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農文協トップ主張 2010年11月号

宮本常一に学ぶ、「幸共」と内発的地域振興
『あるく みる きく双書 宮本常一とあるいた昭和の日本』の発刊に寄せて

目次
◆全国の農山漁村をくまなく歩いた宮本常一
◆百姓の子として、庶民として生き抜いた宮本常一
◆旅とは民衆の心や歴史、文化の発見の場
◆幸共の場、幸共の喜びを取り戻したい
◆団塊世代が担いたい幸共の場の復活
◆地域の過去の中に未来が見える

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全国の農山漁村をくまなく歩いた宮本常一

「女の年越し」と呼ばれる小正月の日、厄年の女の人の家に集落の人が集まり、夜通しにぎわう
「女の年越し」と呼ばれる小正月の日、厄年の女の人の家に集落の人が集まり、夜通しにぎわう。群馬県片品村土出 (『あるく みる きく双書14』「奥利根」撮影・都丸十九一)

 世界経済がグローバル化し、地方の暮らしさえも猫の目のように変わる為替相場に一喜一憂する時代、農文協では、内発的な地域再生をめざして、シリーズ『地域の再生』に引き続き、『あるく みる きく双書 宮本常一とあるいた昭和の日本』(全25巻)を、この9月から毎月1冊刊行します。

 宮本常一はご存じの方も多いと思いますが、明治40年に山口県周防大島の小さな農家の長男として生まれました。柳田國男にすすめられて民俗学者への道を歩み始め、昭和14年に上京、渋沢敬三の主宰するアチック・ミューゼアムに入り、「宮本常一の歩いたところを地図に落とすと日本地図が真っ赤になる」と渋沢敬三にいわれるほど、戦前、戦後の日本の農山漁村をくまなく訪ね歩きました。見聞した民衆の歴史や文化を膨大な記録、著書にまとめるだけでなく、地域の未来を拓くため住民たちと膝を交えて語りあい、その振興策を説いて回りました。

 そして日本の高度成長も絶頂期にさしかかる昭和42年、後進の育成のため近畿日本ツーリスト(株)・日本観光文化研究所を設立しました。

「自然はさびしい。しかし人の手が加わるとあたたかくなる。そのあたたかなものを求めてあるいてみよう」…当時は学生運動まっ盛りの時代で、その運動にも既成の学問にも入り込めない多くの若者が、宮本常一のこの言葉にけしかけられ、日本の津々浦々の伝統的な社会や暮らしの変化を、いつくしむように歩いて見て聞き、考え、その記録を月刊誌『あるく みる きく』にまとめ、発刊しました。昭和63年に研究所が閉鎖されるまでの間に263号が発行されました。『あるく みる きく』は主に近畿日本ツーリストの協定旅館等に頒布され、あまり市販されなかったため、幻の雑誌と言われていました。

『あるく みる きく双書』は、この月刊誌『あるく みる きく』を地域別、テーマ別に編んだ昭和日本の紀行集です。監修者の田村善次郎氏は発刊の言葉のなかで、次のように述べています。

「あらためて今、読み返してみると、何かを見出し、何かを作り出していこうとする若々しい気力が溢れ、みなぎっています。この雑誌はたんなる旅の雑誌ではなく、一種警世の書であったと思います。『あるく みる きく』の中に流れている一貫した姿勢、視点は、混迷の度をますます深めつつあるかにみえる現在に、これからの進むべき方向をしめす何かを含んでいると思います」

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百姓の子として、庶民として生き抜いた宮本常一

 宮本常一は、昭和36年に博士号をとり昭和40年、58歳になって武蔵野美術大学教授になりますが、生涯、学者ではなく、百姓の子として、庶民として生きました。それは東京に出てきたとき、渋沢敬三に「学者にはなるな、よい調査者になれ」といわれたことからだと思われますが、その姿勢はそのときすでに宮本の中にありました。

「そのとき(渋沢敬三にいわれたとき)ふと、私は鍋釜さげて苦労する妻の姿が頭に浮かんだ。と同時に今まで接してきた多くの貧しい人たちの顔がうかんだ。貧しいけれども勤勉で善良で、時には頑固でずるいところもあるが、とにかく精いっぱい生き、しかも平凡に死んでいく人たちである。が、その人たちにも歴史はある。一人一人の歴史があるばかりでなく、民衆そのものの歴史がある。それはまだ本当に発掘されていない。しかもその人たちによって文化は発展してきたのである。

 武士が戦闘に明け暮れしているときも、百姓は農業を続けていた。宮廷の文化の栄えたときも、食料からいろいろな材料まですべて供給したのは農民たちであった。農民たちは自分自身の生活を守るために組織をつくりつつなお、支配者に支配者の文化をつくるためのあらゆる素材や技術を提供してきた。その姿だけは何としても明らかにしておかなければならないと思った」(『宮本常一著作集31 旅にまなぶ』未来社)。

 武士や公家が日本の歴史や文化をつくってきたのではない、名もなき百姓、民衆がつくってきたのだ、という確信と、その実態を明らかにする任務が百姓の子である自分にあるという自負を強く感じさせる言葉です。

「よりよい民俗調査をするときは、(中略)対象と一つにとけ込むことだと思う。(中略)自分が百姓であり、また家族が百姓をしていると、農民の世界がすべて此岸の世界として映り、仲間のできごととして関心が持てるのであるが、農業から手をひき、農村からはなれると、農村は彼岸の世界になってしまう。

 彼岸の世界を彼岸の世界としてみていくことは客観的であり、学問的には正しいことだといえるかもわからぬが、ほんとうは此岸の世界の中にあって物をみていくことの方がより真実がつかめるのではないかと思う。(中略)そして私自身もまだ学者などとは思っていない。農民たちの代弁者だと思っている」(同上)。

 学者は調査する対象と一線を画し客観的に分析してとらえますが、宮本は対象にとけ込み一体とならないと真実はつかめない、というのです。それは、作物や家畜と一体となって育てる農家の姿にも似ています。宮本が調査に入ると、調べたいことと関係なしに農家はいつまでもいろいろなことを語り続けたといいます。それは、百姓の子、宮本常一にこのような姿勢があったからこそだと思います。学者の調査は「人文科学でなく、尋問科学だった」ともいっています。

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旅とは民衆の心や歴史、文化の発見の場

川沿い開いた田、家の後ろの山の斜面を切り開いた畑
川沿い開いた田、家の後ろの山の斜面を切り開いた畑。農家がつくったあたたかな風景。長野県南信濃村 (『同双書14』姫田忠義「伊那谷をゆく」撮影・須藤功)

「丹波氷上郡の前山村では、(玄関の入口に)ナタマメを吊っている家を一軒見かけた。きいてみても要領を得なかったが、出征兵士の家であったことを考えると、帰りを待つ心からではなかったかと思っている。私の故郷では旅だちの日には必ずナタマメを食べることになっている。ナタマメは必ず下の方から上の方へ実がなって行き、また下の方へなって下って来る。(中略)戦いすんだ今日、出て行きし者を待つ親の心の切なるものを思うて、しばらくこの家の前に足をとめた事があった。

 如何なる事柄でも、それに人為が加わっておればそこには人の心が含まれている。要するに人によって作られたものはすべて人々の意思の表現なのである。そしてそれが如何に些細に見えても奥深く重大な心のこめられているものが多い。我々はだからどのような些細な人為に対しても無関心であってはならない。そしてその奥に含まれている人の心をよみとらねばならぬ」(『宮本常一・旅の手帳〈村里の風物〉』八坂書房)

「自然はさびしい、しかし人の手が加わるとあたたかくなる」というのは、人が手を加えた風景や、このような呪術的な、迷信的な些細な事柄にも、人が幸せを願う心が込められているからでしょう。旅とは、このような発見の場だと宮本はいいます。

「本物をみるということは『あるく』以外に実は方法のないものなのです。自分自身が体験を持たない限り、その本物はわかりようがないのです。そして『みる』ことの中に発見があるのです。物をみるということは、外側からみるだけでなく、まず内からみることが大事なことになってきます。(中略)真剣に物をみていけばいくほど、わからないことが増えてくるのですが、わかったと思い込むのではなくて、わからないことを確かめて、明らかにしていく、それが大切なことです。旅とはそういう場だと思います」(『宮本常一著作集31 旅にまなぶ』)。

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幸共の場、幸共の喜びを取り戻したい

 自律的内発的な地域の再生が叫ばれる今、このような宮本民俗学に、私たちは何を学ぶべきでしょうか。

 まずいえることは、地域の景観や文化、歴史は、地域の庶民、そこに暮らす農民が長年かかってつくってきたものであることに、もっと誇りをもち、庶民、農民として生きていくことの大切さを自覚すべきではないか、ということです。

 それは、農山漁村に暮らす人々の根底には、自然の前には皆、平等、その恵みを共に分けあい喜び合う、相互扶助、あえていえば、「公共」ではなく、平等精神を基盤に、幸せを共にする「幸共」があったからではないでしょうか。「公共」を司る武士や公家の社会は、NHKの「龍馬伝」を見てわかるように、徹底した階級社会でした。村の鎮守の神社の祭りは、村や地域の人々が等しく、皆の幸福と安寧を祈り、酒を交わし踊り、地域の絆や信頼関係を深める重要な場でした。過疎の集落の老人が「祭も行なえなくなったらおしまいだ」と嘆くのは、それゆえでしょう。

 しかし、戦後の民主化、近代化のなかで、個々人が自立し、合理的効率的な生産や技術、便利な暮らしを進歩とみなし、過去の不合理なしきたりや制度、行事、非効率な技術や仕事は見捨てられてきました。たとえば、水道が敷設されると共同井戸は壊され井戸端会議はなくなり、田植機が入るとユイによる相互扶助の労働は必要なくなるなど、本来農民が持っていた「幸共」を感じあう場が見捨てられ、「幸共」を求める志向も弱くなってしまいました。

 古くからの村のしきたり、作法からは、個が他を出し抜いて利益や幸福を得ることは、嫌われました。それが民主化・近代化が進むにつれ、神社に詣でても個人や個々の家の幸福だけを祈ることが多くなりました。古くからのしきたりは、個人の自由、能力を制限するものとして見捨てられ、他を抜いていくことに誇りや幸福を感じるようになってきたのではないでしょうか。篤農家といわれる人は、生産技術や経営がすぐれているだけではなく、地域の人々のことを考えてリードし、人が困ったときは面倒をみる農家をいいました。現在、大規模農家は多くなりましたが、篤農家は少なくなっているのではないでしょうか。

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団塊世代が担いたい幸共の場の復活

 とはいっても、今でも農山漁村には、伝統的行事や講などが人知れず続けられており、ここ最近は、「幸共」の喜びに飢えているかのように、さまざまな活動が起きています。近代化の先鋒となり競争社会を生き抜き、定年退職して村の暮らしに戻った団塊世代にはとくにその志向が強いようです。団塊の世代は、少年時代に「幸共」の喜びを味わっていることもその要因でしょう。

 何も先例がなく、また経験がなく、新たなことをするのは大変ですが、過去に先例があり経験したことがある事柄を、現在の状況に合わせて復活させることは、地域の人々の共感も得やすく、やりやすいのです。団塊の世代には、「幸共」の場を復活し、新たな「幸共」事業を興し、「幸共」の喜びをこれからの世代に経験をもって伝えていく任務があると思うのです。この10年がその勝負時です。「集落営農」など公共側からもそれが求められていますが、そこに「幸共」の喜びが伴わなければ、単に大規模効率農業に橋渡しするだけのものになってしまうでしょう。

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地域の過去の中に未来が見える

南アルプスの雪が降りてくる前に、綿入れを着て麦の土入れをするお爺さん 長野県上村下栗(『同双書14』姫田忠義「伊那谷をゆく」撮影・須藤功)
南アルプスの雪が降りてくる前に、綿入れを着て麦の土入れをするお爺さん 長野県上村下栗(『同双書14』姫田忠義「伊那谷をゆく」撮影・須藤功)

「幸共」の場が人を結束する力が強いのは、今生きている人ととけ込むだけではないからです。目に見えぬ多くの地域の先人や子孫、さらには地域の山川、田畑などの自然や無数の生きものたち、さらにそれらを権現する神々と、仲間と一体となってとけ込むからこそ強くなるのです。「幸共」が廃れるとともに、このような歴史意識も弱められてきました。この地域の縦軸である歴史にとけ込む歴史意識の取り戻しも、「幸共」文化を取り戻すうえで重要です。

 地域を流れる川はいつ、どのように引いたものなのか、水田はどのように開いていったのか、村の社寺はいつごろどのようにしてできたのかなどなど、過去の先人が、どのように地域の自然、風土に手を加え、産業を興し、少しずつ住みやすくしてきたのか、地域の歴史に学ぶことは、「幸共の場」を復活したり、「幸共事業」を興すうえで、欠かせません。「幸共事業」は「情報は地域を超えて広くから、人・資本・材料は地域にあるものを」が原則です。地域が興してきた産業は、その意味でこれからの地域の自律的再生のモデルとなるからです。大企業・大資本を誘致する地域振興策は、もはや困難であるばかりか、「幸共の場」「幸共の事業」とはなりません。

『あるく みる きく双書』は、その地域の自然や風景、生業の暮らし、民具などを「あるく みる きく」して、その地域独自の庶民の歴史や文化がなぜできたのか、その背景を縦横に読み取った昭和日本の紀行集です。宮本常一の地域をとらえる手法やまなざしがわかり、写真を豊富に添えているので、著者とともにその地域を旅しているように読むことができます。疑問がわいたら、実際にその地域を「あるくみるきく」の旅をしていただければ、新たな発見が必ずあるでしょう。本双書を、それぞれの地域で、それぞれの手法で「幸共」を取り戻すことにお役に立てていただければ幸いです。(農文協論説委員会)

*本双書は9月の「関東甲信越(1)」より毎月1冊発行。セット予約の方には、鳥取県倉吉と新潟県山古志での「CD‐ROM 宮本常一の地域振興講演・座談会記録」をプレゼントします。巻構成等は本誌巻末の広告ページをご覧ください。

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「田舎の本屋さん」のおすすめ本

現代農業 2010年11月号
この記事の掲載号
現代農業 2010年11月号

巻頭特集:トラクタを120%使いこなす トラクタ基礎講座/緑肥・収穫残渣の片付けに120%活用/トラクタでこんなことも/緑肥稲作は秋から準備/もっと活かせる循環扇/経営を変える冷蔵庫・貯蔵庫/軽トラックをもっと便利に使う/ショウガ大流行中/飼料米こうつくる こう売る ほか。 [本を詳しく見る]

土壌団粒 関東・甲信越1 宮本常一と歩いた昭和の日本11』田村善次郎 監修 宮本千晴 監修

■関連書籍・内容見本(パンフレット) 「宮本常一とあるいた昭和の日本 全25巻」 「宮本常一とあるいた昭和の日本 内容見本」 ■宮本常一とあるいた昭和の日本 特集ページ [本を詳しく見る]

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