グローバル化、米価下落のなかで
「地産地消(商)」をもっと強める
目次
◆まちの人になんと言う?
◆「地産地消」の原点に帰って個性的な豊かさをつくる
◆「地域価値」を伝える食育を
◆地産地消で、いま一番大事なのは「米」
◆「米粉」の活用も地産地消の課題
◆「地産地商」は「小欲知足」で
◆「知産知消」で、食べ方の継承・開発を
◆「地産地消のおすそ分け」も
◆「地産地消」は、量より質で誇り高く
まちの人になんと言う?
考えてほしい。
アメリカや中国から「コシヒカリ」が輸入されて、「アメリカ産コシ」「中国産コシ」として売り出されたら、あなたのまちの人たちは、買うだろうか。
「安くて安全でうまいなら、外国の米でもいい」と、地元の米を押しのけても買うかもしれない。
そんな人たちになんと言う?
「アメリカの米は、赤とんぼを連れてくるか?」「中国の米は、田んぼを渡るさわやかな風を連れてくるか?」
「安い」と引き換えに、田んぼで生まれる赤とんぼや涼風は消えて、耕作放棄の荒地が増える、そんな農業・農村になって、はたして豊かな暮らし、豊かな食の環境といえるのか。
いまだけのふところ勘定でなく、孫子の代を見据えての食の安心、食の豊かさをどうつくるか、農家はまちの人、消費者のみんなと、共に考えなくてはならない。
なによりもまず、地域ごとに、地域の食をどうするかを考える話し合いの輪をつくらなければならない。そのキーワードが「地産地消」だ。
日本人の主食たる米までもグローバル化の波にさらされ、米価も低下している。「国境措置」を維持し、米価の下支えなどを国に求めるのも大事なことであるが、一方では、地域から米づくりを、地域の農業を守る動きを広げなければならない。
その核心が「地産地消」である。すっかり定着した言葉ではあるが、改めて、その意味を考えてみよう。
「地産地消」の原点に帰って個性的な豊かさをつくる
「地産地消」を食の分野で言えば、「地域で生産された農産物や水産物をその地域で消費すること」。
かつては当たり前だった「地域内自給」の原点に帰ることが、豊かで誇り高い暮らしをつくる土台になる。
日常生活の土台である食生活が地域に根ざしたものになること。地域それぞれに違う「地域の個性」が誇りになる暮らしへ。
大量生産・大量流通の時代に、地域価値・地域の個性を再興・創造することが、現代の食と農の課題である。
「都会の市場に出すのもいいが、まずは地域のみんなでしっかり食べ、とれたての味を地元の人が楽しむことも大事にしよう」…そんな思いがふくらむと、米でも野菜でも多様な食べ方に合った個性的な品種がほしくなり、在来品種の見直しも始まる。
農産物販売の相手を、遠い都会をメインにではなく、地元の消費者を中心に考える戦略に切り替えていく。地産地消の直売・交流型農業の楽しさに気づいた農家は、まずは自分の家で食べ、地域の人におすすめのものを考える。
農産物の価値には、「生産性」とか「経済性」とかの効率主義のものさしでは測れない「地域価値」がある。地域の自然と人間の長いかかわりがもたらした地域固有の食べものがあり、食べ方がある。
「地域価値」を評価できる消費者を増やすことは、輸入の拡大を阻止する力にもなる。とりわけ、食べものの「地域価値」を、子どもたち、若い世代に、体で覚えさせることが、いま農家の大事な課題となっている。
「地域価値」を伝える食育を
「何気なく食べていたごはんに危険がせまっていることをはじめて知った(3年女子)」
「話のとおり、あたたかい田んぼが、人の手を加えなくなるとさびしくなるのを知りました。私が農家をするとしたら体が動かなくなるまでやりたいと思う(2年女子)」
これは、宮城県旧鳴子町の「鳴子の米プロジェクト」(今年7、9月号の「主張」で紹介)を進める結城登美雄さんが、鳴子中学校の全校生徒220名に対して行なった、「鳴子の米から考える農と食」と題する授業への、感想文の一部である。
米や田んぼへの農家の思いや厳しさ、米を守る地域の取り組み、そして「君たちのふるさと鳴子が、いつまでもよいふるさとになるために理解と協力をしてほしい」と静かに訴えた結城さん。「鳴子も小さいところなのに、鳴子は鳴子が出来ることをしているのですごいと思った。とにかくすごかった…」という感想もかえってきた。(「増刊現代農業」11月号「脱グローバリゼーション 『手づくり自治』で地域再生」より)
「地域価値」を地域の子どもたちに伝えたい。そのために農家が、農家ならではの「食育」をすすめる。食べるまでを含む地域の農業の価値を体験をまじえて伝えたい。
学校給食ももっと地域に根ざすものにしていく。地域農業と子どもの食への結びつきを強めることは、地産地消の重要なカナメの一つである。
地産地消で、いま一番大事なのは「米」
地産地消が痩せていくなかで、肥満の成人病予備軍が増えてきた。主食である米の消費量は、農村でも都会でも、一直線に減っている。米の消費量(一人一年当たり)は、いま65歳の人が20歳だったころは約120キロだったが、いまは60キロに半減している。
地産地消の再興で一番大事なのは、地域の米を地域で食べること。そのなかで、次代を担う子どもたち、若者たちを「親米派・好米派」にすることだ。
消費者も生産者も、お互いが当事者として、地域の米の行く末、田んぼの行く末を見つめる。田んぼの景観・多様なめぐみも、忘れてはいけない「地域価値」なのだから、担い手を大きな農家に絞り込むのは一面的で、小さい農家も大事にしなくてはならない。小さい農家、小さい田んぼも大事にするなら、米の品種もコシヒカリ一辺倒でなく、もっと多様であっていい。
米の消費のかたちも変えなくてはいけない。
学校給食はもっと米飯を増やす。米どころなら地元産の完全米飯給食でいきたいが、そうなっているかどうか。
「米粉」の活用も地産地消の課題
完全米飯給食とはいかないのは、地元の製パン業者とかが既得権で抵抗しているせいもあるだろう。ならばそのパンを米粉でつくってはどうか。米粉のパンは、もちもちしてまちがいなく美味しい。クロワッサンならぬ「米ワッサン」も、しっとり味でいける。これなら子どもたちも喜ぶだろう。
輸入小麦のパンに置き換わって、消費が減った米。このパンの原料を米粉に置き換えよう。秋田県大潟村の農家・今野茂樹さんが次のように提案している(本号112ページ)。
「農家や農業者団体は、産地間競争の中で高品位米の生産に努めようと、ふるい網を大きくしてきた。その結果として発生するクズ米は、主食用にならないものとして格安で売買される。だが、この米の中には従来なら主食用にしていた米も含まれているので、買い取った業者はこれを再選別することで『中米』と呼ばれる安価な米を、主食用米として販売可能になる。
つまり、生産者の努力が低価格米の供給源を作り出し、『自分の米と価格競争』する事態になっていた」
「もし、これまで米価に悪影響を及ぼしていたクズ米が、食パンに替わって消費が伸びれば、食料自給率の向上にもつながるなど、一石何鳥もの大きなメリットになるのではないだろうか。全農などの中米を大量に集荷・販売する団体が、パールライス等の工場内に製粉工場を作り、それを国策として進めることをぜひご検討いただきたい」
今月号の本誌の特集は「緊急企画 米を余らせない 誰でもできる 米粉利用ガイド」である。
米パンだけではない。米ロールケーキにシフォンケーキ、米粉ピザ、米粉の天ぷら、お米麺などなど、この特集を参考に、米粉の活用をみんなで考えていただきたい。
米の多彩な加工品も含め、等級差も含むそれぞれの米の特徴や価値を生かした総合的な米販売を、地域から広げていく。米の「地産地商」を本格的に展開したい。
「地産地商」は「小欲知足」で
地産地消は、地場産の食材を地元の消費者につなぐことだが、消費者にもいろいろある。地元の食品加工業、レストラン、料理屋、飲み屋、旅館なども消費者だ。
こうした食をめぐる地域の関連業態も、地域の個性をアピールして、人を呼び込むことが商売繁盛のカギである。
「地産地消」ビジネスは、女性の出番でもある。
農業マーケティング研究所の山本和子所長は、次のように言う。
「『地産地消』ビジネスは、農家、とくに女性でなければできない。何よりも地場産に対する愛着と、真面目でごまかしのない経営をしないとまっとうできないからである」
「女性はまじめなので、地域の材料がなければ、“売り切れごめん”にしてしまうことが多い。売り上げの伸びにはマイナスだが、このさが、顧客の絶対的な信頼と支持を得ている。大きな強みにもなっている」(「21世紀の日本を考える」39号・農文協刊)
地産地消で大事なことは、道元禅師が説いた「小欲知足」だろう。欲張らず、足るを知る。ムリせず自然の循環に寄り添う。
地域限定、季節限定、数量限定が地産地消のいいところ。欲を出して量を増やそうとすると、地域外にも材料を求め、「『地産地消』の面をかぶったニセモノ」になってしまう。たしかに「地域の特産物を扱う『道の駅』や直売所に、輸入農産物(それを使った加工品)が並んでいては興ざめである」(山本氏)。
売るほうに自信がつけば、あとは本物の食材を地元でしっかりつくるように、父ちゃんたちに頑張ってもらう。
真面目な本物の提供でお客の信頼をつかみ、しっかりと稼ぐのが「地産地商」の王道である。
「知産知消」で、食べ方の継承・開発を
地産地消は、「知産知消」でもある。
消費者にとって、「地産地消」の楽しさを教えてくれるのは、農産物の直売所である。その土地の季節ごとの産物を知り、「知消」つまり、持ち味を生かす食べ方を知ること。そのためにも、直売所はただ地域の食材を並べるだけではなく、消費者との交流の場として、活かされなければならない。地域の伝統的な食文化、その知恵と技を伝え、あらたな食べ方の開発もして、その地域ならではの個性的な食の豊かさをふくらますこと。それが地域の農家の応援団を増やすことになる。
本誌「現代農業」は、ただ農産物をつくる技術だけでなく、食べ方・加工の開発も重視しており、農家や専門家の情報を毎号お届けしている。
たとえば、前号の11月号の図解ページ「漬け物お国めぐり」では「ニラのピリ辛漬け」(宮城県蔵王町・佐藤百百代さん)を紹介した。佐藤さんは直売をしている農家で、ニラもたくさんつくっている。ニラを出荷用に束ねるとき、根元(茎元)の部分を切り揃える。落ちた根元はこれまでは捨てていたが、「もったいないので、めんつゆにトウガラシを混ぜたものに、一晩漬けてみました。においは強烈ですが甘味もあって美味しく、やみつきになると好評です」。
市販のニラの根元でさっそくためしてみると、一夜漬けだとほとんど生で、においと辛みは確かに強烈だが、くせになる味。食感はこりこりして、ご飯のおかず、酒のつまみに最高だった。
同じ11月号では、「カキ(柿)を使いきる」小特集もある。規格外で市場に出せないカキを使った柿酢づくりのほか、食べたあとに残る「柿のヘタとタネ」は生薬(タネの加熱粉末はボケ防止・骨粗しょう症予防の薬)として活用できる。キズもののカキでつくる干し柿ならぬ「柿チップ」も紹介している。
捨てていたニラの根元や、市場に出せないカキも、暮らしの視点、自給の視点でみれば、地域資源として地産地消の対象になる。
持ち味を生かす食べ方を生産者が伝えることが、大事な時代だ。つくることと食べることをつなぐ「メッセージ」の交換が、「地産地消」の楽しさを倍増させてくれる。
「地産地消のおすそ分け」も
地産地消にシフトした少量多品目・旬を大事にしたつくり方をすすめるといっても、多くの農家が始めれば、地元だけでは消費しきれなくなることも起こる。
地産地消は、地域内消費にとどまらない。旬の味の美味しさ、楽しみを地域外(都会)にもおすそ分けするのも、新しい結び合いのかたちだ。小さな産地の多様な産物を、セットで、生産地・生産者の名前つきで、「夕取り・朝取り」を取り寄せ、直送コーナーをつくって「リピーター客確保」の「目玉」にするスーパーも出てきている。大産地から大量に届く野菜にはない、「ふるさとからの味の旬感便」(しかも値ごろな)が、自分のある暮らしを志向する消費者のこころを捉えている。
地産地消のおすそ分けを都会の人に届ける、そこで、JAの出番である。小さな農家の多品目生産を守り育てることで農家の信頼を得ている心あるJAが増えている。群馬JA甘楽富岡、千葉JA富里、広島JA三次、島根JA雲南など。地元の直売所のほか、都会に直営のアンテナショップをもうけたり、スーパーや生協店舗に直送の「インショップ(出前直売所)」を展開したり、つくる人・食べる人を結ぶ役割を果すJAをもっともっと増やさなければならない。
「地産地消」は、量より質で誇り高く
「地産地消」で、食の豊かさと安心をつなぎあう。その場合、食の安全は言わずもがなの当然のことで、より大事なのは「いのちのもと」である食材が「環境に迷惑をかけない」かたちで、長くつくり続けられる「地産」になっているかどうかだ。つまり、「地産」が「持続型」「環境共生型」になっているかどうかが、生産者・消費者の両方にとっての「安心」の基本である。ムリして量を追わない。地域資源を活かして作物、家畜を健康に育てる。量より質の重視が、「地産地消」を誇り高いものにする。
日本全体の食料自給率が40%を切ったという。ただの自給率低下ではない。いわゆる「フードマイレージ」(食料輸送距離)を世界一長く使い、地球環境に迷惑をかけながら世界中から食料をかき集めての自給率低下なのだ。
ここまで下がった自給率を立て直すのは容易ではない。「地産地消」「地域内自給」の積み上げで、「地域の個性」が誇りになる暮らしをつくることに目覚めないと、自給率は上がらない。
地産地消の全国化―顔の見える小さな流通を日本のあらゆるところに再興する。食べる人が農家のことを考えながら食べて、そして農家はやりがいを持って、「いのちのもと」をつくり続ける。
いま、「地産地消」は、食のつくり手と食べ手が、お互いに当事者として食の豊かさと安心をつなぎあう、大事なキーワードなのだ。
(農文協論説委員会)
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