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農文協トップ主張 1998年10月号

「美しい村」と「美しい都市」の連携
――江戸期の「生産革命」に学ぶ

目次
◆アジアのアルカディア(桃源郷)
◆それは、山への着目から始まった
◆江戸期の生産革命をもたらした自給の精神と「勤勉革命」
◆資源活用のあくなき追求が生んだ「植物資源立国」
◆ゼロエミッション(廃棄物ゼロ)の都市
◆農産加工が個性的な地方都市をつくった


◆アジアのアルカディア(桃源郷)

 「南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり、まったくエデンの園である。鋤で耕したというより、鉛筆で描いたように美しい。米、綿、トウモロコシ、煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカディア(桃源郷)である。自力で栄えるこの豊沃の大地は、すべて、それを耕作している人びとの所有するところのものである。……美しさ、勤勉、安楽さに満ちた魅惑的な地域……どこを見渡しても豊かで美しい農村である」(「日本奥地紀行」平凡社より)。
  明治初期に、江戸の姿をそのまま残す東北地方を一人で旅をした英国の婦人イザベラ・バードが、山形の米沢を訪れた時の印象記である。「産業革命」を経てひたすら工業化の道を歩む英国の婦人の目に映った日本の「美しい農村」、それは、江戸時代の「生産革命」がもたらしたものであった。
先月号(98年9月号)の本欄「バブルの後の再建は江戸時代の発想に学ぼう」では、大開発、外延的拡大による高度成長が破綻し、大洪水や田畑の荒廃などの弊害がツケとなって現われた元禄・亨保期の事態をどう打開し、転換をはかったかをたどり、現代の課題を浮き彫りにした。国内資源の総点検に基づく適地適産の振興により、各地で地域資源を生かした特産づくりが盛んになり、特産品の国産化によって輸入が減少し、元禄時代まで大幅赤字だった国の貿易収支が黒字に転化した。こうして江戸時代は安定した成熟社会へと進んでいったのである。
 上杉鷹山が活躍した米沢に限らず、イザベラ・バードを魅了した「美しい農村」がつくられた江戸時代、その「生産革命」のありようは現代に、豊かな着想を与えてくれる。

◆それは、山への着目から始まった

 大規模な新田開発、草木を根こそぎ掘り取っての山川開発がもたらした弊害をどう克服するか、その着眼は山の価値を見直すことから始まった。元禄から亨保期以降、荒廃した田畑を救い、農業・農村を立て直そうとの思いで各地に続々と生まれた江戸の農書には、山の重要性を指摘した文書が数多くみられる。代表的な農書である「農業全書」(注1)は、植樹を農業経営の一分野とし、「百姓伝記」(注2)や「開荒須知」(注3)でも植林に多くのページを割いている。
 「山林に樹木が繁茂していないと、池や川の用水が少なくなって、作物が充分生育できなくなる。また、そのために薪にも不自由するようになると、肥料として利用すべき草木類までも薪として使用してしまうので、次第に田までもやせおとろえるものである。伐採した山林や、あるいは大風によって被害を受けたところには、年々いろいろの樹木類を植え継いでいかなければならない」(「農稼業事」注4)
 田畑に利用される刈り敷を得るのに必要な山林面積は、水田面積の数倍に及んだという計算もある。
 ドイツなどでは現在、過耕作の反省から中山間の耕地を山林に戻す取り組みが行なわれているが、日本ではすでに300年前に開拓の弊害が問題になり、その克服に向け山を見直す大きなうねりが起きたのである。それは、日本の農業の特質からきている。
 水田にとって山は、水源であり、刈り敷という肥料源でもあった。また急傾斜地で雨が多い風土のもとでは、山の草木は土砂流亡を防ぐ重要な役目を果たしている。
 大開発時代の反省を経過して完成した江戸期の集約農業は閉じられたものではなく、山と結びつき、山に支えられて成り立った。人口が少なかったヨーロッパの農業が家畜と麦を基本とし、休閑と飼料作物を含む輪作、そして厩肥の利用という耕地内の閉じられた系で成り立っていたのとは対照的だ。
 こうして山とのつながりを回復し、開発のなかで荒れた本田畑の復興をバネに、農家は、地域資源を生かした地域振興へと向かった。幕府(吉宗)もまた、国内資源の総点検に基づく適地適産の振興に乗り出し、こうして輸入に頼っていた木綿、生糸、藍、煙草、砂糖、朝鮮人参など、暮らしに必要な物産のことごとくを国内自給することに成功したのである。

◆江戸期の生産革命をもたらした
自給の精神と「勤勉革命」

 それでは、この国内自給はどのように達成されたか。この点を、特産づくり、物産づくりのバイブルともいえる大蔵永常の「広益国産考」(注5)から、考えてみよう。江戸期の農業ジャーナリストと評される永常は、日本各地を回り、特産づくりに成功しているところとそうでないところのちがいをつぶさに調べあげ、その成果をもって特産づくりの必要性とその方法を本書にまとめた。
 「国の特産物についてわきまえるべきこと」として、永常はこう書いている。
 「まず、その国で生産しないために他の諸国から購入している出費を防ぐことを考え、さらに、適当なものがあれば作って他国へ出荷し利益とすることを考えるべきである。米穀の次になくてはならないものは、第一に蝋、油、畳表、醤油などである。これらを生産していない国は、まずこの品を生産するようにしなければならない」
 ここでいう国とは藩のことである。そして、藩の立て直しは「下々の人民の生活を豊かにし、その結として領主の利益になるように計画すべきである」というのが永常の一貫した考えである。そのための物産づくりは、まずは藩内での自給のためである。ナタネができる条件があるのに、他から油を買うのはその国の財産をとられるようなものだ、といった苦言が、各特産ごとになんどもなんども出てくる。さらに、醤油について同様に述べたあと、次のようにいう。
 「醤油を買い入れて使っている農家があった。なぜ、手造りしないのかと聞くと、家で醸造するより買って使うほうが得だという。この考えを、私は熟考してみたが、やはり家で造って使うほうが得だという結論に達した」
 つまり、永常の特産振興は、主穀があり、農家の自給があり、藩の自給があり、そのうえで他国への出荷、販売があるという構造になっているのである。「人民の生活を豊かに」することが基本だからだ。だから、永常の特産づくりは、不毛の地に杉や檜を、畑の境や山畑などの傾斜地にコウゾを、屋敷まわりに茶を、やせ地に薬草をというぐあいに土地の有効活用を第一に考え、また、紙すきなど農閑期の家族の手間を生かすことを重視したのである。土地と資源、そして人間の活用なのである。
 経済史家の川勝平太氏は、江戸期の生産革命を「勤勉革命」と位置づけている。ヨーロッパの産業革命が資本集約型であり、大量の石炭を使うエネルギー資源浪費型であったのに対し、資本を節約し、資源を節約することに工夫をこらしたのが、江戸期の生産革命だ、と川勝氏はいう。
 農作業に利用する家畜が、江戸期に激減してしまったという研究結果がある。ヨーロッパとちがい、食糧としても地方の再生産としてもほとんど位置づけをもたなかった家畜を、飼料を生産してまで飼うことは、農業の集約化、土地の有効利用に反したからであろう。牛馬による耕うんという一時の作業の効率性(労働の生産性)より、資源の有効利用や土地の生産性のほうを重視する。人間自身の力で、資源の最大活用をはかる、それが、江戸期生産革命の筋道であった。

◆資源活用のあくなき追求が生んだ「植物資源立国」

 資源の有効利用と土地の生産性の向上、これに加工が加わることによって、江戸期の生産革命が展開し、3000万に及ぶ人口を養うことを可能にした。
 江戸期の人々の暮らしを支えた食品から日常生活用品まで、その原料のほとんどは農作物を含む植物資源であり、江戸期の「生産革命」はこの国を世界に稀にみる「植物資源立国」にした。食品から日常生活用品までのすべてを国内で自給したということは、太陽エネルギーだけで多くの人口を養い、再生産できるだけの高い技術力と文化的な水準をもっていたということにほかならない。
 紙はコウゾを原料とする。紙の原料となるのはコウゾの一年生の枝であり、その年に受けた太陽エネルギー分だけが紙になることになる。それでも、江戸は当時、世界有数の製紙大国だった。それだけの生産と加工技術をそなえていたのである。
 資源の最大活用とは、一つの素材の多面的利用であり、副産物、廃棄物の利用である。
イネでいえばその全体を資源としてみる。「米徳糠藁籾用方教訓童子道知辺」(米の徳、糠・藁・籾の用い方を、子供らに教えるための道しるべ)(注6)という農書もあり、その糠の項では、洗剤から漬物、染物、馬の餌、肥料としての用い方、さらに木釘と糠を混ぜて火で炒ると、糠油が染み込んで釘が丈夫になるといった指摘もしている。
 肥料でいえば「腐るものはなんでも使う」という精神である。山野の草肥から都市の人糞尿や生活廃棄物、干鰯、鯡カスなどの魚カス類など、山から、里から、そして海からのものが肥料として有効に使われた。
 「植物資源立国」は、医薬へも及ぶ。江戸期には、薬草の調査と栽培が盛んに行なわれるようになった。中国の本草学に学びつつ、日本独自の薬草を見いだし、薬草の国産化をめざしたのである。薬草への着目は、やがて、博物学へと進み、さらに食べられるものと食べられないものを見分ける救荒植物の研究とあわせて、これらは日本の植物研究に大きな貢献をすることにもなった。しかも、その薬草の生産に、当時ブームになった園芸文化を担った植木屋、花戸、芸種屋と呼ばれた人たちが果たした役割が大きいという。園芸もまた「植物資源立国」にふさわしい庶民の日常文化として江戸期に花開いたものである。さらに防除にも多様な植物が利用されるようになった。「冨貴宝蔵記」(注7)には、ヨモギ、ダイオウ、セキショウ、センダン、センニンソウなどの薬草を利用した防除法が豊富に記載されている。
 「薬草木作植書付」(注8)などの薬草、「備荒草木図」(注9)などの救荒植物、「花壇地錦抄」(注10)などの園芸植物、農書の世界は農作物だけでなく、植物資源の活用情報の宝庫でもある。江戸期の生産革命は、植物資源の価値を発掘し、それを生産に、生活に生かす「植物資源活用革命」であった。

◆ゼロエミッション(廃棄物ゼロ)の都市

 植物資源はやがて土に帰る。江戸期の生産革命は「リサイクル革命」でもあった。
江戸のゴミは川や堀を使って運ばれたが、その途中で肥料、金物、燃料というぐあいに選別され、それぞれ農家、鍛冶屋、風呂屋に運ばれた。江戸期の生産革命のなかで国産化に成功し、庶民にまでいきわたるようになった綿を、人々は浴衣から寝間着へ、さらにおしめに、最後は雑巾にと、ぼろぼろになるまで使った。都市にゴミや下水問題の発生がみられず、都市もまた世界的にみて「美しい都市」だった。
 その綿布を使う都市と、綿をつくる村とは強く結びついていた。江戸期になって発達した綿作の副産物である綿実は当初は捨てられていたが、やがて大阪でこれから油を搾る技術が開発され、菜種にならぶ灯油の原料となり、そのカスは肥料として利用されるようになった。綿実から油を搾る技術が、新しい肥料をつくった。都市の加工業、加工技術が肥料製造にもなっていた。二毛作によってつくられる菜種も茎葉は飼料に、子実からとる油は灯火用などに使われ、その搾りカスは肥料にされた。
 物産づくりを担ったのは畑であった。亨保期から明治初期までに、耕地面積は全体に26万3000町増加したが、そのうち畑が約20万町であり、この畑における商品生産は綿織物などの農産加工の発達を促した。一方、畑は肥料を多く必要とする。それを、都市や加工業の廃棄物、農村と都市の「循環」が支えた。
 農村と都市がつながり、一つの素材の多面的かつムダのない利用が徹底して探究され、繰り広げられる。こうしてゼロエミッション(廃棄物ゼロ)の都市がつくられた。

◆農産加工が個性的な地方都市をつくった

 農村と結びついた紡績業、醸造業、食品加工業、製紙業、搾油業、製糖業、製蝋業などの江戸期における加工業の発展は、個性的な在郷町、地方都市を生むことになった。当初、城下町、港町、宿場町、門前町などの商人や職人を中心とした都市商工業と、村方の農民による農村加工の両側面で発展した農産加工は、江戸中期には、その中間である在郷の地で発展し、多くの個性的な地方都市を出現させたのである。たとえば、絹織物業は当初、都市の手工業として出発し、しだいに農村工業として発展していったのだが、江戸中期に白糸輸入が禁止され、国内の養蚕が盛んになるなかで各地に生産拠点がつくられ、長浜や米沢のちりめん生産や、足利、八王子などの関東織物業地域が形成された。こうして、農産加工を基礎とする新しい地方都市の配置ができあがった。江戸時代後期の100年間に、三都や地方大都市の人口は約10%も減少しているのに、地方中小都市や在郷町の人口は増加しているのである。
 領主の政治支配の拠点として成立し、産業革命のなかで農村を常に圧迫しながら肥大したヨーロッパの都市とちがい、江戸の生産革命は、農村と結びついた特色のある個性的な地方都市を生んだ。この経験は大都市一極集中による弊害を克服するうえでも、世界的に貴重な経験といってよいだろう。
 地域資源の多様な活用による農産加工は、農村と都市を結び、文化を育てる。現在必要とされる内需拡大策の基本もここにあるのではないか。地方分権も、その基盤として地域資源を活用する産業の形成がなければ、画餅になる。
 江戸の「生産革命」と時を同じにして起こったヨーロッパの「産業革命」は鉱物資源を基礎とし、生産の効率性追求のもとで労働を貧しくし、資源の確保と製品の販売を外部に求める「外延的拡大」によって、世界に貧困と戦争をもたらした。
 これに対し、それぞれの地域で起こった江戸の「生産革命」は、植物資源を基礎とし、地域資源と労働の価値を高める「内包的・循環的拡大」であり、それが安定と平和をもたらした。
 「美しい村」と「美しい都市」が連携していた江戸期。それは、これからの農業と産業全般のありように、限りない着想を与えてくれる。

(注)いずれも「日本農書全集」(農文協刊)、所収巻を示した
(1)「農業全書」第12、13巻
(2)「百姓伝記」第16巻
(3)「開荒須知」第3巻
(4)「農稼業事」第7巻
(5)「広益国産考」第14巻
(6)「米徳糠藁籾用方教訓童子道知辺」第62巻
(7)「冨貴宝蔵記」第30巻
(8)「薬草木作植書付」第68巻
(9)「備荒草木図」第68巻
(10)「花壇地錦抄」第54巻※
※(6)(8)(9)(10)は、「日本農書全集」第2期収録

(農文協論説委員会)


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