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農文協トップ主張 2000年4月号

農村がリードする教育の大改革

―文化をつくる情報が子どもたちを励ます―

目次
◆農協の産直戦略が引き出した地域の潜在力
◆なんだか死ぬのを忘れてやっている
◆産直を軸に広がる自己実現としての労働
◆教育とは文化の伝承
◆「総合的な学習の時間」をつくる生きた情報

 いよいよ4月から教育の大改革にむけた動きが本格化する。2002年から始まる「総合的な学習の時間」を中心とした教育改革への移行にむけ、先生がたはおおわらわだ。

 ここで目指されている教育はどういうものか。要点は三つある。第一に、この「総合的な学習の時間」の教育内容は国や県ではなく、学校で、市町村で決めることになっている。第二に、この「総合的な学習の時間」では、知識を教えるのではなく、子どもが自ら課題を設定しよりよい解決の仕方を学ぶこと、つまり「教育」よりも「学習」に重きが置かれる。そして、第三に、この学習にむけ、地域の人が「社会人先生」になるなど地域と学校のつながりが重視されている。

 地域と学校をつなぐという教育の大改革。どうしてこのような新しい動きが始まったのだろうか。それは、実は農村自身が新しい動きの時代に入ったことと密接に関係している。だから、新しい教育の実現に一番近い位置にあるのは農村の地域なのである。

 農村の新しい動きとは、産直・加工を軸とした地域おこし・産業おこしの大きな広がりである。それが農村がもつ教育力を大きくしているのである。「産直」が「地域」を動かし、「地域」が学校の教育改革を推進する大きな力になる。農村の新しい動きがなぜ教育改革の本質的な要素であるのかを考えてみる。

農協の産直戦略が引き出した地域の潜在力

 まず、農村での新しい動きの特徴を、一つの農協の例でみてみよう。農村の底力を象徴するような元気な農協、それは今年1月号の巻頭特集「後継者が続々生まれる時代が来た!」で紹介されている、群馬県のJA甘楽富岡である。平成6年に、1市4町村をカバーする広域農協として発足したJA甘楽富岡は、およそ5年経過して、販売事業では83億円から110億円突破へ、営農購買事業でも30億円から40億円へと右肩上がりの成長へ転換した。農村ばかりでなく都市においても、リストラばやりの時代にあっては珍しい事例ではあるが、その活動内容をつぶさに見れば、いまの農村にはどこにもある条件を生かした事例なのである。だから、やろうと思えばどこでもできる。

 ここで活躍しているのは高齢者や女性、定年帰農者である。JA甘楽富岡はこうした人たちの力を生かす仕掛けをつくった。実はこれこそが農協が再生する道であり、地域づくりに貢献する道でもあった。平成11年度に農協が組合員に提案した「直販センター出荷者の拡大と『チャレンジ21農業』の普及定着運動の実践についての提案」からそのポイントをみると以下のようである。

 第一に、直売所「食彩館」を舞台に地元消費中心の販売を基本にして、管内総販売高の30%を直販システムに乗せること。第二に、地域を総点検して女性や高齢者という即戦力を発掘し地域農業の担い手に育てること。第三に、中山間地という特徴(標高差が大きいことや未利用資源の多様さなど)を生かして少量多品目・周年出荷をキーワードにした戦略的産地化を目指すこと。以上の三つがポイントになっている。すべて、地域に存在している自然力、人材を生かそうとしている点が特徴である。

 JA甘楽富岡の正組合員はおよそ7000戸、これに対し管内の統計上の農家戸数は4500戸、そして販売農家数は2900戸の地域である(1995年センサス)。つまり、農家戸数から販売農家数を引いた1600戸が自給農家、そして組合員ではあるが農家としてカウントされていない、いわゆる土地持ち農家が2500戸という計算になる。JAでは、この土地持ち農家や自給農家に注目した。こうした農家の女性や定年退職者などのもっている力を積極的に掘り起こすことがすべての源泉であり、そうした人々が加わりやすい場として産直をすえたのである。

なんだか死ぬのを忘れてやっている

 自然の資源、人の資源に依拠した多品目生産・流通である「産直」という場ができると、地域に住む人々、とりわけ女性や定年退職者がとても元気になる。

 「やっぱり宮仕えと農業は全然違いますねぇ。事故の心配しながらヒヤヒヤしてバスの運転してた頃より、やりがいはあるし、自分なりの楽しみを持ちながらできるので最高。自分でもここまでできるとは思ってなかったです。花つくりを始めてから視野も広がった気がするし、なんだか死ぬのを忘れてやっている感じです」と言う新井袈裟雄さん(69歳)は、11年前にバスの運転手を定年でやめて、年寄り向きの花を選んで最初から直売部会に入っている定年帰農組だ。

 参加して2年目の池田ゆき江さん(60歳)は、自分は電子部品の内職をやめ、お父さんも定年で「いよいよ専業農家になる」と意気込んでいる。「食彩館は何でも売れるんです。『こんなふうにお金がとれるところがあったんだー』とすごく勉強になりました。他の人がどんなもの出してるのかと見ると、アケビのツルなんかも出てる。ああなるほどと、私も荒れた畑の樹にからみついてるフジツルをとって、ぐるぐる巻いたものや、カラスウリなんかも出しました」「農業はダメだダメだってみんないうけど、ダメじゃないよね。おもしれえやね。どういうふうにするんかなーって自分で考えて、自分で種播いて……」

 ゴルフ場に行っているだけのお金になればいいなと思って直売部会に入った小板橋直代さん(54歳)は近年の農協の変わりぶりに感激して言う。「極端な話、これは出せばいくらでもお金になる。『明日は7000円出したいな』と思ったら、朝早く起きていっぱい収穫して、自分でバーコード貼って持っていけばそのくらい稼げちゃう。とにかく自分で考えて、自分の都合で出せるのがすごくいい」。自分が気に入っているから、友達の顔を見ると「あんたもやらないか?」と声をかけてまわっているほどだ。

 「このようにみんなが産直を始めると、むらに対話がおきる。そして活気が出てくる。車を運転できない人は運転できる人にお願いして、というふうに『お手伝い講』を組むようになる」と営農事業本部長の黒澤賢治さんはいう。こうして、JA甘楽富岡管内には5年間で1300人が農業にもどってきた。地域で生きよう、楽しく生きようという力がもどってきたのである。

 さて、こうしたことがなぜ教育改革に関係するのだろうか。新しい教育改革は子どもたちの「生きる力」をとりもどしたいというところに中心のねらいがあるのだが、それにはまず、大人たちに「生きる力」が湧いてこなくてははじまらないからである。JA甘楽富岡は産直で「生きる力」をとりかえした。

産直を軸に広がる自己実現としての労働

 産直を取り込んだ農業には、高度経済成長で失った自己を回復する手立てが含まれている。何をどこの直売所で、いくらで売るかは自分の自由である。自然のなかで作物を育てその生産物に手を加えて工夫する楽しみがある。、そうした工夫を積み重ねながら自分を成長させることができる。そして、生産者仲間だけでなく、購入してくれる消費者との新しい仲間づくりができる。そこには会社勤めでは難しかった、自己を実現する働き方がある。それは農業が本来もっている魅力である。

 都市住民の農村への関心の高まりも、癒しの空間としての農村だけではなく、個性的で自己実現する働き方ができる空間として農村を見直すことから生まれている。そこには自然とかかわる労働から生まれる地域固有の文化があるからである。

 高度経済成長は流行と画一化によって、日本の社会の基底にある多くの個性ある文化を喪失させた。個性ある文化は、本来、農家の自然とのかかわりから生まれる個性的な労働と生活としてあったものである。作物や家畜、そして広く自然を観察し働きかける。そして自然から学ぶ。働くことが学ぶことであって、そこには自然・作物と対話交流する「根源的情報処理能力」が働いていた。その地で生きていくために自然に働きかけ、働きかけられるなかで得た「情報」は自己の経験とむらという場でもまれ、形として、技術として、文化として編み出されていく。情報を編集する力がむらにあり、こうして地域固有の日常生活文化がつくられてきたのである。もちろん、この固有の文化の形成には他からの情報も生かされた。自らを失うことなく他からの情報もとり入れて、一層個性的な文化に高めていく。

 ところが、現代文明が強制した大量生産・大量販売の画一化は、文化を非能率なものとして切り離してしまった。地域の文化、すなわち「そこで生きる力」を喪失させてしまった。現代文明における「情報」は画一化を進める圧倒的な力になってしまったのである。「文化」と「情報」とが対立的に見えるのはそのためである。

 しかし、文化の根底には自然と労働から生まれる個性的な情報がある。産直を軸に広がる自己実現としての労働は、情報の価値と中身を変革し、文化をとりもどし創造する原動力になる。そして、それは、教育の大変革の目的に通じ、したがってそれを推進する力になるのである。

教育とは文化の伝承

 教育の荒廃の根源には、文化の喪失がある。文化を失った画一的な情報に子どもたちは振り回され、苦しんでいる。従来の、普遍的な、科学的知識を教える教育だけでは、子どもは育つことができないのである。「生きる力」を育む教育への転換は、「日常生活文化」と子どもたちが結合することをおいては考えられない。

 小松恒夫氏(元「週刊朝日」編集長)は「文化とは人間が頭と体、特に手を使って創造し作り上げる、これを子々孫々に利益なくして伝えていくもの。文明とはその文化を基盤におきながら、工場で生産され、有償で伝えられるもの、お金を取って伝えられるもの」としたうえで「教育とは文化の伝承である」と述べている(「現代農業」91年4月臨時増刊「引き継ぐ教育」6頁)。

 一方、永田恵十郎氏(名古屋大学教授・当時)は「子どもがだめになったのではない。生産と生活の未分化ゆえに成立していた共的領域が、公的領域と私的領域に分化していく過程で子どもたちの“自然との対話”のチャンスが失われた」と指摘している(同158頁)。ここでいう共的領域とはむらであり、むらの日常文化である。これを新しい形で復活する。学校という公的領域が中心となって新しい共的領域をつくり、日常生活文化を継承していくことを教育改革の基本にすえなければならない。

 だから、これからの教育を考えるとき、どうしても、文化をつくりだしてきた自然と労働の情報が欠かせないのである。文化を知識として学ぶだけでなく、それをつくりだしてきた具体的な情報にまでふれて、文化の意味を深めることだ。そうして得られる情報は、自ら考え課題を解決する「学習」の生きた素材になる。

 こうした情報をいかに豊かに準備し提供できるかが、「総合的な学習の時間」を意味あるものにできるかどうかを決定づける。「社会人先生」に活躍してもらい、地域へ出かけていってむらのお年寄りから話を聞いたり技術を教わる。こうして得た情報を自分なりに整理し、文化の形を描いていく。そんな「総合的な学習の時間」をつくりあげていくうえで、学校の先生たちが頼りにしているのは、むらの高齢者である。

 特に、昭和一桁世代の高齢者は自分の幼少年期、田畑で手伝い働きしながら遊び、山川で群れて遊び、自然を相手に手や頭を鍛えてきた最後の世代である。鳥取市の西岡一成さんは、「このままの川や田んぼでは孫には渡せん」と考えている(「現代農業」94年12月号62頁「川をきれいにしたかった できた米は特栽米」)。西岡さんに限らず、昭和一桁世代は女性の産直活動と一緒になって暗い村を明るい村に変えている中心世代である。戦後すぐの青年による村づくり運動も、高度成長時代の壮年によるイナ作技術運動もすべて経験してきた世代である。しかし、子育て期に地域の文化を継承することは十分にできていなかった。むしろ、子どもが遊び学び育つ場を壊してきてしまった。そうした内省の念ともう一度社会に貢献したいという思いに駆られている人が多い。その思いを生かせるような絶好の機会が文部省によって用意されたのである。

「総合的な学習の時間」をつくる生きた情報

 農文協が、「現代農業」「日本の食生活全集」「農業技術大系」などを電子化し、地域で生きていくうえでの情報を得やすいようにしたのも、この教育改革を今後の日本社会を左右する重大事としてとらえ、これを支援したいと考えたからである。

 「現代農業」は農家に学び、農家の思いとともに農業の技術や自給の知恵を発掘し、広げてきた日常生活・生産文化の情報誌である。その「現代農業」がいま教育関係者にも多く読まれるようになってきた。次の文章は千葉県我孫子市に住む古高利男さんからの投書である。

 「私は、土とは無関係な仕事――小学校の教師として働いている。教師には縁遠いと思われる『現代農業』を2年間購読していて感じることは、ともに対象を『より良く育てよう』としていることであった。『現代農業』の中には、農作物を作り・工夫し、さらに良いものを育てていこうとする気概が充満している。そして、農業とともに人間社会も発展させようとする視点は、21世紀社会への理念であると思う。『育てる夢』を送り込んでくれる情報誌、それが『現代農業』である」

 作物や家畜をよりよく育てることは、作物や家畜によりよく学ぶことである。そんな農業の特質、栽培・飼育という農家の労働は、育て、育てられる関係を子どもたちとの間につくりたいと思っている先生たちの願いと相通じる。教えることで自分も成長することが「育てる夢」だ。「現代農業」に登場する農家の知恵と技術は先生がたを励まし、「総合的な学習の時間」をつくる生きた情報である。

 徳島県穴吹町初草小学校は地域の長寿会を中心にしながら新しい学習に取り組んでいる。この学校では「日本の食生活全集データベース」などの食・農データベースと地域での聞書きで調べ上げた事柄を組み合わせて、学校と地域の将来のための教材をつくり上げようとしている。(詳しくは農文協刊「自然と人間を結ぶ・農村文化運動1551『自分の本』をつくる情報革命がはじまった」をごらんください)

 「日本の食生活全集」はお年寄りからの聞書きで昭和初期の食生活を記述したもので、そこに描かれているのは、その家の食生活である。家族の健康と1年間を見通したばあちゃんの食のしくみ方と技術が淡々と記述されているこの「食生活全集」を、小説家の富岡多恵子氏は「ブンガク」として読んだといい、大学の研究者は食研究の一級の一次資料として活用している。大学の先生や学生と同じ情報を小学生が得て、それなりに考えをめぐらす。これも「総合的な学習の時間」の醍醐味である。科学的知識は段階をふまえなければ獲得できないが、自然と労働の具体的な情報は、知識水準を超えて、それぞれにインパクトを与える。そのことが、科学する力をも育てるのである。そのとき、いわば科学の側から作物の来歴や栽培・利用の歴史、生理や形態を体系的にとりまとめた「農業技術大系」の情報が生きてくる。


 昭和一桁世代が自分の経験と叡智と気概を発揮して「人づくり運動」=「子どもが育つ環境整備運動」をする時代がやってきた。そして学校・地域ごとに特徴のある教材・教科書をつくる時代になった。地域の農家が、そして読者が応援すれば地域からの教育大改革は必ず成功する。

(農文協論説委員会)

【注】農文協ではインターネット上に「食農教育」の情報交流コーナーを3月に公開する予定である。「現代農業」をはじめ、「食生活全集」「農業技術大系」「病害虫診断防除編」のデータを収録。ここに入ると地域ごと、作目ごとに農家がどういう課題を抱え、どう工夫しているのかを読み取り、地域にあった情報を集めて本にすることも可能だ。URL=http://lib.ruralnet.or.jp/snk/


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