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農文協トップ主張 1997年5月号
21世紀を拓く稲作文明
――梅原猛氏の講演に思う

◆隠された稲作文明に光を――梅原猛氏の慧眼

 不確実な未来を語るうえでもっとも大切なことは、人間は自然にそっぽを向かれては生きられないという単純な事実だ。自然にそっぽを向かれない生き方とは、言い換えれば自然とのつき合い方の原理(これを文明のあり方といってもいいだろう)を征服的・略奪的なものでなく、共生的・循環的なものにしていくことにほかならない。
 去る3月5日、東京で「都市と農村のかかわりを環境から考える」ことをメインテーマにした「21世紀の日本を考えるシンポジウム」が開かれ、哲学者であり作家でもある国際日本文化研究センター顧問の梅原猛氏が基調講演をおこなった。氏は演題を「これからの人類の道・共生と循環の世界観――隠された稲作文明に光を――」と設定し、大要を次のように述べられた。
――文明の代名詞のように言われてきた西洋の文明は、人間中心、個人中心。これは都合わるい。自然を支配して人間だけ栄えることは許されない。今までの哲学は西洋の哲学にすぎなかった。しかも農業の成立が人間の文明や思想にどうかかわったかの考察がない。
 人間中心、個人中心の西洋文明の根底に小麦と牧畜の農耕文明がある。これに対して稲作のほうは人間と人間の関係とか人間と自然の関係を重視する。稲作も自然を破壊しはするが、限度をわきまえていた。森は神様のいるところとして残したなどはその象徴だ。こうして、西洋文明と東洋文明の違いは小麦と米の違いと言えるのではないか。
 来るべき21世紀には人間中心主義による自然破壊はもう許されないわけで、このような時代だからこそ我々は稲作を基調にしたアジア・モンスーン地域の文明が、21世紀に起こるであろう難問を解く際に大きな意味をもつものであるという自覚をもちたい。(詳しくは現代農業増刊『新農基法に提案する』を参照されたい)
 氏の講演のポイントを3点にまとめさせていただくと、次のようになるだろうか。
 (1)農耕の形は自然条件によって規定され、西の小麦+牧畜と東の稲作農業という対照的な2つの形を生んだ。
 (2)この農耕の形の違いが人間の意識(思想)や文明の違いを生み、自然に対する人間の態度の違いも生む。
 (3)それは、小麦農業においては征服的・直線的な自然観としてあらわれ、稲作農業においては共生的・循環的な自然観を生んだ。前者は自然にそっぽを向かれかねない人間中心思想であり、後者は自然と人間を1つのものととらえ、その共存・共生関係を大事にする思想である。
 こうして、どちらが21世紀に向けて引き継ぎ生かすべき自然観、文明、農耕の形であるかは、もはや明確だ。

◆「小麦+牧畜」が自然征服型になる メカニズム

 ところでしかし、なぜ小麦文明は征服的で自然略奪的なのか、なぜ稲作農業はその反対なのか。洋の東西に対照的に成立した2つの農耕型の特徴を洗い、征服的と共生的のよってきたるゆえんを探ってみよう。
 農業をまずは食糧生産の場とみたばあい、目につくのは両者の人口扶養力に雲泥の差があることだ。
 古代から中世へ、2圃式から3圃式に進んできたヨーロッパ農業だが、10世紀ころの小麦で播種量の3倍を収穫するのがやっとで、中世末の14、5世紀でもわずか5倍程度にすぎなかった。ところが、奈良時代8世紀の日本では最下位の田んぼでも7倍、上田では25倍もの米の収穫をあげている(河野健2、飯沼2郎『世界資本主義』岩波書店、山根1郎『日本の自然と農業』農文協などによる)。
 播いた種の3倍とか5倍くらいの収量では収穫した麦の2割とか3割を翌年の種子用にとっておく必要があり、ただでさえ低い人口扶養力をますます低くした。
 反収の低い直接的な理由は、水分不足による発芽不良や生育途中の枯死だったが、この理由がまた、水分の確保と地力回復のために休閑地を置かなければならないという事情を生み、人口扶養力の低さにさらなる追い打ちをかけた――。
 こうした穀物収量の低さと休閑地の必要は必然的に人間1人当たりに必要な耕地面積を広大なものとし、勢い耕うん作業は畜力に依拠することになるが、この家畜は一方で、山や川とつながってないヨーロッパの閉鎖系耕地では、耕地内の唯1の肥料生産者でもあったから、広い面積に相応した多くの頭数を必要とした。それはまた、この家畜の放牧や飼料生産のための広い耕地を要求し……となっていく。小麦もできない、できなくなったところでは草を生やして肉生産をするが、この迂回生産のために要する耕地面積が、人間が直接穀物を食べるために要する面積の8〜10倍もする、そもそも自然征服的なものであったことはいうまでもない。
 こうしてヨーロッパの小麦+牧畜農業は、どこまでも面積を求める農業であり、外へ外へと向かっていかざるを得ない農業だったのである。
 ヨーロッパでは「耕種が主か家畜が主か、という議論が意味をもたないほど両者が密着した農業形態」(吉田武彦『水田軽視は農業を亡ぼす』農文協、1978年)だったのだが、この農業は、その出自からしてそれ自身で完結することを強要された閉ざされた系(註)の生産体制であり、それゆえ絶えず地力の不安定や降雨量の変動にビクビクしなければならない農業だった。勢いその不安を外延的征服的な解決策に求めざるを得ない農耕の形になったのである。 (註)閉ざされた系とは、その耕地が川と山とのつながりを遮断されていることを指す。ヨーロッパにも各国各地域を貫く大きな川はあるが、その数は少ない。川の分布密度が低いのである。耕地に水を引こうにも何10キロ、何100キロと離れておりとても無理な話。「3歩あるけば川」の日本とは大違いなのである。また、山(森)からの肥料源の供給も、降雨が少なく植生の再生力が弱いためおよそあてにできなかった。
強くてかつ調和もはかる

◆水田稲作農耕文明

優れ者の稲

 ひるがえってアジア、とりわけ日本の稲作農業はどうだろうか。
 稲作農業の人口扶養力が麦に比べて圧倒的に高いことは先にも述べたが、播種量と収量の比が小麦では中世で3、近世で5、農業革命後でやっと10だった。これに対し、わが日本の稲では中世でも20、近世ですでに40にも達していた。この差は現在でも基本的に変わっておらず、各国各作物の播種量・収量比は表のようになっている。稲が、いかに人間の食糧として優れ者であるか、一目瞭然である。

表 現在における播種量・収量の比(加用信文)
日 本 米 国 英 国
イ ネ 110―144 24.2
コ ム ギ 51.7 23.6 15.7
オオムギ 54.3 9.1 18.4
エンバク 7.4 14.4
山根一郎『日本の自然と農業』農文協、58頁より

山―川―田―海――開かれた生産システムの 核としての水田

 この稲自体の優秀さをさらに助けたのが、日本の山、川、田のつながりである。育種学者の角田重3郎東北大学名誉教授は次のように述べておられる。
 「子供のころにならった小学校唱歌の『汽車』(作者不詳)の第1節は、
 今は山中、今は浜
  今は鉄橋渡るぞと
 思う間も無く、トンネルの
  闇を通って広野原
であった。
 日本の風景が、山と海と川、そしてなにがしかの山麓の平坦地で構成されていること、それらが繊細にいりくんでいることがよくわかる。そして日本の水田稲作は、この海と山と川の恵みを享受しているのである。」(『新みずほの国構想』農文協、1991年)
 ここには、小学校唱歌をたくみに引きあいに出しながら、日本の水田稲作農業が、日本の地形や自然総体と関係をもちながら〈場〉として成り立った状況が見事に描かれている。
 「思う間も無く」次々変わる風景。それは、地形が急峻で大平原もなければ巨大な川もなく、地形、したがってまた土壌も「繊細にいりくん」だ複雑多様な日本の自然の特徴をひとことで表わしている。
 繊細に入り組んだ地形は1見、水田の造成には不利に思えるがじつは逆で、「山から平地にさしかかる川沿いの小平地は、たいした工事を要せずに潅がい水を自由に得ることができるし、洪水などの大災害のおそれも少ない。モザイク状の地形は、こうした原始的な水田農業の場を数多く提供したと思われる。」(吉田、前掲書)  弥生以来、人工的な潅がいシステムをもつ水田稲作=潅がい水田稲作はこのように出発点から山、川とのつながりの中でつくられた。それは、山、川と遮断されたヨーロッパの閉鎖系耕地システムとは全く異なる、開かれた耕地システムだった。
 こうして「この灌漑水田稲作は、森(山林)にささえられて成立しており、また川の遊水池を拡げ水位を調節するようにして成立している(地下水を汲みあげる方式もあるが日本では少ない)。そして降水は森に蓄えられ、ついで水田に蓄えられ、10分に利用されたのち海にかえる。その過程で森の養分(土を含む)は稲の栄養となり、森と水田の緩衝作用をへて適度の栄養成分をふくむ水が沿海に供給されて水産物の生産を助長する。つまり灌漑水田稲作の系は、〈海と森と川と田からなる生産の系〉、そして〈林産や水産も関係している生態系〉である、とみることができる。
 稲作を主体としてみると、灌漑水田稲作は〈海と森と川に抱かれて成立した稲作〉であるといえよう。」(角田、前掲書)

◆水田は稲を強くし、海も耕した

 海と森と川に抱かれ、開かれた耕地系として生まれた水田は、稲のもつ能力を十二分に引き出した。山川からの養分とその湛水による可溶化(とくにリン酸)は無肥料でもある程度の稔りを保障した。恵まれた雨で再生力の強い山の植生は水田の豊富な肥料源ともなった。夏、高温期の湛水はその有機物の消耗を抑え、落水後、収穫したあとの冬の寒さはこれまた有機物の分解を抑えてくれる。葉から茎、根への通気系が発達している稲は水に植わってても窒息することがなく、かえって豊富な水を存分に使って、小麦の5倍もある気孔ともども、もてる光合成能力を遺憾なく発揮する。……
 水の循環を軸にした開かれた耕地系としての水田は、このように稲の力を引き出すとともに、片や海の豊饒もつくりだす。
 田から川へ、川から海へと流れていく適度の栄養分を含んだ水は沿海の魚介を育み、日本人の動物タンパク源となってくれた。近現代になってからはわが国水田稲作も多くの肥料を使うようになったが、それでも海を荒らすことはなかった。水田はチッソやリン酸濃度が高くなるとそれらを吸着・保全し、逆に低いときは放出する。山や畑から流れてくる養分の濃淡に対しても同様の働きをし、水田を通ることによって養分濃度を中庸に保つことができる。こうしてわが国の沿海は過剰栄養でもなく貧栄養でもない魚の天国となって、水産大国日本をもたらしたのである。先の角田重3郎名誉教授はこうしてできたわが国沿海漁業を、西欧の牧場に対比して「海の牧場」と名付けている。
 まさに山と川と田と海、林業と水田稲作と漁業はもちつもたれつ、共生と循環の一大開放系生産システムを成しているのである。

◆自然と人間の調和を求める稲作文明

 水田稲作農業をまん中にすえたわが国開放系生産システムは、先にみたヨーロッパの閉鎖系のそれと比べたとき、その特徴はきわめて明瞭である。
 第1にそれは、循環する水を仲立ちにした「開かれた自給」システムであり、それゆえに全体の調和を絶えず求める節度をもっていることである。山と川と田と海、これらが個々バラバラひとりぽっちなのでなく、互いに依存し、共生しあっている。その関係総体の中で再生産がおこなわれているのである。したがってこのシステムは、本質的に外に延び他者を侵蝕していく動機をもたない。それをやったら「共生」のバランスが崩れやがて自分の首をしめることにつながっているからだ。それは例えば、山をさらに切り開いて水田開発を推し進めようとした為政者に激しく抵抗した近世農民の英知にも反映されている。基本的に地力収奪的で、外へ外へ面積を求めていくしか方法のなかった小麦+牧畜の西欧農業との根本的違いである。
 第2には、むらの原理が働くことである。ゆいや山の下草刈りの共同作業はもとより、田に水をいつ、どれくらいの量や割合で入れるか、同じ水系の上、中、下流の人たちが何度も話し合いながら全体を調整した。大きい農家と小さい農家の関係も弱肉強食のそれではなかった。水の循環を軸にした開放耕地系では、自分の田を荒らすことは他者様に申し訳ないという意識も働いた。自然の相互依存・共存性の高さゆえに人間同士、むら同士の共存・共生関係も磨かれたのが日本の、アジアの特徴だった。閉ざされた系のもと絶えずフロンティアを求めた牧畜農耕、そこでの非共存的「自立」した人間像との、これまた根本的な違いである。

 この100年、私たちはあまりに欧米的なるものに目を奪われてきたきらいがある。しかし、食生活ひとつとってもパンや肉に表現される小麦+牧畜農耕の脆弱性やそれ故の侵略性は今までみてきたとおりである。山、川、田、海のつらなりで高い扶養力をもつ米、そして「海の牧場」からとれる魚を軸に、プラス大豆や野菜を組み合わせた食事構成の方が健康にもいいことは近年ますますあきらかになってきているところだ。
 本誌でもしじゅう紹介しているように、高齢化、女性化という、今まで弱味と思われてきたことを、稲と水田自身のもつ柔軟性、包容性をたくみに活かすことによって意味を逆転させた農法がたくさん生み出されている(高松求『60歳からの水田作業便利帳』、古野隆夫『合鴨ばんざい』なども参照、いずれも農文協)。
 このような水田稲作を核にした日本農業の蓄積と経験をひろくアジア全体に伝えることができれば、食糧、人口、環境など世界が直面する難題に大きく貢献することができるように思われる。
 20世紀、近代西洋文明の100年から、21世紀は水田稲作農耕文明の時代である。
(農文協論説委員会)


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