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農文協トップ主張 1994年11月

今年の米が明日を拓く
農家が食料を管理する時代を

目次

◆「生活」が「経済」を拒否した
◆だれも食べない米は輸入できない
◆米を余らせて米を守る
◆米を農民が管理する
◆地域の個性を流通させよう

今年の米が明日を拓く

“生活”が“経済”を拒否した

 この春から秋にかけて、農家はなにをしたか。

 イネをたくさんつくった。報われて、稔りの秋を迎える。農家はなぜイネをたくさんつくったのか。減反が緩和されたから――では答えにならない。一昨年末、減反は緩和の傾向にあった。それでも、一昨年限りの緩和ではとか、将来がみえないからとか、やがて米は自由化されるからとか、暗い判断を払拭できなかった。だから、あまり増反はすすまなかった。

 なぜ今年はちがったのか。農家が頼りにされたからである。それを受けて立った農家が、全国にたくさんいる。「年賀状も交換してなかった姪から」SOSが来たので、「たまにはパンやウドンを食べることにして」飯米分を送りとどけたという富山県の高島忠行さん(本誌九月号四六ページ)。こういう人がいっぱいいる。

 戦争直後の食糧難のとき、農家の軒先まで占領軍のジープがやってきて米の供出を強行した。都市住民は皇居前広場に押しかけて「米よこせデモ」を敢行した。米は国家に管理され、自由な流通は厳しく取り締まられていたのである。

 いま、飽食の時代に起こった米だけの不足。作る者と食べる者との連携が、底辺で静かに起こっており、それを取り締る力は、もはや権力にもない。

 一方、この春から秋にかけて、消費者はなにをしたか。店頭から消えた国産米を求めて行列をつくり、高い米を買い、はじめは物珍しさもあって手を伸ばした外国産米にそっぽを向き、やがて、めん類やパン類で代替したのである。この一連の動きを「平成の米騒動」というのは正しくない。賢明な行動をとったというべきであろう。

 あえて「米騒動」というのならば、大正の米騒動は“米はあっても買えなかった”ための騒動であり、前述の米よこせデモに見られる昭和の米騒動は“米がなくて代替品もなかった”ための騒動である。平成の米騒動は“国産米はないが、外国米や代替品はあった”状況での騒ぎである。そのようなとき、消費者が外国米に走らず、めんやパンに替えたことの意味は深い。

 もし、消費者が安い外国産米をよろこんで食べたとしたら、これは日本のイナ作農業にとって大きな打撃であっただろう。安くてうまい米がたくさん入ってきた。もっと安く、もっと多く売れ――ということにはならず、静かに、めんやパンでがまんして穫れ秋を待った。これが逆なら、日本でイネをつくる意味がなくなってしまう。

 このようなわけで、この春から秋にかけて、生産者がイネをつくることに元気を出し、消費者が外国米を拒否したことによって、日本のイネつくりの、さらにいえば日本の農業の存在の意義が、直接的に実証されたのである。

 ここで、直接的に、という意味は、それが政治や経済の世界からでなく、生活の世界から実証されたという意味である。だから強い。政治の世界から、というのは、農民が保守勢力を支える基盤になっている(あるいは、もはやそうなっていない)といったレベルでの物言いである。生活の世界から、というのは、生きるためにつくり、つくるために食べるという、生活の根源的なありようからの実証である、ということだ。経済合理からの判断ではない力が生産の場にも、消費の場にも厳然として存在していた。

 あえて、もう一言いっておくが、農業は環境を守るとか、水田のダム効果とかいうことが真実だとしても、それは、生きるということ、生命の存在様式には関わらない。農林漁業の存亡の意義は、生活世界の根源に在る。それが、この春から秋にかけて、作る者、食べる者の双方から顕在化したのである。

 そこで、今年の米の売り方と売れ方が来年を決めることになる。

だれも食べない米は輸入できない

 本誌四月号の主張で、私たちは「外国産米が店頭に並ぶに際して、消費者の皆さまへの静かな訴え」と題して、要旨つぎのように述べた。消費者への訴えという形を借りて、二十一世紀初頭までの米についての展望をし、外国産米とどうつきあったらよいかを論じたのである。

〈外国産米が店頭に並ぶに際して消費者の皆さまへの静かな訴え〉(要旨)

 できれば安心できる国産米を食べていたい消費者として、これから外国産米とどうつきあっていくのが賢明か。答えは意外に簡単。買わなければよい。食べなければよい。ただし今年(平成六年)の穫れ秋までは事情は別。

 これから二十一世紀初頭までに、外国産米は三段階に区別されて、性格のちがう形で輸入されてくる。

 第一段階 本年秋までの輸入米。これは政府が昨年(平成五年)産米の大凶作に対する緊急措置として、国家管理で輸入するもの。ガット・ウルグァイ・ラウンドの約束ごととは何の関係もない。

 第二段階 来年(平成七年)春から今世紀末(平成十二年)にかけての六年間に輸入される米。ガットでの合意に基づき、ミニマム・アクセス(最小限輸入)として、国家管理で輸入される。当初四〇万t、最終年八〇万t。

 第三段階 第二段階が終わったあとに、国際的交渉を行なった上で決まることだが、現時点では二十一世紀初頭(二〇〇一年、平成十三年)から米は関税化される見通し。民間商社などの自由な輸入となるから、数量は輸入業者の感触次第。

 以上の三つの段階で、消費者はどのように輸入米とつきあったらよいか。

 第一段階 輸入米を心して味わう。心してというのは、第一に、凶作は天災だけれども米不足は人災だということを深く考えること。凶作でもすぐに米不足とならない手だてはいくらでもとれた。備蓄米をもっと多く設定しておくべきだった。第二に、他の米輸入国に大きな迷惑をかけていることに心する。

 第二段階 ミニマム・アクセス米(輸入米)は買わない。食べない。この六年間で日本人を輸入米に慣らしてしまおうというのが先方の思惑なのだから、その手には乗らない消費者でありたい。

 第三段階 第二段階が右のように経過すれば、だれも輸入米を買わないのだから、売れない米を関税を払ってまで輸入する商社はない。

 

米を余らせて米を守る

 じつは、この第一段階(今年の初春から穫れ秋まで)の過ごし方については、この主張ではもう少し別のことを期待していた。

 「いくら高くてもいいからわたしは国産米を食べる、というのはおかしなことです。第一に、こういう人たちは米の代わりにパンやめん類を食べるのでしょうが、残念ながらその大部分は輸入の小麦粉、そば粉に頼ってつくられています。第二に、こういうときですから自由米の価格は当然上がります。上がってはいますが、その上昇にはいま、かなりの抑制力が働いています。平年作地帯の農協は、各組合員がなんとかもう一俵よけいに出荷しようという働きかけをしていますし、特栽米などで米の産直を行なっている生産者は、できるだけ多くの米をできるだけ例年の価格に近づけて消費者にとどけようと努力しています。そうしたなかであなただけ「いくら高くてもよいから」は道義に反する。とにかく、じっとがまん、です。“がまん”の中から何かが、何か新しい米に対する認識が生まれてきます」

 こんなことも記していたのである。

 輸入米を心して食べるという私たちの期待ははずれて、消費者は代替食に走った。だが、これを以て“がまん”が足りなかったとはいうまい。消費者はもっと徹底していたのだと考えよう。また、心しないでパンやめん類に移ったとも思うまい。タイ米が口にあわないことについて一方でタイの農家にすまなく思い、一方で、ことほど左様に、人間の食習慣というものが、歴史に刻まれ地域に深く根をおろした人々の暮らし方の相違のなかにあるということを自ら深く体験したのだから。

 それにしても、パンやめん類に代替した人々のあまりの多さに、米消費の減退を恐れる声もある。豊作による米価の低下を恐れる人々もある。しかし、ここはまず、楽観的に考えよう。輸入米のまずさに恐れをなした消費者、あるいは国産米の入手困難に陥った消費者が、心して輸入米を食べるよりもパンとめん類に代えることを選んだのだから、口に合ったおいしい国産の新米が出まわればまた、カンタンに米食に戻るのではないか。街にあふれる“べんとう屋”の店先には、“国産米一〇〇%使用”のビラが張られ、行列ももとどおりに復活している。

 また、極端な価格低下(暴落)は、新農政が目指すイナ作のコスト・ダウンにも支障をきたすだろうし、とくに選択制になる生産調整を受け入れなかった生産者に与える影響は大きい。自主流通米価格形成機構会長・沢辺守氏も「暴落対策は国家のしごとだ」と強調している(本誌と同時発行の『現代農業増刊号・いろいろあるぞ米の流通』に掲載される沢辺氏へのインタビューの中で…)。

 そして、もっと積極的に考えてみよう。

 米が余るのは結構なことなのだ。いや、米が余るほどに生産されてはじめて、米は守られるのである。

 このところずっと米の需給は“単年度需給均衡”の政策によって、備蓄は極めて少量の状態が続いていた。とても“米は余っている”といえるような状態ではなかった。そこに昨年の凶作だから、輸入する他なかったのである。作況指数七四というほどの凶作ではなくても、輸入せざるを得ないのが真相だった。米が単年度で余るということは困ったことではない。それで安心できる、というものである。備蓄をし、豊作がつづき、備蓄米があふれたとき、他用途(加工)やエサに回し、さらに不足国への援助を考える。こうした状態がつづくのが安定した食料生産のあり方だ。

 平年作が数年つづいて、ようやく備蓄も十分持つようになったとき、米が余っている(米に余裕がある)状況になる。米に余裕がないようにしておくこと、それが輸入に頼らざるを得ないような状況をもたらすのである。

米を農民が管理する

 米に余裕があるという状況がつづけば、食管制度が如何ように変わろうとも、さして問題にはならない。むしろ、農家(と農民の組織である農協)はさまざまな売り方を開発することができる。

 いまから二五年前(昭和四十四年)、米の生産調整(減反)の実施の決定寸前というとき、つぎのような発言をした農協組合長がいた。

 「農協はいま、全国の米集荷量の九四%をにぎっている。この極端に高い集荷統制率はどんな力を発揮しているか。……一般の自由市場であれば、三〇%の市場占有率を持てば独占といわれている。だが農協のにぎっている集荷統制率の場合は、なぜそのような力が発揮できないのか。それは食管制度のもとでの農協は、米については食糧行政の補助機関でしかないからだ……。生産者の出荷した米は玄米の形で政府が買い、それが卸・小売の段階で白米加工されて消費者に渡るのである。農協は単なる集荷のトンネルであって、生産者は原料生産者でしかない。次いで農協は、単なる保管業者として米の保管に当たるが、これも政府の委託業務であり、協同組合でなければやれない事業をしているのではない。原料米を最終商品形態にする搗精加工は、卸・小売の配給段階で行われるわけである。だから加工段階でどのようなことが行われようと、生産者の手を完全に離れてしまってのことだから、生産者としてはどうにもならないことなのである」(千田徳寿「米の農民管理をめざせ」。昭和後期農業問題論集第一〇巻『食糧管理制度論』所収。なお前記の『現代農業増刊号・いろいろあるぞ米の流通』にも抄録されている)。

 自主流通米制度ができ、その量が増大した今日でも事態はそんなに変わってはいない。とくに「生産者としてはどうにもならない」という点で。

 だが、今こそ事態は変わる。すでに特別表示米、特別栽培米、縁故米などの、食管法改正によって生まれた新制度を活用した米の産直ルートで「協同組合でなければやれない事業」をしている生産者や農協がある。

 つぎのように発言する農協組合長もいる。

 「農畜産物は生産が消費を上回れば過剰になり、過剰は暴落を誘発する。ではどうするか、それは基本的には生産者に帰属する課題だ。対策は消費拡大の追求と自主的減産、合わせて調整保管をよぎなくされる。これが通常のパターンだ。それを、コメは国民の基礎的食糧であるから政治の責任だと政府に押しつけて納税者が納得するであろうか。このような問題について、農協は生協と肚を割って論議を重ねるべきだ。農協と生協の提携を阻害してきた要因の一つである農協組織の自民党一党支持の風潮は今日の連合政権のもとでは希薄化されるであろうし、消費者の国産米へのこだわりが予想外に強いことが、今回のコメ騒動で立証された。この追い風に乗らない手はない」(JA岡山市高松組合長・藤井虎雄「この追い風に乗らない手はない」。前記増刊号『いろいろあるぞ米の流通』所収)。

地域の個性を流通させよう

 市場経済というものがあって、先進国社会のおおむね総てを覆っている。さらに、それは一国単位でなく、“国際化”されている。そこに経済合理性というものが貫かれているといわれる。しかし、本来、経済合理性が貫かれてしまっては社会の存立があやうくなる分野もある。たとえば教育がエリートを効率よく育成することに傾くと、不登校の問題が発生する。医学が科学主義に傾けば、脳死をめぐる深刻な議論が必要とされてくる。食料が供給と需要との関係だけでとらえられれば、安全性が問われようになる。

 いつも、経済合理性に拮抗する力が働くので、合理性だけが市場経済に貫徹することは、じつはあり得ないことなのである。どこかにほころびが現われる。そのほころびはどのように修復されるのだろうか。拮抗する力はどこから現われるのだろうか。

 本年春から秋にかけて、生産者は元気に米をつくり、消費者は輸入米を拒否した。なぜ安い(これは経済の場面だ)輸入米を食べず、うまい(これは生活の場面だ)国産米を求めたのか。経済の論理でなく生活感覚が優先した。経済合理性はドタン場で生活世界の論理性に場をゆずらざるを得なかったのだ。世界が変わるのは、経済によってでもなく、政治によってでもなく、最終的には日常の生活世界の論理によってである。

 かくて、市場経済のなかで生産者や農協が果たし得ることは、大量生産や大量流通と競争するのではなく、生産する場(地域)の個性を発見し、集中し、その地域の生産物――米だけでなく、すべての生産物――にその個性を顕在化させることである。

 生産する場(地域)の個性とはなにか。それは風土というような静的な発想だけでは発見できない。人間が、その風土のなかで歴史的に(時間的に)、地域の広がりをふまえながら(空間的に)、日常の生活の根源として積み重ねてきた、動的な能力である。潜在している地域の個性を顕在化し、すべての生産物の個性としよう。農家、農協の力で、その地の生産物の個性を、市場経済のなかに流通させよう。

(農文協論説委員会)

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