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21世紀は生活者の時代
――「企業者の時代」から「生活者の時代」へ――

 今、時代は大きく「企業者の時代」から「生活者の時代」に変わろうとしている。その突端を走っているのが、わが農村である。

◆今日、活気のある村とはどんな村か

 今から30年程昔、昭和30年代の末から40年代にかけて「農基法」が制定され「構造改善事業」がスタートした頃、農村は「企業者の時代」であった。当時活気のある村というのは、農業経営規模の拡大をし、産地形成にとり組んでいる村々であった。野菜にしろ、畜産にしろ、果樹にしろ、その部門に限っていえば、以前に比べて数倍あるいは数十倍の規模に飛躍した農業経営は到るところにあった。しかし、今日では、農業経営の規模拡大によって活気のある村などは見当たらない。
 今日、活気のある村というのは、利潤を求めて単一部門の急激な規模拡大をはかり単一作目の産地形成を目指す地域ではなく、作目の複合化に基づく朝市や産直をすすめる村々である。生活者としての農耕にとり組んでいる村々である。その村々で、農耕を担っているのは主として老人であり婦人である。
 「まず第1に家族の健康を考え、自分をいたわりながら始めた健康的な(低農薬)野菜づくり。その喜びを分かち合いたいと思っていた矢先、宅配という思いもよらぬ仕事にめぐり逢い、暖かい心にふれながら私が自由に使える収入を得ることができました。」(12月号73頁「今が最高にすばらしい時」)。
 30年昔の基本法農政スタートの頃には思いも及ばなかった生活者の農業の流れが、日本全国にひろがっている。決して、もうけをめざして始めた訳ではない。自分が食べたいものをつくって分けてあげる。結果としてもうかる。もうかるから励みになってやる。しかし、もうかるからといって則を越えてムリヤリつくることをしない。自分の身体に合わせてつくる。つまり、企業者の論理ではなく、生活者の論理で農耕を営むのである。

◆旧態依然たる「規模拡大」のスローガン

 生活者というのは生産する消費者のことである。広く考えれば、自分や家族のために気に入るように料理する。出来合いのおかずを買うのでもなく、外食をするのでもなく、食事をつくる。買うだけの消費者に対して生産する消費者、つまり生活者である。
 と考えると、一昔前には全農家がまさにすぐれて生活者であった。食べるものは大部分は自給であったし、食べるものだけではない着るものも自分で織っていた。住まいも大工さんと共に自分も加わって建てていた。まさに生産する消費者。農家は生活者であったのである。確かに農作物は売っていた。しかし、自分で食べるものと同じものを売っていたのである。生活者としてつくっていたのである。
 ところがそれが、30年程昔に始まった「企業者の時代」には、もうけるためにつくるようになった。自分が食べるキュウリならムリヤリ真直ぐなキュウリをつくることはないが、市場が規格によってキュウリの曲がり具合によって等級をつけ、真直ぐなキュウリを高く買えば、ムリヤリにも真直ぐなキュウリをつくるのである。一般化していえば、畑の都合も自分の身体の都合も無視して、ムリヤリ市場の都合に合わせて作物をつくるようになったのである。それが「企業者の時代」の農業である。
 マスコミも農業指導者も挙げて企業者の精神(「農業近代化」といった)を農家に宣伝・指導した。経営規模を拡大し、日本中に「自立経営農家」ができるはずであった。ところが実際には、ごく少数の「自立経営農家」と大多数の兼業農家を生み出した。そして農業従事者の老人化と婦人化をもたらした。それが「企業者の時代」の企業者精神による農業指導の結果である。
 にもかかわらず、懲りもせずウルグアイラウンド合意後の対策として旧態依然たる「農業規模の拡大」のスローガンである。あきれ果てるばかりである。
 西オーストラリア大学教授の高山崇氏は率直に次のように述べている。
 「私論を繰り返すが、日本の農業は将来にわたって、相当高度な政策的保護なしにはアメリカやオーストラリアの農業に絶対太刀打ちできない。最近オーストラリアですら、政府からの財政援助がなければ、中小家族経営が農業から姿を消し、伝統的農村もそれと同時に消滅していくという警鐘が、そこかしこで聞かれるようになった。」(農新94年10月31日)
 経営の規模を拡大し、国際競争力を強めるというのは幻想にすぎない。多くの小経営があって比較相対的に大経営の優位性が成立する。しかし、小経営は兼業によって支えられているのであるから、自由化による価格低落によって最初に打撃を受けるのは小経営ではなくて大経営である。
 日本における大経営の意味は、小経営を駆逐し国際競争に勝ち抜き、勝者になることではない。「むら」のために小経営を支え、みんなが農業を続けてゆくことを助ける共栄のための規模拡大なのである。日本の場合、大経営は競争原理でつくられるのではなくて共栄原理によってつくられる。大経営がつくられること自体が、企業者の論理でつくられるのではなく、「むら」の生活者の論理でつくられる。実際に多くの大経営はむら人にたのまれて大きくなった。決して大経営が小経営を駆逐したのではない。大経営に支えられて小経営が保持されているのである。大経営の側に立って考えて見ても、現代は「生活者の時代」なのである。生活者の立場に立って考えると、日本農業に新しく未来展望が拓けてくる。

◆世界になく、日本にしかない条件を見すえよう

 日本は地価が世界一高く、かつ農業労働力が世界一高い。これは農業経営の規模拡大にとって極めて不利な条件である。この経営規模拡大に決定的に不利な条件を無視してはならない。
 反面、日本の農村は都市に極めて接近している。車で一時間も走ると、地方中核都市に到達する。アメリカやオーストラリアではそうはいかない。農村にとって都市ははるか彼方である。
 そのうえ、日本の道路、交通手段、輸送手段、通信手段等のインフラは世界一である。
 そればかりではない。都市に住んでいる人の大部分は農村に住んでいた人々か、その子どもである。高度経済成長時代に、豊富な労働力を潤沢に都市に供給して、高度経済成長を支えたのは農村だからである。農村は都市に1親等2親等の濃い血のつながりをもつ多数の親戚をもっている。距離が近いだけでなく血のつながりも近いのである。これらの条件は、朝市や産直に最も有利な条件である。
 もっと重要なことは、これらの都会人は故郷の味をまだ忘れていない。産直にとって極めて有力な条件がまだ残っているのである。
 日本のおかれている経済条件においては「食のふるさと宅配便」は、農業の方ならば誰もが志しさえすればすぐにやれる条件なのである。この条件を生かすか殺すかが、日本の農業の未来を考えるうえで、決定的に重要だ。
 農村だけでなく都市もまた、「生活者の時代」が始まっている。大量生産・大量消費の時代が終わり、多品目・少量生産の時代に入った。消費者は差別化され、個性化された商品を求めている。これまではモノを取得するだけで一定の効用・満足を得た。しかし、これからの時代は消費者自身が生活価値をもち、モノを自在に使う。モノの価値はあらかじめ一意的にきまっているわけではなく、モノを使う消費者の生活価値と使い方との関係で変化する。
 食べものでいえば、画一化された味ではなくて、「ふるさとの味」が求められている。東北の人には東北の濃い味がよく、関西の人には関西のうすい味がよい。それぞれの地域の味がそれぞれ日本一で、決して他を排除しない。一つの日本一によって他を市場から占め出すことをしない。「生活者の時代」というのはそのような多元的価値の共存する時代である。
 もっと大事なことは、つくっている人との心のつながり、それも加えてモノの価値が評価されることである。産直はモノでつながるだけでなく、心でもつながるのである。
 人間を含めた根源的自然の営みというのは絶妙である。都市が大量生産・大量消費に飽きて差別化・個性化を求める時、農村は老人化・婦人化して、大量生産型の単一産地化の生産から多品目化し、自給型のつまり生活型の有機栽培化をめざしてきたのである。誰の指図でもなく、おのずから都市と農村の平仄が合っているのである。この絶妙さを生かすことが自然と人間が調和した21世紀をつくる根源なのである。

◆村の多次産業化こそ日本的「規模拡大」の道

 農家は生活者としては根源的な存在である。樹で熟れた完熟トマトがおいしいことも、とりたてのトウモロコシをすぐ茹でないと味がおちることも、キュウリの漬物は取りたてを漬けるとおいしいことも、生産して消費する農家だからこそ知っているのである。
 「(山の田が荒れてウサギが出て)ダイズがとれないから味噌も豆腐もつくれなくなった。何でも買うような生活になってしまったのね。でも、何か物足りなかった。(買った味噌も豆腐も)おいしくないし、おもしろくない。」
 「当時の市販の味噌は塩分が強いんですよ。工場に見に行くと麹の量が少ないから塩をきつくしないと腐ってしまうのね。それに脱脂大豆を使っているから、これじゃおいしい味噌にならないのは当然。」(12月号48・49頁「夢がなかった 夢がかなった」)
 かくて、母ちゃん達は味噌をつくったし豆腐もつくった。やがて村に加工センターができる。
 「(豆腐は)部落の人の食卓に上るのよ。残りは鳥取市内で農協が経営しているスーパーに出すんだけどこれもすぐに売れてしまうわね。……この部落の味噌の7〜8割はセンターでつくった味噌ですよ。なかには息子や娘の分をつくる人もいるし、鳥取市内の人でイベントなんかで知った人が注文してくるから全部で60斗つくります。」(同50頁)
 作物をつくるだけが農業ではない。加工も貯蔵もする。日本のように、都市・農村接近の条件と地方によって味の違いがあるという農業の立地条件からいえば、農業の工場的企業的生産に生産性の向上を求めるのは誤りである。農耕という第一次産業、産直という第3次産業(商業)。加工工業という第2次産業(工業)。多次産業の総合生産としての農業の形成こそ、日本型の農業の規模拡大の道である。つまり外延的規模拡大ではなく内包的規模拡大こそ、日本の風土にふさわしい規模拡大の道である。
 都市の人々が農業関係に支払う金額のうち農産物に支払うのは3分の1くらい。他の3分の2は流通と加工に支払われる。流通加工の手取り分を農村が得ることによって、農村の所得は向上し、農村で人々が生活する条件が好転する。そのためには、これまでずっと都市から働きかけられてきた農村が、逆に都市に働きかけなければならない。都市と農村の働きかけ方の関係が根本的に転換しなければならない。「生活者の時代」とは、農村が都市へ働きかける時代なのである。

◆行政も農協も、農家にではなく都市に働きかけよ
そうすれば村が自由化でつぶれることはない

 これまで述べてきたように、時代は「企業者の時代」から大きく「生活者の時代」に変わろうとしているのである。
 アルビン・トフラーのいう「プロシューマー」(プロデューサー=生産者とコンシューマー=消費者を合わせた造語)の時代なのである。つまり、生活を自給してきた生活者としての農家の時代なのである。農村が都市へ働きかけるべき時代なのである。
 日本農業の再建・農村の活性化・協同活動の強化等々と行政も農協もスローガンを掲げる。これらのスローガンを掲げて、相も変わらず農家に働きかけようとする。行政も農協も自分がラクだから、自分達が指導者としてきめられている農家に働きかけようとする。1970年代まではそれでよかったろう。だが、今は違う。今は行政も農協も都市に働きかけなければならない。例えば都市と産直のルートをつくればおのずから農業は活性化するのである。農協が「農協を利用しろ」といわなくても、農協が産直の道を拓けば、おのずから荷は農協に集まる。農業を再建したければ、都市に働きかけねばならない。協同活動を活発化するためには、組合員に働きかけるのではなく都市へ働きかけねばならない。
 指導者たちが農家に働きかける時には、農家に農業経営の指導をするのではなく、農家が都市へ働きかけることを支援するのでなければならない。グループで産直をやっていればそのグループの産直を助け、個人個人で親戚・知り合いに産直をやっていれば、個人個人の産直がやりやすいように支援する。
 農村が都市へ働きかける時代が現代なのである。農産物の都市への直販(=商業)による働きかけ、農産物の加工・貯蔵(=農産加工工業)による働きかけ、それだけではない。家庭菜園付き別荘賃貸業やら農業体験ツアーなどのグリーン・ツーリズムによる都市への働きかけ、さらには農村景観を生かしたルーラルアメニティーによる都市民の農村への移住の働きかけ(=第4次産業)等々。こうして新しい「都市と農村との関係」をつくること。新しい農村のあり方を追求することによって、外国農産物によって崩壊することのない、新しい農村ができあがる。単一作物別の外国農業との競争で、日本農業が勝つ見込みはない。しかし、日本のおかれた条件を生かして、21世紀にむけての「農村の新しいあり方」を求める道を進めば、外国農産物によってつぶされない日本の農村ができあがる。

◆昭和一桁生まれの奮起に期待する

 時あたかも、日本農業史上初めての出来事、都市非農家の農家志望の発生。さらに、農家から都市へ出た都会人が定年退職で帰農。都市から農村への人口の流入が開始された。これまでは大不況による都市から農村への労働者の還流以外に、農村が都会の人々を受け入れたことはかつてなかったのだが、都市から農村への新しい人口移動が始まったのである。都市と農村の人口移動は現実的にインタラクティブになる。
 新しい時代の足音はそこここに聞かれる。昭和でいえば、今年は昭和70年。昭和10年生まれが今年60歳の誕生日をむかえる。昭和一桁生まれはオール60歳代。21世紀まであと6年。昭和一桁生まれが定年に入った自分の同級生を村によびかえし、40代を超えている自分の息子が定年退職後帰農できるまで頑張る。老人の身体に合った農業技術、農業経営、農業支援システムについては『現代農業』が毎月力をこめて取材している。定年退職後に農業を継ぐという新しいライフ・スタイルを、昭和一桁生まれがつくれれば、新しい農村は永久に滅びることはない。農村存亡の危機に際して、昭和一桁生まれの深層心理が外にあらわれつつある。「滅ぼしてなるものか」。新年に当たり昭和一桁の奮起に期待する。
(農文協論説委員会)
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