主張

「食べものがたり」でむらを元気に 
これまでの百年とこれからの百年

 目次
◆生きもの遊びの記憶と地域への愛着
◆五感で味わった食の記憶
◆多様で豊かな「食べものがたり」
◆いろいろな人とわかり合うために
◆どんな「未来のひと皿」を伝えますか
◆これまでの百年、これからの百年

 新型コロナウイルスの感染が広まって3度目の夏になる。相変わらず感染拡大防止には細心の注意が必要だが、今年は久々に家族が帰省してきたり、中止していた夏祭りが行なわれるところも多いのではないだろうか。自由に行き来できないコロナ禍を経た今、ほんの数年前まではごく当たり前のように繰り返してきた夏休みの過ごし方を、少し新たな気持ちで考えてみたい。子や孫にふるさとの何を感じてもらうのかを考えることは、むらを元気にすることにもつながっていくと思うからだ。

生きもの遊びの記憶と地域への愛着

 本誌8月号の主張「みどり戦略で広めたい『生きものと一緒』の有機農業」では、有機農業は地域の生物多様性を豊かにして自然の力を活かす農業だととらえた。そんな有機農業が半農半Xの新たな担い手を呼んだり、持続可能な農業を学ぶ「スクールファーム」の場となり都市部から多くの受講者を集めるといった“農家の多様性”をも増やす力になっていく例を見た。そして、生きものがつくる「風景価値」が人にとって大切なものだという、石川県立大学名誉教授の上田哲行さんの説を紹介した。

 それは生きものを見る人の心の中に生まれる価値で、秋の田んぼに赤とんぼが舞う姿を「懐かしい」と感じるような価値のことだ。とくにドジョウやメダカ、オタマジャクシなど、水辺の生きものが多い環境で、これらの生きものを捕まえて遊んだ経験のある子どもは地域への愛着を高めるという。

「その(遊びそのものに含まれる)感動には、喜び・驚き・怖れ、さらにぬるぬるとした魚の感触やにおいなど、言葉で表わされないドキドキ感も含まれているかもしれません。もちろん一緒に遊んだ仲間との交流も含まれます」(『季刊地域』2019年秋39号より)。こういった五感で感じた生きもの遊びの記憶が「原風景のコア」となり、豊かな風景価値を生み出すのだそうだ。

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五感で味わった食の記憶

 ここからは上田さんの説からの連想だが、じつは、料理、とくに子ども時代の記憶につながる料理も、人々の原風景となる生きもの遊びとよく似た特徴を持っている。

 例えば高知県を流れる仁淀川やその支流では、8月末頃からつがに(モクズガニ)が食べごろを迎える。カゴ網にエサをしこんで川に沈めておくと夜のうちにつがにが入る。そのつがにを生きたまま石臼で殻ごとつぶし、こしてつくるのが「つがに汁」。手間はかかるが、かにみそと身のおいしさを一度に味わえる特別な料理だ。生きたつがにをつぶすのを残酷と感じた子どもも、汁のおいしさに魅了されてしまうという。

 他にも、春の田んぼで子どもたちが掘り出したたにしがひな祭りの汁になったり、イネ刈りに忙しい大人たちの横でつかまえたイナゴが佃煮になったり、冬の池さらいでつかまえた脂ののった寒ぶながおいしい夕飯になったりなどなど、むらの暮らしの巡りに合わせて遊びとも手伝いともつかぬ働きをした情景の記憶と結びついた「あの味」を覚えている読者は多いことだろう。

 上にあげた例は、昭和35〜45年頃までに地域に定着していた家庭料理を聞き書き調査して記録した『全集 伝え継ぐ 日本の家庭料理』に掲載された料理のほんの一部だ。日本調理科学会という学会に所属する360人余の研究者が、都道府県ごとに地元の方々の協力を得て、これからの世代にもつくってほしい、食べてほしいと願う料理を選んだ。その思い出や由来とともに材料やつくり方をレシピにして「すし」「野菜のおかず」「行事食」といったテーマに分類し全16巻にまとめた。調査を開始した2012年から10年がかりで昨年完結し、2021年に第5回食生活ジャーナリスト大賞(食文化部門)、2022年に第13回辻静雄食文化賞を受賞した。

 辻静雄食文化賞の選評では「このまま誰も記録しなければ失われてしまうものを残そうという、強い使命感に支えられた、大変貴重な仕事である。地方まで画一化が進む今日、食に見られる多様性を読者に訴えかけ、それを大切にしたいと感じさせる力を持つ、質の高い本づくりも評価したい」とされた。生きものも農家も食も、多様性を豊かにしていくことが重要な時代になってきているようだ。

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多様で豊かな「食べものがたり」

『伝え継ぐ 日本の家庭料理』は地域で共有されてきた食の記憶の記録だ。その原点には一人ひとりの食体験がある。どんな食べものが好きか、嫌いか。そのわけは? 忘れられない味や食べものとは……こうした物語は極めて個人的なもので、これまでは「とりたてて語られることもなければ、記録されることもなく、ゆえに、これまで共有されることも、ほとんどありませんでした。当たり前すぎて、誰かに伝えたり、記録するには値しないという思い込みがあったからです。でも、そうした日常の生活世界の物語の数々は、じつはとても魅力的で、目を凝らせばあなたの周りにたくさんあり、累々と積み重なっています」。そう呼びかけるのが法政大学教授の湯澤規子さんの新著『食べものがたりのすすめ 「食」から広がるワークショップ入門』だ。この本では、食の個人的な物語「食べものがたり」を“見える化”し、共有することの大切さとその方法を紹介している。

 例えば、定年退職後に大学院で学び始めたある男性は「今、もう一度食べたいなぁ、というものがあるんですけれど、それはお金をいくら出しても買えないものなんです」という。それは栃木県の実家で母親が炊いた赤飯だ。「不思議なことに、食べものがたりの鮮明な記憶は、故郷の実家で過ごした幼少期のものばかり。就職してからは有名店にも行ったし、贅沢な物を色々食べたんですけど、ほとんど記憶にない。これは一体どういうことなのだろうか」と続く。

 田植えにあぜ道で食べた塩むすびの味とそのとき見ていた風景。夏の冷や麦はごまをたっぷり入れた冷たい味噌汁をかけ、シソの香りとともに思い出す。年末のもちつきでの大福の伸びのよさなど、五感で感じた「食べものがたり」が原風景となってふるさとへの愛着につながっている。

 田んぼの生きものも、一人ひとりの食体験も、これまでは当たり前すぎてことさら意識してはこなかったものを、改めて自覚的に見出し、共有する。それが地域の魅力に新たな光を当てることになる。

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いろいろな人とわかり合うために

 これから先、むらをにぎやかにする「農的関係人口」が増えることを目指すなら、今以上に、むらに来る動機も生活背景も多様な人々との関わりが生まれてくる。そうした人たちとの相互理解を深めるためにも、むらでの暮らしのあれこれを自覚的に“見える化”する必要が高まっているのだろう。本誌5月号主張「集落の未来を拓く『人の育て方』と『話し合い』とは」で紹介した「集落の教科書」づくりの動きはその象徴的な例だ。

 良いことも、そうでないことも、ちゃんと伝えるのがモットーの「集落の教科書」では、移住者にあらかじめ伝えておきたいことを洗い出す。引っ越してきたときに、誰に挨拶し、何を持っていけばいいか、徴収されるお金や共同作業にはどんなものがあるか、役員の種類や決めかた、子供会のこと……。「集落の教科書」づくりによって、暗黙のルールだったことが“見える化”する。

 これは移住者にとってリアルなむらの暮らしガイドであるだけでなく、むらの住民自身が自分を見つめ直すきっかけでもある。たとえばむらのルールといっても、強いものもゆるいものもある。若い世代には伝わっておらず消えつつあるものもある。維持することに無理があって見直しを「考え中」という場合もある。

「むらの会議の際は区長の妻がお茶くみをする」といった暗黙のルールがあれば、「さすがにいまどきそれはまずいのではないか」といった議論も起こってくる(以上、田畑昇悟著『「集落の教科書」のつくり方』より)。「集落の教科書」づくりも「食べものがたり」づくりも、新たな人との出会いに向けて自分やむらを見つめ直し、今よりも豊かな人間関係をつくっていくことの一歩になるようだ。

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どんな「未来のひと皿」を伝えますか

 再び『食べものがたりのすすめ』に戻る。あるとき、湯澤さんは大学生たちが食の未来をどう考えているのかを知るために、「未来のひと皿」という課題を出した。きっとテクノロジーを駆使した近未来的な「ひと皿」が並ぶという「安易な予測」はあっさりとくつがえされたという。

「もっと根源的な『食べる』ということに、学生たちの関心は向いているのだとわかったのです。

 たとえば『日本人の胃袋は外国産になってしまっているかもしれない』『消費者と生産者両方のことを考えた食の社会ができれば』『親子で農業をして、そこから得た作物をテーブルで囲んでみんなで食べる。それが土日の過ごし方のブームになれば』『10年後も家族一緒に食事をとりたい』などの意見がありました。そして、次の言葉は特に印象に残っています。

 ただ毎日の「普通の食事」に誰一人困らない姿がみたい。

 理由を聞いてみると、本当は経済的に厳しいと感じることもあるからだと言います。服装や持ちものなど、外から見える部分にお金を使って周りとあまり差が無いように気を付ける一方で、胃袋は外からは見えないので、そこで節約をすることもあると教えてくれました。それゆえに、若い学生たちこそ、未来のひと皿にのせる『食べものがたり』に大きな思いと期待を寄せているのだとわかりました」。

 若い世代が毎日欠かせない「食べること」にすら不安を持たざるを得ない現実に対して、農家であれば、地域に根をおろして自給してきたむらの「普通」の中に積み重なってきたあなたの、わが家の「食べものがたり」をこそ伝えるべきなのではないだろうか。

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これまでの百年、これからの百年

 わが家の「食べものがたり」はどこから始めてもいいのだが、先人たちが語り残してくれた食と暮らしの記録を手がかりにしてはどうだろう。『日本の食生活全集』全50巻(1984〜93年刊行、以下『食全集』)は、大正末から昭和初期、およそ百年前に台所を担っていた古老たちに当時の暮らしぶりを聞き書きし、料理や作業を再現してもらったもの。各都道府県をいくつかの地域に分けて、具体的な家庭での春夏秋冬の暮らしを記録した。他に類のない日本人の暮らしの記録として現在も販売中で、ここ数年は売り上げが若干上向いてもいる。

 その中の一冊『聞き書 富山の食事』で当時のお盆の様子を見てみよう。

「八月十三日から十五日までのお盆には、盆踊りと墓まいりのために親せきの人たちが集まる。夏は食べものが腐りやすいので、あまりたくさんのごちそうはつくらないが、さす(かじき)のこんぶじめ、あべかわもち、しろえび(しらえび)入りそうめんなどを出す」

「親せきの人たちが帰り、お盆がすむと、嫁は一〇日間くらいちょうはい帰り(里帰り)をし、心身ともにゆっくり骨休めをする。そして婚家に帰るときは、大きなみやげもちをかち(搗き)、実家の母親がかついで一緒に送ってくる」

 これがおよそ百年前の富山市周辺の農家のお盆の一例だ。『食全集』と、今から約60年前の暮らしの聞き書きを基にした『全集 伝え継ぐ 日本の家庭料理』(以下『家庭料理』)を比べてみるのも面白い。

 例えば富山の夏の野菜料理として『家庭料理』では「どっこきゅうりのあんかけ」が出てくる。1本が1キロにもなる太いきゅうりで、甘辛く煮て、かたくり粉でとろみをつける。温かくても、冷たくしてもおいしい。「どっこきゅうり」は江戸時代からあったというので『食全集』でも探してみたが、見つけられなかった。ただ「じゃがいもときゅうりのあんかけ」が出ていて「がんだれきゅうり」と呼ぶ完熟した大きなきゅうりをぶつ切りにしてじゃがいもと煮てあんかけにしている。味つけは味噌のたまり。

 同じ県内でも時代や地域が違えば、当然料理は変わる。だからこそ面白い。かつての食べ方を知れば「わが家では……」という話はいくらでも広がりそうだ。

 あるいは、長崎県の「はなはじき」。『家庭料理』のレシピは肉やくじら、えびや野菜、こんにゃくなどを大皿に盛りつけて、鼻にツーンとくるほどの辛子酢味噌をつけながら食べる、ハレの日のもてなし用。諫早市の学校給食ではシンプルに青菜とねぎ、もやしなどを辛子酢味噌で和えたものが出されるという。『食全集』で似た料理を探すと、諫早市で聞いた話として「もやしのからしあえ」が載っていた。「もやしをさっとゆでて、湯を通したこんにゃく、油揚げのきざんだものを入れ、からし醤油であえる。お盆の精進料理のときによくつくられる」といった具合だ。

 これまでの百年の積み重ねと変化を振り返りながら、これから百年先まで、どんな「未来のひと皿」を伝えていけるか。考えるだけでも楽しくなりそうだ。

 最後に、ある中学生の話をしよう。農文協の職員が香川県に隣接する徳島県鳴門市の中学校に、学校図書館用の本を薦めにお邪魔したときのこと。

 ある女子生徒が味噌づくりの本を興味津々に見てくれるので、『家庭料理』で各地の雑煮を紹介すると「うちの雑煮はこれです」と、香川のあんもち雑煮(甘い小豆あん入りのもちが入った白味噌仕立ての雑煮)を指し「これを見ればつくれるんだ!」と興奮気味。さらに徳島の赤飯を見せると「社会のテストで『鳴門の赤飯はどうしてごま塩ではなくごま砂糖なのか、自分で考えて記入しなさい』という問題が出た。『塩田だった昔は甘いものが貴重だったから』と答えた」という(本にもまったく同じことが書いてある!)。他にも食べものや加工の本に夢中なので、よくよく聞くと農家の子で、本誌も「じいちゃんが読んでました!」と教えてくれた。

 きっと、祖父母や両親とともにいろいろな「食べものがたり」を聞き、体験して育ったのだろう。頼もしい若者だが、「あんもち雑煮」のつくり方をはじめ、伝えたいことはまだたくさんある。久々に都会からやってくる子や孫ならばなおさらだ。“いまどきの若者”にこそ、人々が共同して地域の自然や生きものを豊かにすることで暮らしてきたむらのものがたりと、そこから生まれて伝え継がれてきた食べものの味を伝えよう。

(農文協論説委員会)


『全集 伝え継ぐ 日本の家庭料理』全16巻は、今秋、「ルーラル電子図書館」でも公開され、各地の家庭料理約1400品のレシピが検索可能になる。今後、本に掲載しきれなかった料理約500品も追加する。『日本の食生活全集』全50巻や1985年以来の『現代農業』バックナンバー『食品加工総覧』全12巻なども同時に検索できるので、過去から現代までの地域の「食」を調べる、他にない一大データベースになる。

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