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農文協トップ主張 1986年11月

都会の子に餅つきは必要か
「農業の教育力」を考える

目次
「たくらみ」で教育はがんじがらめだ 
◆子どもの社会に感動がなくなった 
◆たくらんだ教育は行きづまる 
◆子どもたちが流す涙の意味
◆農業の教育力と「都市の教育力」

「農業の教育力」を考える

 「教育」とひとことでいうけれども、じつは、ずいぶん中味のちがった、二つの種類の教育が、人間の世界にはある。

 一つは、教育しているなんて少しも思っていないのに、いつのまにか、誰かが誰かを教育しているという教育。そこには、なんのたくらみもない。

 もう一つは、やたらと教育の目的や方法、技術を問題にして、その方法や技術が目的を達成したかどうかを問うばかりの教育。たくらみの多い教育だ。

 たくらまない教育とたくらむ教育、この二つがある。

 たくらむ教育の代表は昨今の学校教育である。市町村が行なう社会教育もそれに追従している。

 たくらまない教育の代表は、本来は家庭の中にあった。子は親の背中をみて育つ。むろん学校教育でも、教室の授業の上手下手を超えて、その先生の丸ごとの人格が教育力をもつ例はある。人格が自然にかもし出す、たくらむことのない教育。

性急に、どちらがよくてどちらが悪いというのではないが、いまの日本では、たくらんだ教育の力があまりに強いのではないだろうか。たくらまない教育の力がたいへん弱くなってきている。

“たくらみ”で教育はがんじがらめだ

 「たくらんだ教育」がなぜ、いまの日本の教育の主流になっているのだろうか。一つの理由は、明治以来の日本の近代化のあり方にある。

 明治以前には、学校教育はなかった。武家は子弟を武士にするために、商家は子弟を商人にするために、それぞれの家訓をもって子育てをした。

 家訓といっても、こうせよ・こうするなという数カ条があるだけで、巧妙なたくらみがあったわけではない。大方は親のやり方をみて育っていったのだろう。そして武家でも商家でもない一般庶民は、「他人様≪ひとさま≫にめいわくをかけるな」とか「曲ったことをするな」というような、単純明快な人間丸ごとの哲学で子弟を育てあげてきたのだろう。

 明治以降、日本は曲りなりにも近代化の道をすすみ、村々で義務的な学校教育がはじまった。教育に国家の意志が入りこんできたのである。そして、明治政府は、なによりも富国強兵を国是にしたから、学校教育にも、国を富ますための、強い国をつくるための人材をつくるという目標が生まれてきた。教育に目標ができれば、そこには“たくらみ”が必ず生まれる。時代が大正・昭和とすすむと、たくらみは、軍国主義・国家主義を広く国民一般の思潮にするという一点にしぼられた。

 戦後は「民主主義」の時代である。「民主教育」もたくらんだ教育であることにかわりはない。ただ、民主主義は人間を大切にするはずの主義なのだから、教育にも、人間丸ごとの教育が導入されてしかるべきだった。たくらんだ教育とたくらまない教育が、車の両輪のようになって進んでいけばよかったのだ。

 戦後教育は、占領者であるアメリカの指導でスタートした。アメリカの教育の一つの根幹は、緻密なカリキュラム(教育課程)の編成にある。なにをどう教えるかをこまかく定める。そして教育技術の研究と開発ばかりが先に立つ。こうした戦後教育の出発のしかたに、たくらんだ教育が戦後教育の主流になってきた第二の理由がある。

 高度経済成長期に入ると、それはさまざまな教育機器の開発につながり、教育現場での人間丸ごとのぶつかりあいがますます影をうすめてきた。カリキュラムと機器の双方からの“たくらみ”に、教育はがんじがらめにされている。

子供の社会に感動がなくなった

 一方に、たくらまない教育がある。教育しているなんて少しも思っていないのに、いつのまにか誰かが誰かを教育している教育。

 たくらむ教育には目的があり、しかけがあり、もくろみがあるが、たくらまない教育には、しかけも、もくろみも、目的もない。「門前の小僧、経を習う」という、なりゆきの教育だ。親がまじめに生きている。子はその姿から生きるとはどういうことかを学ぶ。村の中(地域)で、人々がたすけあって働き、ときに楽しみあって生きている。子どもたちはそういう大人たちをみていて、みんなで生きていくとはどういうことかを学ぶ。

 この種の教育では、誰かが誰かを教育するのでなくて、なにかが誰かを教育することもある。「雪がコンコン降る。/人間は、/その下で暮しているのです。」昭和二十六年に刊行された『山びこ学校』にでている詩である。小学校二年生の子に、人間の暮らしというものを一気に丸ごと悟らせる教育の力が、雪にはある。逆からいえば、雪に感動してそれだけのことを悟る能力を、人間は本来持っていた。

 いま、人間は感動する機会を失ってしまっている。教育はとかく知識のつめこみに陥り、感動抜きに知識としてモノを知るくせばかりが身についていく。そこにテレビ番組がおしきせの“感動”を配給する。人間が自分自身で感動する機会が少なくなった分だけ、たくらまない教育の力は弱くなった。そしてたくらむ教育の力が強くなった。

たくらんだ教育は行きづまる

 ちかごろ、「農業の教育力」とか、「自然の教育力」とかが注目されている。果してそういうものがあるのだろうか。あるとすれば、それはまちがいなく“たくらまない”ほうの教育だ。自然がたくらむはずがない。

 農業や自然に教育力というものがあるとして、いまそれが注目されているのは、たくらんだ教育が行きづまってきているからである。学校に暴力沙汰が絶えない。学校教育があまりにもたくらんだ教育になってきたことへの子どもたちの反逆である。だが学校は原因を家庭教育のありかたにすりかえる。

 もっとも、家庭教育もまた、残念ながら“たくらみ”にあふれてきた。毎日勤勉に働きに出て帰ってくる父親の背中には、疲れの影がみえるだけ。一方に教育ママ。学歴のエスカレーターに子を乗せようとする“たくらみ”のかたまりだ。

 都会には人が住むことでおのずとできあがっていく地域(村)というものがない。住居と交通の過密によって、原っぱも森も失われ、大人たちによって“たくらまれた”公園や児童館だけがある。老人たち、大人たち、上級生、下級生という各世代の日々のふれあいの中にあるたくらまない教育にかわって、青少年対策地区委員会などといった管理優先の地域組織だけがある。

子どもたちが流す涙の意味

 そのような劣悪な都会の教育環境からの一時的脱出のために、農業の教育力、自然の教育力なるものの力を借りようという動きがみられるようのなった。いったいなにを農業・自然に期待しているのか。

 素朴・純朴な農家の人たちに触れることで、勉学につかれた子どもたちを癒したい。美しい自然の中で感動する心をとりもどさせたい。ふだん見ることも聞くこともできない農村・農業というものを理解させたい―等々。

 だが、それもまたゆがみがちな子どもの心を正そうとする大人たちの手によってたくらまれた教育の一つである。たくらむことがわるいのではない。だが、たくらんだことを是認していなくてはならない。

農場体験の学習の一コマ。

 あらかじめツルを除けたサツマイモ畑に入って子どもたちは手袋をしてイモを掘る。“働いた”あとのごはんはなんでもよく喉を通る。牛舎の糞出しも一回限りではスポーツのうち。お祭りのようにはしゃいで餅をつく。手伝った気分でついた餅はうまい。そんな“体験”を二、三日やって帰るときには別れの涙。

 涙にうそはないだろう。これこそ農業の、自然の教育力のなせるワザ。自然は子どもらを、素直に感動を受け入れる人間として復活させた―。体験学習の記録には、よくこうしたまとめがされている。たくらみ―期待はみごとに実現したということになるのかもしれない。

 それにしても、子どもたちはなにゆえにこのうわっつらな体験にさえ感動の涙を流すのか。たくらんだ側は、そこをよくよく考えなけれがならない。

 それは、農家の人たちが、たくらんだ教師や親の立場でなく、丸ごとの人間として子どもたちとつきあったからだ。イモや餅や牛の背後に、子どもたちは農家を、農村を、自然を、丸ごと感じている。それが涙になる。

農業の教育力と「都市の教育力」

 もし農業に教育力があるとすれば、それは決してたくらんで出てくる力ではなく、農業が農業である限り持っている独自の性質から出てくる力である。

 農業がたくまずして持っている教育力。それには三つの要素がある。第一に農家の暮らしのあり方。農家とは、異なった世代が協力しあって農の営みを保ちつづけていく人間の生活の単位である。農の営みとは、生産と生活が分離せずに、人間が丸ごとの人間として生きられる営みである。

 第二に自然と人間のつきあいのあり方。農家はいつも自然に働きかけているわけだが、その働きかけは、自然の全体をいつも見ていなければできない。イネの苗を育てているとき、秋の収穫までのイネの生育の全過程を頭に置いていなければ育てられない。農業の労働は日々を積み重ねて成り立つ労働だから、分業をすることができない労働なのだ。

 第三に農村の暮しのあり方。農家の連合としての村には、おのずから自治の力が働いている。相互に扶助する力が働いている。自治や扶助の力がなければ、農の営みの基盤である地域の自然を維持し豊かにしていくことができないからだ。

 農家、自然、農村の以上のようなあり方の結果として、農業の教育力はある。そのような農業の教育力を利用する。たくらみに加える。そうしなければならないほどに、都会の家庭の、地域の、学校の教育力はおとろえてきた。

 果してイモを掘り餅をつくことの二、三日で、子どもたちは永続的に感動をとりもどすのだろうか、それはわからない。わからないが、子どもたちの涙に気をよくして、農村体験学習の試みは今後ふえるだろう。学校教育のカリキュラムの中に体験学習が組みこまれるようにさえなる勢いだ。

 そこで、どうしてもはっきりさせておかなければならないことがある。かんじんの農業が農業として、自然が自然として成り立っていられるようにしなければ、やがて農業の教育力そのものがおとろえていくだろうということだ。つまり、農家が農家として健全な営みを保ちつづけていく手だてと保障なしに、農業の教育力だけを利用するというのは、むしがよすぎるということなのだ。

 そしてもう一つ、都会は都会としてみずからの教育力を回復するとこを基本としなければならない。その努力をするなかで、農業・農村も尊重されるようになるだろう。そのときには、農業の教育力と都市の教育力の双方が相乗的な効果をもって現われるだろう。

(農文協論説委員会)

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