●平安の昔から続く「いざなぎ流」信仰
 物部村は東京23区の約半分の面積ほどのむら。昭和30年代には12,000人あった人口も今では3,300人余りと、過疎が急激に進んでしまいました。しかし、物部には豊かな自然や独特の歴史・文化が、大きな財産として残されています。そこで物部では、この残された財産を活かすむらづくりが進められ、その結果むらに新たなに活力が生まれ始めています。
 物部の財産の一つが、平安の昔から残る「いざなぎ流」信仰です。これは、祭祀・祈祷・占いの総称で、祭文・御幣・綾笠・仮面などに独特の特徴を持ち、中でも舞神楽は国の重要無形民俗文化財に指定されています。いざなぎ流は、陰陽道・修験道・仏教・神道などが混淆した民間信仰とされていますが、その根本は、森や水などの自然と神仏に感謝し畏れ敬う祈りの儀式です。特定の神社はなく、太夫と呼ばれる祭儀を執り行う人達が求めに応じて赴きます。しかし、この太夫も過疎に伴い年々数を減らしていたため、近年では、いざなぎ流の将来が危惧されていました。
 これまで口伝によって村内でだけ伝えられてきたこの精神文化が、平成11年3月に15年ぶりに開催された大祭「日月祭」をきっかけとして、注目されるようになりました。また後継太夫の育成のために、村長自らいざなぎ流神楽保存会会長を買って出て、村の子どもたちに神楽を伝承し、次世代のための努力がはじまっています。

●よさこい節や平家伝説のロマンと深い森
 物部のもう一つの財産が歴史ロマンです。物部村は土佐最奥の地にあり、谷は深く山は険しいのですが、逆に難所の峠を越えれば他国にもっとも近い村であるともいえます。「土佐の高知のはりまや橋でー」と『よさこい節』に歌われる純信、お馬が手に手をとって山越えをしたのは、物部村の笹渓谷から東祖谷山村に抜ける山道だといわれています。
 また平家伝説も数多く伝えられています。壇ノ浦の戦いの後、平清盛の次男・越後守国盛が安徳天皇を連れて落ちのびたということから名づけられた、高板山(皇のいた山)。その山の麓で最近、これが安徳天皇の墓だと言われる大きな巨石が発見されました。真偽のほどは明らかではありませんが、これも物部を彩るロマンのひとつといえるでしょう。
 豊かな森も物部の自慢のひとつです。村内の国有林には数少ない原生林が残っています。村内に残る原生林のひとつ「西熊さおりガ原」は、さながら「もののけ姫」の世界。樹齢数百年という巨木の中には、林野庁の「森の巨人たち100選」に選ばれた木もあります。このときイヌザクラとトチノキの2本が選ばれましたが、その選考理由では、単に木が大きいというだけではなく、周辺の環境や植生が豊富で貴重であるということが評価されました。

●若い力の定住化を求めての試み
 歴史ロマンと豊かな自然、そしてこの地に残る個性的な暮らし。これら全てが、都会の人の癒しの場になるのではと、新たなむらづくりが進められています。
 そのための第一歩として、若者に定住してもらえるような、魅力あるむらにするために様々なことが試みられています。
 新しい文化活動としては、スロバキア共和国との交流があります。2年に1度スロバキアで開催される世界絵本原画展の作品の中から、300点ほどを選び奥物部ふれあいプラザで展示しています。これまでに4回開催しました。
 また、冒険家でライダーの風間深志さんの提唱する「地球元気村」を開催。平成12年10月には、風間深志さんの他に、元気村のもう一人の提唱者でもある歌手の宇崎竜童さん、陰陽師・安倍清明を取り上げた作家の夢枕獏さんなどの多彩なゲストが登場して、土着の文化論で盛り上がりました。
 この「物部川源流地球元気村」の実行委員会は、物部を含めた物部川流域の6市町村で行っています。またこの6市町村で連絡協議会も作っています。これはひとつの地域だけでは実現できない新しい形のむらづくりの第一歩。海の町、平野の町、山の村が密接に結びつくことによって、さまざまな取り組みが可能になることは間違いありません。
 この他にも、和光大学の学生によるフィールドワークの受け入れ。これは大変好評で、毎年恒例にしようと現在準備が進められているところです。

●村と家庭の文化を売る奥物部ふるさと市
 村の中心地大栃にあるふるさと市は、当初第三セクターの運営でしたが、赤字経営が続いて低迷していたところ、商工会議所の指導員をしていた山本和民さんが有限会社を立ち上げて引き継いだものです。
 ふるさと市は文字通り、ふるさと物部村の農産物をそのまま販売する常設露天市のようなもの。物部以外の地域でも、生産農家が直接販売もする朝市が、地域おこしの一部となっていますが、物部村のように耕地が狭いところでは一軒一軒の農家の規模が小さく、農家それぞれが売り場を構えるほどの量がありません。そこで販売を一手に請け負う山本さんたちの出番となるわけです。今では445軒もの農家が生産物を持ちよります。ふるさと市では、野草も果物も驚くほど安く、販売高の90%は村外の人からの売り上げです。この市は大変好評で、平成11年は1億2000万円を売り上げ、目標の1億5000万円の売り上げももうすぐというところです。
 この市での目玉商品となっているのが各農家が作る「田舎寿司」弁当。筍、コンニャク、リュウキュウ(里芋の茎)、ミョウガ、アメゴ(アマゴ)、椎茸などの山野で調達できる材料を使った押し寿司・巻き寿司の詰め合わせです。すし飯には村特産の柚子酢を使い、決して贅沢な寿司ではありませんが、実に素朴でやさしい味です。各家庭の流儀で少量ずつ作られるこのお弁当は、どれひとつとして同じ組み合わせのものがありません。似たような組み合わせでも家庭によって味付けが違うため、何度買っても同じ物に行き当たることはありません。値段も破格で280円から500円まで10円きざみで思い思いの値段がついています。パックには製造者番号を付けているので、熱心なリピーターは製造者番号指定で買いにくるということです。
 この田舎弁当もふるさと市も物部の豊かな自然から生まれたもの。この自然と歴史ロマンを活かし、都市とのより良い交流を果たすために、いま物部は静かに生まれ変わろうとしています。