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農文協トップ主張 1999年2月号

品種の環境形成力を生かして
豊かな農村空間を

目次
◆生き生きと自己表現する野菜たち
◆伝統野菜を守り続けてきた農家の心
◆加工によって品種の自己表現は豊かになる
◆品種は農村空間を豊かにする
◆品種の個性、環境形成力を生かす

 全国各地で、昔から伝わる伝統的な品種を活用しようという動きが盛んになってきた。朝市などの産直的な販売が急速に広がり、農産加工に取り組む農家が増えるなかでの動きだ。大量生産大量販売では、地域品種はなじまない。どこでもだれにも喜ばれる普遍性が求められるからだ。しかし、産直という顔が見える流通なら、地方品種が生きてくる。その地の味をみんなにおすそわけするという、個性の豊かさが身上になるからだ。朝市や都会にでた地域出身の人たちに「地域の味」を届ける――それには、地域の品種がふさわしい。

 そして、地域の品種は、地域を豊かにする原動力になる。

◆生き生きと自己表現する野菜たち

 3年前、福井県で、古くから伝わる県内の伝統野菜を記録にとどめることを目的に「ふるさと野菜の会」が旗揚げされた。メンバーは県職員や農業団体職員の有志、23名。休日に手弁当で伝統野菜を守り続けている農家から聞き取り調査を行ない、また、実際に料理してみたりと、ユニークな活動を行なっている。

 カブ、ナス、ウリなど県内の伝統野菜は約30種を数えた。すでに現存しないものが数種あり、大部分は数戸の農家によって細々と守り続けられてきたものだが、調査してみるとどれもこれも個性的で魅力にあふれている。

 たとえば、上中町の山内カブラ。青首で肉質は緻密で煮崩れしない。葉は野沢菜のようによく伸び、とう立ちが旺盛でとうを摘んで浅漬けにするのもいい。髭根が多く、肌もごつごつしていて器量よしとはいえない。今ではわずか一戸の農家が自家用につくっているだけだが、かつては、山内集落の報恩講にはこのカブの味噌汁が欠かせなかったという。

 敦賀市には、古田刈カブラ、杉箸カブラがある。古田刈カブラは肌は純白、肉質軟らかく甘みがあり、短期間の漬物や千枚漬けにむく。水田後作として、下肥主体で栽培されていた。一方、杉箸カブラは焼畑でつくられた赤カブで、収穫後、数日干してから葉ごと糠に漬ける。漬けると鮮烈な色、風味、歯ざわりをもち、この鮮烈さは常畑での栽培では絶対にでないという。

 こうした伝統野菜の魅力にすっかり“ぼけた”(敦賀市周辺では熱中することを“ぼける”という)会員の小野寺和彦さん(県共済連職員)は次のようにいう。

 「私には、スーパーなどの店頭に並ぶ均一化された野菜群と比べると、これらの伝統野菜は生き生きと自己主張しているように見える」

◆伝統野菜を守り続けてきた農家の心

 この伝統野菜に、小野寺さんは地域の農業の「立て直し」にむけた一つの拠りどころを見い出す。だがそれは、「飽食」の時代に珍しいもので勝負するといったような話ではない。品種と農家の暮らしの深い関わり、地域の歴史的な暮らしそのものなのである。

 伝統野菜は農家によって守られ続けてきた。器量が悪く、売りものにはなりにくかった山内カブラを、たった一人になっても最後までつくり続けたのは、明治生まれの故・飛永たかさんである。

 村で日曜学校を開き、子供たちを集めて勉強を教えていたたかさんは、肉質が緻密で煮崩れしにくい山内カブラを大事にし、タネを採種してはかなりの量を友人・知人に分けていた。「たかさんは、山内(集落)が育んできたカブラと山内(集落)で育っていく子供たちへのいとおしさを持ち続けた女性であったようだ」と小野寺さんはいう。

 たかさん亡きあと、山内カブラのタネは県農試で保管されてきた。そして10年たった昨年、たかさんの嫁の悦子さんが「おばあちゃんが守ったものを私が受け継ごう」と、タネを取り寄せ栽培を始めたのである。

 伝統野菜はタネとりによって受け継がれていく。そして、この採種方法がなかなかおもしろい。

 普通は特定の形質をもったものを集めて母本にするが、それでもF1品種のようには均一にはならない。逆に勝山水菜では、のっぺりした葉のものと、ぎざぎざした葉のものを半々にして母本とし採種する。雑種強勢の利用であろうか。

 先にあげた杉箸カブラでは、カブの下半分をちょん切って母本にする。品種が雑ぱくになるのを防ぐための手段として語り伝えられてきた方法だ。地元の人にこの理由を聞くと「チンチン切ると浮気はしない」という答えが真顔で返ってきた。

 タネとりは、わが村に、わが畑にタネをなじませ、それを維持することであり、そこには、冬の青物にとか、おいしい漬物にとかといった食べる側の都合と同時に、その地で安心して作れるという強みも求める。人の都合と、畑の都合、品種の都合の折り合いをつける。自家採種は、わが家のタネとして、その品種固有の血を濃くし、残していくことではあったが、時には姿・形が多少ちがう株も混ぜて交雑させたりした。地域に共通した品種ではあるが、その中では意外に多様性に富み、それぞれの場で個性を表現する。こうして、地域の品種が共通性と多様性(雑然性)を保ちつつ、作られ、守られてきたのである。

 「伝統野菜には、タイムカプセルのように歴史がいっぱいつまっている」と、小野寺さんはいう。品種はその土地に生まれ、土地柄にあった形質をもち、その形質は農家に支えられて維持される。品種は地域の自然と農家の思い、営みを表現する。品種は農家の自己表現でもあるのだ。

◆加工によって品種の自己表現は豊かになる

 そして品種は、調理・加工と結びついて、一層の個性的自己表現をする。多彩な地方品種をつくり続け育て続けてきた農家は、多彩の調理・加工を駆使する人たちであったがゆえに、多彩な用途にふさわしく品種も多様化した。ダイコンでいえば、生食、たくあん、切り干しなど、用途にあった品種が各地にたくさんつくられた。品種にあった調理・加工の工夫と、調理・加工にあった品種つくりと、その両方が重なりあって調理・加工も品種も多様化し、個性的になったのである。

 そうした個性的な加工品で地域おこしをしようという取り組みが各地で盛んになってきた。今年3月より農文協から発行を開始する「地域資源活用 食品加工総覧」(全12巻)の第4巻「米飯、もち、麺、パン、デンプン、こんにゃく」には、以下のような事例が紹介される。

 新潟県栃尾市の「農事組合法人田代農産」では、「梅三郎餅」というもちの加工・販売に取り組んでいる。梅三郎は、標高の高い山間水田の水口につくられてきた在来のもち米である。冷たい湧水が入る水口ではイネの育ちが悪く、低温の年には収穫皆無になる。なんとかイネを稔らせたいと考えて先人が育ててきたのが、この梅三郎である。紫色の穂をだし、赤飯にするとおいしく、もちにしたときの歯ごたえ、粘り、こしの強さが大変優れていて、農家の自給用としてつくり続けられてきたのだが、これを、過疎が進む村の冬の仕事に生かそうと、特産化に取り組むことになったのである。

 農家が手分けして200アールほど作付けしている。栽培地が限られているので、梅三郎を知る人たちへの注文販売が中心だが、全国から注文が寄せられるという。

 滋賀県の女性たち7人は「小佐治もち工房」をつくり、「しゃぶしゃぶもち」の加工・販売に取り組んでいる。この小佐治集落の水田は圃場整備は完了しているものの水はけが悪い。水田の汎用化が図りにくいわけだが、反面、昔からおいしいもち米ができる土地柄である。このもち米でつくるもちは「佐山もち」として知られ、大正時代から京都、大阪の人々に愛用されてきた。品種は昔ながらの「滋賀羽二重糯」、土地柄と品種の特性が生みだすもちは伸びがよく、煮崩れしにくい。その特徴を生かそうと女性たちが工夫して生まれたのが、熱湯をそそいで食べられる薄く切った「しゃぶしゃぶもち」である。大変好評で、他のもちの売れ行きが鈍る1〜3月でもよく売れる。夏でも売れる商品や、よもぎ入りなど、新しい商品開発にむけ、女性たちは意気盛んだ。

 水口や排水の悪い水田、そうした効率の悪いところで、自己表現する個性的な品種があり、その個性を生かそうとする農家がいる。条件のきびしさは、時に個性的で独自な生命力をもつ品種を生みだす。大量生産の大勢では評価されず、切り捨てられてきた土地柄や品種が、産直や加工の中で見直される。一定の品質が求められる傾向が強い生食用に対し、品種と加工方法の出合い、組み合わせ方によって多様な味をつくりだせるがゆえに、加工は品種の活用の幅を広げてきた。加工によって土地柄と品種の自己表現は豊かに保証されてきたのである。

◆品種は農村空間を豊かにする

 品種は農村空間を豊かにする力にもなっている。地域の歴史的生命空間から生まれ、これを支えてきた品種が、今、農村空間の形成に一役買う。

 先の福井「ふるさと野菜の会」の小野寺さんたちは、焼畑でのカブ栽培を復活させる取り組みを始めた。今立町では、千年先を考えた町づくりをキーワードに、町民の有志が「結い村構想」というプランを立て、その一貫として、八ッ杉というところで焼畑を復活させようという動きが起こった。そこでカブをつくろうと小野寺さんが提案したのである。名付けて「八ッ杉千年カブラ」。いろいろなカブのタネを播き、自然交配させて選抜し、その地にあったカブをつくっていく。のんびりやっても千年もたてば立派な「在来種」になるだろうと、小野寺さんたちは夢をはせる。

 「食品加工総覧」で紹介される、熊本の「若城食品」では、阿蘇のもち米(ひよくもち、ひでこもち)、豊富な湧き水、天然石臼による水挽きという三条件のもとで、極上の白玉粉をつくっている。ここでは、若城食品と地域の農家グループが協力して、白玉粉製造ででてくる米ヌカ、洗米汁、しぼりカスなどを原料にした堆肥生産が始まった。イナ作農家、キノコ農家、炭焼き業者、酪農家、堆肥製造業者をつないだ取り組みである。

 個性的な加工品をつくろうという地元業者と農家が結びつき、土ももち米もその加工品も、その地域固有の魅力的なものになっていく。

 加工は原料にこだわり、品種にこだわる。そのこだわりが、農業のありかたを変え、地域を豊かな空間にしていく。個性的な地域空間から、個性的な加工品、特産品が生まれるのである。

◆品種の個性、環境形成力を生かす

 品種は生命として自己を表現し、その生命を支える自然と農家の営みを表現する。その品種に調理・加工という技が加わり、食べられ、享受されることによって、品種の、自然の、人間の自己表現が完結する。こうした生産から消費に至る「食」の関係性・総体性が見えにくくなったことに、現代の不幸があり、だからこそ、人々は産直や農家の加工品に魅力を感じる。個性を発見する。個性はそのモノに付着した性質のように見えて、じつは「関係の独自性」の凝縮された表現なのである。

 農家は直接自然にかかわり、日常の仕事、生活のなかで「関係の独自性」=個性的な環境をつくっていく。

 一枚の田がある。田はその土地(自然)に農家の手が加わってつくられた。田は自然の延長であると同時に農家の延長である。その田を環境として育つイネは一方でワラや根を残して田をつくる。田はイネをつくりイネは田をつくり、その田とイネとの関係を農家がつくり、そのコメを食べて人は自分のからだをつくっている。イネが育つように環境を整えている人間は、イネにとっての環境であり、それを食べる人間にとってイネは環境である。そして、自然も田もイネも人間も、またそのつながりようもそれぞれちがうのだから、環境は個性的なものである。個性的な環境形成力をもつことに農業の特質がある。そして農業・農村は永続性を基本にすえているがゆえに、自然との調和を絶えず志向する。個性的な村の品種と景観がそれを象徴する。

 農家にとって「環境」という言葉はなじまないかもしれない。イネも田もいわば自分のものであり、自分の表現でもあるから、環境とはいいにくい。しかし、そこにこそ、人間にとっての環境の本質が示されている。主体と環境は一つになっていて切り離すことができない。

 環境を外在的、対立的、普遍的なものとして見て対処すれば、環境はゆがむ。環境を要素として「科学的・分析的」にとらえ、個々に改変することによって、「関係の独自性」が断ち切られれば、環境は個性を失う。

 品種が個性的になるということは、そこに大きな環境形成力が秘められていることを意味している。個性的であるほど環境は環境らしくなる。こうしてつくられる農村空間が、都市に働きかける。先月号の主張「人類史の大転換」で「農村空間が時代をリードする」と述べたのは、時代が、人間が、「関係の独自性」にもとづく自然と人間の調和的関係=個性的な環境を求めるように、大きく転換したからである。

 豊かな農村空間づくりに、品種の力を生かしたい。

(農文協論説委員会)


福井県の「ふるさと野菜の会」の取り組みは、「千人の喝采・農」(おくえつ農業・農村フォーラムの記録集実行委員会発行・非売品)所収、小野寺和彦「伝統野菜に“ぼける”」をもとに、とりまとめたものです。なお、本会の活動成果から生まれた「ふくいの伝統野菜」が福井新聞社より発行されました(定価2800円)。


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