲ってきた魚を放流してなされる渓流魚のつかみ取り体験など、上っ面だけかすめるような安直な疑似体験が横行しているが、疑似体験では感動は生まれない。

 「感動が生まれなければ人は変わらない。ほんもの体験は、地域の農業や食をとおして行なわれる。五感をフル動員して自然や動植物に触れ、生きていることがどういうことかが学ばれる。食べるという人間の大切な営みから、いのちの尊さを知る。自然を育むことは人の心を育むことであり、自分を大事にすることにつながる。また、自分を認めることは他人を認めることにつながる」

 こうした考えで進められる飯田市の体験型ツーリズムには、小中学校を対象にした「体験教育旅行」と、大人を対象にした「ワーキングホリデー」の二つの柱がある。

 「体験教育旅行」は、体験型の修学旅行を招くもので、地域の農業、自然、文化、伝統工芸、アウトドアスポーツなど、地域資源を生かした体験プログラムを組み立て、そこに農家民泊も組み込んだものだ。初年度は一校来ればよいとスタートしたこの事業は、平成15年には101校、117団体で2万2000人が訪れるまでに発展した。その間、市は農家のインストラクターの養成につとめ、体験メニューも当初の50から、200を越えるまでに至っている。

 「ワーキングホリデー」は、農業や農村に関心を持ち、農業をやりたい、就農を考えているが手探りで何もわからないという都市民と、繁忙期の手助けや後継者のほしい農家を結び、都市と農村住民双方が、お互いの足りないところを補い合うパートナーシップ事業である。援農を希望する都市の人は、休みを取り、交通費自弁で飯田を訪れ、ボランティアで農作業を手伝う。農家の側は、訪れた人たちに宿泊と食事を提供する。

 無償ボランティアで観光はいっさいなし、交通費は自前というワーキングホリデーは、全国でも例がない。果たして集まるかどうか不安ななかではじまったこの事業も、次の年の春のイベント開催では100名を越える参加を得、現在は800名余が登録されるまでになった。一カ月の長期滞在をする人や、毎週のように通う人も現れ、熱烈な飯田ファンが生まれてきている。

 飯田市では、これらのほかにも、子どもから大人まで楽しめるさまざまな体験事業を展開し、これらの努力に対し、2004年初春、今回のフォーラムの共催者でもあるオーライ!ニッポン会議の表彰事業、「第一回・オーライ!ニッポン大賞」で内閣総理大臣賞を受賞した。

インストラクターの農家が元気になる

 グリーンツーリズムが注目を浴びるなか、一方では期待した効果が十分あがらないという声や、都市の人びとを迎えることに疲れてしまったという声も聞かれる。これに対し、飯田市の「体験教育旅行」では、都市の子どもたちと交流するインストラクターの農家がまず、元気になってしまうのである。

 飯田市を訪れる子どもたちは、お年寄りとの触れ合いを一番喜ぶ、という。核家族のせいか、自分のふだんの生活にないお年寄りとの交流をとても温かく感じているようだ。そして、高齢者も子どもたちを受け入れることによって元気になるという。

 しかし、その温かさは子どもをむやみにかわいがるということではない。飯田の「ほんもの体験」は、子ども自身が頑張らないとやれない体験であることが必要だ、という考えで進められている。真剣な体験の場を提供するなかでの、農家と子どもたちのかかわりなのだ。

 たとえば、蕎麦打ち体験にきた子どもたちのなかに、ふらふらしていて何もやらないし、話を聴こうとしない子がいた。そこでインストラクターの農家は、その子を思い切り叱るとともに、最初はしぶしぶ、やがて気を入れてその子が打ちあげた蕎麦を「この子の作ったのが一番の出来だ」と皆の前でほめた。帰り際、その子は「先生、これ家に持って帰ってよいですか。親に食べさせたいんです」といった。バスに乗っても何度も手を振り、別れを惜しんだという。その子は、これまで褒められたことが一度もないのではないか、とその農家は思ったという。

 インストラクターのおばあちゃんに、「後で黒板を見てな」といって、去っていった突っ張り三人組がいた。センターの黒板には、「今日はとても楽しかったです。今日のことは忘れません! みなさん、お元気で」と書き残してあった。そのおばあちゃんは、ポケットに両手をつっこみ、五平餅作りの体験になかなか参加しようとしなかった三人組に、「こっちが空いているから、いっしょにやろうよ」と声をかけ、参加を促したのだった。突っ張りの子のポケットから片手が出、やがて両手が出て、だんだん真剣に五平餅作りにはまっていったという。

 黒板に書いているうちに帰りのバスの出発時間に多少遅れ、先生に叱られていたが、彼らは、同級生や先生の前では素直に反応できず、こんな形で感謝の気持ちを表現したのである。

 「ホロリとしました。こんなうれしいことは自分の生涯で初めてです。自然のなかでは、ピアスをしていようが髪を染めていようが、親がえらい肩書きを持っていようが、何も関係ない。みんな同じ動物のはしくれです」と、インストラクター役のおばあちゃんは話す。先の井上さんも次のように述べている。

 「中学生は自分探しをする時期で自分を他人の目を通してみる。自分の能力や特性、欠点を自覚し、自身のなかで葛藤を繰り返し、アイデンティティを確立していく。だから肯定的に評価してくれる人を求めており、偏見を持たずに子どもたちを温かく包みこむ農家は、たった一日で子どもを変えてしまうのだ。それを農家の教育力と呼びたい」

 帰りのバスは体験の話でもちきり。生徒に「先生、飯田に連れてきてくれてありがとうと言われた」と、引率の教師から感謝されたバスの添乗員は、「仕事冥利につきる」と、いった。

 「僕は来年受験です。家族もうるさく言います。でも受験のプレッシャーはありません。僕には田舎ができました」「今までは、何も考えずにお米を買ったり食べたりしていたけれど、作っている人たちの気持ちや願いが少し分かったような気がします。これからは作っている人に感謝しながら、お米を食べたいと思います」…帰宅後の子どもたちから農家へ届いたお礼の手紙である。

 こうした出会いをきっかけに、学校の文化祭などに受け入れ農家が招かれたり、友達あるいは親同伴で再び農家を訪ねてきたり、ということもしばしばである。千葉県の中学校の文化祭に呼ばれたインストラクターのお母さんは「飯田は第二の故郷です」と謝辞を生徒からうけ、感涙を流した。「体中がワクワクしてくる」と、子どもたちとの出会いを楽しみにしているおばあちゃんは、子どもたちからの手紙や写真を宝物のように大切に保存している。

「ほんもの体験」は都市民どうしの交流をも生み出す

 一方、「ワーキングホリデー」は、援農システムであるが、大人たちの「ほんもの体験」の場になっている。農家の仕事を手伝い、農業や農家の暮らしにふれる。

 「本当に素朴で温かな田舎で、家族の一員として心から扱ってくれる。週末が待ちどおしい」「ワーキングホリデーに参加するようになって、それまで単なる風景や知識として自分の外にあった農業が、自分の内側に入ってきた。作物の生長が気になり、天気が気になるように自分が変わった」と、参加している都市民はいう。

 農家もまた元気になる。手間が足りず困っていたのを助けられるだけでなく、農業への誇りや自信が蘇ってくる。それは、なぜか。都市の人びとが農業のすばらしさや自然の豊かさ、ありきたりと思えた田舎料理のおいしさを口々にいい、高齢者の話に熱心に耳を傾け、そして喜んで農作業に取り組むからである。

 「都会の人がこんなに喜んでいる。農村の暮らしもまんざらじゃないんだな」「こんな牛飼いでも人様の役に立てるのなら、もう少し飼いつづけよう」「いろんなものをつくって農家らしい暮らしを取り戻したいと思っていたが、それにはずみがついた」と農家はいう。農家が自信や誇りをもつのは、都市民が農業・農村の日常そのものを体験することによって、それまでの農業・農村に対する見方を一変させ、新しい自分を発見することと一体の過程である。

 新聞に小さく載っていた募集記事をみてワーキングホリデーに参加し、それ以来、何年間も毎週のように飯田に通っている名古屋市の安井さんは、農家がひたむきに土に取り組んでいる姿、腰が曲がった農家のおばあちゃんが立ち働く姿に胸を打たれ、自分自身の職場での仕事の仕方が、目立たない仕事でも必要な仕事を地道にするように変わったという。そしていつの日か飯田に定住した際に飯田の役に立つことを考えて、他県をも訪問して農業の勉強を重ねているという。安井さんを核に、愛知県には「飯田応援団」ができている。

 果樹農家の原さんは、「これがうちの宿帳だ」と、「全国道路地図」に自宅の位置を記入してもらう。その数、200名を越し、彼ら都市民どうしの交流がはじまっている、という。「ほんもの体験」は、ごくごく自然に、都市の人びとどうしも結びつけてしまうのだ。

 交流人口・滞在人口の増加と、7億5000万円ほどの経済効果(2003年)は、これらの交流の結果なのである。飯田市に特別の名所旧跡や観光施設があるわけではない。日本全国、どのような農村でも、このような「ほんもの体験」は展開できる。

「見る観光」から「体験型の観光」へ、観光業も変わる

 こうした取り組みのなかで、飯田市を第二のふるさとにしたい、場合によっては定住してもよいという都市民も出てくる。

 毎年、数名の新規就農や定住者、嫁、婿が生まれている。飯田市によれば、ワーキングホリデーの登録者800余名の年齢構成を見ると、男性は30代が中心で、10代、20代を合わせると全体の60%近くにおよぶが、この人たちは新規就農予備軍といってよい、という。また女性は20代だけで50%を上回っていて、その約半数の人たちは農家へ嫁いでよい、といっているという。感動し心が通う体験型ツーリズムは、交流人口・滞在人口の増加による経済効果だけでなく、農業の担い手不足や嫁婿不足、過疎化などの問題を解決できる可能性を秘めている。

 そして観光業もそれを後押ししようとしている。冒頭で紹介した藤澤安良氏によれば、観光業にも転換期がやってきていて、「見る観光」から「体験型の観光」へ大きく変化をしているという。既存の観光は見学するだけのものが多いが、テレビなどのメディアの発達の結果、見るだけ、聞くだけなら、教養番組や旅行番組の取り上げる特集の方が深く掘り下げられ、よく理解できる。その結果、旅は現地でなければ見聞きできないもの、味わえないものに、触れてみる、やってみる、入り込んでしまう「体験型」に変わりつつあるというのだ。今回の「全国ほんもの体験フォーラム」に観光業者も多数参加していた。農村から都市への働きかけを、観光業が支える時代になりつつある。

 地域の自然と農業、地域の人を生かし、農家が誇りと自信をもってすすめる「ほんもの体験型」ツーリズムは、都市に媚びを売り、地域資源を切り売りにする観光ではない。悠久の歴史のなかで地域に人びとが定住し、地域自然に働きかけ働きかけ返される関係のなかで形成されてきた固有の農村空間が、都市民に働きかけ、豊かで生き生きと暮らせる持続型社会を形成してゆく「持続可能な地域づくり」としての観光である。

 「ほんもの」とは何か。それを食べものだけに矮小化してはいけない。ほんものとはそこにある、ありのままのモノとコト、そしてこころなのである。

 夏休み、そしてお盆、都会から子どもや孫たちが、農村にやってくる。それぞれの家で、そして地域で、さまざまな「ほんもの体験」に出合わせたい。 (農文協論説委員会)

*長野県飯田市の取り組みや、ほんもの体験型ツーリズムについて、詳しくは、『農村文化運動』164号「特集・食農教育で農都両棲の地域づくり――飯田市の都市農村交流事業――」(井上弘司著)、同173号「特集・『地域づくり』と『ほんもの体験』」(藤澤安良、井上他著)をご覧ください(ともに農文協・各400円)。

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