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農文協トップ主張 1993年02月

「建てたハウスを連作障害でつぶさない」決意が拓いた産地形成
「福島わかば会」の10年に学ぶ

目次

◆「この土地を動かず自分の農業を続けたい」農家の集まり
◆パソコンやファックスが活躍
◆「自分たちが食べてうまい品種」をつくる
◆「自然力」を生かして無理なく安定出荷
◆結合の核は生活と生産基盤の再生産

「福島わかば会」の一〇年に学ぶ

 福島市の「キュウリ農家」、佐藤圓治さんの名前をご記憶の読者も多いことと思う。昭和五十八、九年ころ、本誌で「黒砂糖農薬」や「ボカシ肥」、「土こうじ」などの技術を、さかんにご紹介させていただいた農家である。

 当時佐藤さんは、それまでの共同出荷をやめ、個人で東京の産直組織「大地を守る会」にキュウリを出荷していた。村ではどちらかというと「一匹狼」的な、他の農家とは一定の距離のある存在だった。労働力は本人と奥さんの春子さんだけ。息子は三人いたが、それぞれ別の仕事につき、肥料店に勤める長男だけが同居していた。

 その佐藤さんと約一〇年ぶりくらいに会って話を聞き、驚いた。佐藤さんは六三歳になっていたが、あのころと少しも変わらない。だが、「大地」に一緒に出荷する仲間が六〇戸ほどに増え、それも自分の地区だけでなく、福島県全体に広がって、県北、安達、郡山、県南四つの支部のある「福島わかば会」をつくり、佐藤さんはその会長をしているのだという。また出荷する品目はキュウリだけでなく、トマト、イチゴ、ホウレンソウ、ダイコン、コマツナ、シュンギクなどの野菜からその漬物、ナシ、モモの果実に至る四〇数品目以上。また三人の息子はそれまでの仕事をやめ、長男、次男は「わかば会」の農産物を販売する会社をつくり、三男はその集出荷を行なう運送会社をつくったという。販売会社の年間売り上げは、約四億円。戸数といい、品目といい、金額といい、ちょっとした「産地」が誕生したようなものである。

 佐藤さんはどうやって、その「産地」をつくったのか、あらためてお話をうかがった。

「この土地を動かず自分の農業を続けたい」農家の集まり

 しかし佐藤さんの答えは、「わかば会」という“産地”は「つくったのではなく、自然に集まったんだ」というものだった。

 「福島わかば会」には、昭和四十九年にスタートした「若葉会」という前身があった。まだ有機農業とか、無農薬、減農薬といった言葉さえ一般的ではなかったころ、佐藤さんは地域の八人の仲間と、自分たちや消費者の健康によく、また、「土づくり」ということから見ても、連作障害のない、永続性のある技術を研究しようとしたのだ。だが、「土づくり」の蓄積もないままいきなり「無農薬」をやろうとしたため収量は上がらず、病虫害も多く発生し、わずか二年後には途中解散に追い込まれてしまった。

 それでも佐藤さんは、くじけず研究を続け、微生物資材の「バイムフード」「バイエム酵素」と出会ってこれを、「土こうじ」「ボカシ肥」や「黒砂糖農薬」に生かすうち、約五年くらいでその効果が現れるようになった。本誌にご登場いただいた五十七、八年ころには半促成のハウスキュウリで反収二〇tという高収量、しかも価格変動に影響されない波のない収量曲線を実現できるようになっていた。

 現在の「福島わかば会」のメンバーが増え始めたのもそのころから。地域の他の農家に呼びかけて月一回の勉強会を開いたり、本誌の記事がきっかけで県内あちこちで開かれる講演会に呼ばれたりしているうち、しだいに会員が増えていき、昭和六十年に、「福島わかば会」を正式発足させたのだという。

 「わかば会」の目的について、佐藤さんは、「技術研究が第一、販売は第二」と言う。佐藤さん自身、「ボカシ肥」や「土こうじ」などの、人と違う施肥技術を実行してきたのは、水田三反、畑三反、ハウス六〇〇坪の少ない耕地面積で、ハウスを建てるとき「一度ハウスを建てたら絶対他の場所には動かない」ことを決意したからだ。実際その通りに二十五年間同じ土地で連作を続けてきたのだが、集まったメンバーも、「この土地を動かずに自分たちの農業を続けたい」から有機・低農薬の農業に取り組む、という人ばかりである。それぞれが「わかば会」に入るまでに、すでに自分なりに土つくりや栽培について研究し、実践してきた人たちだ。

 今は「わかば会」全体のものになった佐藤さんの土つくりの技術は、たんに「連作障害を避ける」という消極的なものにはとどまらない。モンモリロナイト系の粘土鉱物である「薬師」という山土に澱粉とバイムフードを混入し、発酵させた「土こうじ」は、土そのものの再生産と良好な微生物環境の再生産をねらっているし、「ボカシ肥」もまた、土に有機質肥料をただ与えるのではなく、有毒ガスが発生する一次発酵を畑に投入する前にすませ、肥料と同時に有機微生物をも投入することになっている。土壌消毒をやって化学肥料、あるいは生の有機質肥料を投入するという”技術”には置き換えられない効果がある。農薬は使わないか、使わざるをえない場合も最小限に抑えるという方針も、いずれは農薬が土壌に吸着されて土が悪化するという考えにもとづいている(その技術は、農文協刊『農業技術大系』土壌施肥編、第八巻「実際家の施肥と土つくり」に詳しい)。

 佐藤さんは「『わかば会』は、たんに農産物というモノの集荷出荷のためのつながりではなく、この土地で農業を続け、次の世代に引き継ぐための集まり。近い将来には青年部や婦人部もつくり、農産物の安全だけでなく、生活や河川汚染など、地域の環境問題についても少しでも実践していきたい」と話している。

 「わかば会」メンバーは福島市や伊達郡の「県北支部」が二〇人、「安達支部」が一〇人、「郡山支部」が一〇人、白河、矢吹、鮫川の「県南支部」が二五人。最高年齢は七〇歳だが、経営委譲を受けた二〇代、三〇代の人がもっとも多く、平均年齢は四〇歳くらい。もちろんそれぞれの家には年寄りもいるから、世代的には多様である。

パソコンやファックスが活躍

 佐藤さんはまた、会員の拡大ばかりでなく、販路の拡大もまた「自然に増えてきた」と言う。

「大地を守る会」への出荷を始めたころ、「大地」はまだ会員一五〇〇名くらいだったが、今、首都圏を中心に二万八〇〇〇人。また「大地」と提携関係にある「らでいっしゅぼーや」という団体にもほぼ同じ規模の会員がいて、「大地」が農産物を供給している。それらが急成長したのは今から六年ほど前、以前からの共同購入方式に加えて、共働き家庭のライフサイクルに照準を合わせた個別宅配方式が功を奏したのだった。だが、当時「大地」に出荷する有機・低農薬の生産者はそう多くはなかった。だから「有機農業」という言葉が広がるずっと前から、「自分たちの農業を続けるために」独自の土つくりと栽培に取り組んできた「わかば会」メンバーへの出荷要請が増えたのだ。

 佐藤さんの長男、泉さん(三八歳)が社長をつとめる有限会社「三扇商事」は、「わかば会」の会員拡大と販売量の増大に対応するためにつくった会社。社員は佐藤さん夫婦、泉さんの奥さん、次男の円裕《のぶやす》さん(三五歳)、以前泉さんと同じ肥料店で技術指導員をしていた加藤さん、配送の高橋さん、事務の中川さんの八人。昨年の売り上げは「大地」が三億六六〇〇万円、仙台やいわき市の自然食料品店が五四〇万円、市内の学校給食が九五〇万円で、計三億八〇九〇万円だが、その他にも「ボカシ肥」や「土こうじ」、「黒砂糖農薬」の材料である有機質肥料、バイムフードなども販売している。三男の忠雄さん(三二歳)の運送会社「大起」は、忠雄さん以外に運転手が三人。

 会員の地域が離れているというハンディは、ファックスやパソコンなどのOA機器が解決した。電話で発注受注のやりとりをしていたころは「言った」「聞いていない」でもめることがしばしばあったが、「大地」などからの注文は三扇商事がファックスで受け、四支部の支部長や生産者の家にやはりファックスで流され、各会員に伝えられる。複雑な伝票処理は、パソコンの販売管理ソフトでスムーズになった。また、四支部は離れていても、いわゆる「中通り」にあって福島が最北だから、すべて東京の通り道にあたる。

 佐藤さんの言う「自然に販路ができた」の典型は学校給食での採用だ。これも「わかば会」が積極的に働きかけて採用してもらったわけではない。市内の公立小学校の栄養士さんの一人が、有機・低農薬で野菜、果実を栽培している「わかば会」のことを聞いて関心をもち、教育委員会に働きかけて学校栄養士さん二〇人で「わかば会」の農業について話を聞く勉強会がもたれ、それがきっかけとなって市内一三校の給食に採用されたのだった。学校ではまた、そのことを教材に子供たちに地域の農業の大切さ、土の大事さを教えているという。また中学生が、「文化祭で報告するから」と、「なぜ有機・低農薬の農業に取り組むか」のアンケート調査に来るようにもなった。個人で「わかば会」の農産物を買ってくれる教育委員や先生もいる。会員の中には子供がその小学校に通っている家もあり、「今日お父さんのつくったキュウリ、給食で食べてきたよ」と、学校から帰るなりうれしそうに報告するといったこともある。

「自分たちが食べてうまい品種」をつくる

 ところで、佐藤さんの家には、東京や横浜の消費者からのハガキや手紙が毎日のように届く。佐藤さんばかりではない。「わかば会」会員の家すべてがそうだ。ハガキや手紙には「大地」を通して購入した「わかば会」の農産物への感想が書いてある。「子供のころに食べた、なつかしい味のトマトでした」「こんなに濃い味の野菜を食べたのははじめてです」「キュウリの香りが台所から他の部屋にまで漂いました」「料理の腕が追いつかず、材料負けしてしまいそうです」などなど。なかには、「キュウリを買ったのに、しなびてしまいました。『大地』に問い合せたら、『大地』の方の手落ちということでした。せっかくみなさんがつくったものだから、きちんと会員のところに届くようにしてほしいものですね」といったものもある。

 これは「わかば会」の野菜や果実の箱に、それをつくった会員の顔写真がカラーで印刷されたチラシが入っていて、誰がつくったのか消費者にもすぐわかるようになっているからだ。「生産者の名前を出せないようなものはつくっていないし、万一のときには責任の所在をはっきりさせられる。直接消費者の感想が届くことは、会員の励みにもなる」からと、始めたことだ。

 その感想の中でもっとも多いのが「なつかしい味」というもの。これについて佐藤さんは、土づくりの成果と、「品種選び」の結果だという。

 たとえばキュウリは、今全盛のブルームレス品種でなく、昔のP3種の血が入っている北極系の品種。トマトは、これも桃太郎でなく、おどりこやサンロードと言ったぐあい。その理由を佐藤さんは、「今の品種選びは生産者や消費者の希望というより、流通や小売の都合で選ばれることが多い。ブルームレスは皮が硬いから店もちするが、味や香りは数段落ちる。桃太郎も、もともとは加工系の品種だったのが、完熟にしても日もちがいいからとつくられるようになった。見た目よりなにより、自分たち農家が食べてうまいと感じるものを出荷したいから」と説明する。

 そのこだわりの成果が、消費者からの分厚い手紙の束だ。

「自然力」を生かして無理なく安定出荷

 「わかば会」がスタートするとき、佐藤さんは会を農事組合法人にするか任意組合にするか迷った。法人にすれば税金面で優遇が受けられるが、任意団体ではそれがない。だが、法人にすれば、地域的な制約を受ける。結局は、任意団体にしたのだが、今はそれがよかったと思っている。

 なぜなら、地域的に限定された法人であれば、「大地」の要求に応えて長期出荷をする場合、かなり作期を引っ張るための無理をすることになる。そうなれば病虫害にやられる危険も高くなるし、「多少品物が悪くても出す」ということになりかねない。だが、任意団体にしたことによって、福島の県北から県南までの広がりができ、また高冷地から平坦部まで会員がいることで、おのおのの地域の気象がもっとも都合のよいときつくれば、収穫期が微妙にずれて結果的に平均出荷ができるようになった。「地域の気象の違い」という自然力を生かすことによって、無理なく品質のよいものを届け続けられるようになったのである。

 また地域が広がったことで品目も増えた。オータムポエムやミニトマトのように新しく取り組み始めた品目もあるが、大部分は自家用も含め、各地域で少しずつ栽培されていたものだ。それが地域がまとまることにより、数量的にもまとまったので、出荷が可能になったのだ。そのことはまた、宅配方式で数種類の野菜、果実を一パックにして届けるという「大地」の方針転換にもかなうことになった。

 従来の指定産地制度の場合は、単一品目を大量に、できるだけ長期に出荷するというケースが多かったが、「わかば会」の場合はこれとは逆。宅配の増加という中で、複数品目を、その地域の適期にしぼって出荷するように変化してきたのである。

結合の核は生活と生産基盤の再生産

 先月号の本欄でも紹介しているように、農業基本法の立案者である小倉武一氏は、「(農山漁村の)環境には三つの要素がある。農林漁業者の生存、農林漁業の生産、その生産の基盤(景観を含む)である。農林漁業ないし農山漁村は全国民・全産業にとっての潜在的環境ともなっている」と述べている(『こうしたらどうですか新農改』)。

 だが、これまでの指定産地制度は、生産を重視するあまり、「農林漁業者の生存」や「生産の基盤」を軽視してこなかっただろうか。

「わかば会」の六〇戸の農家の結合の核は、「ここで生きる決意」であり、「そのために土を守る技術」である。まず生産や販売が先にあったわけではない。指定産地制度に欠落していたことが、「わかば会」の結合の核である。またその核は、それまでの「村」や「農家」がもっていたにもかかわらず従来の産地形成によって軽視され、風化させられてきたものではなかったか。

 だから佐藤さんは、「『わかば会』は生産者の集まりというより、農家の集まり、の集まりだ」と言うのである。

「わかば会」の全員が集まるのは新年会と年一回の旅行会。あと地区ごとにイモ煮会が開かれる。旅行会では、ただ遊びに行くのではなく、かならず自分たちの農業の参考になりそうなところの視察を取り入れている。サカタの君津農場や熱海・大仁のMOA自然農法センター、山梨の「大地」生産農家など。年数回の顔合わせでも、「ここから県南に行ってもちっとも遠く感じないよ」と話すのは奥さんの春子さん。近く婦人部だけの機関紙を発行すべく準備・構想中なのだそうだ。

 圓治さんも「自分たちが楽しく生活できる農業なら、必ず子供は後を継いでくれる。子供にどんな農業を引き継ぐか、その知恵を出しあうのも『わかば会』の目的だ」と。

 生活と生産基盤の再生産を重視する「新しい産地形成」の動きが、今、全国で始まっている。

(農文協論説委員会)

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