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農文協トップ主張 1992年07月

世界の米事情は急速に変わる
世界 穀物は過剰から不足へ、日本 減反緩和不成功の深い意味

目次

◆20年前の古米処理感覚では政策が立たない
◆早場米を10月までにいくら食うかが判断のポイント
◆世界の穀物生産は過剰から不足へ
◆米の増産は食糧問題と環境問題とを同時に解決する

二〇年前の古米処理の感覚では政策が立たない

 ちょっと不足しそうだから、その“ちょっと”分だけ減反を緩和する。緩和すれば、農家はもともと、水田にイネを植えたいのだから、当然、作付けは増えるはず──。

 という考え方はいかにもお役人的。現場を知らない者の頭の中での発想である。

 果たせるかな、どうも米どころの現地から伝わってくる最新情報では、農水省のもくろみのようには作付けが増えてはいないようだ。

 昨年は作况指数九五の不作。そのために本年十月末の持ち越し在庫量は三〇〜四〇万tになると予測。そのため食糧庁は今年度の減反面積を緩和して、作付け面積を一三万haほど上乗せし、六五万t程度を確保しようとした。その一三万ha作付け増がどうやら達成しそうもないということが明らかになってきた。一説では多くて一〇万ha程度だろうといわれている。

 じつは昨年秋以来、農村をまわっていて、作付け増は農水省のいうようにうまくいかないのではないかという思いが強まっていた。われわれが耳にしてきた農家の声を積み重ね、まとめてみるとつぎのようになる。

「三畝や四畝だけ、それも今年だけ、作付けしろといわれたって、三畝一年だけのために荒れた田んぼを起こす気にはならない。水路の改修費さえ出ないだろう」(いわゆる中山間地帯に多い声)」

「野菜や果樹や花へと苦労して転作してきて、やっとそれが定着してきた。そっちに全力投球してますから、いまさら田んぼといわれてもね。国家百年の計なら話にも乗りますけど」(複合経営地帯に多い声)

「私らは集落でブロックローテーションを組んで計画的にやっている。それを、わずかの作付け増のためにくずすと、三年四年で一回りするローテーションが組みなおしになって、せっかくできた村全員の納得がまたみだれてしまう」(平場地帯に多い声)

 はっきりそのように分かれるというのではなく、個々人の様々の都合があってのことではあるが、いずれにしても集落農場的な協同の組織がしずかに村々にでき上ってきていて、それが一年だけ経営内容を変えるなどということはできなくなってきているのである。集落などによる協同的な対応でイナ作を維持することを推奨してきたことがウラメに出た──などと皮肉をいうべきではない。その程度には集落農業というものが、机上の論ではなく、実態として存在していることが大事なので、それに対して一年だけの作付け増を求めることは時代錯誤になっているのである。

 単年度需要均衡を基本とした米の需給政策が問題の根本にあるというほかない。すくなくとも三〜四年の中間期需給を基本に据えなければならない。二〇年前減反政策が開始されたころの“古米”を処理する感覚でことを律するわけにはいかなくなっている。

早場米を十月までにいくら食うかが判断のポイント

 食糧庁の考え方のすじ道は、つぎのようである。

「平成四年十月末の持ち越し在庫は三〇〜四〇万tになる。これでは十一月以後の米穀年度のスムーズな需給操作ができないので、六五万t分(これが一三万haの緩和)よけいにつくってもらって、平成五年十月末の在庫量を一〇〇万tにしたい」

 十月末に持ち越す三〇〜四〇万tの在庫では、スムーズな需給操作ができないと食糧庁は言っているが、その“スムーズの度合い”を判断するのに欠かせないのが、早食い(十一月からの新米穀年度に入る前に当年産の早場米を食べること)がどれくらいあるかということである。昨年十月末時点では五二万tだったが、米需給が厳しいときには通常増えるので、本年の早食いは五〇万tをくだることはなく六〇万t前後にはなるだろう。

 そうだとすると、今年の十月末の米在庫は、五十七年十月末とほぼ同じ水準と考えて間違いないだろう。

 この五十七年という年が問題を考える一つのポイントになる年である。五十五年、五十六年と不作がつづき、さらにこの五十七年も作柄が思わしくなく、その結果、この年十月末に持ち越せる米が四〇万tに減ったのである。そして“早食い”は五〇万t。

 その翌年の五十八年は秋雨前線が活発で、米どころ東北、北陸などを中心に、九月中旬ころから降雨つづき。収穫期が一〇日から二週間も遅れた。このため手持ちの米在庫が底をつき、名古屋などいくつかの都市では九月下旬から十月にかけて、米屋の店頭から米が消える寸前の状態にまでなった。この年の早食いは六五万t。そしてついに五十九年の韓国米の緊急輸入となる。

 この経緯をみれば、兆候はこの五十七年産米の“早食い”の量にもあらわれていたということになる。

〈十月末の持ち越し在庫が三〇〜四〇万tで、早食いが五〇万t超〉という線は、単年度でなくて、すくなくとも二〜四年の需給見通しの上での危険信号なのである。だからこそ食糧庁は、昨秋大幅な減反緩和に踏み切ったのである。それがうまくいかなかった。どうなるか。

 すでに、米菓などに使われる加工原料米は需給関係がかなり厳しくなっている。加工原料米には他用途利用米と特定米穀(クズ米)があてられるが、どちらも昨年の不作のあおりをうけて供給不安に見舞われているのである。

 他用途利用米は五〇万t集荷の予定だったが、作况指数九五の不作のなか、当然のことながら主食用米の集荷が優先されたため、予定より一〇万tも少ない三九万五〇〇〇tの集荷にとどまった。そこへもってきて特定米穀も、通常年に比べそれほど少ないわけではないが、不作のなか、主食用向けに回されて供給不足の状態で価格が高騰。加工業者などは他用途利用米に頼ることになり、今年に入ってから毎月、前年より五〇〇〇tも多く使われている。特定米穀の供給不足分を他用途利用米でカバーする格好だ。

 その結果、他用途利用米は端境期(十月)には、計算上不足するのは明らか。いまのところ、今年産の早食いでしのぐという意見がでているほど厳しい状況なのである。今年に入ってからタイ産の米粉輸入が前年の三倍近くに激増していることも、加工原料米需給の厳しさを物語っている。

 昭和五十九年の韓国米輸入も、特定米穀(クズ米)から主食用の米が再選別されるなどの結果、“加工用原料の不足”を名分に行なわれた。現在の加工原料米のひっ迫は、再び加工業者をして米輸入を叫ばしめる状況にあるのだがそれでよいのか。世界の米事情は、次にみるようにかなり緊迫してきている。

世界の穀物生産は過剰から不足へ

 米は三大穀物の一つだが、その生産は中国、インドなどアジアに集中しており、自給生産が中心で貿易量はごくわずか(世界の米生産量の三%、一一〇〇万t程度)という特徴を持っている(三三四ページ参照)。

 世界の米生産の六割近くを中国、インドで占めるが、その中国、インドともに昨年は水害や干ばつなどで減産。ばあいによっては、どちらの国も輸入に頼らざるを得ないかもしれない(中国のばあい、水害にもかかわらず前年比実質増となったという情報もある。中国が穀物輸入なしで端境期をのりきれば、それこそ“国際的貢献”というべきである)。

 そんななか米輸出国のタイは、昨年、生産量を増やしたが、その生産量は、世界のなかでみると三・七%、一九〇〇万t(一九九〇年)と少ない。しかも、そんなタイの米生産は限界が見えてきているという。

 すなわち、タイの米どころの一つ東北タイでは、米作に適した土地(九二万ha)の七倍近く(六二〇ha)にも作付けられているという事実がある。しかも、かつてタイは全国土が森林で覆われていたというが、今は東北タイでは森林面積が一四%になっており、森林で覆われていた急傾斜地の半分以上が開拓されて農地化され、かなりの地帯で表土流出が起きているというのである(森林面積とは同じではないが、東京都文京区、世田谷区の樹木面積率が一四%である。三四四ページ参照)。

 こうしてタイの国土は疲弊し、米生産に限界が見えてきているのである。

 もう一つの米輸出大国・アメリカのばあいも、従来の米主産地、なかでも日本人好みの米をつくるカリフォルニア州で深刻な問題をかかえている。ここ数年干ばつがつづき、米つくりに欠かせない水の供給を充分にうけることができないのである。

 アーカンソー大学助教授のエリック氏は、「カリフォルニア州は、水量の限界と水利費のコスト高から生産量の今後の伸びは期待できない」と述べている(三四〇ページ参照)。

 日本が米を輸入するということは、世界に一一〇〇万t程度しかない輸出にまわる米を、金の力で強引に買い付けることである。国際価格をつり上げることになり、買えなくなる国々が、アジアやアフリカなどで続出する。日本がお菓子など加工用のために輸入することは、アジアやアフリカの人たちの主食を横取りし、飢えさせることになるのだ。こうした現実はしっかり知っておくべきである。

 同時にタイのような米輸出大国に、ますます飢餓輸出を強い、国土の荒廃をもたらすことになる。これも忘れてはならない現実である。

 加工原料米が不足だからと輸入するのでなく、多少なりとも持ち越せる主食用の米を、加工用に回すべきなのである。国内の主食に余裕があるときにはスナック菓子などに回すのもよいが、ひっ迫していれば食わない──これが米の利用についての原則である。他国の主食、国土の略奪につながる安易な選択をすべきではない。

米の増産は食糧問題と環境問題とを同時解決する

 日本はアジアモンスーン地帯に属し、夏は北海道から九州までほぼ全域にわたりイネに必要な温度があり、水にも恵まれている。世界でも有数の米作適地の一つである。

 そんな日本で、現在、作付け可能な田んぼ(約二八〇万ha)の七割ほどしか米がつくられていない。昨年の作付け面積は、二〇〇万haをきって一九七万haだった。そのあげく、へたをすると輸入に頼らなければならないかもしれなくなっているのだ(いまのところ心配なのは加工原料だけ。それも加工原料だけ切りはなして考えたばあい)。

 しかし、そんなことをしたら、アジアやアフリカなど米の恒常的輸入国に顔むけできなくなるのは間違いない。ただでさえ、世界的に気象が不安定なため米の国際価格が上昇ぎみのところへ、金の力にまかせて買いあさろうというのだから。それだけでなく、タイなど米輸出国の国土破壊をさらに進めてしまうことになる。

 そういう意味でも、日本はもっともっと米をつくるべきなのである。いまや、米をもっとつくることは国際的責務といってもよい。

 こうしてたくさんとれた米は、基本的には主食用だが加工用にもたっぷりと使い、余れば家畜のエサに回し、さらに余るならそれで燃料をつくればよい。いま地球温暖化の元凶として炭酸ガスなどがあげられているが、そんなガスの心配のないクリーンなエネルギーである。

 水田は水を湛えることで連作に耐え、肥料を自給し、表土の流出を防いでくれる。地域の自然環境を保全し、天然のダムの役割(治水機能)を果たして、しかも地下水をたくわえてくれる。水田は、こうしたお金にはかえられない役割を果たしており、目に見えない機能を持っているのである(なお治水機能に対しては、毎年五九六七億円の経済効果があるという試算がある)。

 お米を余るほどつくることでかかるお金など、この水田の目に見えない機能でうける恩恵からみれば、むしろ安いといっていいかもしれない。

 いま世界で最も関心を持たれているのは、食糧生産をどうやって維持していくかということと、地球環境をどう保持していくかということである。米をもっとつくるということは水田を充分に活用することで、そうした世界の関心の両方に応えることになる。

 最近、日本の米つくりが変わろうとしている。イネを自然にまかせる方向のやり方。肥料や農薬に頼らない、安全な米、おいしい米つくりである。本誌でおなじみの井原豊さん(兵庫)の「ヘの字イナ作」、薄井勝利さん(福島)の「疎植水中栽培」、古野隆雄さん(福岡)の「アイガモ──水稲同時作」、岩澤信夫さん(千葉)の「不耕起移植栽培」などだ。

 どれも、大は大なり小は小なり、老は老なり若は若なりの経営者が、自分の都合にあわせた、楽しく、しかも安全でおいしい米つくりの新たな追求である。いまブラジルで「地球サミット」が開かれているが、こういう米つくりがもっともっとひろがることが、世界の食糧問題、環境問題を解決するための日本としてできる最大の支援なのである。

 政策担当者としての農水省は、こうしたことをこそ米政策の基本に据えるべきである。減反緩和目標が未達成であったことにあらわれたのは、単年度需給という「量」のみの呼びかけでは、いまの農家の気持に応えられないということだ。環境保全型の安全でおいしい米つくりをめざす農家の気持を支える政策にこそ金を使うべきである。

(農文協論説委員会)

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