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農文協トップ主張 2002年5月号

今、農家の所得アップは 「自給の社会化」で

 

目次
◆女性や高齢者が活躍する多品目少量生産の一大産地―JA甘楽富岡の農業
◆JA甘楽富岡の取り組みは「自給の社会化」にほかならない
◆「自給の社会化」による所得アップ―条件は全農家に等しくある
◆「自給の社会化」は農業を自由にする
◆「自給の社会化」の宝庫―「現代農業・特別号」の学習会の開催を

 

女性や高齢者が活躍する多品目少量生産の一大産地
―JA甘楽富岡の農業

 いま、群馬県のJA甘楽富岡の実践が全国の農業関係者から注目されている。不況のこのご時世に、農産物販売高が右肩上がりの成長をつづけているからだ。

 かつて、現JA甘楽富岡地区の農業は、養蚕とコンニャクという典型的な商品作物に依存した農業だった。その2大柱が輸入攻勢によって、最盛期には51億円あった養蚕の販売額が5000万円へ、コンニャクが33億円から6億6000万円へと崩れ、JA甘楽富岡の農業は「崩壊」状況に陥った。その農協が、平成6年の広域合併以来、わずか6〜7年で販売高が100億円を超えるまでに至ったのである。

 それを可能にしたのは、養蚕とコンニャクという商品作物依存の農業から、自給的な多品目少量の農産物を地元や首都圏の消費地に届ける農業への大転換であった。

 転換にあたりJA甘楽富岡では、地域をあげて「地域総点検運動」行ない、50年前までさかのぼって、地域でつくっていたものを洗い出した。地域の宝探しである。その結果、それまで商業的な農業の陰に隠れていた作物が、自給物を中心に108品目見いだされた。

 その一方で、農家を「販売農家」「自給型農家」「土地所有型農家」の3類型に区分して、〈潜在的販売農家〉のリストをつくり、定年やリストラで退職した中高年層や子育てが終わった女性たちに働きかけ、実に1000人を超える人びとを直売部会員として組織した。それらの新規参入の農家に108のメニューから好きなものを何品目か選んで栽培してもらい、地元のJA直営の直売所「食彩館」や、東京などの量販店内にしつらえらた直売所「インショップ」で売り出したのだ。作物の選択も、規模も農家の自由である。

 朝穫りのため新鮮で、甘楽富岡独自の空間を表現する個性的な農産物は消費者の反響を呼び起こし、インショップはたちまち50店舗に増加、食彩館とインショップの売り上げで、月商1億円(年商12億円)以上を達成した。さらにそこで生産や販売技術を身につけた人びとが、ステップアップして生産部会に入り、首都圏の生協や各種量販店との総合相対複合取引の担い手になることによって、年間の販売高100億円が達成されてしまったのだ。

 こうして女性や高齢者が活躍する多品目少量生産の一大産地が出来上がった。このような取り組みのうえに、JA甘楽富岡は、今後さらにインショップをふやして1500人の直売農家を新たに発掘し、718ヘクタールの遊休荒廃地をなくすという壮大な取り組みに挑戦しようとしているのである。

JA甘楽富岡の取り組みは「自給の社会化」にほかならない

 JA甘楽富岡の実践が注目される割に、あまり注意されていないのが、この実践のベースに「自給」が据えられているということである。

 直売所「食彩館」や「インショップ」の魅力は、地域総点検運動で見いだした多様で個性的な自給農産物が、甘楽富岡の自然と生活をあますところなく表現しているところにある。そもそもインショップの構想自体、甘楽富岡の直売所「食彩館」を視察にきた量販店から、「これをそのままうちの店にもってきてくれないか」と相談を受けたことから始まったという。食彩館に所せましと並べられた多様で個性的な自給の農産物が量販店のプロを魅了してしまったのだ。

 インショップには、都市の消費者が見たこともない甘楽富岡ならではの独自のものが出荷される。たとえば「宮崎菜」というツケナ。宮崎菜は富岡市宮崎地区で自家採種されており、いつから作られているのかも、来歴も不明という在来種だ。漬物や煮物にして食べられるが、地元の人は野沢菜よりもおいしいという。この菜がインショップに並ぶようになったのは最近の話、平成1年の冬からだという。その理由が、地元の農家にとっては当たり前すぎて、「これが売れるのだろうか」と初めは出荷しなかったというからおもしろい。しかしいざ出荷してみると、消費者の間で大変な評判になったというのである。

 このような積み重ねのなかで、JA甘楽富岡の出荷品目はふえ続け、いまでは当初の108品目から248品目を数えるまでになっている。

 インショップの第1号店を出す際、JAから量販店に示された文書には、こう書いてある。

 「生産量や収穫の時期(本当に旬のもの)を狂わせたくない。毎日の生活のリズムに合わせて自然にやりたい。農家の人が食べている野菜や果物を、そのままお分けしたい。自分が作って、ウマイと思える物、買いたい物だけをお届けしたい」(「ファミリー食彩館 西友インショップ展開の基本的な考え方」)。

 自分たちも食べる自給農産物の、旬の味、本当の味をお届けします、という宣言である。

 このような在来種を含めたローカルで個性的な自給農産物は、「余ったから」とか「おいしかったから」と、近所や親戚、村うちで日常的にやりとりされていた。そんな「お裾分け」の延長として、都会の消費者に提供される。地元の食べ方の説明付きで。

 年に何回かは、消費者の産地訪問や農業体験の機会も設けられ、日常食べる農産物が産み出される農村の生命空間を肌で感じとることができる。JA甘楽富岡の販売は、このような交流を含んだ「お裾分け」=「自給の社会化」なのであった。

 「自給」は「商品」の対立物で、自給経済は商品経済によって駆逐される前近代的な閉鎖的経済というのが経済学の常識である。自給は遅れたもので、商品経済の浸透のもとで早晩消える存在と考えるこのような立場からは、「自給の社会化」という言葉は矛盾をはらんだ奇異な言葉に聞こえるかもしれない。しかし、いかに商品経済が浸透しようと、弱まったり強まったりすることはあっても、農家経営の土台には農家が自らのためにつくる自給部分が必ずある。甘楽富岡の農家も、養蚕やコンニャクなどの商品作物に力を入れながらも、自ら食べるためにつくる自給部分は捨てなかった。多大な労力を要する養蚕がどんなに忙しくても、食卓にはわが家の畑や里山でとれたもの、そしてお裾分けしてもらった食べものが並んだ。いま、その自給農産物が、かえって「自給」農産物であるゆえに消費者に強く求められ、この高度な商品経済社会のなかで堂々と流通しているのである。

「自給の社会化」による所得アップ
―条件は全農家に等しくある

 JA甘楽富岡の実践のベースには「自給」があった。それが消費者や量販店のプロを魅了し、成長をよびおこしたのである。

 モノが過剰なほどあり消費のあり方が成熟するなかで、消費者は本物を求め、個性的なものを求め、物にまつわる自然や生活の物語を求めている。市民農園での自家用野菜づくりや男性の日曜料理に人気があるように、自分や家族のために何らかの生産的行為を行なう都市の「生活者」も広く出てきた。このような都市の生活者が、自給を基礎におく農業に魅力を感じ、農家からのお裾分けを求めているのである。

 農家の所得アップのカギは、所得とは遠いところにあるように見える「自給」にあり、「自給の社会化」にある。現代とは、そういう時代である。

 事実、いま元気な農業は、自給を土台に多品目少量生産を行ない、自分が食べておいしいというものを朝市や産直で消費者に届けている生活者の農業である。その主要な担い手は、甘楽富岡同様、高齢者や女性である。そこでは市場に出す2倍、3倍の手どりを得ることも不可能ではない。決してもうけをめざすわけでない。家族の健康や自分の充実のために自給や加工を行なうことが、結果としてもうけにつながってしまうのである。

 日本の農家の暮らしの根底には、もともと必ず「自給」がある。生産と生活が密接不可分にむすびついている。自然の循環のなかで自然に働きかけ、食べものも衣類も自給し、住居までも大工や村の人びとと力を合わせて建ててしまう生活者が農家だった。農家は自然と人間の直接の関係でなりわいを営む、根源的な意味での生活者なのである。農業は、農業生産を意味するだけでなく、食べものの調理・加工も貯蔵も販売も、あるいは衣食住の全部を含めて「農業」であった。

 そこには田畑や、山や川など地域自然の生産力をうまく引き出して生産する技があり、穫れた農産物を調理・加工・貯蔵して食べる生活の技がある。それらの生産生活の技術は、長い歴史的な時間をとおして地域で改良され、地域に蓄積されてきたものである。前述の甘楽富岡の「宮崎菜」という個性的な在来種も、そのような歴史的な時間の流れのなかで交配され、選抜され、地域に固有な独自性を帯びて存在しているのだ。

 そのような自給をベースにした暮らしのあり様は、昭和初期の食生活のあり方を当時食事にたずさわっていたおばあさんたちから聞き書きしてまとめた『日本の食生活全集』(農文協)に再現されている。

 生産と生活を分離し、単一作物の規模拡大で生産性を上げる企業的農業を行なうことが進歩で、農家の自給は遅れたものとされた時代もあったが、今日、そのような農業に活力は見られない。遅れているとされた「自給」的な農家の生産生活の全体が、そしてそれをとりまく農村空間全体が都市の消費者を魅了し、心豊かな関係性をむすぶもとになり、活力を発揮しているのである。

 生産者農民は一方では生活者農民なのであった。「自給の社会化」の条件は全農家に等しくそなわっている。

「自給の社会化」は農業を自由にする

 そのような生活者の農業を創出し、都市生活者と農家という根源的な生活者が直接に関係をむすび「自給の社会化」をすすめるとき、農家は市場の制約からも解放されて、真に自由な農業が展開できる。

 3月に発行された「『現代農業』2002年特別号」(特集「地産地消で所得アップ 加工の技術 売り方の知恵」)には、そのような自由な農業の事例がたくさん載っている。岐阜県高山市の朝市に果樹を出している農家、藤井守さんの取り組みもその1つだ(92ページ「果樹 直売ならなつかしい品種が売れる」)。

 「藤井さんがつくっている品種は何とも古いものが多く、およそ儲かりそうにない品種が多い。ところが、これらの昔なつかしい、今消えつつある品種が、藤井さんや高山の果樹農家の経営にはなくてはならないものになっている。……たとえばリンゴのゴールやレッドゴール、スターの場合は、貯蔵性がわるいから儲からないというのだが、朝市に出すとなると事情が一変する。

 貯蔵性のわるいといわれる品種が収穫した翌日には朝市の店先に並べられる。これだと品種の欠点といわれる貯蔵性を考える必要がなくなる。

 それどころか、樹上で蜜を入れておいしくした最高にうまい状態のものを店先に並べることができる。地元の人はそのおいしさを知っているからよく売れる。観光客はこのごろ見かけなくなった、なつかしい珍しいリンゴということもあって買ってゆくのだ」

 農家にとっても、多くの豊富な品種をつくることで収穫作業を分散できる。そして品種が多いからこそ、品種がもっているおいしさが最高に引き出された時点で収穫できる。多様な品種のそれぞれ独自の個性的な味が最大限引き出され、都市生活者にも満足が与えられ、生産者の欲求も満たされるのである。このようなところから市場の流通を顧みれば、市場の規格は、遠隔地流通をともなう大量生産・大量流通のためのものでしかなかった。自給の社会化は、個性的な味を求める消費者の欲求の充足と、生産者の自由な生産の土台なのである。

 同じく「特別号」に載っている、故井原豊さんの米の品種改良や自家ブレンドの取り組みなどは、その真骨頂を示すものだろう(156ページ)。

 「出穂期の早すぎ、脱粒性の難すぎ、丈の長すぎ、米の粘りすぎ」という特徴をもつコシヒカリと、「極良食味」だが、「出穂期の遅すぎ、首のもろすぎ、丈の長すぎ、粘りの淡白すぎ」という朝日をかけあわせて育種し、日本一おいしい米の品種を固定化しようと努力していたのだ。この記事には育種の話だけでなく、米の品種を井原流に自家ブレンドし、コシヒカリを超える最高の味にして産直で消費者に届けている話も出ているが、井原さんのロマンと誇りが彷彿されておもしろい。

 生活者による農業は、自由でおもしろく、しかも都市生活者に絶大な支持をうけて、結果として所得アップにつながる農業である。

 農家は根源的な意味で生活者である。地域の自然を知悉し作物に深くかかわる農家が自分で食べて本当においしいと思うものをつくりだし、生活者としての都市民に提供する。そこに農家としての誇りと喜びがある。

 「大量生産・大量販売」の産地型農業でも、それが農家によって営まれるからには「自給の社会化」はある。そして、不況の中で、そのことが見直されてきている。今月号では「青森発 産地が変わる 農家所得アップへの挑戦」という巻頭特集を組んだ。リンゴ、ニンニクなど「大量生産・大量販売」の産地型農業を展開してきた青森でも、直売所が活況にあふれ、そして市場出荷にも変化がでてきた。ミネラル野菜つくりに取り組む十和田市の農家は、高く売れるかどうかより、食べておいしいことに喜びを感じ、自分の野菜つくりに誇りをとりもどしている(52ページ)。相馬村では、食べる専門家でもある農家の感覚を基本においたリンゴやリンゴジュースの販売で、農家の所得アップを実現している。「これからはブランドより『村』だ」というJA相馬村の田沢俊則さんの言葉は、市場流通の新しい展開を予感させる。(74ページ)。

 
「自給の社会化」の宝庫
「現代農業・特別号」の学習会の開催を

 生活者による自給をベースとした農業がいま、高齢者や女性たちを軸として全国で展開してきている。その取り組みを一層促進し、点から面の動きにしていきたい。

 この「主張」でも引用した「『現代農業』2002年特別号」には、農家の手による活力ある実践事例が豊富に紹介されている。ページをくって読みすすむうちに、必ず生活者型の農業のおもしろさに引かれ、「自分ならこうしたい」という意欲が湧いてくるはずである。この「特別号」をテキストにして、地域の学習会を皆さんの力でぜひ開催してほしい。そのことが地域の新しい未来を切り拓くことにつながるはずである。

 あるいは地域の農協や行政に、「こんなことをやってみたい」と相談してみるのもいい。JA全国中央会はファーマーズマーケットの開設を推奨し、JA青森県中央会のように、産地型農業県でも「地産地消」による「50万円農業所得増加運動」を展開しようという動きもある(本号83ページ参照)。農林水産省や各県の農林部では食料自給率の向上をめざし、地域自給率の向上をすすめている。

 生活者の農業の構築なしには、農協の運動も行政の運動もすすまないのである。

(農文協論説委員会)


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