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農文協トップ主張 1988年09月

核汚染のない牛乳はカネの力で買えるか
生産調整下の緊急輸入

目次

◆底をつく乳製品在庫、西欧からの緊急輸入
◆原発のない国に汚染乳を押しつけてよいか
◆自然とよりよく生きる人の生活の基盤を壊す原発
◆人間は危険と知ればそれを避けるかもしれないが…
◆原発拒否の30の村は世界につながっている

 牛乳・乳製品といえば、今や日本人にとってもごく日常の飲食物。母親の母乳の出ない赤ちゃんには粉ミルクは命綱そのものであり、生まれて初めて口にするもの。その粉ミルクの甘味原料である乳糖は一〇〇%輸入に頼っている(うち七〇%がオランダ、西独、スウェーデンから)。そのような乳製品に死の灰の影がつきまとっているとしたら……。

底をつく乳製品在庫 西欧からの緊急輸入

 牛乳の消費が伸び始めたのは昨年の四月から。六十二年度全体では前年度比五・三%の伸びを示した。じつに、四年ぶりの需要増だった。にもかかわらず、折からの乳製品過剰在庫削減対策で二年連続の減産計画実施中だったため、六十二年度末の乳製品在庫は需要量の二ヶ月分といわれる適正在庫を大きく割り込んだ。この一〇年来の最低水準に落ち込んでしまったのである。

 この傾向は、今年度四月、五月に入っても変わらず、牛乳の引き続く堅調な需要増、それに伴う乳製品向け生乳処理量の大幅減という事態が続いた。しかもこれは、乳製品の需要も六十二年度は前年度比七%増と大幅に伸びているなかでのできごとだった。夏場をひかえ在庫の底打ちに危機感をつのらせた各乳業メーカーは、政府・農水省や酪農団体にもっと生乳をと叫んでいた。

 こうしたなか農水省は、五月二日脱脂粉乳四〇〇〇tの緊急輸入を決定。畜産振興事業団を通じて五月と六月の二回に分けて放出した。応札は三倍以下の競争率になり、安定指標価格の一五%もの“狂乱価格”がついた。もともと脱粉の不足を二万tと読んでいた乳業メーカーは、たかだか四〇〇〇tの緊急輸入では「焼け石に水」(「日本経済新聞」一九八八年七月三日)と農水省、畜産振興事業団の認識の甘さを非難、再度の緊急輸入を迫っていた。

 七月九日、農水省は九月をめどに脱脂粉乳とバターを各六〇〇〇t緊急輸入すると発表した。

 こうして、農水省が需給調節に大わらわになっている中で浮かび上がってきたのが、放射能汚染の問題だ。緊急輸入を決定した際、日本のある商社筋は「世界的な供給不測で六〇〇〇t輸入できる保証はどこにもない」と語っていた。乳製品不足は日本だけでなく、ほぼ世界中の現象だったからだ。

 ヨーロッパの、チェルノブイリ事故による食糧の汚染は想像以上である。放射能による食品汚染でとりわけ重要なのがセシウムという物質だが、ECではそれまで食品一kg当たりセシウムが一般食品で六〇〇ベクレル、乳幼児食品で三七〇ベクレルという基準だった。それが昨一一月以降、乳製品で一〇〇〇ベクレル、その他の食品で一二五〇ベクレル、飲料水で八百ベクレル、飼料にいたってはなんと二五〇〇ベクレルにしてしまった。

 五月に脱脂粉乳四〇〇〇tの緊急輸入を決めた際、農水省は放射能汚染のことを考え、ニュージーランド、オーストラリアに輸入の打診をした。ところが、ニュージーランドから一二〇〇t確保できたものの、オーストラリアには輸出できるほどの在庫はなかった。二八〇〇t足りない。

 アメリカに打診したところ、酪農廃業計画により在庫減でダメ。残るはヨーロッパ諸国だが、ほとんどの国が程度の差こそあれ、多かれ少なかれ放射能汚染の心配があった。

 そんななかで、「汚染の心配が少ない」と白羽の矢を立てられたのがオランダとイギリスであった。

「チェルノブイリのことがあり、疑いの目でみられないように、できればオセアニア(ニュージーランド、オーストラリア)から全量輸入したいと捜したが、ほしいだけのもの(脱粉)がなかった。しかし量は必要。厳しく確認のうえオランダ、イギリスから輸入する。」(農水省牛乳・乳製品課)ことにしたのであった。

 ところが、緊急輸入されるに先立って乳業メーカーがサンプルを取り寄せ検査したところ、輸入が計画されている「オランダ産脱脂粉乳からは、セシウム134と137を一キロ当たり一〇ベクレル前後、イギリス産からは四〜二〇ベクレル検出した」(「日本農業新聞」一九八八年六月十四日)。

 が、その程度の汚染は「制限値以下」として、ほぼ輸入される見通しとなっている。なんとも残念なことだが、ここでは、その汚染自体の問題もさることながら、もう一つの問題を提起したい。

 乳製品ひっ迫をめぐる農水省の対応からは、需給見通しの破綻が全国民の目の前に明らかになることを恐れ「安全な」粉乳を求めて、世界中を札束を抱えて飛び回る「豊かな国」日本のお役人の姿が見えてくる。

原発のない国に汚染乳を 押しつけてよいか

 だが、私たち日本人は、いくら自分たちが汚染されていない食べものを食べたいからといって、そしてたまさか他所の国にまで出かけて汚染のない食べものを買いつけてくるカネのゆとりがあるからといって、それでこと足れりとしてよいのだろうか。

 先月号のこの「主張」では、いま、日本という国がアメリカ、ソ連、フランスにつぐ世界第四位の原発大国であり、現在三六基の原発が稼動しているが、その一方でこれからますます深刻になる使用ずみ核燃料などの死の灰の、「安全な」処理方法や、たかだか三〇年程度の耐用年数しかない原子炉のその後の処理法などが未確立のままであり、原発は数万年にわたる子孫の財産を盗み取り、「いま」というつかの間に浪費するものであることを明らかにした。

 いままたここで明らかにしなければならないことがある。原発は、未来の財産を盗み取るものであるとともに、同時代の、原発の恩恵になど少しもあずかっていない人びと、原発に拠らずとも自然とともによりよく生きている人びと、さらに自然そのもの、見ようとしなければ見えない、しかし莫大な財産を盗み取り、これまたつかの間に浪費するものである、ということである。

 私たち日本人の、放射能で汚染された食べものを食べたくない、まして子どもたちにも食べさせたくないという心理は当然である。しかし、ほとんど北半球を覆い尽くしたといっても過言ではないチェルノブイリ汚染の中で、日本人がカネの力にあかせて「放射能汚染のないものを」と選り好みする権利はあるのだろうか。

 この、「現代農業」五〇〇号記念号と同時発行の増刊「反核 反原発ふるさと便り―土と潮の声を聞け」で、京都大学原子炉実験所の小出裕章さんはつぎのように述べている。

「日本が拒否した汚染食糧は、これまで原子力を利用してこなかった国々、それゆえに汚染を検査することすら出来ない国々、貧しく食糧に事欠いている国々に押しつけられることになる」。

「国際化」時代に生きる私たち日本人は、そうした国々の人々に思いを馳せなくてよいのだろうか。

 たとえば昨年十一月十六日のNHK特集「放射能汚染食糧―チェルノブイリ事故・二年目の秋」ではつぎのような例を報告している。

「それは西ドイツのバイエルン州で起きた。チェルノブイリ事故後、牛乳から高い濃度のヨウ素131が検出され、出荷停止となった。寿命の短いヨウ素131が減衰するまでの時間をかせぐため、牛乳はチーズに加工された。ところが、ヨウ素のレベルが下がってみると、今度は残留性の高いセシウムに汚染されていることが分かった。結局チーズも出荷できなくなった。だが、問題が残った。加工の過程で大量に生じた汚染粉ミルクをどう処分するのか。

 乳業会社は、二度の出荷禁止ですでに大変な損害を被っていた。そこで彼らは汚染粉ミルクをエジプトやアンゴラへ売りつけることを思いついたのである。幸いこのたくらみは市民グループに察知され、粉ミルクはドイツ連邦政府に没収されることになった。しかし五〇〇〇tあったはずの粉ミルクは三〇〇〇tしか確認できず、残りの二〇〇〇tはどこかへ消えていた」(青山明弘・「汚染食品と原子力時代の生き方」・「技術と人間」・八八年一月号)。

 アンゴラには原発は一基もない。そうした国々が、原発事故によって放射能に汚染された食べものを、原発のある国から押しつけられなければならない道理がどこにあるだろうか。「原子力開発によるデメリットは、誰を措いても原子力を推進している国々こそが連携して負うべきであって、間違っても原子力を選択していない国々に負わせてはならない。したがって、チェルノブイリ事故による汚染は、それが選択可能なものである限り、当のソ連は当然にしても、フランス、日本のような原子力開発に積極的な国々こそが負うべきである」と、小出さんは述べている。思わずしりごみしたくなるような論理だが、私たち日本人はそう言われても仕方のない社会をこれまで選択してきたのだ。

 日本では、食品メーカー、あるいは反原発の市民グループですら、放射能を測定する装置をもっている。しかし、原発を持たない国々には、国家としてすらその装置を持たない国もある。いまこうしている間にも、それらの国々の港では汚染食糧がつぎつぎに陸上げされ、人々の口に入っているだろう。多くは貧しい国々であり、飢えた国である。必死の思いで稼いだ外資と引き換えに、汚染食糧を買わされる人々がいることに、私たちは何の痛みも感じなくてよいだろうか。

自然とよりよく生きる人の生活の基盤を壊す原発

 北欧の国、スウェーデンにはサミ人と呼ばれる先住民がいる(スウェーデンに一万七〇〇〇人、ノルウェー、フィンランド、ソ連のコラ半島に住む者を含めて約六万人)。

 彼らの多くは、トナカイの放牧という伝統的なやり方で暮らしを立ててきた。四月末、東京で開かれた「原発止めよう! 一万人集会」に招かれたサミ人、ポール・ドーイさんは語っている。

「トナカイの子供が生まれる五月が、私たちサミ人の一年の始まりです。七月、生まれたばかりのトナカイの子供の耳に所有者の印をつけます。八月には群れを山に移動させ、十月に屠殺します。そして十一月になるとトナカイをふもとの森に移し、一年が終わります。どれも家族全員で行います。

 トナカイは私たちの主食ですが、肉を食べるだけでなく乳も飲み、乳でチーズもつくります。毛皮を使って服や靴などをつくり、筋は糸に使います。また角でナイフをもつくります」(尾崎博光「チェルノブイリ事故がトナカイを汚染し、そして……」「週間朝日」六月二十四日号)

 酷寒痩薄の、作物栽培には不向きな土地だが、トナカイは冬季ですら天然のコケを食べて育つ。自然の再生産のサイクルの一部を、上手に生かすというか借りるというか、自らもその一部と化したような、放牧というやり方。ところが、その天然の恵みであるはずのコケが、二〇〇〇km離れたチェルノブイリの事故により、とてつもなく高レベルのセシウムによって汚染され、それを食べたトナカイの肉から、一kg当たり平均で八〇〇〇ベクレル、なかには三万ベクレルのセシウムが検出され、食用とすることができなくなった。しかも、そのコケの寿命が二〇〜二五年と長いため、高レベルの汚染が長期間続くという。

 これまで誰の力も借りず、ただ自然の力だけを借りて暮してきたサミ人が、スウェーデン政府の援助によって暮らしていかなければならなくなった。

「このことは、伝統的な生き方で政府から独立してきた先住民としてはつらいことです」とドーイさんは語っている。

 約六万の民族の、その伝統的な生活と文化の基盤を破壊するということは、原発などに拠らずとも、自然とよりよく生きてきた人びとの、生存のための財産すべてを奪い取るに等しいことではないか。

人間は危険と知ればそれを 避けるかもしれないが…

 以上のことは、チェルノブイリ原発の「事故」があらわにしたことである。しかし、事故がなく、「安全に」原発が運転されている限りにおいても、日々原発は自然そのものの財産を奪い続けている。敦賀市縄間地区で、半世紀以上半農半漁の生活を続けてきた磯部甚三さん(78歳)が、「反核 反原発ふるさと便り」の中で語っている。

「昔は、浦底にようけおったナマコがなんで姿を消したんか。私は不思議やで、水産試験場のエライさんに尋ねたことがあるんや。その人が私にいうたですよ。

『磯部さん、大きな声ではいわれんですが、ナマコの卵が海水と一緒に吸い上げられて、一回原子炉のパイプの中を通ったらフ化せんのですよ。卵が死んでしもうてフ化はせんのや』ちゅうわけです。

 そらそうや、ナマコの卵を温っこうしたらあかん。全滅してあたりまえや。それがナマコがおらんようになった原因やったんやね。

 原発がでける前は、毎年十二月十日がナマコ獲りの口開けやった。この口開けから二、三日はよおけ獲れて、地元の漁師が何十万円かも上げてね。そのあとに他の部落の漁師が入ってもええちゅうやり方をしとったんです。それも今は昔語りですなあ。いま、浦底で少し獲れるナマコは外から来たやつですよ。

 原子力発電は危険や、放射性物質は人体に悪影響を及ぼすちゅう話をよお聞きます。人間は危険やと知ったら、それを避けることはでけるかもしれん。そこに近づかんようにするとか、そこに住まなんだらええのや。

 けど、自然界の生きもんはね、そんな危険を知りようもない。そやから、みなどんどん死滅していきよりますよ」

 いま日本全国に建てられている一〇〇万kw級の原発は、一秒間に七〇tもの、水温が周囲の海水より七度上昇した「湯排(廃)水」を放出している。日に広島型原爆三個分のウランを燃やし、電気をつくるということは、放射能ばかりでなく、それほど大量の廃熱を捨てるということなのだ。

 その結果として、海藻も、ナマコも、魚も、やがては死に絶えてしまう。それは自然そのものの財産を盗み取り、それを一〇〇万kwの電力として、クーラーで涼を取ったり、テレビを見たりという「いまだけの便利さ」に変えてしまうことである。

原発拒否の三〇の村は世界につながっている

 原発は、未来を生きる子孫の財産を盗み取り、同時代を生きる、原発の恩恵になど少しもあずかっていない人びと、自然とともによりよく生きている人びと、さら自然そのものの財産を盗み取り、つかの間に浪費する。私たち日本人はその原発が三六基もある社会に生きている。それが工業「先進国」日本の、さらに「国際化」日本の内実である。それを、未来と世界に対する「罪悪」というのは言い過ぎだろうか。この現実をそのままに、「カネはいくらでも出すから安全な食糧を」と他国に要求する国際分業の論理が、本当にいつまでも国際社会に通用するだろうか。

 粉乳の需給がひっ迫したいまでも、北海道の酪農のまち、幌延には周辺町村も含めた猛反対にもかかわらず「核のゴミ捨て場」=高レベル放射性廃棄物貯蔵施設が建設されようとしている。何とも象徴的な話だが、このままでよいわけはない。

 しかしこの日本には、これまで原発やその関連施設を拒否し、農業や漁業で食べものをつくり続けることを選んだ三〇以上もの地域がある。「反核 反原発ふるさと便り」には、その地域の人びとの、自信に満ち満ちた言葉があふれている。先月号の「主張」でもご紹介した高知・窪川の島岡幹夫さんは、「原発は拒否した。これからは窪川の自然を生かした本当の村おこしだ」と夢を語っている。

 その村おこしこそ、世界の人びとと真に手をつなぐことのできる「国際国家」日本建設の道であると、私たちは考える。

(農文協論説委員会)

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