主張
人間の身体も農──お産も育児も「待って見守る」交歓の世界
目次
◆身体の中に根圏がある
◆お産の精緻なメカニズム
◆人間の健康にも「不耕起」の発想を
◆お産にも及ぶ効率化と商品化
◆母乳で育てることの意味
身体の中に根圏がある
本誌4月号主張「なぜ今、『耕さない農業』に人は惹かれるのか」でまとめたように、過度な耕耘や化学肥料の多投は土壌生態系の豊かさを生み出す菌糸ネットワークを破壊してしまう。いま静かに広がる「耕さない農業」は、土壌が持つ本来の自律的な機能を取り戻す農法だ。
一方、「腸はヒトにとっての根圏」とし、腸内の膨大な微生物生態系が人間の免疫機能を支えている関係までを土壌とひとつながりに描いたのが、地質学者のデイビッド・モントゴメリーと生物学者のアン・ビクレー夫妻の『土と内臓』(築地書館)だ。近代医学は、病気の原因となる細菌を抗生物質で叩くことが正義という科学が押し拓いてきたが、未来は微生物との共生関係を取り戻すことにあるとする。これは耕さない農業の流れと共鳴している。農と人間の身体はつながっている。菌ちゃん先生こと長崎県の吉田俊道さんは次のように言う。
「人間、健康になるにはお腹の中を腐らせずに、発酵させること。それにはビタミンCやポリフェノールといった抗酸化成分の多い野菜を食べればいい。だって、抗酸化力ってのは体の酸化、細胞へのダメージを防ぐ『腐り止め』だから」「空心菜は真夏でもよく育つでしょ。強烈な光をもろに浴びるから、とにかく抗酸化力が高い。食べると本当にみんな健康になるから。お腹が発酵して、微生物が殖えて、うんこが浮きやすくなる。微生物の呼吸で微小な気泡が増えるんです」(2024年10月号「菌ちゃん農法って?」)。
お産の精緻なメカニズム
このような微生物との共生は、お産の場合にも大切な役割を果たす。農文協は5月に『どうちがう? 無痛分娩と自然分娩』(早乙女智子監修、大石時子・小森香織・北島博之著、NPO法人Umiのいえ編)という本を出した。いま急速に広がっていて、女性に優しい、あるいは計画的でムダのない出産方法のように喧伝されている無痛分娩(麻酔分娩)と、生理的な現象としての自然分娩はなにがちがうのかをまとめた本だ。その第3章「赤ちゃんにとっていいお産とは」に興味深い話が載っている。
陣痛の波に合わせて徐々に産道(腟)を降りてくる過程で、赤ちゃんは産道にいるお母さんの常在菌を全身にまとい、飲み込み、自分の腸内細菌叢の土台をつくる。そして誕生直後から本能的に母乳を吸う反射行動を起こし、初乳に含まれる免疫物質を取り入れながら腸内細菌を殖やし、生涯の免疫の基礎をつくるというのだ。
お産の進み方には、すべて意味がある。そもそも、陣痛は赤ちゃんの脳から分泌されるホルモン「オキシトシン」が胎盤を通じてお母さんの子宮を刺激することで始まる。陣痛は赤ちゃんの「産んでください」のサインなのだ。そしてこのオキシトシンは自然の鎮痛薬として、子宮から押し出されるときの痛みも緩和する。無痛分娩では、こうした精緻な仕組みで進むはずの出産が、麻酔でかく乱される。
人間の健康にも「不耕起」の発想を
他の章も駆け足で紹介しよう。
第1章「無痛分娩、それほどラクじゃない」
麻酔をかけて陣痛の痛みを緩和する無痛分娩は、痛くなくラクで回復も早く、女性に優しい出産方法であるかのように言われるようになった。しかし、実際には高度な医療処置なので自然なお産にはない制約やリスクもある。厳重な管理が必要で、病院の都合で産む日を決めて人工的に陣痛を誘発する処置が加わることも多く、リスクはさらに高まる。そして、実際にはまったく無痛ということはなく痛い時間もけっこうあるし、会陰切開などの処置が増えて、麻酔が切れたあとに痛みが残ることもある。自分が産んだという感覚が得られにくくなる場合もある。
第2章「自然分娩、いうほど辛くない」
陣痛は確かに痛い。でも陣痛があってはじめて、赤ちゃんは子宮から出てくるという大事業が可能になる。お母さんの産道も陣痛のおかげで徐々にやわらかくなる。陣痛によりお母さんもオキシトシンを出し、これが自然の鎮痛薬になる。陣痛の痛みには休憩があり、態勢を整えることができる。自然なお産はいつ始まるか計画はできないが、赤ちゃんの生まれる準備ができたときに始まるので、母と子の産む力と生まれる力がピタリと噛み合ったお産ができる。
「耕さない農業」はなにもしない放任農業ではない。自然が力を発揮できる環境が整う手助けをしながら、自然に任せて「待って見守る」農業だ。土に回復力があるように、人間の身体にも回復力がある。それが発揮される条件を整えることが難しくなっているとしたら、なぜだろうか。
お産にも及ぶ効率化と商品化
もちろん、医療がまったく不要だというのではない。医療があってこそ救われるいのちはある。ただ、出産は本来生理現象で病気ではないのに、現代は正常な出産まで過剰に医療で管理されることで、女性に備わった生理的に出産できる力を損なってしまうのではないか。WHO(世界保健機関)はこうした懸念を、2018年に表明している。
出産の医療管理が進んだのは日本では1960年代以降。「お産は自宅で」が普通だったのが、「病院で医師に産ませてもらうもの」へと急速に変化していった。お産の医療化への反発で1970~90年代には世界的にラマーズ法やアクティブ・バースなどの自然出産運動が盛んになった。
だが、2000年代以降は世界を覆う新自由主義と女性“活躍”推進で、女性も男性と同等のキャリアを形成することが求められるようになる。妊娠出産の期間に自分の身体や赤ちゃんのいのちとじっくり向き合う余裕は持ちにくくなった。産後も少しでも早くキャリア形成のレースに復帰しなければという圧力が強まった。働け働けと追い立てられながら、育児や家事の負担はまだまだ女性に集中している実情の中で、出産は無痛分娩で負担少なく済ませましょうと勧められれば、そうしない手はないと思ってしまうのも無理はないとさえ思える。しかしその結果、妊娠・出産・誕生というプロセスがお金を払って誰かにやってもらうことになってしまう。
母乳で育てることの意味
無痛分娩の本に続いて、8月には『気持ちがやわらぐ 母乳育児と産後ケアの本』(木村恵子著)も出る。
著者は東京都中野区で助産院を開業しており、年間3000件ほどの産後ケアを提供している。とくにコロナ禍以降、お母さんたちは孤独な育児にとても疲れており、育児がうまくいかない、楽しくない、つらいと感じ私はダメな母親だとマイナス思考に陥ってしまいがちだという。著者の助産院では、まずはお母さんの話をじっくり聞き、赤ちゃんの様子をよく見る。そしてマッサージ、お灸、アロマテラピー、よもぎ蒸しなどでリラックスしつつ身体を温める。母乳によいおいしいランチを食べてもらい、母乳育児のよさとやり方を伝える。
昨今は、母乳育児をあまり勧めると母親へのプレッシャーになるとか、母親への育児の押しつけだなどと批判されがちだ。だが著者は母乳育児は子育てをラクに楽しくするいちばんの方法だと説く。すぐにあげられるし片づけの手間もかからない。そしてなにより、赤ちゃんに母乳を飲んでもらうその刺激が、お母さんのオキシトシンの分泌を呼び起こす。オキシトシンは幸福感を増す“幸せホルモン”でもあり、育児に前向きなプラス思考に切り替わるきっかけとなる。
母乳は血液からつくられる。それはお母さんの食べたものからつくられるということだ。だから身体を温めて循環をよくすることで、よい血液がめぐりよい母乳になる。母乳が足りていないのではと心配になることも多いが、少しずつでも頻繁にあげていれば、必ず出るように身体が変わる。逆にミルクを足すと母乳をあげる機会が減り、母乳はなかなか増えなかったり、滞留して乳腺炎になったりする。
現代の暮らしの中で、母乳育児を続けるのが難しく感じるときもあるが、例えば保育園に預けても、家にいる時間にできるだけあげることで、日中はあげられなくても、母乳の質も量も維持できるという。身体には、それだけの対応力があるのだから、活かさないのはもったいない。
* * *
いま、助産院や自宅など、主に助産師にサポートされて生まれる赤ちゃんは年間で約4000人、日本で生まれる赤ちゃんの0・6%ほどでしかない。しかし、正常なお産とその後の育児を支えるプロである助産師が、お母さんと赤ちゃんの状態をよく見て(観察し)、どうすればうまくいくか手を添える技はまだ受け継がれている。
本誌5月号の主張「作物と対話する──観察から交歓へ」では、農の営みの根源的な楽しさ・あり方を次のようにとらえた。「『交歓』とは、互いにうちとけあって楽しむこと。作物や家畜と向き合い観察が深まると、心が響き合う瞬間がある。そのときに農業は生産だけでなく、関係を育む営みへと変わる。効率や収益を超えたところにある農業の根源的な面白さ、それが交歓なのだ」。
これと似た関係が、母親と赤ちゃんと助産師の間でも成り立つ。どちらもいのちが自然であろうとする力への信頼という意味で、同じだからだろう。
農の営みは、人間の営みのあり方へとつながっている。
(農文協論説委員会)
*『どうちがう? 無痛分娩と自然分娩』は発売中。税込1760円。『気持ちがやわらぐ 母乳育児と産後ケアの本』は8月発行予定、税込1760円。
*『どうちがう? 無痛分娩と自然分娩』を編集したNPO法人Umiのいえが発行する書籍『お産は、人生をつくる。』(仮)も7月に出る予定(農文協発売、予価税込2200円)。お産で人生が変わった人、お産を支える人々、世界のお産を見てきた人など20人が描くお産の現在地と、どんな人でもうれしいお産ができるようにするためのメッセージ。
*12月には、噛む・飲む・しゃべるなど口の発育に課題を抱える子の「口腔機能発達不全症」を防ぐ「保育歯科」の本『赤ちゃんができたら読みたい 子どもの口の育て方読本』(仮)(高島隆太郎著)も発行する予定。口の発達を妨げずに、育つ力を引き出す母乳育児の意味と仕組みを詳しく説明する。


