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農文協トップ主張 1990年08月

農業、農村が子どもの遊びを豊かにする
仕事の技術と遊びの技術

目次

◆農村と子どもが結びつくと両方よくなる
◆経験でも科学でもなく、技術としての「遊び」
◆自然があれば子どもは自然と遊ぶか
◆遊びは仕事を映しとる
◆遊びの場としての農村の魅力はどこからくるか

農村と子どもが結びつくと両方よくなる

 競争社会、経済優先社会についていけないと、いまの世の中では弱いものにされてしまう。ほんとうは、ついていけないというより、ついていきたくない気持をもっているということなのだが、それが「弱い」ことにされてしまう。いま農家・農村、そして子どもたちもまた、そんな立場に立たされている。

 だが、弱いものどおしが結びつくと、両方ともよくなることがある。長野県の小沢禎一郎さんが『子育て漫才』(農文協刊)という本でそんな例をあげている。長野県の山間のT村での話だ。

 天竜川左岸の河岸段丘の上にあるT村は平地が少なく、急傾斜地でリンゴ、カキ、ウメなどで暮らしをたててきた。そんな村に東京のド真中から小学生たちがやってきた。子どもたちは村の各家に分散して宿泊する。まわりの山で遊んだり、村の人の仕事を見たり手伝ったり、田舎料理を食べたりと、いろんなことがあった。そして、いろんなことがおきてきた。

「あそこのお兄ちゃんのお嫁さんになる!」といって、中学卒業後、都立園芸高校に入学した子が七人もいたという。それだけではない。

「子供たちは体験学習を積んで東京へ帰る。『おじさん、おばさん、お元気ですか!!』と手紙とお礼が届き、『○○夫君、○○子ちゃん、お元気ですか!!』と返事が行く。そんなやりとりの間に山のリンゴは真赤に熟れてくる。

『東京の○○子にリンゴでも、送ってやっか!!』と宅急便のトラックが山のリンゴ農家まで集荷に来る。

『ママ、おじさんがつくったリンゴよ、このリンゴ、私が草むしりしたのよ!!』

『まあ!! おいしいね、このリンゴ!! おとなりにもおすそ分けしようか』

『あら奥様、すばらしいおリンゴ、すみません!!』

『うちの子供が、夏休みにT村へ行きまして、お手伝いしてつくったリンゴなんですよ!!』

『そうですか』

 食べておいしいので、『こんなおいしいリンゴ、うちの主人の会社の上役に送りたいわね。お願いできるかしら』

『えー。じゃあ、T村の○○さんにお願いしてみましょう。送り先を教えてくださいな』

 こうして、東京の小学生の両親から、次々とリンゴのお得意さんが増加して、どこのリンゴ農家にも毎日、何台もの宅急便が集荷に来るようになった。

『これからはリンゴだけじゃなくて、お野菜も竹の子もキノコも、お米も欲しいわ!!』と礼状が届く。

 何年かしてくると、おつき合いも広がる。

『マツタケ狩りはどうですか!!』と東京に呼びかけると、来るわ来るわ、幅五メートルもない道を観光バスが上がってくる。山の上の集落の公民館に一五〇〇人もの人がやってくるようになってしまった。」

経験でも科学でもなく、技術としての“遊び”

 さて、T村での小学生の農村体験をどうみるか。子育てとか教育ということからみると、二つのちがった見方があるだろう。

 一つは「勤労体験」という見方。農家の仕事を見たり体験することで、仕事のきびしさや喜びを学ぶ。体験を通してからだと心を鍛えるということに重きをおいた立場だ。

 もうひとつは「自然・社会学習」という見方。実際に農村にいくことで、自然や社会のしくみを科学的にとらえる契機が与えられる。体験を素材に自然や社会への認識を深めることに重きをおいた立場だ。

 体験や経験そのものを重視するという意味で前者を“経験派”、それを通しての科学的認識こそ大切だという意味で後者を“科学派”としておこう。体験と科学の関係はきわめてむずかしい哲学的な問題でもあるのだが、実際場面でも、いろいろなズレや対立をもたらしたりする。

 小学校の一、二年生で理科や社会が廃止され、「生活科」という単位が新たに設けられる。「具体的な活動や体験を通して、身近な自然や社会の様子に関心をもち、それらと自分たちのかかわりに気づかせるとともに、その過程において必要な生活上の習慣や技能を身につけ、自立の基礎を養う」というのが文部省の大きなねらいだが、これに対しては、とくに“科学派”の側からの反発は強い。生活科では、学校や公園の植物にふれてそれを大切にする気持を養うとか、体験による生活習慣の学習などが重視されるが、それは結局、子どもの認識の発展に結びつかない「体験主義」や「道徳教育」になってしまい、自然や社会の事象を科学的に見ようとする目をふさいでしまうのではないかというのである。

 たしかに子どもに大人が設定した体験をさせればよいというものではないだろう。だいいちそれでは子どもは喜ばない。といって“科学派”の人たちも、これまでのように科学を知識として教えればよいというだけではすまないことは感じている。自然とのふれあいが少なくなった子どもたちにとって、知識は知識としてしかうけとめられないからだ。経験派も科学派も、従来の見方だけではいきづまってしまう。

 そうした背景もあってだろうが、生活科では「遊び」が大きな焦点になってきた。「遊び」は単なる経験ではなく、といって単に科学のための手段でもない。手段であれば目的があることになるが、遊びは遊びたいからやるのであって、それ自体無目的である。その意味では経験そのものではあるが、しかし認識とかかわりがないかというと、実はきわめて大きなかかわりがある。

 ここが遊びの独自なところだ。この独自性は、遊びが「技術」であるというところからくる。科学か経験かでは、あるいは経験を通して科学をというだけでも、子どもの実像は見えてこない。強い衝動にもとづいて外界とのかかわりを求める子どもは、たえず技術的行動を求める。その最も子どもらしい現れが遊びなのだ。

自然があれば子どもは自然と遊ぶか

 遊びといってもいろいろあるが、ここでは自然とふれあう遊びを考えてみよう。心身ともにゆがみがちな子どもにとって、自然の中での遊びが大事だと、多くの親や教師が思っている。体をつかって自然と遊ばせたい。ファミコンでよいとは考えない。野山をかけめぐって遊んだ楽しい思い出をもつ親であれば、なお一層子どもは外で元気に遊んでもらいたいと思う。

 だが、子どもと自然をふれさせようとしても、実はそんなに簡単なことではない。都会にとっては身近に自然がないという問題がたしかにある。しかし、自然があれば子どもは必ず喜んで遊ぶというものではない。そこは大人の勘ちがいだ。自然がある農村だから、子どもはよく自然と遊ぶとそう簡単にはいえない。ファミコンをやる時間は都会より農村の子どものほうが多いという調査結果もある。

 なぜそうなるかというと、タダの自然は退屈なものだからである。おもちゃとかファミコンとかつぎつぎに楽しいものを与えられた子どもにとって、自然は何も与えてくれない退屈なものに見える。

 そして一方、自然はこわいものである。自然学習といって子どもを森につれていくと、子どもはこわがってなかなか楽しい授業にならないといった話をよくきく。

 自然は退屈でこわいもの――野山で楽しく遊んだ思い出をもつ親たちにも、そんなことを思ったことがあったはずだ。それを忘れて、自然、自然といっても、郷愁になってしまう。郷愁だけでは現状を嘆くことはできても力にはならない。

 そこで、かつて「ふるさと」で、自然の中での遊びがあったとして、それがなぜ成り立っていたかを考えてみると、そこに「技術」が浮び上がってくる。そして技術を駆使して何かを得たいという子どもなりのたくらみがあった。魚をとりたい、そのためにガラス箱をつくりヤスをつくってけん命にとぐ。ああして、こうして、こうやってと、遊びには子どもなりの目的があり、それを実現するための技術がある。遊びが無目的だといわれるのは、その結果に対して実利的な評価を与えないということであって、遊び自体は目的も手段もある実践である。

 遊びとしての自然とのかかわりは自然に対して積極的、攻撃的である。攻撃的のゆえに技術を必要とし、その技術が攻撃性を励ます。攻撃的でなければ自然には立ちむかえない。そして攻撃のための武器としての技術を、大人やガキ大将のマネをしながら身につけていく。武器も工夫しなければならないし、魚やら鳥やらの習性も知らなければならない。こうして子どもは自然を自分のものにしていく。遊びは技術を通した体験であり、そうあればこそ、自然認識にもつながるものである。

遊びは仕事を映しとる

 目的がありそれにむけた技術がある。その点からみれば大人の仕事と子どもの遊びは同じことになる。そして、仕事と似ていることは、遊びの一つの本質なのだ。

 仕事の中にあるその地で生きていくために必要な自然とのかかわり方を、子どもは子どもなりに遊びを通して感じ身につけていく。仕事と遊びの両方があって村の暮らしは維持され伝承されていく。

 大人の遊びは、とくに現代においてはウサ晴し(よくいえばリフレッシュ)という面が強いが、子どもの遊びは生きる力をつける行為そのものである。

 生きるための行為だから、子どもは大人が生きるためにやっていることはなんでもマネしたがる。おかあさんの台所仕事をマネして飯事《ままごと》をする。本来、子どもの遊びは、大人の遊びより大人の仕事のほうに近い。

 遊びのありようは仕事を映しとる。仕事に自然とかかわる必要も技術もなくなれば、自然とかかわる遊びが少なくなるのも当然だ。

 自然、自然という前に、大人たちはこのことをしっかりふまえておかなければならない。

 問題は子どものまわりに自然がなくなったことにあるのではなく、技術的世界が少なくなったことにある。自然とかかわるときに欠くことができない技術というものがなくなったときに、子どもの遊びは貧困になる。

遊び場としての農村の魅力はどこからくるか

 話を最初にもどそう。天竜川沿いのT村を訪れた東京の小学生はそこで自然にふれたのではなく、自然と直接かかわる仕事をしている人間――農家にふれたのだ。

 遊び場としての農村の魅力は、そこに農業という日常的な技術的世界があることからくるものである。都会は巨大な技術的世界だが、その一方で家事などを含む日常的な技術的世界はどんどん縮小している。農村でも同様の傾向が進んでいるが、それでも、自然とのかかわりにおいて長い間に蓄積されてきた技術的世界は、農村が農村であるかぎり根づよくありつづけている。

 まず、自然とかかわる遊びの技術がある。魚をとる、キノコをとる、草木で何かをつくる…その中には自然とかかわる伝承的な知恵と技術がある。自然は技術を通してしか、その本当の姿を見せてはくれない。「自然観察」はそこから先の話だ。

 農業という技術そのものにも、遊び的要素がある。リンゴのせん定のとき、どの枝を切ろうかとアレコレ考えるのは、リンゴの身になって考えるきびしさとそれだからこその楽しさがある。遊びが生きるために自然を具体的に知る過程だとすれば、農家の仕事には遊びが含まれている。自然相手の農業は、毎年毎年が自然を知る勉強である。自然が先生とすれば農家は生徒だ。生徒である農家は、子どもの先輩なのである。仕事の中で自然とむきあう農家の姿は、子どもの遊び心を刺激する。

 さらにつけ加えれば、農村の自然はノッペラボーの自然ではない。長い間、その地で生きるために人間の手が加えられた自然であり、それは重層的な自然である。

 家があり庭があり田畑あり里山や雑木林があり、さらに山間部では奥山がある。子どもからみれば身近で安心できるところから、こわいが魅力的なところまで、農村は放射状に空間を形成している。自分の力に応じた技術を使って、既知なるものから未知なるものへつき進んでいく。子どもの探索行動にふさわしい自然の構造がそこにはある。その探索の先導役を村の子どもたちにやらせたらいい。

 農村体験は、単に勤労体験や自然学習よりももっと深い意味がある。自然とのかかわり方の技術を、それを通して自然の深みを感じ、自分のものにしていく。そこには、知識ではない丸ごとの認識がはらまれている。

 農村にある遊びの技術、自然とつきあう技術を子どもたちにどんどん伝えよう。遊ばせるのではなく、遊ぶ技術を伝えよう。それは、農業の意味を次世代に伝えることにもなるだろう。

 また、農村には機織りとか納豆づくりとか、非効率ということでなくなりかけている技術もたくさんある。どれもこれも、自然とかかわる中で大切に伝承され、蓄積されてきた技術だ。経済的に成りたたないから仕事として伝承されないものでも、遊びとしてなら、その技術を、その技術の基本的な部分を伝えることができる。経済的利害とは無縁な遊びであるからこそ、本当に伝承したいことを伝承させることができるかもしれない。人間は遊びを通して自然とともに生きることとは何かを学び、伝え、次世代の人間を育ててきた。人間が人間を継ぐかぎり、それはこれからも変わらないだろう。

 もうすぐ夏休み、そしてお盆、都会から農村へ子供たちがやってくる。

(農文協論説委員会)

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