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農文協トップ主張 1992年06月

防除の指導の新しい段階
高齢化農業と環境保全型農業を結合しよう

目次

◆農家の高齢化は防除指導の「個性化」を求めている
◆「身体性」は作業改善を求めている
◆「個性化」と「地域化」による防除技術の再編成
◆情報の「加工」が現場指導者の腕の見せどころ

 今、普及員や農協の営農指導員など現場指導者の方々は、新しい大きな二つの課題に迫られている。

 一つは進む農家の高齢化にどう対処していくかということである。高齢化しても楽しく農業が続けられるための、経営面・技術面での援助ができなければ、普及・指導事業の価値の大半が失なわれそうな時代になった。

 もう一つは「環境保全型農業」の推進である。農水省は本年度から「環境保全型農業推進事業」をスタートさせた。この事業には、資材削減目標の策定や現場指導者の研修などが盛り込まれている。農水省が本腰を入れだしたからというのではなく、農業や肥料を減らし「環境に優しい農業」をめざすことは今や国民的課題になっており、それをどのように具体化するか、現場指導者が果たす役割は大きい。

 高齢化への対処と環境保全型農業の推進、この二つの課題は、互いに関連している。二つを結合させて同時に実現する地域ごとの技術システムづくりがなんとしても必要だ。個々の農家の努力だけではいかんともしがたい課題が山積しているからである。

 中核農家育成のような一部の農家相手の仕事ではない。減反政策推進のような元気のでない仕事でもない。大変やりがいのある仕事である。その仕事をどのように進めるか、まずは防除をめぐって考えてみよう。

農家の高齢化は防除指導の「個別化」を求めている

 病害虫が発生し、どうしたらよいかと農家が相談にやってくる。それに対しどう対応したらよいか。まずその病害虫の種類が何かを聞きとり、現地にでかけて調べ、そのうえでそれに効く農薬を教えてあげる。それはそれで必要なことだが、これだけでは、先の二つの課題に接近するのはむずかしい。

 奈良農試に井上雅央さんという技術者がいる。かつて普及員をしていた井上さんは、すぐれた研究があっても、現場には生かされていないもどかしさを強く感じていた。そこで試験場にきてから、ハダニを中心に現場にあった防除技術、防除指導の研究に熱心に取り組んだ。害虫の生態や防除の手段を研究する人は多いが、それを現場にどう生かすか、その方法を研究する人は少ない。

 その井上さんが、ハダニに悩まされている農家へ行った時の対処のしかたが、大変おもしろい。もちろん緊急対応策も指摘するのだが、それ以外に、いろんな話を農家から聞くのである。

 家族のことや仕事の分担のしかた、年齢やこれまでの栽培歴、出荷先や最近の市況、作業のしかたや、なぜそんなふうにしているかということなど、雑談風にいろいろと聞いていく。いっしょに行った若い研究員は、「なぜ、そんな防除に関係のない話まで聞くの?」と腑におちないようすだ。だが、これは井上さんのいちばん大事な仕事である。どこか刑事コロンボが何げない話やちょっとした事実から、事件解決の手がかりをつかもうとすることに似ている。なにかの手がかりをつかもうとしているのだ。

 一つは要防除水準が農家によってちがうからである。要防除水準とは、この程度の被害ならば経済的な実害がないという基準を示すもので、大変重要な見方である。ふつう防除というと、被害を完全に防ぐことと考えられているが、被害がでても実害がなければよいという見方だから、その見方にたてば防除の目標、方法は変わってくる。

 その要防除水準、実害の判断が農家によってちがうのである。ナスでもうかったら孫にピアノでも買ってあげようと考えている人と、息子を東京の大学に入れて仕送りをしなければならない人とでは、おのずと実害に対する見方がちがってくるだろう。

 秀品率九〇%をねらっている産地(農家)と六〇%でよしとしている産地(農家)でも、要防除水準は変わってくる。農薬散布回数でみれば、秀品率六〇%なら二回でよいところを九〇%なら六回、さらに秀品率を高めようとしたら、その倍は必要といったぐあいになるだろう。防除に完璧を求めるほど、農薬散布は相剰的にふえるという関係がある。秀品率三〇%を六〇%に上げるより、六〇%を九〇%に上げるほうがはるかにむずかしい。

 このように、その農家がどのような品物をつくってどのぐらい稼ごうとしているかによって防除に対する意気込みや方法がちがってくるのであり、それを把握しなければ、どこにその農家の防除の課題があるのか見えてこないということになる。こうした防除や技術の背景にある思いを知るために、井上さんはいろんな話を農家とするのである。

 もう一つは、防除に失敗して被害を出したとして、その理由は農家によってさまざまであるということである。

 ハダニに対して農薬散布するまでに、農家はハダニまたはハダニの加害による作物の異常を、(1)発見して、(2)「これはハダニによるものだ」と判断して、(3)薬剤散布を含む何らかの手段を決定して、(4)自ら選んだ方法で実行する、というステップを経ることになる。この各ステップに、判断の誤りやいろんなミスが発生し、結果としてハダニの被害が出ることになるが、その事情は農家によってまちまちだ。

 発見が遅れることもあれば、ハダニの被害を苦土欠乏と判断することもある。効かない農薬を選ぶこともあれば、農薬のかけ方がまずいこともある。指導では「ナスの花が咲いている間(午後四時ころまで)に、一〇a四〇〇l散布すること」とあるが、午前中は収穫、出荷の仕事があり、午後の暑い盛りの散布はつらい、昼寝もしたいということで夕方になりやすい。四〇〇l散布するには二時間かかるが、暑い中では二時間が一時間になってしまう。そんなことで農薬はかけたが、よく効かず、また防除しなければならなくなったりする。うまく防除できなかった事情はいろいろだ。

 ところで高齢化が進むということは、そうした事情が一層個別化するということである。バリバリの若手がまとまって産地をつくる場合とはわけがちがう。栽培の目標も人によりちがってくるし、長年の蓄積や失敗の経験もちがう。苦土欠乏で悩んだ経験のあの人と、除草剤の薬害を出して苦労したことのある人では、ハダニの被害の判断のしかたが微妙にちがってくる。体のきつさの感じ方も人によりちがう。そこのところをわかっていないと、適切なアドバイスはできないことになる。高齢化は防除指導の個別化を求めている。

「身体性」は作業改善を求めている

 個別化にむけての一つのカギとなるのが、「身体性」への着目である。農家の身体性(からだの調子や一人一人がもつ技能)から技術を見直していく作業が、高齢化にむかうなかで、どうしても必要だ。

 ハダニがうまく防げない要因にも、この身体性が深くかかわっている。そのことが、井上さんたちが行なった農家のハダニに対する識別能力の調査で、データとして明らかになった。

 年齢別に肉眼でハダニを発見できるかどうかを調べたのだが、その結果、五〇代になるとハダニが見える人が半分になり、六〇代では七割の人が肉眼で見ることができないという結果になった。これでは、「ハダニの発見に努めて適期防除を」という指導は通じない。

 そして、発見の困難さにともなう不安な行動が少なからずみられる。近所で被害がでたとか、となりの農家が防除を始めた、あるいはたまたまハダニの食害痕を見つけたというだけで、防除を決意する例が多いのである。畑によりハダニのでかたは大きくちがうので、不必要な散布になっていることが多い。

 視力の低下が過剰散布を招いている。そうした実態に対し、井上さんたちは年齢別に、防除法を変えることを提案した。ハダニを発見しにくい農家には、食害痕による簡便な調査法や防除の暦化、あるいは多少の収量は犠牲にしてもハダニ発生の少ない栽培法を採用する、といった内容である。

 防除の暦化は、多少の予防散布はやむをえないという判断に立ってのことだが、目的は過剰散布をなくすことであり、それだけに地域の発生状況を的確につかんだ情報が求められることになる。従来の防除暦とは一味ちがったものになろう。

 一方、ハダニの少ない栽培法といっても、高齢者にあったものでなければならない。耕種的防除ということになるが、めんどうなものであってはならず、そこで重視されたのが作業の進め方である。実際、作業のしかたでハダニの密度が大きく変動する。

 アスパラガス産地でハダニの被害が発生した。そこは高齢化によってハウスイチゴつくりが困難になり、アスパラガスがとり入れられたところで、これ以上、労働時間をふやすことはできない。肉眼によるハダニ観察もむずかしい。それではどうするか、そこでハダニ被害の多い人と少ない人のちがいを調べたところ、十一月にビニールの更新をしているハウスや、地上部の枯死茎葉を搬出しポリマルチを除いて火炎処理したところではハダニの被害がまぬがれていることがわかった。マルチをしたままで火炎処理すると、マルチを焼かないようにしようとするため、越冬ハダニを残してしまうのである。

 こうして作業改善のマニュアルがつくられた。それも〔できれば〕〔できるだけ〕〔これだけは〕といったぐあいに作業項目の軽重を示して、農家が負担を感じないように配慮されたものである。

 こうした作業改善で、ハダニの生活サイクルのどこか一カ所を断つことができれば、ハダニの密度は大幅に減る。「適期防除」に手ぬかりがあっても大被害には至らない。そんな現実的な耕種的防除が、高齢化の中で強く求められている。

 こうした方法は、地域の中から発見していくほかはない。被害を出した産地(農家)と出さない産地(農家)はどこがちがうかを比較することでヒントが得られる。そして地域で得られた情報を地域に返していくという作業が、高齢化の中の防除技術を創造していくのである。その時、ハダニの生態などの基礎研究が武器として生きてくる。

「個別化」と「地域化」による防除技術の再編成

 個別性と身体性への着目は、防除技術の深まりをもたらし豊かにする。こうして防除は地域ごとに異なった技術となっていく。個別化と地域化は互いに励ましあうものであり、個別化するほど地域に生かせる情報が豊かになり、その情報とそれにもとづく地域的技術が、より一層の個別化を可能とする。個々の農家の経験や事象を地域的な技術として結晶させる作業が現場指導者に求められる。

 奈良県ではアブラムシの薬剤抵抗性の検定システムがつくられている(四二ページ参照)。農家から、薬剤散布してもアブラムシが防げないという情報が入った時、普及員、農協の営農指導員が生き残ったアブラムシを採集し、それを試験場に届ける。試験場では、そのアブラムシを各種の殺虫剤で処理し効果を判定する。その結果は翌日には、ファックスで担当普及員や営農指導員に通知されるというシステムだ。アブラムシは増殖が早く、またウイルス病を媒介することが多いので、防除の緊急性は高く、迅速な対応が求められる。

 さて、この抵抗性検定の回答を、普及員や営農指導員を通じて行なうことには、重要な意味がある。この検定システムの目的は、不完全な防除→防除回数の増加→抵抗性の発達という悪循環を断ち切ることであり、アブラムシは地域内で移動するので、地域的な対応が求められるのである。たとえば苗からの持ち込みでアブラムシが発生している場合、普及員や営農指導員なら、同じ育苗ハウスの苗がどの農家に配られているかを知っているので、検定結果を複数の農家に拡大して利用できる。

 抵抗性検定をすると、その薬剤が本当はまだよく効く(散布のしかたが不十分で効いていない)場合や、農家が一回も使っていない薬剤なのに全く効かないものがあることもわかる。こうした状況を知らずに、次々に薬剤を変えてきたためにいろんな薬剤に対し抵抗性アブラムシが出現し、地域全体の散布回数がふえてきたのである。この悪循環を断つには、個々の抵抗性事例は地域情報として整理され、対応策が検討されなければならない。

 こうして「個別化」と「地域化」が車の両輪となって高齢化段階の防除技術が再編成され、開発されていく。それが環境保全型農業へとつながっていくのである。

情報の「加工」が現場指導者の腕の見せどころ

 高齢化は「手ぬき」をもたらし、環境保全型農業どころではなくなるという見方は早計である。これでは、現場指導者はいらなくなる。そうではなく、個別化と地域化を進める方法、新しい経営や技術の援助システムがつくられていけば、高齢化と環境保全型農業を結びつけることができることを、井上さんたちの実践は示している。

 そうした防除の援助システムづくりに役だてていただこうと農文協では『病害虫防除資材論』(全十巻)を刊行した。農薬の活用法を徹底的に追求したものである。環境保全型農業がいわれている時に、なぜ今、農薬の使い方なのか、それは現場的・地域的防除技術の確立が立ち遅れており、その確立によってこそ環境保全型農業(減農薬)も実現できると考えるからである。防除技術の深まり、高度化に役だてていただきたい。

 岡山の農家・岩崎力夫さん(『ピシャッと効かせる農薬選び便利帖』〈農文協刊〉の著者)は、「農薬の本はある。病害虫の生態を書いた本もある。しかし病害虫の情報と農薬の情報とを重ね合わせ、作型別・地域別防除体系まで含めて、防除の実際をここまで具体的に示したものはない」と、この本を評価している。本書は農薬の本ではなく、病害虫の本でもなく、防除技術の本である。

 一〜九巻は作物別・病害虫別に初発、多発、微発といった発生状況に応じた農薬の選択のしかたと利用法が記載され、さらに、耕種的防除法から、病害虫の生活サイクル、耐性菌・抵抗性害虫への対応まで載っている。「病害虫の種類を確定し、それに効く農薬を教える」ということでは間にあわない防除をめぐる現状、課題に応えるというねらいである。

 そして第一〇巻『防除資材便覧』では、農薬(殺菌剤、殺虫剤、展着剤、除草剤)、予察器具、耐性菌・抵抗性害虫の検定法、木酢などの民間防除資材、耕種的防除法と資材、生物的防除法、防除器具が網羅されている。各葉剤については、対象病害虫や成虫と幼虫では効果がどうちがうか、残効性や散布濃度による効果のちがい、混用の注意点やそれを含んだ市販混合剤の特徴など、およそその農薬を使いこなすための情報が満載されている。「便利に使える事典」としても使えるが、本書の価値はもう少し別のところにある。

 井上さんは、各種の情報は地域や農家の状況に応じて「加工」しなければ、現場技術として生かせないといっている。その加工のしかたこそ現場指導者の腕の発揮のしどころということだろう。本書には「加工」のしがいがある技術情報がつまっている。地域的防除技術の確立にむけ加工されてこそ、本書の情報は生きてくるのである。

 昭和二十年代から三十年代にかけて、「農業の科学化」にむけ、多くの普及員や営農指導員が、情熱的に村々を歩き回った。そして、今、高齢化段階の技術開発と環境保全型農業の確立にむけ、「個別化」と「地域化」という新しい地平に立った現場指導がくり広げられることを、農家は期待している。

(農文協論説委員会)

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