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農文協トップ主張 1988年08月

農村から世界を変える 農家の反原発運動

目次

◆原発からの脱却をめざしはじめた世界の国ぐに
◆国境や時間を越えて子どもを侵す死の灰
◆日本では、農、漁村の人々が原発をはねのけ続けてきた
◆地域に生きることの責任は誰が負うのか

原発からの脱却をめざしはじめた世界の国ぐに

 いまから二年前の一九八六年四月二十六日、ソ連ウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所でおきた原子炉の爆発事故は、世界各国のエネルギー政策のながれを一変させた。

 この事故以後、昨年末までに建設が中止、または棚上げされた原発は世界で二四基にのぼる(ソ連、イタリアが各四基、デンマーク二基、西ドイツ、スペイン、ギリシャ各一基、エジプト六基、アルゼンチン三基、中国二基などである)。

 そして、つい最近では、原発先進国のアメリカで、四年前に完成したニューヨークのショーラム原子力発電所が、一度も操業されずに解体されることになった。住民の反対が強く、自治体が認可を与えなかったためである。この原発は五三億ドル(六六〇〇億円)の巨費を投じて建設されたものの、試運転を行なっただけで廃棄される。

 さらにまた、スウェーデンの議会は、すべての原子力発電所を二〇一〇年までに段階的に廃棄することをめざした法案を、賛成一六〇、反対七〇の圧倒的多数で可決した。現状では、エネルギー消費の約半分を原子力に依存している国での(日本は二七%)、まさに一八〇度の転換ともいえる選択である。

 原子力は、石炭・石油などの化石燃料や、あるいは水力に、やがては完全にとってかわる「未来のエネルギー」だといわれてきた。原子力そのものは、原爆を生みだしたアメリカのマンハッタン計画によってこの世のものとなったのではあるが、その「平和利用」である原子力発電は、人類に明るい未来をもたらすものだといわれてきた。

 しかし、チェルノブイリの原発事故は、原子力というものが、軍事利用であれ「平和利用」であれ、人類に明るい未来をもたらすどころか、悲惨で、絶望的な未来しかもたらさないことを一瞬のうちにあきらかにした。

国境や時間を超えて子どもを侵す死の灰

 ひとたび原発で事故がおきれば、人間の手によって引かれた国境など何の意味もない。

 チェルノブイリの爆発事故によって放出された放射能(死の灰)は、少なくとも広島型原爆の五〇〇発分に相当するという(ビキニの死の灰ですら広島原爆の六〜一〇発分)。その死の灰が、風に乗り、雲となって、全ヨーロッパはおろか、アメリカ、そして八〇〇〇km離れた日本にも降りそそいだ。とくにヨーロッパの汚染は深刻で、異常出産を恐れる妊婦たちの中絶があいつぎ、国際原子力機関(IAEA)の推計でも一〇万から二〇万人にのぼったという。「死の灰」とは、そもそもどういうものだろうか。

「死の灰は、“死んだ灰”ではないのです。ほら、まきがほのおを出してもえたあとで、まっ赤なおきができるでしょう。ウランがもえたときにできる死の灰は、あのおきのようなもので、人間のからだのなかに入っても、まだもえたりくすぶったりしつづけるのですよ。」

「たとえば、ヨウ素131という名のついた放射能は、火の勢いというか毒の強さというか、それがはじめの半分に弱まるのに八日かかり、あと八日たつとそのまた半分になる。これを半減期(はんげんき)が八日、というのです。

 セシウム137は半減期が三〇年、ストロンチウム90は二九年、プルトニウム239は二万四〇〇〇年、ネプツニウム237は二一〇万年といったふうにね」(高木仁三郎「初めて出会う原子力」、反原発新聞一九八八年一月二〇日号)。

「ストロンチウムやセシウムが恐ろしいのは、成長中の子供たちの身体に、どんどん取り入れられ蓄積され、濃縮されるからです。

 子供が成長するとき骨はカルシウムでつくっていくわけですど、そのカルシウムと間違えてストロンチウムを使って骨をつくっていってしまう、ということが起こる。つまり、放射性物質のストロンチウムが骨に固定されて蓄積されるわけです。一生涯、放射能をうけ続けるという恐ろしいことになるわけです」

「とくに子供たちのばあい、どんなに少なく見積もっても、おそらく大人の一〇倍、幼なければ一〇〇倍の危険を持っているんですね」(広瀬隆「チェルノブイリ原発事故から一年」、本誌八七年六月号)。

 事故から二年たついまでも、死の灰の恐怖がやわらぐことはない。つい最近も、赤ちゃんの粉ミルクの原料としてヨーロッパから日本に輸入された粉乳から放射能が検出され、生産調整下の緊急輸入ということとあいまって、大きな問題になりつつある。

 さらに世界の国ぐにが原発からの脱却をめざし始めた背景には、原発で日常的に生み出される死の灰がどうにも処理できないところにきた、ということもあげられる。

 チェルノブイリと同じ一〇〇万kw級の原発は、一日に広島型原爆の三個分のウランを燃やし、一年間にその一〇〇〇発分の死の灰を製造する。その死の灰は、「いつの日にか、ガラスのような固体に変えて地下に埋める」といわれてきたが、その技術が確立する見通しが立っていない。

 いまから一一年前の『現代農業』で、理化学研究所の槌田敦氏はつぎのように指摘している。

「結局、この死の灰は厳重に貯蔵するより仕方がない。死の灰の毒性は一〇〇万年間つづくから、貯蔵期間は一〇〇万年ということになる。貯蔵作業として考えられることは、放射能が洩れ出していないかを毎日調べる、洩れ出しそうになっていたら容器を新しく取り替える、漏れ出してしまったらそれを回収し、また被害が出たら補償するなどだ。

 その作業は誰がするのか。原子力を利用した我々はとっくに死んでいるのだから、一〇〇万年間にわたって我々の子孫は、この作業に強制労働させられることになる。子孫はこの強制労働を拒否できない。拒否すればたちまち放射能が洩れ出して、子孫自身が罰を受けるからである」(一九七七年四月号)

 つまり、原発が生み出す死の灰の処理や貯蔵は、その安全性において、また莫大な経費において、一企業たる電力会社や、あるいは一国家が、いかに「責任もってやる」といっても負い切れるものではない。負い切れるかのように言いつのるのは、処理技術が未確立のまま、原発を見切り発車させた無責任さを覆いかくすための強弁である。

 このようなことをみるとき、多くの国ぐにの多くの人々が、なぜいま、原発の廃止や計画の中止に踏み切っているのかがあきらかになってくる。いまそうしなければ、たとえ幸運にして事故がおきなかったとしても、日々生み出される死の灰が、人類の大きな災厄として降りかかる日が近づいているのだ。

日本では、農・漁村の人々が原発をはねのけ続けてきた

 さて、アメリカ、ソ連、フランスにつぐ原発「先進国」――日本の場合はどうだろうか。

 ことし二月、四国電力伊方原子力発電所の「出力調整試験」(チェルノブイリ原発事故の引金となった試験と同種の試験)の際には、その中止を求めて一万人が四国電力本社前に集まった。

 そして四月二十六日、東京で開かれた「原発止めよう!一万人集会」では、主催者の予想を超えて二万人が集まり、急きょ垂れ幕が「二万人集会」に書きかえられた。

 いずれの場合も、子ども連れの若い母親、青少年、そしてお年寄りの多い集会であった。

 また四月二十七日には、青森県農協青年部協議会、県農協婦人部協議会、農民政治連盟県本部などでつくる「核燃料サイクル施設建設阻止農業者実行委員会」が、施設建設の白紙撤回を求める一四万五九四七人の署名を北村県知事に提出している。

 チェルノブイリの事故をきっかけに、これまでになく広範な人々が、原発や関連施設の建設に反対して立ち上がり始めたのだ。

 ところが残念なことに、わが日本国の政府や電力会社は、世界や国内のこうした声にまるで耳を傾けないどころか、原発に反対する人々を警察力まで動員して「社会の異端者」扱いにしようとしている。四月から五月にかけては、全国紙にたて続けに「原発は必要であり安全だ」という一ページ大の広告が掲載された。

 いま日本で運転中の原発は三六基あり、総出力二八〇〇万kw、全電力の二七%を生産している。このことをもって政府や電力会社は、「安全運転は原発立地の地元で信頼されているし、もはや実績からみてあともどりできない」などというのだが、はたしてそうだろうか。

「原発が三六基」などと聞くと、たしかに「もうそれだけできてしまったのか」という気はする。しかし、それを原発がある場所の数でみると、全国で一五カ所である(つまり同じ場所に、二号基、三号基とたてられている)。

 そしてマスコミは、すでに原発ができてしまった場所だけをとり上げがちだが、全国ではこの二〇年間に、その倍以上の三〇カ所近くで原発が拒否され続けてきたのだ。

 そのほとんどの場所が、都市から離れた農村であり漁村である。

 つい最近では、三月二十日に四国電力の原発候補地となっていた高知県窪川町の町長選で、原発反対をかかげた新しい町長が当選した。窪川町は日本最後の清流といわれる四万十川が流れる農業のまちである。この選挙で、一九八〇年(昭和五十五年)以来の、町を二分した賛成・反対の論議に結着がつけられた。

 またその一〇日後の三月三十日には、和歌山県日高町で、関西電力が計画している原発をめぐり、地元の漁協が建設の前提となる海上事前調査を受け入れる議案を廃案にし、原発立地は白紙状態となった。これは、原発の候補地となって以来、二〇年目のことである。日高は、みかんで名高い有田のとなり町であり、多くのみかん農家も原発ができることに反対してきた。

 二〇年前といえば、むろんスリーマイルやチェルノブイリの事故がおきる前で、「日本の片すみ」の原発反対運動に、いまほど注目する人はいなかった。しかし、計画にあげられた地元では、農漁民による静かな反対運動が続けられたのである。そこには、外から反対を唱える以上に困難な面があった。

 この時代は、減反や二〇〇カイリ問題にみられるような、農業・漁業の不振・危機の時代の始まりであり、誰もが地域の未来に不安を抱き始めたころでもあった。そして、原発の候補地となるのは、ほとんど例外なく大都市から離れ、海に面し、三方を山に囲まれた交通の便の悪い「過疎地」である(そのこと自体が原発の危険性を物語る)。

 そうした地域にいったん原発ができることになれば巨額のカネが流れ込んでくる。たとえば一〇〇万kw級の原発の場合、建設までに約五〇〇〇億円を要する。完成後、固定資産税は年間二〇億円近くにものぼる。そのほか原発建設促進のために作られた電源三法交付金は五年間で約三五億円。「原発ができれば道路も関連工場もできて地元雇用も増え、人口も増える」と、電力会社は宣伝する。

 農業や林業、そして漁業の先行きを暗くする政治がつづく中で、このカネの魅力をはねのけることは容易なことではなかったはずである。

 三〇カ所の人々は、どのような考えで原発をはねのけ続けてきたのだろうか。

地域に生きることの責任は誰が負うのか

 窪川町の酪農家、島岡幹夫さんは、原発に反対する理由をつぎのように述べている。

「窪川町は県下有数の農業の町である。生命を生み育てる農業や畜産と原発は絶対的に共存できない。微量放射能でも環境破壊がおきる。

 原発を設置することで社会環境の破壊が生じる。労働者の就労の場が確保できても、地域産業従事者との間に較差やトラブルを生み、とくに一次産業従事者が離職して町が衰退する。風俗や社会秩序、教育が乱れる。原発が設置された町の住人ということで将来子弟の結婚等に差別が生じる。

 原発より年間一〇〜一五億の収入が得られても、一〇〇億の一次産業が衰退し農畜産物が売れなくなったら被害額が大きい。年間一〇億程度の収入は村おこし町おこしをすれば十分増やすことができる」

 電力会社は、地域にカネをもってくることはできても、地域の秩序の乱れや結婚差別などの、「暮らしの場所」としての地域の荒廃にまで責任はもてない。

 人が長い時間をかけてつくりあげてきた「暮らしの場所」としての地域は、一企業の力で破壊することはできる。しかし、新たにつくり出すことはできない。

「暮らしの場所」として、地域の未来を見通すところから原発に反対する。地域を、人が暮らし続けるにふさわしい場所にしていくには、自然を生かし自然と折り合った村おこし、町おこししかないという考えである。

 一方、東北電力の原発候補地となった福島県浪江町棚塩地区の農家は、この二〇年間、

 一 原発に土地は売らない

 二 県、町、開発公社とは話し合わない

 三 他党と共闘しない(注……地区の原発反対同盟を「党」になぞらえ、外部の既成政党とは共闘しないという意味)

という三原則に立った反対運動を続けてきた。この三原則を提案した農家は、「私だって日本国民の一員だ。法を守る義務がある。だから、三里塚みたいに学生が押しかけて血が流れてはまずい。法を犯さないで百姓にできる一番強い方法は何か。地権者が肝心の土地や共有林を手放さなければ、学生に応援を頼まなくても反対はできるんだ」と話している(西山明『原発症候群』批評社)。

 土地を売らないだけの、静かなたたかい。しかし静かなたたかいだからこそ、そこに暮らし続け、農業をやり続けながら、二〇年も原発をはねのけ続けることができた。また、そこに暮らし続け、農業をやり続けることそのものが地域に原発をつくらせなかったともいえる。

 反対同盟の会長であり、また町の農業委員でもある舛倉隆さん(七四歳)は、つぎのようにも語っている。

「原子炉の安全性や放射線の子孫への影響など、人類の未来に責任を負える原子力の体制はない。この村で暮らそうという人間に責任をとれない原発は不要なんだ」

 この村で暮らし続けるというところから、原発をとらえる。そして、暮らし続ける人間に責任をとれない原発はいらないという。

 その原発のとらえ方は、いま、都市にわきおこってきた反原発運動の高まりをささえる女性たちのとらえ方と同じである。

 女性たちは子どもを生みつづける。子を生みつづけることと、村で自然と交流しながら食べものをつくりつづけること、この二つは同じである。ともに、原発の「いまだけの便利さ」のために、未来の暮らしを売ることを拒否する営みである。いま、それぞれの原発のとらえ方から、守るべき人間の営みの根本とは何かがあきらかになってくる。

 世界にふりそそいだチェルノブイリの死の灰は、ひとたび原発の事故がおきれば都市も農村も、人間の手で引かれた国境も、そして原発の賛成派も反対派も関係なく深刻な影響をあたえることを示した。

 だとすれば、この地球全体が窪川や浪江の人たちが暮らし続けようとした「この町この村」である。そしてこの町この村に原発があり、動き続けるということになれば、それは「暮らしの場所」から、何としても、中止を求め、停止を求めるしかないではないか。

 農文協では、農・漁業全体の危機・不振の中で、自分たちの地域の未来を原発に託さなかった全国三〇カ所の農・漁村の存在を明らかにし、その意味をさらに深く考えるため、八月上旬、別冊『現代農業』「ふるさとの原子力発電所―土と潮と未来の子らと」(仮題)を発行します。一人でも多くの方に読んでいただけるよう、読者の皆さんのご協力をお願いします。

(農文協論説委員会)

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