西暦 |
テーア |
世界 |
日本 |
1752 | 5月14日ハノーファに近いツェレ(ドイツ)に生まれる | 〔宮崎安貞『農業全書』(1697年)〕 安藤昌益『自然真営道』 |
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ワット蒸気機関の改良に成功(1765年) | |||
1770〜1774 | ゲッチンゲン大学医学部で医学を学ぶ | 前野・杉田『解体新書』(1774年) | |
1774〜 | 故郷ツェレで父の跡継ぎとして、医者になる | アダム・スミス『国富論』 アメリカ独立宣言(1776年) |
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1778 | ツェレ市医務官および刑務所医務官 | カント『純粋理性批判』(1781年) | |
1780 | 王侯侍医に任命 | 天明の大飢饉(1782〜87年) | |
1784 | ツェレ王立農業協会会員 イギリス連合王国=ブラウンシュバイク・リューネブルク選帝候農業協会会員 |
カーライト力織機発明(1785年) | |
1786 | 結婚(相前後して、当時流行の花き園芸に余暇として従事。妻への贈り物として約4haの農地を購入。のち拡大して約30haのツェレ農場建設) |
フランス革命勃発 | |
1791 | 処女作『リューネブルク農業者に対するクローバ作と舎飼いの質疑応答集』刊行 | ||
1797 | イギリス王立農業協会の遠隔地会員に任じられる | このころ通商を求め各国来船 | |
1798〜1804 | 『英国農業論』(全3巻)刊行 | マルサス『人口論』 | |
1799〜1804 | 『ニーダーザクセン農業年報』(1〜6号) | ||
1801 | プロシャ国王から科学アカデミー金メダルを授与 | ||
1802 | ツェレ農業アカデミーの設立 | 大蔵永常『農家益』 | |
1803 | 『最新有用農機具図鑑』(全3巻)刊行 | ||
1804 | ベルリン近郊メークリンへ移住 プロイセン内務省枢密顧問官の拝命(〜1823年) メークリン騎士農場約300haで、メークリン農業アカデミーの開設 |
ナポレオン皇帝即位 | |
1805〜1810 | 『農業年表』(1〜6号) | 大陸封鎖令(大陸からイギリスへの穀物輸出が不可能に) | |
1807 | 『農業簿記の方法―メークリン方式による―』刊行 | ドイツでシュタイン・ハイデンブルクの農業改革開始 | |
1809〜1812 | 『合理的農業の原理』(全4巻)刊行 | ||
1810 | ベルリン科学アカデミー会員に任ぜられる ベルリン大学官房学講座教授職の拝命 |
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1800 | 『細美羊毛飼羊ハンドブック』刊行 | ||
1811〜1812 | 『農業進歩年報』(1〜4巻)刊行 | ||
1815 | 『農業営業学概論』刊行 | ウイーン会議 スチブンソン蒸気機関車運転(1814年) |
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1817〜1832 | 『メークリン農業年報』(1〜13巻)(ただし、1824年第14巻以降は年報編集を辞退) | ||
1822 | 『合理的農業の原理』(全4巻、第2版)刊行 | 大蔵永常『農具便利論』 | |
1823 | 「牧羊マイスター」の称号を授与される | シーボルト長崎に来る | |
1828 | 2月28日メークリンにて没(享年76歳) | 佐藤信淵『農政本論』(1829年) |