主張
ルーラルネットへ ルーラル電子図書館 食農ネット 田舎の本屋さん
農文協トップ主張 1986年10月

深耕方式はヨーロッパの「地方技術」
日本の浅耕方法を見直そう

目次

◆おじいさんの深耕批判「堆肥は土の表面に施せ」
◆深耕は根と微生物による土つくりを妨害する
◆土は上からつくられる
◆深耕、有機物投入はヨーロッパの地方技術
◆日本の伝統的表層管理技術に学ぶ

“土つくり”といえば田畑を深く耕し有機物を大量に施すことだと考えられている。“土つくり運動”の大半はそう主張しているし、消費者団体も知ってか知らずかそれをう飲みにしている。

 だが農家の側からみれば土を深く耕すには大きな機械が必要だし、有機物を大量に施すには材料の確保から堆肥の切り返し、田畑への散布までずいぶん手間と金がかかる。それだけの金と手間をかけられる農家は日本中にどれだけいるだろうか。

 実際には深耕・有機物施用という土つくりをやる人は少ない。実際にやる人は少ないが、しかしみんなそうした土つくりをやらなければならないと思い込んでいる。やらなければならないと思っていることをやらないのだから、自分はダメな農家だと思う。周りからもそうみられる。なにより消費者がそういう。「土は生きています。有機物をたくさん使って安全でおいしい野菜をつくってください」などといった声高な消費者の声がマスコミから流れると、自分の農業は土をいじめているように見えてきて、ますます自信がなくなってくる。

 果たしてそんなものかどうか、今月は、そうした「ダメ農家」といわれる人々の立場に立って土つくりというものを考えてみたいと思う。消費者団体の人たちも、聞く耳をもってもらいたい。

おじいさんの深耕批判「堆肥は土の表面に施せ」

 愛知県に住む六助じいさんは、おばあさんと二人で七〇歳を越えるまでメロンをつくってきた。年寄り二人では深耕も有機物の多施用もとうていできない。今の土つくりからみれば年寄りは皆、「ダメ農家」になってしまう。しかし六助じいさんのメロンの出来はいつもすばらしく、反当収益は毎年農協のトップクラスだ。

 六助じいさんはいう。「堆肥を土にいける(埋め込む)のはいかん。堆肥は土の表面に施すものだ。土を深く耕すのもいかん。そんなことは土木工事の仕事で、百姓のやる仕事とはちがう。」

 畑の中の土を動かすことを、六助じいさんはとても嫌う。その代わり、土の表面はよく手入れする。ウネにはメロンの株元を中心に幅八〇cmに堆肥を敷き、さらにワラマルチを敷く。そして収穫後には、堆肥やワラマルチ、さらに残ったツルや雑草を、ウネの横に浅い溝を切って入れる。こうして腐らせ、来年の株元への堆肥として使う。使う有機物は敷ワラに使うワラだけであり、それが畑で堆肥化され、だんだん土に入っていくというしくみだ。「上から施す」のが堆肥だ。

 さて、六助じいさんのやり方と深耕・有機物施用の土つくりとでは、なにがちがうのだろうか。

 有機物を土の中に入れると栽培がむずかしくなると六助じいさんはいう。土の中への有機物のすき込みは土に与える衝撃が大きいからだ。有機物は微生物のエサになり微生物をふやすといえば聞こえはいいが、それは一面では微生物相をカクランすることでもある。微生物が急速にふえる場合は土の中の酸素や養分を奪いとるから、根が酸素不足や養分不足の害をうける。ふえた微生物が病原菌なら土壌病害がでやすくなる。だから、有機物の質(腐熟程度)に気をつけなければならないし、また酸素不足を防ぐには耕うんで空気を土に充分送り込んでおかなければならない。つまるところ、有機物を土の中に入れようとするから、いろいろめんどうなことになるのだ。

 その点、表面施用なら微生物の急激な変化は起こらず、害はでにくい。

 そのうえ、有機物の表面利用は、根を守る働きが大きい。作物の根は表層に多く張るものだが、有機物のマルチは、表層の土が固まるのを防ぎ、土の乾湿をやわらげ、根を守ってくれる。また、有機物やそこで繁殖した微生物が供給してくれる養分は、雨やかん水などによって土の中に浸み込み、表層の根に効果的に利用される。深く耕して有機物を土の中に施したら、こうした多様な効果は出てこない。

深耕は根と微生物による土つくりを妨害する

 イネつくりでは、一寸一石という言葉がある。一石(一五〇kg)増収するには耕土を一寸(三cm)深くしなければならないという意味で、深耕の大切さをいったものである。かつてイネの多収穫競争が行なわれていたころ、深耕と堆肥の多用でイナ作日本一に輝いた精農家が少なくなかった。イナ作日本一の農家の調査にあたった指導者や研究者は、その農家の土つくりにかける意欲に魅了され、深耕の大事さを大いに世間に広めた(深耕せずに日本一になった農家もいたが、そのことの意味はあまり検討されず「深耕していればもっととれただろう」という評価が支配的だった)。こうして指導者と精農家は一致して深耕を信仰するようになった。

 私たちは、深く耕すことに意味がないとは思わない。ただ、いつでも、どこでも、どの農家にとっても深耕することに意味があるかどうかという点に疑問を持っている。

 深く耕すこととまったく逆に、田畑を耕さないやり方がある。不耕起栽培である。不耕起(無耕起)のよさについて兵庫県・井原豊さんはこんなふうにいう。 

「無耕起栽培はやってみると案外好成績があがる。耕起しなければ空気が土に入らないだろうと思いがちだが、無耕起は案外通気がよいのである。それは、前作の根の腐り跡がパイプの役目を果たし、雨水の通路となったり、空気のパイプとなったりするからである。雨水の通ったあと空気が追いかけるのである。ところが、耕起するとこのパイプをぶっつぶす。ていねいに細かく耕すほどパイプがなくなる」―井原豊著『野菜のビックリ教室』(農文協刊)より-。

 六助じいさんが土を深く耕そうとしないのも、それが土の構造をこわすことになるからだ。深く耕せばたしかに土はフワッとする。しかし雨がふり時間がたてば、土は固まってくる。せっかく張った根も弱ってくる。それを防ぐためには有機物を多量に土に施さなければならないことになる。

 有機物の使い方と耕し方は大いに関係している。有機物を多く土に施そうとするから深耕が必要になり、深耕しようとするから多量の有機物が必要になる。有機物と耕し方の関係はそういうジレンマなのだ。そんな「あちらを立てればこちらが立たない」ような関係は労力がいるだけで、とてもやりきれないから、六助じいさんは深く耕さず、有機物も土の中に入れようとはしない。

土は上からつくられる

 深耕・有機物施用の土つくりは、土をカクランするし人をカクランする。どこかにムリがかかる。そのムリはつまり、土をいきなりからよくしようというところからきている。

 六助じいさんのやり方は、土を上から少しずつよくしていくやり方だ。いま声高に叫ばれている土つくりは土を中からよくしようとする。しかし、もともと土は上からつくられてきたものではないか。土は自然がつくったものである。それは地球表面の岩石と大気との接触面においてつくられた。土は上からつくられたのである

 墓石にコケのような小さな植物が生えているのを見かけることがある。その部分をほじくってみると、わずかながら土ができ上がっている。コケ(自然)は岩をとかし、岩石を土に変える力がある。雨や風、大気の温度変化などによって岩石は少しずつ砕かれ、こうしてできたわずかなすき間には小さな植物が生える。植物の根は自ら有機酸などの分泌物をだして岩石を溶かしていく。その植物の遺体は微生物によって分解され、土になっていく。

 根と微生物が土をつくっていく。そのことは農耕地においても変わりはない。

 作物の根は膨大な量に及ぶ。播種後四ヵ月たったライムギの根を調べた結果によると、一株のライムギは一四三本の主根と一三〇〇万本の側根から成っていた。

 これらの根をつなぎ合わせると、新幹線の東京から大阪までの距離よりまだ長い。根の表面積は二三七平方mでタタミで一四四畳分、さらに細根からは無数の根毛がでており、その数は一〇〇億本以上と推定されている。

 土にはりめぐらされた根からはさまざまなものが分泌される。根はペクチンのような粘着性のある物質を分泌し、それによって土の粒子と粒子がくっつき土の団粒化が進む。また根の分泌物や残根は微生物のエサになり、多様な微生物が繁殖する。微生物は残根を分解して有機物を作物に利用されやすい形にするが、それだけでなく、やはり粘着物質をだして土の団粒化を促進する。

 根が土を耕し、微生物が土を耕す。土は上からつくられる。上からつくられた土と、深耕・有機物施用でつくられた土では、その中身はちがってくるであろう。

 上からつくられた土は、たいへん多様な性質をもつ状態になる。根は太い根、細い根、根毛といろいろあるのだから、その働きかけによってつくられる土の構造も複雑になる。大きな団粒もあれば小さな団粒もあり、水や空気もさまざまなすき間に入り込み、入り込んだ水や空気は作物の必要にいろいろな形で応じてくれる。微生物も、好気性のものや嫌気性のものなど、いろいろなものが住み分けられる。そうなると、特定の悪い菌がはびこる余地は少ない。

 それに対し、深耕・有機物施用の土は、その構造が均一化しやすい。空気や水の状態も均一化する。その均一化がそれなりの範囲なら、養水分の吸収はうまくいって作物はよく育つ。しかし、均一であるだけにその許容範囲はせまい。ちょっとでもはずれたときには、根はすぐに弱ってくる。有機物を多用しているハウス産地で根を調べたところ、土の中が乾きすぎていて根が張っていないハウスが多かったという報告もある。有機物が多いから微生物も多くはなるが、その種類は特定のものにかたよりがちになる。水や空気、微生物の状態の変動が大きく、それをプラスとして生かせればよいが、マイナスになる危険性も大きい。そのことが栽培をむずかしくする。

深耕・有機物投入はヨーロッパの地方技術

 ところで、日本の伝統的な農業技術について調べてみると、意外なことに、そこには、深耕・有機物施用で土をつくるというやり方は少ない。

 日本の昔ながらの農業は耨耕《じょくこう》農法といわれている。耨耕とは手鍬を使った農業という意味だ。手鍬だから土を深く耕すことはできない。土の表層をいじくるだけのやり方だから、ヨーロッパの家畜を使ってスキで深く起こすやり方からみれば、とても「おくれた」やり方だということになる。明治以降、ヨーロッパの「近代農法」を学んできた先生方は、日本の耨耕農法を嘆き、深く耕すことを推奨した。しかし、耨耕農法はおくれたやり方ではなくて伝統的につづけられてきた、風土に応じたやり方だったのだ。

 最近、世界的に、不耕起栽培の見直しがひとつのブームになっている。とくにアメリカの畑作地帯ではそうだ。耕された土は風にとばされやすく、また乾きやすい。地下水の枯渇が進行しているなかでは、かん水を充分にやることもできない。さらに耕すことは有機物の消耗を早める。こうしたことから、不耕起が注目されてきている。

 アメリカの農業は、伝統的なヨーロッパ(イギリス)農法のやり方を受けついだものである。ヨーロッパといえばスキで深く起こすことを基本とした農業の伝統をもつ。しかし、このやり方はアメリカにはあわない。風土の条件がちがうからである。ヨーロッパの農業は畜産と結びついた農業であり、大量のきゅう肥が耕地に入れられる。きゅう肥を畑に入れるために深耕が必要だったという面もある。しかもヨーロッパの気候は冷涼で有機物の分解はゆっくりすすむ。有機物の分解を促し効果を引きだすためにも、耕うんは大事な仕事になる。

 それはそれで風土に合ったやり方だ。しかし、この深耕・有機物大量投入方式はヨーロッパ風土から生まれた一つの地方技術なのである。これを全世界に通用する普遍的な技術とすることはむずかしい。

 アメリカの畑作農業は(そして日本の農業も)畜産との結びつきは弱く、また気候の条件からみても有機物は分解しやすい。そんな条件を無視して耕うんという方法だけをとり入れれば、有機物は消耗し土は荒廃する。

日本の伝統的表層管理技術に学ぶ

 日本の昔の農家には大型の家畜はおらず、きゅう肥を利用するという伝統もない。「きゅう肥が余る」からではなく、肥料が少ないから糞を利用した。日本には山があり水田があった。水田は水利用の巧みな技術をもたらし、山の活用は、巧みな土の表層管理技術を生みだした。粗放的な不耕起栽培ではなく、上手に手が加えられた浅耕(耨耕)栽培、それが日本の伝統的技術である。

 有機物といえば山や平地林、田畑のまわりの草や落葉、それに作物の茎葉などであり、それは主に刈敷、敷ワラとして利用される。つまり表面施用が中心だった。刈敷、敷ワラは作物の株元のまわりに敷かれ、根を守る役目を果たす。そうして根を守るために使われた有機物はやがて土に入り土を上からよくしていく。敷ワラはまた土の流亡を防ぎ、雑草の防止にもつながっていた。ヨーロッパではスキ起こしによる土の反転で雑草の種子を下に入れて発芽を防ぐという方法がとられていたのに対し、日本では適度に雑草を生やし、それを生かそうとしていたフシがある。

 中耕除草はつらい仕事ではあったが、刈りとられた雑草は有機物源にもなっていたし、その根は土を耕し、また今話題の菌根菌など有効微生物をふやす働きもしていた。

 敷ワラといい中耕除草といい、日本の風土にあったすぐれた土の表層管理とみることができる。

 深耕・有機物大量施用という、指導者・消費者の大合唱を疑ってみよう。そして、納得のできる有機物利用の方法を考えてみよう。今月号には、そうした知恵と工夫に役立つ情報をたくさん集めた。ぜひ試していただきたい。

 -日本における耨耕農法のもつ意味については、今回は十分に論じ切れなかった。改めてくわしく発表したい。多くの御批判をおもちの方もおられると思います。皆様のご意見をお待ちします。

(農文協論説委員会)

前月の主張を読む 次月の主張を読む