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農文協トップ主張 1995年2月号
米は過剰ではない
今年も思いっきり米をとろう

――米産直の網を広げ新しい生活者型の流通を――

◆歴史的な大変革が始まった

 昨年、農家は米をたくさんとった。「国産米を食べたい」という消費者の強い要望に農家はみごとに応えた。ところが、期待に応えた途端のマスコミの「過剰」「過剰」の大合唱、――とんでもない話である。
 まず第一に米は余っていない。作況指数109(10月15日現在)の予想収穫量は1194万トン、10月末の在庫は国産米ゼロ、輸入米98万トン(ただしこのうち主食用として使われるのが15万トン程度)、これから通常年の早食い量との差、40万トンをさし引くと国産米の供給量は1154万トンになる。米消費量を1000万トンとすると残りは154万トン。政府は150万トン程度の備蓄をするというから、本当の余りはわずかに4万トン、これは需要の2日分にも満たない。
 作況指数109でこの数字だ。昨年のような豊作が続くとは考えにくい。にもかかわらず「過剰」の大合唱、結局のところこれは、「過剰」→日本の米つくりの縮小→輸入拡大というすじ書きに国民の世論を誘導することをねらったものとしか考えられない。
 この「過剰」宣伝の根拠に国民の米離れが進んでいるという見方がある。右の計算では主食用、加工用、モチ米、農家消費などすべて含めて消費量を例年並みの1000万トンとしたが、昨年は米の消費量は減っている。食糧庁の最新の調査結果によると、昨年7〜9月の米消費は過去最大の落ち込みを示し、前年同期比で7.2%の減だという。しかしこれをもって、国民の「米離れ」が進んでいるとはいえない。食糧庁も国産米の不足でパンやめん類にシフトした流れに、この夏の猛暑が拍車をかけたと分析している。しかし、猛暑以前に、外米入りのブレンド米を消費者が嫌ったことが第一の要因だろう。米の消費減は、消費者が輸入米にむかわなかったこと、それだけ国産米志向が強かったことの現われである。なんら悲観すべき話ではない。
 課題はこの一時の米離れを恒常的な米離れにしないことである。そのためにどうするか。生産者とその組織自身が積極的に米を売ることだ。政府は、米を守り農村を守る姿勢も能力も持ちあわせていない。米の販売の自由化、自主減反などを盛り込んだ新食糧法はいい意味でも悪い意味でも、その現われである。無責任ではあるが、一方では、国家が直接管理しなくても、生産者側でうまくやっていけると判断した、とよく解釈することもできる。
 そういうことだから、政府などあてにせずこの際、自分たちでうまくやってみようではないか。国家管理に代わって市場経済に身をゆだねようというのではない。どこかに、だれかに身をゆだねるのではなく、自ら切り拓く。それには直接消費者と結びつくしかない。
 かくして今、米の産直が大きく広がりつつある。米不足の中で、消費者の国産米へのこだわりが思いのほか強いこともわかった。米不足の中でこれまでになかったような消費者とのかかわりもあった。米は充分にある。条件はそろった。
 米不足の時に米を送った消費者に再び売ろうとしたら「今年はいいわ」と断られたという話がある。考えてみれば当たり前である。その消費者は手づるをさがして、いろんな農家に米がないかと声をかけた。そして今度は声をかけられた農家が「米はいりませんか」と電話を入れた。といってすべての農家から米を買うわけにはいかない。その結果の「今年はいいわ」である。それほどまでに、今、農家は積極的に米を売り始めたということである。歴史的な大変革が始まっている。

◆もはや農家は原料生産者ではない

 精米機が大変な売れゆきだという。富山県のある業者によると、今年に入ってからの注文は例年の3倍、出荷が追いつかずうれしい悲鳴をあげている。注文は大規模農家からだけではない。
 自分で精米するということは、自分で製品にして売るということである。原料生産者の位置にとどまらない、満足しない、そんな思いから、米の多様な売り方がでてくる。
 宮城県のJA中新田では、地域農業活性化にむけ、@玄米で売る A精米(白米)で販売する B酒米を作り酒造メーカーに販売する(農商一体の米作り) C種モミとして県下の生産農家に販売する Dご飯として消費者に直接販売する、という5つの販売戦略を掲げ、実践している。
 自分のところで精米すれば、当然米ヌカが残るが、JA中新田ではこれをキノコの培養に利用している。米ヌカはボカシ肥などの基本資材でもあり、有機米つくりにも貴重である。米産直は思わぬ副産物をもたらしてくれる。
 30年ほど前、当時、協同組合経営研究所理事長だった一楽照雄氏が次のような興味深い指摘をしている。
 「農家が売る米は玄米であるが、消費者が買う米は白米である。玄米を白米にするのは米屋である。この状態はいつごろからのことか知らないが、あまりにも古い昔からのことらしいので、一般に当たり前のことのように思われている。しかし考えてみれば、こんな不合理なことが未だに改められないでいるのは、むしろ不思議とすべきではなかろうか。
 都会ではほとんど必要がなく、農村では飼料等として極めて必要な糠が、農村に残らないで、米屋から集められたものを農村の側で買い取らなければならないのは、農家としては実に愚かしいことである。」
 「そこで私は、農家のためにも消費者のためにも、そして同時に配給業者のためにも合理的であると信ずる次の構想を提唱する。
 農協は相当大規模な精米施設を中心とし、籾の保管施設や白米の包装施設を伴った設備をもつ。ここでは年間平均して今摺米として白米を生産する。白米は袋詰めにして、その袋には銘柄・容量等と農協名を明記して売り出すことにする。」
 「この構想を実現させるためには、現行食糧管理の制度機構に触れざるを得ない。しかしここにおこなう食管制度についての論議は、今日までの食管制度改廃論とは異なった性質のものである。私の提案は現行食管制度はこれを前提として存置し、ただその例外の道として、農協がその設備で白米にした米は、政府ではなく配給業者に直接自由な価格で売り渡すことを許すのである。(中略)
 食糧管理の制度と機構の問題としては、この設けられた例外は、それが農家、消費者、米屋のそれぞれに歓迎された限りで適用されるのであるから、心配することは少しもない。三者によって盛んに歓迎されて、例外が、例外でないような実態になれば、それこそまことに結構なことではなかろうか。」(『協同組合経営研究月報』152号、1966年5月より、一楽照雄著『協同組合の使命と課題』(農文協刊)に収録されている)
 なかなかの卓見である。30年も前の指摘である。30年前と比べて、情報、流通、組織など「自分で米を売る」条件は飛躍的に整備されているのだから、農家自身による産直も含めて、多様な米産直が大きく広がるのは、至極当然なのだ。一楽氏が期待したように「例外が例外でなくなる」のだ。
 JA中新田の場合は、精米からさらにつき進んで、ご飯まで販売している。「米だけが国内で唯1、旬が確認できる農産物である」との観点から、食品メーカーのロングライフではなく「フレッシュパック」を全面に打ち出した。地域の米を、地域の水を使って炊飯した「産直ご飯」は、「わが家のご飯より美味しい」といった反応があるぐらい好評だ。
 生産し自ら消費する農家は、加工も含めその作物の食べ方、生かし方を心得ている。そうした農家の生活と技術に支えられているからこそ、産直の品物は安全でおいしいのである。

◆米産直を農村の多次産業化の武器にする

 米産直は米だけにはとどまらない。米を売るための産直が、他の作物を売る条件を広げてくれるのだ。
 福岡県前原市で特栽米に取り組むお母さんたちは、一方で普及所や役場の勧めもあって、毎月第1、第3日曜日に「ふれあい市」を開いているが、特に第1日曜日のお客さんが多いという。特栽米を契約している50戸ほどの消費者が1カ月分の米を取りにくる日でもあるからだ。そのついでに野菜を買っていってくれる。
 毎日食べる米のもつ力は大きい。米産直には、他の作物にはない独自の「つながりを広げる力」が秘められている。
 山形県の置賜産直センター(参加農家は約200戸)では、特栽米に対する消費者からの値下げ要望に対し、産直品目の拡大で対応した。相手先(都職生協)の要望は10キロ600円の値下げ。1年分1家族100キロ程度の契約なので、しめて6000円。その分を他の農産物を送りたいという提案をしたのだ。品物は年末のモチと味噌、果物(リンゴとラ・フランス)、そして牛肉。その提案がうけて注文も多くきているという。味噌は知り合いの業者にダイズと米を渡してつくってもらうことにしたが、販売ルートが確立したら来年以降、減農薬でダイズをもっとつくる予定だ。もちろん、こうじには地元の米を使う。
 置賜産直センターの人たちは、消費者からの値下げ要望を、産直拡大のチャンスとして生かしたのである。
 消費者との直接的な結びつきはさまざまなアイデアや工夫をもたらす。こうした関係においては、値下げ要望があっても暴落はない。生活者としての農家と生活者としての消費者が結びつけば、そこには自ずと互いに困らないほどほどの金勘定が生まれる。

◆産直の価値は
農業をやりやすくすることにある

 今、各地でくり広げられ、そしてこれから求められる産直は、地域的な総合的産直である。米もあれば野菜もある、果樹もあれば山菜もキノコもある。旬の味もあれば、かあちゃんやお年寄り、そして村の加工業者の腕を存分に発揮した漬物や味噌などいろいろな加工品もある。
 無農薬野菜といった「わけあり商品」を売り込むのではない。「わけ」があるとすれば、それは農家に、村うちにある。
 現代の産直は消費者のニーズに農家が合わせるといった度量の狭いものではない。農家が農業をやりやすくする、そこに現代の産直の根本的な価値がある。
 先の置賜産直センターでは、今、独自のブレンド米を届けている。外米の入った「コシヒカリ」や「あきたこまち」が出回り、ブレンド米の評判を落としているが、正しい混米は生産者にとっても消費者にとっても大事なことだと考えてのことである。自分たちで試食したところ、ササニシキ、あきたこまちの単品よりササとこまちのブレンドのほうがおいしいという回答が圧倒的に多かった。こうして、5月までは梅雨期以降に食味が落ちやすいササの割合を高くし、5月以降は食味の安定度が抜群のこまちの割合を高くするという配慮をしたササ・こまちのブレンド米が実現した。さらにひとめぼれやはえぬきも加わり品種の多様化を進める。それによって、イネつくりがやりやすくなる。作期のちがう品種を組み合わせることにより適期刈りがしやすくなり、そのことが一層食味をよくする。それが冷害をまともに受けない重要な対策にもなる。産直だからこその、農家の都合と消費者の都合との絶妙なおり合いのつけ方がある。
産直は高齢者、婦人を元気にする
 現代の産直は、高齢者や婦人によって担われている日本の農業を活性化させる大きな力になる。農業が楽しくなり、高齢者にとっては自分の農業人生を悔いなくやりとげる条件をつくる。
 鳥取市で有機米の特栽米に取り組んでいる西岡一成さんは本誌平成6年12月号で次のように述べている。
 「ワシはこの川(大井出川)を昔のような川に戻したいです。この川は、昔は暮らしの中心でした。
 朝早く起きて、泥がたってない水を汲んで大きな壺に入れ、飲み水にもしたし、風呂にも洗濯にも使ってた。魚も何でもいた。アユ、フナ、コイ、ウグイ……。学校の水泳もこの川だったし、小ブナも釣った。
 その川をワシらの代が汚してしまった。パラチオンまいて洗濯水流して、虫も魚もいなくなった。この川をこのままでは孫に渡せんのです。何とか元に戻したいです。これは大正から昭和1桁の世代の共通の思いなんです。60歳代の気持ちです。
 そのためには、集落排水を整備したり、農薬を減らす有機米作りが必要なんだという気持ちが皆の気持ちにあったんです。でもせっかくそうして作った米も、今までと同じように供出してしまうのではもったいない。だれが食べているのか、相手が見えないんですから。そうではなく、特栽米で直接に消費者に届けたいと思いました。」
 そんな年配者の取り組みを、農協も普及所も鳥取市も支援している。そして、西岡さんが何よりも心強く感じているのは婦人たちの活躍だ。
 「ワシもそうだし誰でもそうだが、男は若いときにはふだん町に出てる。女が家に残って、田んぼや野菜をやってくれていた。女の力というのは相当なもんです。
 だからふれあい市にしても加工施設にしても、女の人たちが積極的に発言してやってきてくれたのは、本当にありがたいことだと思っています。半分以上が女の人たちがやってくれたことなんです。加工施設もふれあい市も生産性とか採算性とかでなく、まずは楽しみのためにです。川から魚とって、豆腐でお酒も飲んで。雑穀も作って食べて。そして町と交流して……」

 政府やマスコミが「過剰」「過剰」と騒いでも無視することにしよう。「余る」ほどつくることが再びの米不足を起こさないことであり、その米を直接に消費者に届ける産直のパイプを全流通の3分の1程度作ることが、米輸入の勢いを封じ込める力になる。
 問題はただ一つ、農家と消費者がどう結びつくかなのである。そして農家が行なう、この「農村から都市への働きかけ」を、農協や行政がどれだけ支援できるかなのである。それによっても地域の様相は大きく変わってくる。
 今年も元気に楽しく思いっ切りイネをつくろう。米をしっかりとって、売り方を工夫して消費者との結びつきを一層広げ、強めよう。このチャンスに、生産者も消費者もともに生活者なのだという新しい考え方に立った「生活者型農産物流通」をつくりあげよう。
(農文協論説委員会)


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