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農文協トップ主張 1993年01月

「新農政」は人生80年時代の社会システムを形成する

目次

◆なぜ基本法農政の目標は実現できなかったのか
◆基本法農政を無視した農家の選択
◆世界に冠たる、老人、婦人が農業を担う日本
◆農業政策の根元的次元
◆新農政は高齢化時代の労働の社会システム作りをするべきだ
◆新農政の展開は農家の身体性の欲求に基くボトムアップで

 およそ三〇年ほど前に、基本法農政が始まった。そして、今年から「新農政」が始まる。農政の新しい時代が始まるのである。新しい年を迎えるに当たって、基本法農政の来し方をかえりみ、「新農政」の行く末を考えてみよう。

 「主張欄」の読者の大部分は、基本法農政の体験者である。昔のことを思い出してみよう。基本法農政は構造改善事業を中心に、「選択的拡大」のスローガンを掲げ、全国に広く、産地を形成した。農業は大きく変わった。「企業的農業」と「賃労働兼業農業」のいずれかを選んで、農家は自分自身を変えてきたのである。

 三〇年前、基本法農政が目指したのは「自立経営農家」をつくることであった。ところが、こと志と異なり大部分の農家は「賃労働兼業農業」になってしまった。なぜそうなったのか。基本法農政の「来し方」をしっかりふまえておかないと、「新農政」の「行く末」を占うことはできない。

なぜ基本法農政の目標は実現できなかったか

 基本法農政の結果がこと志と異なってしまったのは、基本法農政の日本農業についてのとらえ方にあった。基本法立案の中心者小倉武一氏は基本法制定の二〇年後に、その著書『基本法農政を超えて』(小倉武一著作集第六巻 農文協刊)において、次のように述べている。

 「まず第一に、日本のような温帯農業では、穀作と草地が農業の主体でなくてはならない、ということが(基本法では)必ずしも充分に認識されていませんでした。周知のように、日本は温帯に属するというほかに モンスーン地帯にあって湿潤であること、また夏期と冬期の気温差が著しいことを付け加えなくてはなりませんが、この気候条件によって水田が好適であり、また日本農業は水田稲作を中心に発展してきました。それだけに、米作以外の穀作と草地を中心に据えるのがむずかしかったこともありましたが、基本法農政は、水稲作中心から稲作をふくめた穀作と草地を中心に据えることを鮮明にはしませんでした。」(小倉著作第六巻一五p)。小倉のこの反省は基本法農政二〇年の歴史をふまえて、きわめて洞察力に富む反省である。

 小倉氏は今を去る一〇年前に、基本法農政について以上のような本質的な反省をした上で、今日の「新農政」について、「現代農業」臨時増刊号『こうしたらどうですか新農政』(平成四年十月農文協刊)に「特別寄稿」し、「農・林・漁業それぞれを生産部門としてのみ認識するのでなく、むしろ、一つの環境形成をなしているものと考えるのである。さらに、農林漁業を単に産業としてみるのでなく、農山漁村の主要な形成要素とみるのである」と述べている。これは農業に対する二一世紀にむけての新しい基本視点を提起したものだ。

 この基本視点は「農地改革と農林漁業基本問題調査会の事務に参加した者として、そしてまた、その後、当局者としての地位を去ったけれども、少なくとも農林漁業の行方に関心をもってきた者として、ここに小生なりのこれからの農村漁業のあり方についての所見」(『こうしたらどうですか新農政』一三〇p)なのである。底の浅い当世流行の環境論や地域論ではない点に注意を喚起しておきたい。

 「基本法農政は、水稲作中心から稲作をふくめた穀作と草地を中心に据えることを鮮明にしませんでした」。この指摘はきわめて含蓄に富む重大な指摘である。

 日本の農業の歴史において、水田稲作のもつ特別の位置は、決して、自然環境が稲作に適していたからそうなったのではない。古くは貢租として米が、近代においては現物小作料として米が、支配階級の人民支配に好都合であったからに他ならない。また、日本農業においては、肉食を禁じた宗教思想によって畜産の発展が妨げられてきた。こうして社会的支配・被支配の関係や宗教思想等が、自然と人間の関係を歪める。その一つの典型が、日本農業における水田稲作の偏重であり、稲作以外の穀作や草地についての軽視であった。小倉氏の「稲作をふくめた穀作と草地を中心に据える」日本農業の発展方向についての考え方は、単純な応用生態学的発想によって到達した結論ではない。日本農業の歴史と、基本法農政発足当時の現在と未来を総体としてとらえた結論として理解すべきであろう。

 もし、基本法農政がそのことを鮮明にして展開されていたならば、基本法農政によって、日本における近代的農業革命が実現できた可能性はきわめて高かった。

基本法農政を無視した農家の選択

 「基本法農政は、水稲中心から稲作をふくめた穀作と草地を中心に据えることを鮮明に」しなかった結果、農家は基本法農政の方向を無視して、全く独自に、伝統の力に身をゆだね、稲作増収の道を歩んだ。

 基本法農政は、国民所得水準の向上が食生活の高度化をもたらし野菜・果物・畜産物の需要を高めるが米の需要は減退すると考え、また、稲作は「反収四石の壁」にぶつかっており、増収技術ではなく水田機械化一貫作業体系の確立による省力化によって生産性の向上をめざした。

 農家の志向した稲作増収の方向と、基本法農政の志向した稲作省力の方向とは、相反する方向であった。

 昭和三〇年代の後半に現われた山形の篤農家片倉権次郎氏の後期追肥型の稲作増収技術は、農業改良普及事業の指導によらず、農家から農家へと波及し、農家の稲作増収熱に火がついた。折しも高度経済成長による税収増は国家財政に余裕を生み、農工間の所得格差の是正を旗印にした基本法農政にあっては、米価の政治的上昇をもたらさずにはおかなかった。

 米価の上昇傾向と稲作増収技術の波及とは相互に作用して、昭和四〇年代前半には、開田ブームを呼ぶ程の稲作ブームをつくり上げた。基本法の、こと志と異なる局面の展開である。かかる農業内部の条件に加えて、他産業の高度経済成長による人手不足という条件が、基本法農政の目指す自立経営農家の形成の道をふさいでしまった。

 自立経営農家の確率のためのイナ作機械化の推進は、結果として、「稲の単作化」と「賃労働」を結合した形で、農業経営の経済合理をすすめる結果を招いた。

世界に冠たる、老人・婦人が農業を担う日本

 九〇年センサスによれば、日本の農家三八三万戸のうち、専業農家はわずかに五九万戸(一五%)に過ぎない。他の三二四万戸(八五%)は兼業農家である。その兼業農家の八四%の二七一万戸は第二種兼業農家である。基本法農政はこと志と異なる結果を招いたのであった。しかし、その結果、他産業の労働力不足を農業が補い、世界に冠たる日本経済の高度成長をなしとげ、日本は世界の「経済大国」となったのであった。大事なことは、このことを可能にしたのは日本農業のインフラが水田であったからである。

 日本の農家三八三万戸のうち二四六万戸(六四%)に専従者がいない。しかも専従者のいる一三七万戸(全農家の三六%)のうち六〇歳以上の男子が専従者の農家が四七万戸。婦人だけが専従者の農家が二七万戸。あわせて七四万戸。専従者のいる農家でも、その五四%は老人・婦人だけが専従者だということである。日本の農業は、専従者なしでも、専従者が老人・婦人だけでも営むことができるのである。これが結果として、基本法農政が創り上げた「新しい農業経営」なのである。

 専従者なし農家二四六万戸。専従者老人・婦人だけ七四万戸。合せて三二〇万戸。つまり、全農家の八四%は専従者なしもしくは専従者老人か婦人だけで農業が営まれてるのである。そういう農村社会を基本法農政三〇年の歴史が創った。このような社会は世界のどの国にもない。人類史上全く新しい社会である。

 この社会を農業就業人口でみてみよう。九〇年センサスでは、農業就業人口は全部で五六五万人。うち女性は三四〇万人(六〇%)、六〇歳以上の男性は一三七万人(二四%)合せて四七七万人(八四%)が老人と婦人である。

 日本の農業は日本のGNPの二%を占めるにすぎない。その農家に日本の人口の一四%が住む。注目すべきは、全国で六五歳以上の老人は一五〇六万人いるが、そのうち三四一万人(二三%)が農家に住んでいることである。日本の農家は高齢化社会の最先端に位置しているのである。

 こうして農業は農業就業人口の八四%が婦人と六〇以上の男子が占め、高齢者と婦人に就労の機会を提供している。二一世紀には全世界が高齢者社会へすすむ。その最先端をすすんでいるのが日本の農家なのである。

農業政策の根源的次元

 小倉氏はいう。「農林漁業政策の主たる目的は、われわれ人間のためにする、農林漁業と農山漁村の環境保全にある」。「その環境には三つの要素がある。農林漁業者の生存、農林漁業の生産、その生産の基盤(景観を含む)である。農林漁業ないし農山漁村は、全国民・全産業にとっての潜在的環境ともなっている。」(『こうしたらどうですか新農政』一三六p)。氏は農林漁業の存在理由を環境の保全とした上で、その環境についての考察をすすめている。そして農業生産者の生存生産生産基盤の三つの環境要素の保全が、環境の保全の内容であるという。

 また、その環境保全の意味を次のように述べている。「人間にとって環境のみならず、それとは視点が異なる動植物とくに作物と家畜にとっての環境のあることを否定しないが、それよりも、いわば次元が高いところに人間の環境があり、作物や家畜の環境は、人間の環境としても容認されるものでなくてはならない。」(『こうしたらどうですか新農政』一三四p)。つまり、作物や家畜にとってよい環境が、人間自身にとってもよい環境であるような環境を、自然と人間の「共生」によってつくり出すところに、農林漁業、農山漁村の存在価値があるとするのである。

 この思想は、古くは江戸時代の前期一〇〇年の「高度経済成長」の矛盾に直面した思想家安藤昌益のエコロジー思想、直耕による「天人同営」の思想と重なる。新しくは、主・客分離の西洋哲学に抗した西田幾太郎の「主体が環境を、環境が主体を限定し、作られたものから作るものへと、個性的に自己自身を限定してゆく歴史的世界」、つまり、「主体が環境をつくり、環境が主体をつくる」という主体と環境の統一的把握の哲学がある(『西田哲学で現代社会を観る』根井康之、農文協刊、二〇七p)。いわば自然科学的な、あるいは社会科学的な環境把握の次元の根底にある、「働きかけ働きかけられるもの」「つくりつくられるもの」「生産と生活」が一体となった根源的次元から農業が把握され、農業政策が把握されねばならない時代が現代なのである。

新農政は高齢化時代の労働の社会システム作りをするべきだ

 「新農政」を目新しい「個別経営体」や「組織経営体」という経済合理の視点からみてはならない。もっと根源的な、高齢者や婦人といった身体的主体=自然性と環境(生存・生産・生産基盤)との関係という根源的次元からみてゆかなければならない。

 基本法農政の三〇年で、農業という環境も農業をやってきた主体である農家も大きく変わった。婦人と老人が主力になり、壮・青年は激減したのである。農業機械や施設等によって環境(農業)に働きかけ、環境(農業)を変えた。そして、環境(農業)が働きかける主体は、老人・婦人でも間に合うように変わった。だから、主体が変わって老齢化し、女性化したのである。次の時代の目標は、この老齢化し、婦人化した主体にふさわしい労働の社会システムを創り上げることにある。環境(農業)は変わったのだが、社会システムは本格的に変わったわけではないからである。

 「新農政」立案の中心者である入澤肇氏はいう。

 「年々、農地が放棄されていく、耕作放棄地率がふえていく。これをなんとかして村じゅうの知恵を集めて有効利用しよう」(『こうしたらどうですか新農政』八p)。「みんなが兼業農家ではダメなんで、やはり専業的にやってもらう農家を育成しようじゃないかという動きがむらの中から出てきますね。それが専業的農家、個別農家に依存するだけでダメなら生産組織をつくろうじゃないかということも出てくる(一八p)

 「農家や組織体を育成するとなれば、土地を提供しなくてはいけない。農村に住んでるのに土地を全部提供してしまうのは問題があるから、自留地はもって野菜の生産ぐらいはやりましょう」(一八P)

 それぞれの身体的条件(自然性)や社会的条件(年金等の収入や支出)に合せて「それぞれの農家の人たちの話し合いの結果の役割分担が出てくるんですね」(一八P)、つまり「生きがい農家であろうと兼業農家であろうと、全体がそうなっていくためには(生涯所得を実現していくためには)、個別経営体や組織経営体がなければもたない」(二八P)。農家の大部分をしめる高齢農業者、婦人農業者が生涯所得を実現してゆくことをバックアップする組織として、「個別経営体」があり、「組織経営体」があるのである。むら全体の暮らしの側から「個別経営体」なり「組織経営体」なりを考えるとき、二一世紀にむかって確実にすすむ高齢化社会に対応する、新しい労働の社会システムが、世界にさきがけて、日本の農政で形成されることになる。いわば、根源的「生活原理」に基く高齢化社会の新しい社会システムの創出が「新農政」の目標なのである。「個別経営体」「組織経営体」の創出意味はそこにある。「市場原理」に基く農業の産業化にとりくんだ一九六〇年代とは、根本的に異質な時代に発展した現在に対応した農政が「新農政」の基本的性格でなければならない。

新農政の展開は農家の身体性の欲求に基くボトムアップで

 農政の展開の仕方も、新農政は基本法農政の時代とはちがわなければならない。基本法農政の時代のように、行政の上からの指導による推進ではなく、新農政は、生身の老人なり、婦人なりがその身体的要求に基き自ら独自に、自然に始めた生産活動をとりあげ、勇気づけ、組織的にバックアップし、むらにひろげる。基本法農政はトップ・ダウン方式が主力だったとすれば、「新農政」はまさにその正反対のボトム・アップの方法でなければならない。

 たとえば、スイカの産地の一部で始まったシシトウ、小ナスの栽培。これはスイカの栽培に身体がついていけなかった高齢者たちが、体に無理がなく、かつ単位面積当たりの収益が高いということでとりあげたものである。この動きを農場がバックアップし、むらに広げる。結果として単品産地が複合化した新産地が実現した。

 基本法農政の時代でいえば適地適産で、地域に適しているという客観的指標で産地作目を決めていた。それに対して今日成功しているものは、客観的指標からの出発ではない。老化して作業がつらいので、楽な作目に変えた、といった個別の主体的選択(身体的・自然的選択)によって自然発生的に栽培が拡がり、それが、農協等によって取りあげられて成功している例が一般的なのである。トップダウンではなくボトムアップが現代の方法である証左である。

 高齢化により身体的条件がきびしくなったことが自分で個別に機械を持つことをやめ、機械共同利用組合をひらく。仲間で育苗・田植え・防除・収穫などの受託管理組織をつくった、なども身体的老化に対応して「組織経営体」が生まれる例である。かかる事例は枚挙にいとまがない。

 かつてわれわれの祖先は、山と川と海と田畑を上手に利用し、日本農業のインフラをつくった。人類が初めて到達した人生八〇年時代にふさわしい労働の社会システムを農村につくることが「新農政」の課題である。

 「主張」欄の読者の大部分は基本法農政の体験者である、と冒頭で書いた。基本法農政スタートの一〇年をまったく体験していない人々によって立案され推進される「新農政」が、二一世紀にむけて世界人類のトップに立って、すぐれた「人生八〇年代の労働の社会システム」を作るかどうかは、基本法農政の担い手であった方々の肩にかかっている。

(農文協論説委員会)

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