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2010年9月号
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「そだててあそぼう」の広がりで、大世代交代期を希望の時代に目次 アンコ好き小学生の甘くて熱い夏農文協発行「そだててあそぼう」シリーズの『アズキの絵本』を読んだ方から、こんな読者カードをいただいた。 「2009年の夏休みの自由研究に小6の息子が、『アズキのことを調べたい』と言いだし、貴社の本を求めました。アズキを育て、アンコを炊いて和菓子を作り、アズキのことを調べ、アズキを使ったあんの入った食品を食べ比べ…と、とても楽しい研究がおかげさまでできました」 早速、読者カードをお寄せいただいた広島県の弓場直子さんに、お話を伺った。 息子さんの文直君が、なぜ「アズキのことを調べたい」と言い出したかというと、アンコが大好きで、アンコの入った和菓子をたくさん食べられるかも…というもくろみからだ。実際、月餅やアズキアイス、いただきもののどら焼きなど、文直君のねらい通り夏休みはアンコ漬けの日々をおくった。写真を撮り、食べたあとは特徴や食感などを書きとめた。 食べ比べだけではなく、実際にアズキを育て、その観察日記もつけた。お母さんの直子さんは、花卉農家と園芸会社勤務の経歴をもつ、ある意味栽培のプロ。家庭菜園は20年のベテランで、小さな畑を借りて野菜を作っている。文直君はふだん、畑を手伝うことはめったにないが、アズキを育てるときは長靴をはき、クワを持って、楽しんで畑の作業をした。アズキの発芽の様子を観察し、直子さんが畑で育てているキヌサヤやインゲンとの違いなども知った。育てていて気になったのは、病気や害虫のこと。『アズキの絵本』で、文直くんはアズキの育て方、病気や害虫について勉強した。 夏休み中には収穫にならないので市販のアズキを買い、あんこをつくった。絵本では、アズキにまつわる日本の風習や、妖怪アズキとぎの伝説など、“アズキの民俗”にもふれていて、テーマに「アズキと日本の生活のかかわり」も加えることにした。 自由研究を提出後の二学期になって、種まきが遅かった文直君のアズキは少しだけ収穫できた。雑穀米に混ぜて家族で味わい、文直くんの自由研究は完結した。 「大人の自分も知らないことや経験したことのないことができて、とても楽しい自由研究になりました。この絵本シリーズでは、その植物なり動物がどのように日本人の暮らしとかかわってきたかということが書かれていてとても面白いです」と、回りから見守ってきた直子さん。 目下の母息子共通の夢は、「住環境を考えたらおそらく無理だけれど、家でニワトリを飼いたい!」。「そだててあそぼうシリーズ」の『ニワトリの絵本』を二人で眺めては、あれこれ想像して楽しんでいる(注)。 身近さの回復―〈逆さま遠近法〉の修正何かできすぎた、あるいは優等生のお話のように見えるかもしれない。しかし、子どもが好きな食べものに興味をもち、これをつくったり、その素材となる作物を育てたり、これにまつわる人々の歴史や文化を知りたいと思うのは、ごく自然なことなのだと思う。それを許さない状況や環境がどんどんつくられてきたことのほうが問題で、だからこそ、各地で栽培・農業体験、食農教育の取り組みが広がっている。そこでは、大人も子どもも体験をとおして、食べものや作物、農業や農家を身近に感じることができる。 この、「身近に感じる」ことこそ、地域を再生する出発点だというのは、岩崎正弥氏(愛知大学教授)である。岩崎氏は、この9月に発行される「シリーズ地域の再生」の一冊、『場の教育〜土地に根ざす学びの可能性』(仮)のなかで、「身近さの回復―〈逆さま遠近法〉の修正」が必要だと、次のように述べている。 「現代社会は〈逆さま遠近法〉に侵食されている、私はつねづねそう考えてきた(略)。遠いものが近くに・近いものが遠くに、という逆立ちした現象が生じてはいないだろうか。 近場の農産物は食べられず、身の回りの小さな出来事には関心をもたず、顔をつき合わせながらも携帯メールでやり取りをする、…こんな奇妙な現象が奇妙ではなくなってしまった。映像を通して飛び込んでくる地球上のあらゆる出来事、海外から短時間で空輸される食料品、Eメール通信による瞬時のコミュニケーション、…こうした状況がリアルに私たちの生活を覆い、遠近の距離が等しくされて同一平面上に配列されているかのようだ。別の言葉でいえば、目の前にあるという〈間近さ〉と、身をもって知っているという〈身近さ〉とが乖離してしまう現象が生じているのである。それが現代の地域社会で生じている現象だ」 「身近さの回復とは、目の前にある〈間近な〉諸事象が、自分にとって意味のある〈身近な〉諸事象に変換されることである。例えば蛇口をひねれば出てくる水が、実は○○川から取水され、○○川はその源を□□山に発し、そこに暮らす山の人々が水源を守っている、また○○川は△△海に注ぐのだけれど、途中のダム開発によって砂が溜まり、砂浜がなくなってしまった、近所のおじいさんから『子ども時代はよくあの海辺で泳いだものだ』と言われてびっくりした…、こういう空間と時間のつながりを知り、それがいま・ここに生きている自分とどういう関係にあるのかを理解することである」 岩崎氏は本書で、明治以降、「地元を捨てさせる教育」が主流になっていくなかで、地下水脈のごとくさまざまに取り組まれてきた「土地に根ざす教育」の系譜とそれぞれの思想をたどり、「土地に根ざす教育が目指したもの、現代からみて最も大切なことのひとつが、この意味での身近さの回復だったのではないだろうか」と述べている。本書は、地域の再生にむけた「場の教育」の必要性と実践課題をまとめた意欲的な作品である。 大人も子どもも楽しめて、役立つさて、先に紹介した文直君の自由研究は、「間近に」あるあんのお菓子を、食べ比べたり、つくったり、アズキまで育てて身近なものにしていく過程だといえる。「間近にあるもの」を「身近なものにしていく」こと、岩崎氏の言葉を借りれば「自分にとって意味のある」ものにしていくことこそ、「学び」の本質であろう。 そんな「身近さの回復」を応援してくれるのが、文直君や直子さんも愛読している絵本「そだててあそぼう」シリーズである。1997年に刊行開始、今年12月に100巻が完結する。イネ、ムギからトマトなどの野菜、果樹、花、ゴマやワタ、アイなどの工芸作物、さらにニワトリ、ブタ、乳牛、肉牛などの家畜まで、一冊一品目で作物・家畜をまるごと紹介した絵本だ。 書き手(原著者)は、農家とともに産地づくりに汗を流してきた研究者・技術者。その作物への惚れ込みようはただならぬ方々である。絵描きさんも、自分で育てたり、農家に出かけたりしながら、それぞれ個性的な絵を書いてくれた。 「そだててあそぼう」は、15の見開きページで構成されており、たとえばシリーズの第1巻「トマトの絵本」の目次は左ページ上段のようである。 1、2はトマトの利用法や栄養的な価値、3、4はトマトの育ちかた、5は品種、6〜11は育て方、12、13は食べ方、加工、料理、14は栽培実験、そして15は原産・来歴の話。 調理や加工も含め、「そだててあそぶ」ための実用書である。絵本仕立てでわかりやすく、そのうえ、その道のプロが手ほどきしているだけに、栽培のコツがしっかりつかめる。さらに、食べものとしての価値や暮らしとのかかわり、歴史や文化まで、楽しく学べる。だから、大人にも子どもにもうれしい、役立つ絵本になった。 山梨県在住の「大人」が、『ニワトリの絵本』について、こんな感想を述べている。 * 『ニワトリの絵本』は「自給生活入門絵本」=「そだててあそぼうシリーズ」の一冊で、「栽培・飼育、料理、加工、工芸から歴史や文化誌まで、各作目の専門家が解説。農家もうなる濃い中身をイラストでわかりやすく描く」とうたっている。 読んでみて、まさにその通り。わずか36ページなのに、簡潔にして十分。おかげで、内容盛りだくさんな専門書を読んでいて、内容が消化しきれずモヤモヤしていた頭がだいぶすっきりした。 どんなニワトリがいいのか、どの点を注意すべきか、それはなぜかなどなど、腑に落ちたことがいっぱい。 このシリーズは、もう90冊も出ているそう。それだけファンが多いのだろう。友人の一人も「あのシリーズ、大好き。自分が(その動植物を)育ててなくても、図書館で目につくとつい借りちゃう」と言っている。 子どもの栽培学習を後押しするもちろん、学校でもよく利用されている。今でもそうだが、「総合的な学習の時間」が始まった当時は、栽培学習の頼もしいテキストとして、こんな使われ方がされた。 * トマトチーム 絵本のなかから、トマトの不思議を見つけ出し、観察してみたいポイントをわかりやすく伝えました。「トマトのリズムは四拍子、葉・葉・葉・花だから、みんなに模型をつくって知らせよう」。また、「アンデスっていうのはからからの土みたいで雨が苦手そうだ」と発見した子どもが、梅雨のある日、職員室に大声で飛び込んできました。 「先生ー、大変です! 雨が降っています」。そこでトマトに雨よけのビニール袋をかけたり、傘を立てる活動が始まりました。 キュウリチーム 根切り虫・アブラムシの被害や病気対策にと、実際に絵本を畑に持っていって使いました。「はじめの五節の花はつもう、ってあるからここをとるんだよ」と絵本を見せながら、低学年の子にも教えていました。 暑いなか、畑に行き世話を続ける子どもたちのなかに、「めんどくさい」という心は正直あったと思います。しかし、それを乗り越える発見や喜び、野菜から学ぶものが、本をきっかけに生まれてきたのだと思います。 (『食農教育』2001年11月号。福岡・鞍手町立室木小学校の実践報告より) 農家が知っている
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