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農文協トップ主張 1995年7月号
全流通量の6〜7割の米産直こそ
国民が喜び、米価も下がらない道

11月1日からの「新食糧法」の新しい条件を活用して
今から新米の予約注文を


 いよいよこの秋11月1日から新食糧法が施行される。
50余年続いた食管法が廃止され、農家が生産した米、あるいは農協が集荷した米を、どこの誰に対して売ろうが基本的に自由であるという、歴史上初めての制度が始まる。
 ミニマムアクセス米も入る予定であり、昨年の豊作で在庫は豊富であり、商社や量販店が米ビジネスに参入しようとしているから、米価は下がる一方になるのではないか、農協の集荷力も弱まってしまうのではないか、などの心配の声もある。しかし、そうではない。この制度を活用して米の産直的流通を6割、7割のシェアに高めることができれば、生産者米価は下がらず、国民は将来も安心しておいしく安全で健康ないのちの国産米を食べていける。

◆米を生産する農家・地域が
米を販売するのが歴史の必然の流れ

 戦前の昭和17年に施行された食管法は、直接的には戦時経済の安定を狙ってできたものだが、「米商人」といわれた米の産地問屋、消費地問屋を中心とした前近代的な米支配、農家収奪を排して、直接に国家が米の流通を握るものであった。
 それまでの米は、生産を担っていた小作、自小作、小地主には販売の自由などと呼べるものはなかった。出来秋には、肥料代などの借金を返さなければならず、農家は安い値段で米を売る急迫販売を余儀なくされた。安かったのは市場に米があふれていたからではない。買いたたかれた米は、すぐに産地問屋の倉庫に入ったのではなく、農家の納屋や屋根裏を倉庫代わりに使って保管されていたのだから。安値は、米はあふれているとだまされた「カモフラージュ」「幻想」にすぎなかったのである(昭和後期農業問題論集10巻『食糧管理制度論』275頁 守田志郎「米の流通機構」)。産地問屋はその保管料を支払うこともしなかった。そして春を過ぎると、大切に食いつないできた米も少なくなり、農家は端境期に向けて値上がりする高い米を買わされた。
 安く売り、高く買う。保管料はもらえない。小作料が高い。――農家は2重3重に収奪されていた。負債が累積した。これが食管法以前の制度における米だった。こうして戦前の米流通は、農家が作っていたにもかかわらず米商人の完璧な支配下にあったのである。この、米商人の前近代的収奪による農家経済の破壊を排して、国家による全量管理に移行したのが食管法である。
 戦後50年、農地改革の後、ほ場整備、稲作技術そして米販売ルールの幾多の変遷を経ていよいよ、通常の米流通管理の主体を国家から農家・地域に明け渡す段階になった。
 現在では米商人ではなく、農協が倉庫や乾燥施設を持つようになった。品種も多様化してあらゆる要望に応えられる段階にきた。農業を支える人が高齢になりまた婦人が多くなってきたもとでは、植物農薬(6月号特集)や土着菌による発酵技術(4月号特集)への関心がきわめて高いことに現われているように、体と田んぼを大切にする農法でおいしく安全な米を作る技術も開発されてきた。つまり、農家と地域には安心できるおいしい米を食べたいという消費者の国産米への強い要望、だれがどんなふうに作っている米かを知って食べたいという要望に応えられる力もついたのである。
 こうして農家および地域、農協には、米を安定的に作るだけでなく、それを販売=流通する力がついた。国の全量管理から、農家・地域の販売力に主体をおいたいのちの米流通・産直へ。歴史の必然は地域の創造性を求める段階に入った。

◆すでに5割近い米の流通を
農家は握っている

 日本人は1年間のあいだに980〜990万tの米を消費する。昨年の米の生産量は1161万tだが、集荷された量は710万t。その差451万tは農家保有米である。およそ1000万tの必要に対し、すでに5割近い米が農家の直接の采配によって消費され流通されようとしているわけである。この自家保有米は、自らの自家消費、縁故米、餅や炊飯などの加工販売そしていわゆるヤミ米を含んだものだ。ヤミ米だからなにか得体の知れない米というわけではもちろんない。一昨年の米不足で友人や親戚から頼まれて分けてあげたのをきっかけに引き続き継続して頼まれた米もある。米屋に泣きつかれて分けた関係が継続しているものもある。農家が直接に消費者と契約して販売している特栽米もある。この他に、農協が生協などから逆指名されて流通する特別表示米・自主流通米もある。いずれにせよ、すでに現段階で5割に近い米を農家自身がパイプをつけて(そのパイプの役を農協が担っていることも多い)流通させようとしているということが肝心だ。商社の米流通へのあわただしい介入などがやっと始まったことからすると、1歩も2歩も先んじているのである。
 そして11月1日以降、農家が生産した米、あるいは農協が集荷した米の販売は基本的に自由になる。農家あるいは農協が産直的にお客さんをつかんで売る米の流れは一層多くなるであろう(ただし、農協が集荷する今年産米については従来ルールでの流通をする)。

◆農家、農協が全流通の6割、7割を
産直で握ることも可能
――そうすれば米価は下がらない

 たとえば青空市や直売所での販売を考えてみよう。11月からは青空市にももちろん米を並べることができるようになるからである。現在、青空市の数は急増しているが、仮に全国で1万カ所の青空市がそれぞれ200人くらいのお客さんをつかんでいるとしよう。市に出荷される野菜や果実の新鮮さ、安全さ、おいしさ、その村のあるいは出す人の個性にひかれて買いにきてくれているお客さんにとって、市の片隅に並べられる米はこのうえない魅力である。試しに5kgを買ってみて、やっぱりおいしかったと、また1週間後に買いに来るだろう。米の安全性、おいしさの由来などをアピールする機会があれば、お客さんはいっそうその米を信用してくれる。
 こうして200人のお客さんが1年に2俵の米を買ってくれると、その市で売れる米は400俵。全国にすると400万俵(24万t)。市に野菜は出せなくても米なら出せるという人は青空市のグループ員以外にたくさんいるから、並べることを頼まれるかもしれない。一方、お客さんからは、近所の人の分も含めて宅配を頼んでくるかもしれない。すると400俵どころか5倍の2000俵も売れてしまうかもしれない。全国にすれば120万tだ。米の需要の1割強である。
 また、少なくない農協が米の産直流通の努力を始めている。2500農協のうち半分が米の産直流通を真剣に考えて管内で集荷する米の1〜2割でも産直にまわせば、それは全国的には50〜60万tもの量になるだろう。
 こうして11月以降の米販売の自由化を利用しての農家、および農協・地域の産直米が1000万tの米需要のうち5割どころか6割、7割を占めることは決して非現実的なことではないのである。
 しかもこのときの米価は農家も消費者も満足する適正な値段に落ち着くはずだ。すなわち、現在ヤミで買付けに来る業者に売る米よりは高く、しかし消費者には逆に安いと感じられる値段であるだろう。農家も消費者も両方が満足するところで値段は成立していくのが産直のいいところだ。つまり産直流通の米が増えるほど、米価は下がらないのである。

◆競争に勝とうという発想では負けてしまう
――競争ではない、固有のお客さんルートの開発が課題

 しかし一方では、外国からの輸入米を安く売りたい(といってもガッチリ儲けると思うが)、輸入米と国産米を混米して安くておいしいなどと宣伝したい(この場合は相当な儲けを生む)、あるいは米を赤字販売しても客引きの目玉にしたいなどと考える商社・量販店・外食店・卸などの動きが強まることは間違いない。産業界の新聞、日経新聞などには左のような動きが毎日のように報道されている。
 たとえば丸紅。「食品を手掛けている会社はコメに無関心でいられるはずがない。市場規模が大きいうえ、精米、流通、加工など様々な事業の切り口がある」と、新小売会社を加ト吉と共同で作り、デニーズジャパン、すかいらーくなど外食大手に米の供給を始めた。また日本マタイは50億円もの投資で月間2500tの精米能力の工場を十月から稼働させる。伊藤忠も米市場への本格参入を計画、アメリカやオーストラリアの産地業者と輸入交渉を開始しつつ米小売店に資本参加して炊飯工場に米を供給、3年後に100億円の売上げを見込む。住友商事も北海道の米小売りに資本参加、店舗を拡大し卸売りにも進出する。大手卸の山種産業は米の銘柄、産地、数量、価格、米の作柄などの情報を整備し、営業が外食産業や量販店から受ける注文に迅速に対応するようにする。等々。
 十1月からの米ビジネスに乗り遅れまいと並々ならぬ意欲を燃やすとともに、輸入米のうま味を他社に取られまい、米産地を他社に取られまい、大変な競争の時代に入ったと焦っているのである。そしてその競争に農家・農協が巻き込まれることを前提に、米の価格は、2〜3年で15〜20%下がるだろうなどと予測している。

◆競争に巻き込まれるな

 冗談ではない。現時代の米の流通に関しては本質的にそのような競争など存在しないのである。存在しない競争をあたかもそれがこれからの時代の特徴のように考えて巻き込まれるから、結果として負けてしまう。
 アメリカの大規模経営と規模で競争することに何の意味もないのと同じように、「流通先をめぐって産地間競争の時代が始まった」とか、「競争力のある米づくりをしなくてはならない」などと言って焦ることには何の意味もない。意味がないどころか、そういう雰囲気に巻き込まれている一部の農業関係者がいることが、結果として自らの産地の米、村の米の評価を低くし、低価格競争に巻き込まれ、あたかも戦前と同じように、米を生産しているものが1番ワリを食うという事態をもたらすのである。今は戦前とはちがうのだ。「米商人」が支配できる時代ではない。
 消費者が求めているものはおいしい・安全・適正な価格ということである。たとえば今年の3月に青森県が実施した県民対象の「米の流通・消費に関する意向調査」(農政モニター200人対象)では、今後輸入拡大が見込まれる外国産米について「国産米が手に入るので買わない」が37.6%、「味と価格が納得できたら買いたい」が21.3%、「安全性に不安があるので買わない」が19.7%と、合計で7割近くが「何らかの理由で外国産米に拒否反応」(日経新聞東北A・3月十8日付け「外国産米買わぬ」3分の2、国産志向根強く――青森県調べ」)という結果なのである。同じ記事は最後にこう紹介している。「一方、新食糧法により生産者から直接、米を購入できる機会が増えることについては、『価格や品質、味などに納得できれば買いたい』とする回答が41.0%と最も多く、次いで『生産者が特定されて安心だから買いたい』が28.7%など、歓迎する声が多い」と。
 こういう動向に対して、普通の量販店が求めるのはそれなりのおいしさ・安さ、それのみである。いのちの米流通をどう作るのかが現在の国民的な課題なのだという認識がない。国家が管理していてビジネスになりにくかった米に、これから参入できるというので舞い上がっている短見性しか感じられない。
 そういう動きは無視すればよい。1円でも安くしてくれないとお宅の米は買ってやらないぞなどという買付けが来るなら、それは相手にしない。そんなところに交渉の時間を割くだけの暇があったら、1人でも2人でも自分の産地の米の真の価値、特徴をわかってくれて適正な値段を払ってくれる消費者を探すべきである。
 米の流通に本来競争などない。あるのは、自分の地域にしかない固有の品質と固有の販売ルートをゆっくり静かに開発してお客さんを確保していく淡々たる流れのみである。競争ではない。だれの商圏を荒らすのでもなく、また逆に荒らされるのでもない固有の、その地域にしかないルート掘り当ての自助努力、自力販売のみである。

◆2万人の漬物ルート
――山形県JA本沢

 たとえば山形県のJA本沢の例を見てみよう(詳しくは本誌3月号338頁と1995年増刊現代農業『産直革命 あものからいのちへ』32頁参照)。ここでは「青菜漬」という、農協直営の工場で作るきわめておいしい漬物を、首都圏在住の本沢町出身者に販売するようになって8年がたった。近所の人にも勧めてくれるように頼みながらの拡販で、今や2万人の顧客名簿がある。農協ではこのルートで米を販売しようと考えているのである。半分の人が1俵ずつ買ってくれたとして1万俵が売れる。すでに農協の職員を上げて開発した地元の団地や温泉、福祉施設等には3000俵の固定の販売がある。それをあわせて1万3000俵の産直である。組合長の高橋一雄さんは「本沢農協が出荷する米は約2万俵、将来はこの全量を自分の手で販売したい。当地区の米は全量農協扱いとし直販する。これがわが農協の願いであり、目標である」という。
 この青菜ルートの名簿はどこか別の農協で持てる競争の販売対象だろうか。そうではない。第1に本沢町出身者に声を掛けた名簿だからであり、またふるさとの青菜をすばらしい味の漬物加工品に仕上げた工夫の蓄積された結果のルートだからである。

◆毎週、1万7000世帯に今摺米
――群馬県玉村町

 もう一つ、群馬県玉村町で農協や役場、商工会が協力して構想していることを見てみよう。この町は人口急増(3万3000人)で田は虫食いになった。しかし米をしっかり作りたいという拡大志向の農家だけでも100人もいることがわかり、それなら600〜700haで穫れる米の全量とまでいかなくてもかなりの部分を、この町の住民になってくれた消費者に今摺米で食べてもらおうと考えている。町の中心部に10haの農業公園を作り、そこに低温貯蔵して品質が下がっていない米を今摺精米して買ってもらう施設を作る。米は精米してから5日くらいが極めておいしいからそれを食べてもらう。コイン精米ではないもっと優れたものを入れ、少量ずつ買っていってもらう。
 こうして1週間に1度、1万7000世帯を農業公園に集め、同時にそこには野菜も花も地元の新鮮な多様なものを並べる。靴も化粧品も買えるようにする。冠婚葬祭のできる施設を作る。遠方から来る人のためにはホテルも必要かもしれない――。商工会も感動して賛成したこの構想は、農家も高く評価して実現を願っているのである。
 いったいこうして売られていく玉村町の米はどこの米と競争状態にあるのだろうか。ありはしない。玉村町に住む人にとって、夏は イネ、冬から春はムギという緑の景観と共に基本食糧を提供してくれる眼前の玉村の田んぼから穫れる米は、他のどこの米にも代えられない米なのである。住民はおいしさ・安全・安心・景観への対価として適切な価格を支払ってくれるだろう。
 米の産直的流通は競争ではない、その地域、その人にしかない固有ルートへの販売なのである。

◆どんどんおいしい新米の予約注文を取ろう

 この秋、米の販売が基本的に自由になる。歴史上初めて、米を作る農家が、そしてその米を集荷する農協が自分の固有のルートを開発しながら米を売ることができるようになる。
 個人で売りたければ売ればいいし、保管・精米・配達・集金を農協に手伝ってもらえば個人でできる人には農協がお手伝いする工夫をすればいいし、農協で全量集荷してそれを固有のルートの販売に乗せるというならそれでもいい。生協とのより親密な交流をしながらの産直もあろうし、都会の米屋に地域をわかってもらって関係するのもいい。
 方法は地域によってまた経営の作戦によって変わってこようが、基本は米の産直的流通を圧倒的に強化することだ。それは農業と食べ物の大切さを伝える仕事でもあり、また食べる人の健康を守る、地域から発する国民運動なのである。米価を下げることに夢中になる競争など無視して、農家の暮らしを守りながら消費者の健康も守ろう。産直の流れが圧倒的に強まれば、米屋も卸も、外食店も量販店もその流れに乗ってくる。買いたたきをするためではなく、いのちの流れの米流通の1端を担いたいと思いながら。
 お盆に帰ってくる兄弟や子供たちには、あなたの家の、村のかけがえのない米を食べてくれるお客さんの名簿を土産にもってきてもらおう。
 新米はどんな品種のどんな地域の米でもうまい。この夏、田んぼをしっかり作ってうまい新米を穫り、それを送ることから産直の流れの1歩を始めよう。
(農文協論説委員会)


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