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農文協トップ主張 2009年1月号

破綻するグローバリズム
世界の小農に宿る「自給の思想」が未来をひらく

目次
◆グローバリズムに振り回された激動の2008年
◆グローバリズムと「緑の革命」がつくる不安定な世界
◆SRI アジアに広がる小農を守る技術運動
◆アメリカでも小規模農業を守る動きが
◆資源生産性の高い、環境創造型産業をつくる

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グローバリズムに振り回された激動の2008年

 2008年は激動の年であった。ギョーザ事件、メラミン混入事件、MA事故米などの食品汚染や偽装事件が次々と発覚しとどまる気配が見えない。一方では、小麦をはじめ世界の穀物在庫が逼迫、穀物輸出国の輸出規制なども加わって国際価格が高騰し、低開発途上国では飢餓が拡大するなど、深刻な事態を招いた。そんななかで、コメ食への回帰や直売所の活況など国民の国産・地場産志向が強まり、食料自給への関心も大いに高まった。こうして日本の農家・農村への期待が大きくなったのだが、一方では、原油高騰を背景とした肥飼料、関連農業資材の高騰が農家を苦しめ、経営・技術の根本的転換が迫られた年でもあった。

 そしてここへきて、金融危機という新たな激動がやってきた。アメリカの住宅バブル崩壊を発端に金融危機が世界経済を襲い、不況の嵐が世界を覆いはじめ、事態は大きく様変わりした。原油価格は下落し、穀物価格も不況による需要低迷と生産国の豊作が予測されるなかで下がってきている。「不足」から一転、「過剰」感が強まるなかで、欧米等による穀物輸出戦略が再び強まりそうな気配である。

 こうした資源や穀物の乱高下の背景には、アメリカを中心に、20世紀最後の30年に現われた新自由主義、世界を単一の市場とみて市場にすべてをまかせる市場原理主義=グローバリズムと、そのもとで暗躍する投機マネーの存在がある。そして、各国の農業や食料など生活基盤産業が壊され奇形化され、実体経済が極度に弱まっていることが、グローバリズムによる各国の産業と暮らしへの悪影響を増幅させている。

 グローバリズムに振り回された激動の2008年を、未来にむけた「変革」への出発の年にするために、何が求められているか、考えてみよう。

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グローバリズムと「緑の革命」がつくる不安定な世界

 グローバリズムの頂点に立つアメリカは、タダ同然で手に入れた肥沃で広大な北米大陸を舞台に農業の大規模化・企業化をすすめ、早くから工業国であるとともに巨大な農産物輸出国になった。一方、西欧諸国は1970年代の後半以降、農家を大幅に減らしながら企業的大規模経営を選別的に育成し、大型機械や化学肥料など近代的技術によって穀物の増産を図った。

 こうしてアメリカを中心にその後西欧や、熱帯雨林の開発を進めるブラジルなどが加わった企業的大規模経営と穀物メジャーによる世界戦略は、アジア、アフリカなどの家族経営・小農を苦しめ、国内農業の破壊と都市への人口集中を進めている。2008年は世界の都市人口が50%を超えた転換点でもある。アジアとアフリカで進む急激な都市への人口集中は、グローバリゼーションによる農村破壊=奇形的な都市化であり、風土にあった産業形成を待たずに都市化されるため、厖大なスラム街が形成されている。

 グローバリズムを推進するアメリカは、一方では「途上国」に、安い労働力を活用したプランテーション農業など、石油や資材に依存する「緑の革命」を押し付けてきた。

 1960年代、大不作に見舞われたインドをはじめ、パキスタン、フィリピンでハイブリッド品種が導入され大幅な増収が実現された。その増産を実現した農法が「緑の革命」と称され、それを指導し世界の食料不足の改善に尽くしたとして、アメリカの農学者ノーマン・ボーローグには1970年にノーベル平和賞が与えられている。

 しかし、この「緑の革命」の成功には、新品種の導入だけでなく、灌漑施設(豊富な水)、化学肥料、農薬など近代的資材の投入と多額な投資が不可欠である。

 1970年代初頭には、「緑の革命」による一時の増産効果は翳りを見せ始め、化学肥料等資材の大量投入は農家経営を圧迫し、土壌を荒廃させ、それがまた気象災害を誘発するなど、貧困と不作を広げる結果を招いた。

 グローバリズムと「緑の革命」は、自給と相互扶助で成立していた農村を解体し、小農を離村させて画一的でイビツな都市空間を世界に広げている。しかし、グローバリズムに振り回される不安定な世界を人々は望んではいない。安定と永続性を求める動きもまた強まっている。

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SRI アジアに広がる小農を守る技術運動

 農業生産の低迷と人口増加による慢性的な食料不足が続くアフリカの小国で、「緑の革命」とは逆に、小農・家族経営を守る技術運動が広がり、世界的にも注目を集めている。

 日本の1.6倍の国土に7分の1弱の人口が住むマダガスカルは、東アフリカ東南のインド洋に位置し、稲作を主業としコメ食を主体とする島国である。1960年代、「緑の革命」から取り残されたマダガスカルからSRIと呼ばれる水稲多収農法が生まれた。SRIにより、大幅な増収のほか、化学肥料、種子コスト、および灌漑水の節減が可能であり、特に、資本と近代的資材投入力の乏しい自給的稲作を営む地域で期待が高まっている。

 SRI(System of Rice Intensification)とは文字通り、集約的なイネ(多収穫)栽培法のこと。開発者はローラニエ神父。1981年に水稲生産の向上を目指して、農家の若者を対象にした農民学校を設立し、農家の経験に学びながら試行錯誤し開発したものである。

 具体的には「育苗日数15日以内の乳苗」を「1株1本植え、1平方m当たり16株の疎植」とし、「入念な初期除草」「間断灌漑と出穂期浅水管理」「多量の堆肥投入」をセットにした多収農法であり、日本の稲作農家が追求してきた技術と多くの共通点を持っている。マダガスカル政府は最近の世界的なコメ価格の高騰を受け、米の自給にむけて、1ha当たり収量を現在の1.8〜2.5tから3〜5tに引き上げる目標を設定している。

 1994年、コーネル大学のノーマン・アップホフ博士がこの農法に着目し、世界的に広がるきっかけとなった。現在まで、アジアの主要なコメ生産国を中心に世界28カ国でSRIの普及、および普及に向けた圃場試験が行なわれているという。

 アフリカをはじめとした世界と日本の技術交流をすすめている堀江武氏(独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構所長、京都大学名誉教授)は次のように言う。 「2004年の国際作物学会で、僕は、途上国の食糧難を解決する技術のひとつはこれだと、SRIを弁護したんですよ。そしたら、あちこちから非難されました。欧米の農学者は日本の熱心な農家がどうやってイネづくりをしていたかなんてことには詳しくないですからね。SRIは、農薬や化学肥料などにあまり依存しませんから、貧しい農民でも取り組めますし、水資源に乏しい地域でも実践できる。田んぼに水を溜めないので、メタンの放出も抑えられます。マダガスカルは野生動物の宝庫ですから、食料自給率のアップと環境保護とが両立できると言う意味でも、注目すべき農法です」

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アメリカでも小規模農業を守る動きが

 企業的大規模経営の御本家、アメリカでも家族・小規模経営を見直す動きが広がっている。

 1981年、カーター政権の農務長官をつとめたボブ・バークランドはアメリカ農業が抱える構造的な問題について1年半をかけた実証的研究を行ない、「選択の時4」と題するレポートを公表した。「化学物質や石油に依存しきった慣行農法により、構造的な生産力の低下が生じていること、大規模な農場に利潤が集中する偏った利益構造が存在すること、農業生産では大規模化がもたらす経営採算上のメリットが乏しい」ことなどを指摘して、規模拡大を助長している農政の抜本的転換を訴えたのである。

 この訴えはアメリカ農務省「小規模農場に関する委員会」に引き継がれ、1998年のレポート「行動の時」によって大規模経営偏重農政の見直しが開始され、小規模農業のもつ多様な公的価値を追求していくことになる。

 たとえば、日本有機農業研究会がすすめる産消提携をルーツにしたCSA(Community Supported Agriculture 直訳すると「地域に支えられた農業」) が注目されている。子育てや生活技術の伝承の場である小規模家族農家を核に、数十人から数百人規模の消費者が協力し補完しあうコミュニティづくり活動である。一方、カリフォルニアでは学校菜園「エディブル・スクールヤード」を活用して、持続的な農業の取り組みとともに、地域の自然と文化の多様性を守り、「荒れる学校」をよみがえらせる食農教育活動が3000校以上に広がっている。

 アメリカの大規模経営による化学物質に依存する収奪的な農法に反省を求めた先駆者として、F・H・キングがいる。ウィスコンシン大学教授であり、農務省土壌管理部長も務め、アメリカの土壌物理学の父とされたキングは、今から1世紀前の1909年(明治42年)に日本、中国、朝鮮の農業を視察し、アメリカ人の目で初めて、東アジア農業に光を当てた。「4000年にもわたって、なお現在これらの3国に住んでいるがごとき稠密な人口の維持のためにその土壌に充分な生産をなさしめることが、いかにして可能であるかを知りたいと願った」キングは、4カ月半にわたって農業と農民の暮らしを見つめ、その見聞記を『東アジア四千年の永続農業』としてまとめている(注1)。

 キングが見たものは、たとえば「厖大な廃物を忠実に貯蔵し、毎年田畑に返却している」事実であった。 「極端に文明化せる西洋人は経費をかけて塵芥焼却炉を設け、汚わいを海中へ投じているのに、中国人はその両方を肥料として使用している。それでは衛生上どうかといえば、中国の衛生学は中世英国に比較すれば、より優っていると思われる。事実、最近のバクテリアの研究によれば、汚わいや家内の塵芥はそこで自然の浄化作用が行われる清浄なる土壌に返されることによって、最もよく分解されるからである」

 このキングの東アジアへの旅は「巡礼」だったと、キングの翻訳本の解説で久馬一剛氏(京都大学・滋賀大学名誉教授)が述べている。 「…ここに見るべきは、19世紀末から20世紀初頭にかけてのアメリカ農業が、豊かな処女地を求めての西漸の過程で、略奪農法による広汎な土壌肥沃度の収奪と表土の侵食による激しい土地荒廃をもたらしていた事実である。キングはこの現実を見て、有史以前から連綿と行われてきた東アジア四千年の農業の中に、その永続性の鍵となるものを自ら探り当てたいと考えたに違いない。かくして、キングの旅はさながら求道者の修行に似て、車中であれ船上であれ、農地のたたずまいと農民の働きを観察し続け、農家に足を運んでは進んで農民に話しかけ、彼らの作業の意図を問い、生活の実態を記録する日々を重ねたのである」

 廃物利用だけでなく、運河(用水路)の整備と底泥の活用、燃料や建築資材、織物原料など、生産と生活の全般を見聞したキングが心に焼き付けたのは、狭い耕地を総合的に使う東アジア農民の「自給の思想」だったにちがいない。

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資源生産性の高い、環境創造型産業をつくる

 東アジアの一角、日本は、かつても今も家族農業の国である。日本の農家は激しい農産物輸入攻勢と、「農業基本法」以降の大規模化・機械化をテコとする「構造政策」にさらされながらも、欧米のような企業的な大規模農業の道をとらず、家族経営を維持してきた。資材や機械を家族経営を守る道具として活かしながら、イネの増収、経営の複合化、そして兼業によって稲作を維持し、経営とむらを守ってきたのである。この間、急増した集落営農も、むらを維持する農家の助け合いであって企業経営への一里塚ではない。

 そしていま、農家は、購入資材を手づくり資材に置き換え、地域資源活用型農業の道を切り拓いている。

 エネルギーや廃棄物に注目し、地球環境に負荷の少ない持続可能な社会への転換に向けて「資源生産性」という考え方が世界で広がっている。「資源生産性」は天然資源の投入量と、投入によって生まれる生産量の関係をみるもので、少ない投入量で生産量が変わらなければ「資源生産性」は上がったことになる。たとえば、昨年の本誌10月号「肥料代減らしハンドブック」を「資源生産性」の観点からみると、成分が高くて値段が安い「鶏糞」の活用、肥料成分を計算して使う「家畜糞尿」「屎尿」の新しい活用法、畑にたまった「リン酸」の引き出し方、「納豆・乳酸・酵母菌」に働いてもらう方法など、従来のやり方に比べて「資源生産性」は2倍から5倍にもなっている。

 循環を強めることによって、「資源生産性」は上がり廃棄物は減る。生物資源、有機物資源など再生可能資源の利用を基本にする農業は、もともと、エコノミーとエコロジーが融合した資源生産性の高い産業であり、環境創造型(快適な生活空間創造型)産業である。 三澤勝衛の「自然力更生」に学ぶ

 資源生産性の向上、環境創造型産業を考えるとき、三澤勝衛(1885年〜1937年)が生涯のテーマとした「風土学」が大変大きなヒントを与えてくれる(注2)。

 三澤の言う「風土」とは、大気と大地が触れあっているところになりたつ「もはや大気でも大地でもない、気候でも土質でもない、独立した接触面」のことであり、この接触面=風土の特徴こそ「地域の個性」「地域の力」の源泉であるとした。風土とそこに生活する生物と郷土人の歴史的な努力が総合されて、有機的に連環する「全一体」としての風土=地域が形成されると考えたのである。

 昭和のはじめ、世界恐慌の嵐が吹き荒れ、地方の疲弊と財政破綻が深刻化するなかで、三澤は「風土産業」の旗を高く掲げた。当時の国策的な経済更生運動・農村工業導入に対し、「適地適業になっておらない場合が多い」、「風土が見逃されて、なんでもやろうと思えばできると思うのは、大へんな誤りであります。その風土を織り込んで、ここでなければできぬというものを考えてやらねば強みはありません」と述べ、風土を活かす「自然力更生」こそ根本に据えなければならないと三澤は訴えたのである。 「無価格の偉大な価値をもつ風土」を活かして「連環式経営」をつくり、衣食住全般にわたって地域自然の恵みを取り入れる「風土生活」を築く。こうして、最小の投資で最大の効果をあげることが、市町村財政再建の基本であり、「風土を活用して国内生産を強化すれば、満州やブラジルに行く必要はない」と三澤は考えた。

 2008年は、一連の食品汚染・偽装事件のなかで、都市と農山漁村との関係が切断されていることが、諸悪をはびこらせる根源であることを、多くの人々が自覚した年でもあった。食だけでなく教育や保健・福祉、そして住まい方などあらゆる分野で、都市と農村がお互いに頼りにし頼りにされる新しい関係をつくらなければならない。農家だけが持つ「自給の思想」と「暮らしを創る技」を地域住民や都市民に伝え、地域コミュニティを創っていく。  

 地域コミュニティの動きは世界的に広がっている。矛盾の激しいアジア、アフリカばかりでなく、欧米諸国でも、小農を守り風土に根ざした教育や医療を復興させる農村都市連携の動きが起きている。グローバリズムが惹き起こした破綻を救うのは、「自給の思想」による連携と「暮らしを創る技」によって支えられる地域コミュニティである。 

(農文協論説委員会)

(注1)『東アジア四千年の永続農業』杉本俊朗訳、解説・久馬一剛、古沢広祐。2009年1月刊行。上下巻、定価各3200円。『中国文化百華』(全18巻・農文協刊)に収録。

(注2)三澤勝衛著作集『風土の発見と創造』(全4巻・農文協刊)。第1巻「地域個性と地域力の探求」、第2巻「地域からの教育創造」、第3巻「風土産業」、第4巻「暮らしと景観/三澤『風土学』私はこう読む」。2008年12月より刊行、揃価29400円。

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