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農文協トップ主張 1995年6月号
ものからいのちへ今、
防除の大変革が始まった

――地域の植物と微生物を生かして防除を楽しい仕事に変える

◆防除が快適にできるかどうかは、農家の死活問題

 マスクをつけ、防除着を着て、重いホースを引っぱりながらの防除作業。暑くるしく息ぐるしいうえに農薬が身体にふりかかる。防除をした日の夜は晩酌もできない。農薬散布がなければ農業はもっと楽しいのに……と思う。
 長野県の小沢禎一郎さんは、10年前ころ、大規模野菜地帯の農家と話し合ったとき、キャビンつきのトラクターに最新のブームスプレヤーを防除することをすすめた。あんなでかい機械を買って、過剰投資になるんじゃないかとか、何もそこまでしなくてもと、反論もずいぶんでたという。しかし、小沢さんは、なによりも人間のいのちが第1だと考えたのである。農業にはいろいろきつい仕事があるが、農薬散布はきついだけでなくいのちにもかかわる。ガマンするばかりで自分でいやになる仕事をそのままにしておいたら、嫁さんがくるわけがないし、後継ぎが残るわけもない。健康に害がなく快適に防除が行なえるかどうかは、農家の死活問題だと小沢さんは訴えたのである。
 それからずいぶん日がたち、この間に防除の安全性や小力化にむけて各種の技術開発が進んだ。フロアブル剤などの農薬の剤型改善、ロボット、水田のブームスプレヤー、無人ヘリなどハード面の開発が進められる一方、高齢化が進むなかで、防除作業のしかたそのものの改善のための試験研究や農家の工夫も盛んになってきた。
 「健康・効率・快適」の新3K防除にむけて精力的な研究を進めている奈良農試の谷川さんたちは、防除器具や防除のしかただけでなく、ナスの整枝法を防除しやすいように変えるといった栽培法まで提案している。ウネの立て方にしろ、整枝法にしろ、これまでは増収が中心で、人間の身体の都合をあまりにも忘れている、これでは高齢化が進む農業が成り立たないと考えてのことである。
 こうした防除作業の改善のための技術開発や工夫は、これからの農業に決定的に重要である。無人ヘリなどハードの共同的な活用方法も含め、高齢化が進む農業を支える力としたい。
 ところで、こうした農薬散布の省力化とは別に、このところ防除をめぐる新しい動きが急速に広がっている。それは防除の考え方そのものを変える中身をはらんだ動きだ。
防除が作物とのつきあいを深める
 防除という仕事は、やむをえず行なう、うしろ向きの仕事だと思われてきた。人間にも害のある農薬を使って病害虫を殺す、必要悪としての防除。しかし、よく考えてみると、本来防除はそんなものではないだろう。外敵から作物を守り、作物が健康に育つのを助ける、それが防除の基本だ。それはいろいろと気をつかいながら赤ちゃんを守り育てるおかあさんの仕事に似た、やりがいのある仕事であるはずである。
 そして今、農家は本来の防除を楽しくやりはじめた。古くて「新しい農薬」がそれを可能にしている。単純に無農薬というのではない。防除をやめるのとは反対に、新しい農薬も含めて防除のしくみを変え、積極的に防除する。施肥や水やりと同じように防除を行ない、その結果としての作物の表情の変化を見て、また作物にかかわる。農家と作物とのつながりを遠ざける防除ではない、新しい防除が広がってきた。
 「新しい農薬」の代表格は、各種の植物抽出液の利用である。木酢液にはじまって、今月号でも紹介したように、トウガラシやニンニク、海藻、アセビ、竹など、いろんな植物を農薬として利用する工夫がどんどん広がっている。自分で自分用の農薬をつくる農家もたくさんでてきた。
 これらの農薬の特徴は、病害虫を抑えると同時に作物を健康にする働きがあることだ。安全性が高く農家の健康によいうえに、作物の健康にもよい。2重の意味で健康農薬なのである。
 化学農薬はその逆である。病害虫をよく殺すが、作物にとって防御壁である葉の表面のワックス層をこわし、葉面の微生物相を単純化し、作物を弱め、その結果「農薬が農薬を呼ぶ」しくみをつくってしまう場合すらある。
 「植物農薬」には、化学農薬のような卓効はあまり期待できない。その効果は害虫を忌避するとか、海藻やモロヘイヤを素材にした「農薬」のようにその粘着物質で窒息させてしまうとか、といった作用のしかたが中心だ。化学農薬のようなシャープな殺菌・殺虫効果は期待できないが、一方では作物の健康を促す。代表格の木酢液には植物にとって有効な成分が含まれ、葉を厚くしたりテリをよくするなどの効果が期待できる。「植物農薬」でかりに化学農薬の8割の虫しか退治できなくても、作物が丈夫になることによって、残った2割の虫がする悪さをカバーして余りある。病害虫を防いだうえに、作物を健康にして収量、品質の向上が期待できる。
 防除作業自身が苦痛でなくなるうえに、防除した後の作物の変化が楽しみになる。防除が作物とのつき合いを深める作業になるのだ。

◆植物がもつ、自分で自分を守る働きを生かす

 ところで、「植物農薬」はなぜ病害虫に効果があるのだろうか。中国では、植物から農薬をつくる伝統技術が発達してきた。その伝統を支えている「植物保護」の思想がある。それは植物は自分で自分を保護しているというとらえ方である。植物は動けない。外敵がいても逃げ出すわけにはいかない。だから、虫などから身を守るしくみを植物は身につけている。体内への侵入を防ぎ、侵入してきた場合はなんらかの物質をつくって体内で広がるのを防ごうとする。
 すべての植物にはそうしたしくみがあり、植物を素材にすることで、病害虫を防ぐ物質が得られるというわけだ。そうした性質の強い植物、生命力の強い植物から、一方で人間の薬(漢方薬)がつくられ、一方では植物保護液という名の農薬がつくられる。
 日本でも植物を農薬として利用してきた伝統がある。江戸期の土佐の農書「冨貴宝蔵記」『日本農書全集』=農文協刊―第30巻に収録)には、アセビやヨモギ、仙人草などを水の中に入れて、その浸出液を使うとウンカに効果がある、アセビの煮汁と鯨油を混ぜるとクロカメムシに効く、種モミにかけると虫害を受けないといった興味深い記述がある。土佐だけでなく、身近にあるものから農薬を自分でつくるこうした工夫が、農家の手によってさまざまに行なわれてきたのである。
 人間が暮らす地域の土台に自然の生態系がある。山があり川があり田畑があり、さまざまな生きものが自分の生きる場所をもち互いに関係しあって生きている。竹は竹林をつくり、そこには竹とともに生きる微生物がいる。それぞれにその場で生きるための特有の生命力、防除力がそなわっており、だからこそ、作物や田畑を活性化する素材にもなりうるのだ。

◆土着菌を生かす発酵技術の創造を

 地域自然の多様性のなかに、隠された生命力を発見する。それが植物農薬のおもしろさである。今、大変な関心を呼んでいる土着菌の利用も同じだ。
 「地球上で、この自分の土地にしかない微生物群(構成する個々の微生物はわからないにしても)をわが手で採取し、培養し、活用し、しかもその効力も大という醍醐味は、実に心地よいものです。なによりも、大地(土)の上で生きているんだ、という気概が湧いてきます。
 昨年から、近くの竹林から土着菌を採取して使ったり、ヨモギやセリなどを黒砂糖といっしょに漬け込んで天恵緑汁をつくったりしています。そして乳酸菌も採取してみました。
 やり始めてみればわかることですが、ノウハウを習ったからといっても、活力のある有効菌を捕らえるのはなかなか難しいものです。それでも何度か失敗しながら、少しずつ要領がつかめてきたような気がします。今まで意識していなかったものを目や鼻や舌で確かめながら、生命を感じる感覚がもてるようになってきました。」
 大分県庄内町の森永大直さんの言葉である(172頁)。地域の植物や土着菌を活用するには、それなりの観察眼と技術がいる。ドブロクづくりや味噌づくりで磨いてきた農家の発酵技術の復活も、ぜひとも必要だ。同じボカシ肥でも、つくり方によって効果に差が生まれ、上手に発酵させれば防除効果をかねた良質なものをつくることができる。
 長年、発酵肥料づくりを研究してきた福島県の薄上秀男さんは、発酵過程を次のように整理している。
 「2〜3月にかけて発酵させ、最後は薄くひろげ、乾燥の促進をはかるが、このころになると、山土の中に生息していた放線菌が増殖を始め優位を占めるようになる。麹菌から始まった発酵肥料づくりは、低温酸性から納豆菌にバトンタッチされ高温アルカリ性となり、麹菌は姿を消し、中低温で乳酸菌、酵母菌に変わり酸性となる。この菌も活動が終わるころ自分の分泌した酸によって姿を消し、代わって放線菌が増殖し、畑に施用するときには、殺菌力、静菌力の強い良質の発酵肥料で乾燥され、袋づめとなる。」『農業技術大系・土壌施肥編第7巻』に収録。
 こうした発酵の過程で、ホルモンやアミノ酸などの有効成分がつくられ、そして最後に山土の中にいた放線菌がふえて、防除効果をかねそなえたボカシ肥になるわけだ。放線菌という土着菌を生かす発酵技術がここにある。
 土着菌にしろ植物農薬にしろ、相手が自然物だから、素材の吟味や季節とのかねあいなど、そのつくり方、使い方は奥が深い。だからこそおもしろく、農家を夢中にさせる。

◆化学農薬もとり込んだ新しい防除

 植物農薬を利用した防除は、化学農薬を否定するものではない。否定ではなく、化学農薬をとり込んで新しい防除のしくみをつくる。たとえば、木酢の場合、天候の変化などで病害虫発生の危険が高まったときには、木酢液に化学農薬をまぜて散布する人が多い。その場合、農薬の濃度を薄くする。ふつう1000倍のところを2000倍にしても同様の殺菌効果が得られる。木酢液の酸が水を変え、農薬の溶解性、浸透性を高め、効きをよくするからだ。木酢のこのモノを溶かす力を利用したさまざまな工夫が、今農家の手によってどんどん進められている。木酢にカキガラを溶かしてカルシウムがよく効く葉面散布剤をつくったり、ニンニクやトウガラシや、薬効の強い草などを木酢液に浸け込んで、防除効果と作物の健康促進効果をあわせもつ資材をつくる。
 こうした資材によって化学農薬の、特定の病害虫によく効くという性質がむしろ生きる。はじめから終わりまで化学農薬に頼るのではなく、ここぞというときにピシャッと効かす。農薬利用はもともと、臨機防除が基本であった。さまざまな「手づくり農薬」の力を借りて、農薬を本来の位置にもどすのである。
 農薬を本来の位置にもどすとは、防除が地域の個性をもった技術になることである。画1的なスケジュール防除ではなく、地域により、田畑により、その年の天候によって変わる病害虫の発生にあわせて、ここぞというときに使う。自然農薬で病害虫を寄せつけにくい状況がつくられていれば、心配のあまりやたらに農薬を使う必要はない。
 そしてこの場合に肝心なのは、地域の病害虫の発生状況の的確な把握であり、考察である。これには普及所や防除所、農協などに大いに支援してもらわなくてはならない。防除指導の本領もそこにあったはずだ。こうして地域の支援システムがうまくつくれるかどうかが、新しい防除が定着するかどうかの一つの重要なカギを握っている。
 地域の防除情報と農家の地域の自然資源を活用した自然農薬の利用が合体したとき、防除は変わる。

◆ものからいのちへ、防除の大変革

 植物農薬も土着菌もいのちあるものである。そのいのちが作物のいのちを助ける。そのいのちをもって都市へと働きかける。それが新しい産直=いのちの自給ラインである。無農薬だとか、高糖度だとかといった特定の品質、ものを売るのではなく、まるごとのいのちを届ける。
 食べる人に対してうしろめたい防除ではない。作物の健康を助け、それゆえに自分の作物に自信がもてる防除に変わる。防除によって作物に地域の息吹がふき込まれ、それがまず地元へ、そして都市へと伝わっていく。
 こうした農業や流通は、年配者やかあちゃんたちに多く担われている。お年寄りやかあちゃんたちが、自分の身体にあわせた防除や農業に変える、そのことと、健康を気づかう消費者が「いのちの食べもの」を求め始めたことが、絶妙に一致している。
 農業技術の中で防除はネガティブなものであったし、一方、担い手の高齢化、婦人化もネガティブにみられてきた。しかし、ネガティブなことが、自然の新しい生かし方と結びついたとき、地域をつくるのである。土着菌もネガティブなものであった。現代において、ネガティブだと思われるものは、むしろ個性的であり地域的であり、それゆえ未来がはらまれている。「亡びゆく」と思われている農村・農民は、現代においてネガティブなものである。しかし、そこに未来の創造力がある。
 農村から都市への働きかけにむけて、今、防除の大変革が始まった。
(農文協論説委員会)


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