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農文協トップ主張 1995年10月号
土着菌とミネラルを生かして、
食べものの高級化=高価格化をすすめよう

われわれのなすべきことは何か


◆今こそ「高価格」の実現を

 国際市場経済の効率論理による農産物輸入・総自由化の時代であるそして総自由化への対応を考える時、必ず出てくるのが規模拡大などでコストダウンを図り国際競争力をつけること、つまり低価格化を進めなければならないという話である。しかし、そんなことはおよそ不可能であり、それで見通しが立つなどとはだれしも思っていない。
 むしろ重要なのは、低価格とは反対に「高価格」を実現することである。生産者・生産地を支持するキズナを持った消費者や小売店との直接的結びつきを強め、大量販売の「価格破壊」に対抗することだ。産直によって、自信のある、安全性と新鮮性と美味性をかねそなえた「高級」食べものを届けて価格を維持し、流通経費の削減効果とあわせて手取りを増やす。こうした筋道で農家にとっての「高価格」を実現することである。
 そして今、高価格を実現するのにふさわしい農法が急速に広がりつつある。それは地場産の土着菌やミネラルを生かして「いのちの食べもの」をつくる農法である。

◆有機農法の新段階を拓く土着菌活用

 「ここ2〜3年、私が確信を持ちつつある技術は、労力が少なくてすみ、なによりも農業と自然の豊かさ、力強さを感じ取らせてくれる技術だ」――そう語るのは熊本県菊地市の後藤清人さんである(注1)。9反の田で無農薬、無化学肥料でイネをつくり、これを5キロ3500円(1俵で4万2000円)で消費者に直接販売している。高価格を実現し、しかも収量も一般より高い。1昨年は冷夏で地域の平均反収が6〜7俵だったが、後藤さんの収量はユメヒカリで9俵、昨年は11俵だった。
 有機農業というと手間ばかりかかって収量が低く、多少高く売れても割に合わないというのがこれまでのイメージだが、後藤さんは多収を実現し、しかも従来よりずっと労力を少なくしている。それを可能にしたのが不耕起(半不耕起)と土着菌利用なのである。
 長年有機農業に取り組んできた後藤さんも、これまではずい分苦労してきた。化学肥料を使わないから有機質をたくさん入れなければと思い込んで、田畑に堆肥と牛の生フンをたくさん入れた。プラウや深耕ロータリーで土を深くも耕した。しかし1向にイネはよくならない。そこで思い切って50cmぐらいに浅く耕したところ思いがけないほど米がとれた。
 「深耕は微生物の住み家を壊してしまうから、微生物はもう1度環境を作り直さないといけない。半不耕起栽培は、微生物の力を生かす技術でもあったのだ」という後藤さん、そんな後藤さんにとって、これまでとちがった新しい有機農業の道を切り拓いてくれたのが「土着菌の活用」なのである。化学肥料の代わりに有機質を使うといった話ではない。土着菌に目をむけることで、今まで見えなかった土や田畑の見方、周囲の自然とのつながりが見えてくる。
 「土着微生物は、私の田んぼを地域の自然に結び直してくれた。微生物を通して、ヨモギが生えていた野原、腐葉土を取ってきたクヌギ林、竹林が私の田んぼと結びついている。田んぼはもともと地域の自然を結びつける器のようなものかもしれない」と後藤さんはいう。
 近くの林から土着菌を採取し米のとぎ汁などで培養し、ボカシ肥つくりに使う。このボカシ肥をムギが発芽した時に反当180kgまく。これとイナワラ500kg、ムギワラ200kgが田んぼへ施すものの全てである。
 これに半不耕起や深水も加わっておいしい米ができる。後藤さんにいわせれば「生きた米」なのだが数字では表せない。そこで消費者には「私の米はジャーに入れておいても、3日目ごろからかえっておいしくなる。1週間たっても味が変わらない。米の酵素や微生物が生きていて、米が醸成する感じなのだ」と、こう話すことにしている。

◆土着菌のパワーはどこからくるか

 日本の伝統的な農業は周囲の山や川、海と結びついていた。落葉かきは単に落葉という有機物を田畑にもち込むだけでなく、山土といっしょに、そこの微生物をもち込む作業にもなっていた。
 化学肥料や農業によってこうした農地と地域の自然との結びつきが断たれ、微生物相の貧困化や単純化が進んだ。それを補うかのように各種の微生物資材が注目されたのだが、土着菌を生かしはじめた農家からは、土着菌には市販微生物資材にはないパワーがあるという声が多くきかれる。しかも、クヌギ林とか竹林とか採取する場所によって、あるいは季節によって培養した時の発酵のしたかや、仕上がったボカシ肥がちがうという。
 それは、地域の自然が多様な生態系によって成り立っているからだろう。竹林には竹林の生態系がある。ケイ酸を多く吸収する竹は自ら根酸を出して岩石を溶かしケイ酸を吸収する。その根には竹と共生していっしょになって岩石を溶かす微生物がいる。その微生物を採取して田んぼで使えば、イネのケイ酸吸収力が高まり、イネが丈夫に育つ。
 田畑の土は、その地域の岩石と植物と微生物によってつくられた。だから、土着菌はその地域の土と親和性が高い(なじみやすい)。親和性は高いが農耕地の微生物とは異質の世界で生きている。異質だが親和性が高いことが、一つのパワーとして発揮されるのだろう。
 長年、ボカシ肥づくりの研究に精力を傾けてきた福島県の薄上秀男さん(注2)は、どんな天候にも耐える丈夫なイネをつくるには、山にのぼって、東側、南側、西側、北側、そして頂上の落葉と土、さらにすそ野や小堀りの中の落葉と土を少しずつもってきて拡大培養したものを利用するとよいという。それぞれにちがった条件に耐えて生きてきた異質な微生物が、さまざまな天候不順に耐えるようにイネを助けてくれるということだ。さらにパワーアップするには、植物生理活性物質を増加させるために若い草木の芽などを加えるとよいという。
 地域の微生物も植物も、その場に耐えて生きている。生態系は一つのバランスのとれた系だが、それを構成している生きものは生きものである以上、たえずふえ広がろうとしており、それらが互いにしのぎを削り抑制し合い、共生を原則とする生態系が成り立っている。生態系は共存共栄というよりは、むしろ共存共貧的である。こうして耐えている分、余力を秘めており、それが別の条件下でパワーとなって現れるのにちがいない。好適な条件下で純粋培養した微生物とはちがった素質が土着菌にはあるのだろう。
 この土着菌の素質を生かす技術が、採取から拡大培養、そして天恵緑汁やボカシ肥へと至る発酵技術である。これがまた酒づくりに似て奥が深いのだが、発酵の素材としてポイントとなるのが糖とミネラルである。
 土着菌の拡大培養に黒砂糖や米ヌカ、米のとぎ汁が使われるのは、それらが糖とともに各種のミネラルを豊富に含んでいるからだ。精製した白砂糖では黒砂糖のようにはうまくいかない。微生物の力が発揮されるにはミネラルが欠かせないのである。

◆生命を育む場としてのミネラル

 ミネラルとは、カルシウムとかマグネシウム、微量要素などのことではあるのだが、生命にとってのミネラルとは個々バラバラの元素ではなく、それらが複合して働く構造体としてとらえるべきものである。
 興味深い実験がある。食塩(塩化ナトリウム)だけの溶液で植物を発芽させると発芽・伸長不良になるが、これに塩化カルシウムを添加すると発芽がよくなり、さらにカリや苦土を加えるといっそう発芽・伸長がよくなるという。ナトリウムという単独のミネラルだけでは有害でも、各種のミネラルが複合すると害がなくなり、生育促進的に働く。海水中でも生物が成長できるのは、それぞれ単独では有害でも、それらが合わさることで相互に牽制しあい、ちがった場がつくられるからだ。ミネラルはバランスのとり方によって異なる反応系をもつ。
 そしてこのミネラルと生命とは切っても切れない関係にある。
 原始の生命を育んだのは海である。地球ができて、大雨がふりそそいで海ができる過程で、岩石のミネラルが溶け出し、こうしてすべてのミネラルを含む海がつくられ、このミネラルウォーターの中で生命が育まれた。ミネラルが豊富な場において生命が育まれ進化していったのである。
 岩石の研究者である川田薫氏らが大変興味深い実験をしている。無菌状態の水に岩石微結晶を加えてミネラル水とし、その中へチッソ、酸素、メタン、炭素ガスを入れて紫外線をあてると、わずかの時間のうちに糖類やアルコール、核酸、アミノ酸前駆体などの有機物が生成されるという。さらに、ミネラル水と酵素(タンパク質=非生物)を入れると2〜3日後には、微生物のようなものが続々発生してくる。こうした実験から、ミネラル水という場において光エネルギーと無機物から有機物がつくられ、生命が生まれたのだろうと川田氏は仮説を立てている。

◆ミネラル循環の中で生まれる
 「いのちの食べもの」

 江戸時代に、このミネラルに注目し、これを施肥の基本においた偉大な農業者がいる。疲弊する農村を救うことに生涯をかけた大蔵永常は文政7年(1826年)「農稼肥培論」(注3)を著した。その中で永常は「天地にあって生まれては死んでいくものは、水と油と塩と土とが結合する以外にそのからだがつくられることはない」とし、「肥しの効きめを発揮させるには油と塩を与える以外にはない」と書いている。このうち油は植物が自分でつくるものであり、肥しとして重要なのは「塩」だということになる。動植物の体を焼くと灰になり、その灰に水を垂らして灰汁として、煮つめて水気を去ると「塩」になる。この塩はもちろん塩化ナトリウムではなくミネラルの集合体である。もっとも永常は「焔硝(硝石、化学成分的には硝酸カリウム)すなわち塩気である」と述べており、窒素化合物に注目したともいえそうだが、本書でとり上げている24種の肥しへの評価をみると、その本質はミネラルにありと読みとることができる。
 永常が1番重視している肥しは小便である。「小便は人の食べた塩気が混じって排泄されたものであるが、人のからだの持ち前の塩気も加わって、とりわけ塩の気が強い」として、水で薄めて使うなど、その効果的な利用法を解説している。実際、ヒトの体液や血液、その排泄物である尿のミネラル組成は海水によく似ている。ちなみに人間の日常食総体のミネラル組成も海型である(注4)。塩の貯蔵に使って古くなった俵や海藻、干鰯、貝類など海の塩気にも肥しとして注目し、海水そのものの利用をも推めている。草肥や泥肥も地の塩を含むものとして評価され、水についても温泉の水は塩気が強くよい肥しになるとしている。
 永常はミネラルの大循環ということを直観的に深く把握していたのだろう。ミネラルは陸地から海へとたえず流れでる。海は雨をもたらすがミネラルは還元されない。そこで海の塩のもとになった地の塩への注目と、海の塩気を活用する(人間が取り込んで排泄した大小便としての塩気も含む)こととの両立てで、貧困化への方向をもつ土のミネラル環境を整えていくことを訴えたのである。人間も含む地域の資源を活用することによってである。
 雨で石灰が流れ土が酸性化するから石灰を入れる、これもたしかにミネラル環境を整える一つの手段ではあろう。しかしミネラルはバラバラな単1要素ではなく、構造体であった。それゆえ、地の塩、海の塩、それをめぐらす動植物の塩のまるごとの循環が重要になる。土着菌もまるごとのミネラルの作用によってその秘めたパワーをいかんなく発揮する。それはすぐれて地域的なものである。土着菌の活用は地域資源の活用へとむかう。
 地域によって、場所によって岩石がちがいミネラル環境が異なり、その場で生きる固有の微生物、動植物がミネラルをめぐらす。こうした地域的循環と山―川―海という大きな循環が重なり合い、補いあう。そのつながりの中に自らも入り、強めることで、人間は自己の生命を維持してきた。
 こうしたしくみの中で地域から「いのちの食べもの」が生まれるのである。

 ミネラル環境を整えるには、いのちの場をつくることである。この場がくずれれば食べものの価値が低下し健康問題はいっそう悪化する。太陽エネルギーのとり込み方が非効率になって食糧問題が深刻化する。モノの動きが悪くなって環境は悪くなる。
 そして場づくりには、時間と金と心のゆとりが必要である。場づくりの担い手は農家だから、農家にそれらがなければならない。「高価格」はそのための重要な条件である。場づくりの経費をもみてもらわなくてはならないからだ。
 輸入農産物の多くは場づくりを軽視し当面の効率性を追い求める恐れがある。そうした農産物に低価格で対抗しようとすることは、相手のためにもならない。消費者にもそのことをわかってもらわなくてはならない。
(農文協論説委員会)


(注1)後藤さんの実践については「自然と人間を結ぶ」(農村分化運動137号)、「特集・新しい「産直理論」を創る」に詳しく紹介されています。
(注2)薄上さんの発酵性肥料づくりの単行本が今年十月に発行される予定です。本文60頁もご参照を。
(注3)「日本農書全集」69巻、来春2月発行予定
(注4)松尾嘉郎・奥薗壽子「絵とき ヒトの命を支える土」より
(いずれも農文協刊)


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