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農文協トップ主張 2005年5月号

「グリーンライフ」が始まった!
「もうひとつのモノサシ」でつくる「暮らしのかたち」

目次
◆「地元学」と「食の文化祭」に「芸術選奨」
◆広がる、わが町、わがむらの「食の文化祭」
◆高校新科目「グリーンライフ」がスタート
◆「国のかたち」から「暮らしのかたち」へ
◆「暮らしのかたち」がもたらす「いのちのにぎわい」

「地元学」と「食の文化祭」に「芸術選奨」

 3月15日、仙台市在住の民俗研究家であり、本誌や「増刊現代農業」に寄稿いただいている結城登美雄さんが、平成16年度(第55回)の芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。芸術選奨は「演劇、映画、音楽、舞踊、文学、美術、大衆芸能などの10部門において、その年に優れた業績をあげ、新生面を開いた者」に授与される賞で、都はるみさん、大竹しのぶさん、宮沢りえさんらも同時受賞した。

 結城さんの受賞理由は、つぎのようなものだった。

 「東北地方を中心に600以上の集落をフィールドワークした経験・実績に基づき、地域を調べ、地域に学ぶことから始まる地域づくりの手法として『地元学』を提唱し、山村漁村同士、あるいは都市と農村との交流を重ね、その結果として豊かな地域資源の中にある人びとの暮らしや風土に培われた文化を再興することに尽力した。同人の地域資源を活用した地域文化振興活動は、地場の食材、地域の料理法にこだわった『食の文化祭』をはじめとして、東北地方だけではなく、全国的な活動へと展開している」

 芸術選奨は昭和25年からの歴史ある賞だが、結城さんが受賞した「芸術振興部門」は今回はじめて設けられた部門。音楽家、美術家など39名が大臣賞候補にあがったが「地域が誇る食文化などを活用した地域文化振興を行っている結城登美雄氏を推すことで意見の一致を見、決定した」という。「地元学」と「食の文化祭」とが「地域文化振興」として認められたのだ。

 結城さんの受賞を伝える3月9日の朝日新聞「ひと」欄は、「提唱しているのは耳慣れない『地元学』」としているが、農文協では2001年に「増刊現代農業」5月号で『地域から変わる日本 地元学とは何か』を発行、2002年には『スローフードな日本! 地産地消・食の地元学』(11月号)、2003年には『食の地方分権 地産地消で地域の自立』(5月号)を発行するなど、地元学と食の文化祭を発信し続けてきた。

 地元学は、ひと言で言えば「ないものねだりではなく、あるもの探し」。金や人口、小より大、古きより新しきをよしとする都市的、企業的モノサシにしたがえば「ここには何もない」という結論が先立つが、地域に暮らす自分たちの「もうひとつのモノサシ」にしたがえば、地域の個性に根ざした「暮らしのかたち」が見えてくる。

広がる、わが町、わがむらの「食の文化祭」

 「食の文化祭」発祥の地、宮城県宮崎町(現加美町)での開催のきっかけは、商工会での特産品開発事業。ある女性加工グループが、「つきたてのもち」を候補にあげたところ、男性たちが、「つきたてのおいしさはわかるが、町の外に出せばそのおいしさは失われてしまう。持ち出せなければ特産品はおろか、商品にさえなりえない」と、いったんは退けた。そこで結城さんが「町の外に出すこと、つまり『商品化』することによって失われてしまうおいしさがあるとすれば、外に出せないおいしいものは、宮崎町にいったいどれだけあるだろう?」と問いかけ、家庭内で食べられている自慢料理やふだん着の料理を「一品持ち寄り」方式で一堂に集め、展示してみようということになった。

 1年目の1999年、1500世帯の宮崎町で、バレーコートが4面とれる体育館に、800品の料理が集まった。2年目には1100品が集まり、人口6300人の町に、町内外から1万人もの人びとが訪れた。3年目には「見るだけでは物足りない。味わってこそ食文化」の声に応え、1万1000食、28種類の試食コーナーが用意され、長蛇の列ができた。4年目の2002年には、「四季を通して味わってこそ宮崎町の食文化」と、春夏秋冬の各一回開催され、その食材が採れる山、川、田畑にも舞台を広げた。

 ちなみにこの「食の文化祭」に「料理コンクール」「コンテスト」の類はいっさいない。その理由を結城さんはつぎのように語る。

 「台所を預かる女性は、20歳でお嫁に来たお母さんなら、1日3回、月に90回、1年に1000回、50年なら5万回、料理をつくる。一皿一皿の料理は、そんな日々の暮らしから生まれたもの。そんな日々の暮らしの営みに、優劣はつけられません」

 「食の文化祭」で展示されたのは、5万回、6万回、7万回と、料理をつくる女性たちの力そのもの。それに加えてどの家の庭先にもある年間50〜60種類を育てる自給の畑の力。春に山菜、秋にきのこ、木の実とごちそうを運んでくれる自然の力。商品化され、お金のモノサシではかられる額は小さくとも、宮崎町には商品化以前の豊かな食の実体がある。「コンビニもファミレスもない町」と嘆いていた男性たちは、5万回、6万回の食をつくり出す女性の力を目の当たりにして、「わが町はコンビニもファミレスも不要の町」であることに気づかされた。

 そうして宮崎町を訪れた人びとが、わが町、わがむらに「もうひとつのモノサシ」を持ち帰り、「食の文化祭」は、岩手県大東町京津畑集落、大分県竹田市、福岡県宗像市、同古賀市、熊本県水俣市、鹿児島県霧島町、山口県柳井市、同周防大島町、広島県神石高原町、宮崎県高千穂町など、全国の町、むらに広がった。なかには町村合併にともなう閉村式で開催した大分県中津江村、昨年の台風で甚大な被害に遭いながらも、「こんなときこそ賑わいの場をつくっていきたい」と開催した三重県宮川村のようなむらもある。

高校新科目「グリーンライフ」がスタート

 ところでこの4月からの新年度、新しい高校の科目「グリーンライフ」が農業高校を中心にスタートする。選択科目にもかかわらず導入する高校は全国394校の農高の半数強に及び、普通科などでも十数校に導入され、約6000名が学ぶ。その教科書『グリーンライフ』(農文協発行)は、第一章「『グリーンライフ』の世界」、第二章「農業・農村の機能の発見と活用」、第三章「グリーン・ツーリズム」、第四章「市民農園」、第五章「観光農園、直売所」からなる。その内容は、この10〜15年のあいだ、農村の現場で、おもに女性・高齢者が創造し、発信してきた農家民宿や農家レストランなどのグリーンツーリズム、直売所などの「元気」の集大成であると言ってもよい。そしてその「元気」の源は、都市や企業などの外部のモノサシではなく自分たちの「もうひとつのモノサシ」で見えてきた、地域の個性に根ざした「暮らしのかたち」であった。

 たとえば山口県のグリーン・ツーリズムモデル地域に指定された周防大島で、3月13日に行なわれた「周防大島ゆったり自然体験ツアー」の「嵩山ミニハイキング」では、参加者に「スローフード体験」として、「茶がゆ」がふるまわれた。茶がゆは、『日本の食生活全集 山口の食事』によれば「毎日の朝夕に必ず食べるだけではない。農繁期の作業の合い間の小昼や子どものおやつにしたり、ちょっと隣り近所が集まっての話し合いや世間話のときにでも、『ちょっとおびいぢゃ(お茶がわりの茶がゆ)にしようか』といって話に一息入れるなど、とにかくしょっちゅうつくる」ものではあったが、つい20年ほど前までは、それこそ「貧しさの象徴」のように考えられ、「お客に出すものではない」とされていた。

 その前日には、TV番組「朝だ! 生です旅サラダ」で、愛媛県宇和島市遊子水ヶ浦の「段畑」や「段畑を守ろう会」の活動が全国放送された。宇和海に突き出した半島の急斜面に、幅1mにも満たないような石積みの畑が幾重にも重なる風景。それは文字通り「耕して天に至る」感動的な光景だが、かつて高度経済成長期には、テレビで放送されると「貧しい風景を映すな! 恥をかく」と同地区出身の人びとがテレビ局に抗議したのだという。

 企業や都市のモノサシでは「遅れた」「取るに足りない」としか見えないが、「もうひとつのモノサシ」で見えてくる地域の個性に根ざした「暮らしのかたち」。その「もうひとつのモノサシ」「暮らしのかたち」を体系だて、次の世代に伝える――それが新科目「グリーンライフ」なのだ。

「国のかたち」から「暮らしのかたち」へ

 教科書『グリーンライフ』はこんな書き出しではじまる。

 「私たちはいま、どこからどこへ向かおうとしているのだろうか。近年、世界的に、都市のなかで物を大量消費する暮らしから、大地に根ざした持続可能な暮らしへ転換したい、ゆっくりと流れる時間を大切にしていのちゆたかに暮らしたい、といったライフスタイルへの転換が顕著にみられるようになっている。(中略)その傾向は年々顕著になっている。ガーデニングなど緑ある余暇活動への関心が高まり、『多自然居住』や『定年帰農』など、さまざまな田園回帰の潮流も生まれてきた。都会から農村に移り住み、農業を基盤とした新たなビジネスに取り組む人びとも登場した。こうした取組みやライフスタイルは、『グリーンライフ』と総称することができる。その言葉には、緑豊かでいのちのにぎわいに満ち、持続的な生活文化や産業のある農村で、たった一度の人生を充実させたいという国民の願いが込められている」

 この教科書の執筆者のひとり、熊本大学法学部教授の佐藤誠さんは、「これまでの近代化、工業化の時代は先進国に伍すための中央集権による経済中心政策で『国のかたち』を整える時代でしたが、グリーンライフを求める現代の国民の願いの背景には成熟社会の到来があり、人間の名に値する新しいライフスタイル、つまり『暮らしのかたち』の創造が求められています」「成熟社会では、人は金額で表示される商品価値として自分を売りわたすのではなく、美しく健康で生きたいという自らの意志や内的価値観で新しい生き方を選択したいと望みます」と、語る。

 つまり、経済という単一のモノサシで「国のかたち」を整えてきた時代から、「自らの意志や内的価値観」というもうひとつのモノサシで「暮らしのかたち」を創造する時代への転換、それも「大地に根ざした持続可能な暮らし」への転換が求められているというのである。

 「もうひとつのモノサシ」は単一ではない。地域の暮らしには、いくつものモノサシがある。その一例として、教科書『グリーンライフ』は「自然暦(民間暦)」をあげている。

 「自然暦とは、文字で書かれた暦が普及する以前から、自然界の変化を利用して、季節の変化を知るための方法として用いられてきたもので、日本列島の各地に数多く伝えられている。この自然暦は、多くの場合、二つの生物の発芽や産卵、開花、成熟などの時間的な関係性(同調性)を利用してつくられている」

 たとえば紀伊半島に伝わる「チグサの花が飛びかかれば山桃ひかる」。これは、風媒花であるチグサ(チガヤ)が開花・結実して種子が飛散するころ、山桃(ヤマモモ)の果実が成熟することをさしている。また、岩手県の三陸地方では、新緑の季節、「かじの木(ヌルデ)の葉がちょうどよくなったら、しょうゆを仕込む」という。しょうゆ麹をつくるとき、上にヌルデの葉をかぶせるのだが、葉が小さすぎるとたくさん取ってこなければいけないし、大きくなり過ぎると、虫こぶやアリがついている。そして何より、ヌルデの葉がちょうどよいときが、温度も湿度も麹が花を咲かせるのに適期なのだという。「自然暦」は、その土地、その暮らしにしか通用しないモノサシなのだ。

 『グリーンライフ』は述べる。

 「人間の食べものは、動植物であれ微生物であれ、循環的なシステムをもつ生物である以上、それを利用するための技術は持続的な環境利用と見合ったものでなければならない。長い歴史のなかで、循環システムをみいだしてきた知恵には、持続的な地域の資源利用を考えていくうえで多くの学ぶべきことがある」

 「生物的世界と生活レベルでつき合う農耕や牧畜などの世界が、自然を感得する感性を大切にしていることは当然であろう。しかもその世界は、自然の実践的で循環的な利用を基本にしている。したがって、物見遊山で一時的・断片的な自然を楽しむ『切り取られた自然』の鑑賞や、生活世界と切り離されたところで進められる文化遺産の保全とは異なったものである」(国立歴史民俗博物館・篠原徹さん)

 新科目「グリーンライフ」は、そうした「国民の願い」としての「大地に根ざした持続可能な暮らしのかたち」「ゆっくりと流れる時間を大切にした、いのちゆたかな暮らしのかたち」を、それぞれの地域のいくつものモノサシにしたがって創造することを支援する科目なのだ。

「暮らしのかたち」がもたらす「いのちのにぎわい」

 「グリーンライフ」がめざす「いのちのにぎわい」は、都市や企業の近代化、経済合理のモノサシでは実現できない。たとえば島根県津和野町の、農事組合法人おくがの村代表理事・糸賀盛人さんは、本誌昨年3月号でこう述べていた。

「国はいま、認定農業者あるいは農業生産法人へ農地を集積することを勧める。だが、わが集落に国の方針を当てはめて20haの経営体を作るとすると、わずか1.5の経営体しか必要ないことになってしまう」「しかし小生は、仮にその該当者となっても、そのまま集落で暮らしていける自信がない。集落の社会的機能を維持するためには、農家数を減らすわけにはいかないのだ」

 では、どうするのか。「少しの収入でゆっくり生活のスローライフ農業しかあるまい。自給自足、物々交換を旨とする。そして、いくらかのお客さんに、ここで穫れた産品を食べていただく。こうして、現金収入が少なくてもできる生活スタイルを作るしかあるまい」と糸賀さんは述べている。国のモノサシではなく、自分たちのモノサシによる「暮らしのかたち」をつくることによって、農家の数は減らさない――現に、おくがの村には定住者が3組増えた。

 さらに大分県姫島村は、この1月21日、他の4町と構成していた合併協議会を「円満離脱」した。その理由がふるっている。役場の職員給与は全国で1、2を争う低水準。姫島村は40年前から職員の給与を押さえ、そのかわりできるだけ多くの若者を採用し、島外への流出を防いできた。村の人口は2800人で、役場の職員は臨時・嘱託を含めて206人。村民の12人に1人が役場職員として働いていることになる。国家公務員の給与水準を100として地方公務員の給与水準を示すラスパイレス指数では、現在、同村は全国で2番目に低い73.5。合併候補だった4町の指数は101.1を最高に95.1まで、22ポイントから27ポイントの差があった。まだ日本で「ワークシェアリング」(時短による賃金と仕事の分かち合い)という概念が知られていなかったころからの実質的ワークシェアリングである。だが、合併で他の四町の給与水準に合わせれば職員削減が避けられない。村長は村の各地区で集会を開き「ワークシェアリングを維持できなければ合併しない」と説明、村の人びとの大多数が拍手で賛同した。

 役場の職員もこう言って胸を張る。

 「ラスパイレス指数はたしかに73.5だが、そもそもなぜ国家公務員の給与を基準に比較しなければならないのか。『姫島基準』だと100だ。島の地場企業の社員の給与は役場の給与を基準にしているから、地場企業で働く人の給与と役場の職員給与は同じ水準。島外の基準に合わせて役場の給料を上げたら、地場の企業はやっていけなくなる」(総務課・江原不可止さん)

 姫島村は、じつは全国屈指の海の掟「漁業期節」をきびしくまもる島でもある。漁師自らが魚の種類や漁法などに応じた40項目の規定と7つの細則を取り決め、漁期や漁場、網の目や操業時間などをまもり抜いて来た。そのきびしい「分かち合い」の結果、漁業収入は他の地域とくらべて安定し、7割が500万円以上、2割が1000万円以上の漁獲高を上げている。漁協組合員200人のこの島には4つもの造船所があり、それぞれの家族数や漁法に応じたオーダーメイドの船が造られ、漁協は毎月2回の「漁業定休日」を自ら定めてまもり、青年部は中学生を対象にした「水産教室」で10年間に24人の後継者を育てた。

 また毎年秋から春にかけて、役場の職員たちは魚付林でもある山の手入れをする。担当職員6人に加え、他の部署の事務職員も毎日5人ずつ交代でチェンソーを手に作業に出る。それは役場職員の「グリーンライフ」でもあるのだ。

 「海のいのちのにぎわい」をも「人のいのちのにぎわい」をももたらす姫島村の「島のモノサシ」「暮らしのかたち」、そしてグリーンライフ。4月発行の「増刊現代農業」5月号は、「『グリーンライフ』が始まった」(仮)である。

(農文協論説委員会)

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