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農文協トップ主張 2002年7月号

江戸時代の農書を現代に生かす
『日本農書全集』の「明日への環境賞」受賞に当たって

目次
◆「現代の暮らしへの大きな示唆」
◆農家に支えられて
◆地域おこしの手引書
◆農書は人生の書
◆江戸時代の村人の気概

「現代の暮らしへの大きな示唆」

 『日本農書全集』(全72巻。別巻1)は、完結直後の平成12年(2000年)に農政ジャーナリストの会から「農業ジャーナリスト賞特別賞」をいただいた。「息の長い仕事に、ずっと注目してきた。その完結を共によろこびたい」という講評を受けた。たしかに、この全集の刊行を開始したのは昭和52年(1977年)で、すでに4半世紀の時がたつ。
 このたび、別巻の『収録農書一覧・分類索引』が完成したのを機に、「明日への環境賞」を受賞した。この賞は「これ以上の環境悪化を食い止めなければ、人類の永続的な生存はおぼつかないという危機感から、朝日新聞社が、創刊120周年を記念して、環境保全の多様な試みを顕彰する目的で創設した賞」(贈呈式の冊子から)であり、今回は第3回にあたる。
 賞状には次のように書かれている。
 「各地に伝わる江戸時代の農書の復刻・現代語訳『日本農書全集』72巻を編集・刊行し、環境を汚さない当時の農法を紹介して、現代の暮しに大きな示唆を与えました。長年の努力と業績をたたえ、本賞を贈ります。」
 復刻だけでなく、現代語訳もしてあることを明記してある。じつは、この現代語訳がなければ、この仕事の意味は半減したと思っている。原文をきちんと活字におこすことも大切だが、現代のことばに訳すことによってはじめて、江戸時代の農書が万人共有の財産としてよみがえり「現代の暮しに大きな示唆を与え」ることができたのである。
 一方、この厖大な農書群が当時の「環境を汚さない」農業のしかたを示しているという意味づけには、少々驚いた。いまでこそ「環境保全型農業」が問われているが、刊行当初にはまだ、そうしたことばは使われていなかったし、江戸時代の農業が化学肥料や人工的な農薬を使わない「有機農業」であるのは当りまえで、とりたてていうまでもないことだったのである。環境を汚さないことに意識的だったわけではない。

農家に支えられて

 この『日本農書全集』を企画したころのことをふりかえってみると、無謀な企画だからやめておいた方がよいと、多くの方々から忠告をいただいたものである。大きな図書館や大学、博物館などが備えてくれるだろうが、せいぜい500部くらいだろうし、なにより現代語訳をすることが無謀だというのであった。
 なぜかというと、農書の多くは地域に密着して書かれたものであるから、その地方のことばで記されており、その意味を特定することはたいへん困難だということである。たとえば「除草」ということばは江戸時代にはなかった。「草かじめ」「芸る」(くさぎる)「草修理」「草そり」などといわれていた。「客土」は「いれつち」(入土)、分げつは「子咲」(こさき)である。そして、除草を表わす語のそれぞれの意味には、微妙な差があったにちがいないが、そうしたことを詮索していたらキリがなくなる、というのである。事実、現代語訳を担当してくださった専門家の方々は、たいへんな苦労をされた。その農書が成立した地域の古老を訪ねての確認作業、情況証拠の探索などが再三くりかえされた。
 ところが、刊行がすすむにつれ、図書館や研究機関だけでなく、思わぬ読者が現われて、私たちは大いに勇気づけられた。農家の皆さんがたいへん興味を示されたのである。江戸農書が、現代の農業のありかたに反省を求めていること、有機農業を志す人々の手堅い参考書になることを、私たちは農家から学んだ。
 山形県村山市のスイカつくりに熱心な農家、門脇栄悦さんは江戸農書の世界にすっかり魅せられた人である。家で読むのはもちろんだが、軽トラックにも持ちこんで、農作業の合間に読むのも気持ちがよいという。スイカのことが書かれた農書は、(索引によれば)39点もあるが、門脇さんの興味は、それだけではない。自然農薬の工夫や、土のみかたなどの1つ1つが参考になる。「そうなんだ」という共感と「そうなのか」という納得の連続で、読んでも読んでもあきることがないとのことである。
 たとえば植物抽出液。『冨貴宝蔵記』(第30巻)にはこう書かれている。
 「正月3が日に降る雪は麦と稲にたいそうよろしい。この3日のうちに雪が降らなくても、川の水を汲んでためておき、その中へ仙人草、石菖、苦参、馬酔木、たばこ、よもぎ、おりと草、大黄などをこまめに入れて雨水が入らないよういつも心がけ、害虫がつきはじめたところへかけるとよい。この抽出液(原文は「出し水」)を幼苗のころからしばしばかけて、いろいろな虫や不正の気を除くようにする」。『冨貴宝蔵記』は高知県室戸岬の根付きの、徳島県に接したごく普通の村(現東洋町)で発見された1730年代の農書である。
 現代農業の読者にはおなじみの「土着菌」についても、菌ということばこそ使ってはいないが、1680年代前半の三河・遠江(愛知・静岡)で成立したとされる農書、『百姓伝記』(第16・17巻)に、次のような記述がある。
 「しのぶ土(腐葉土のこと)といって、どのような木もえり好みなしによく生えつく土がある。この土はほかの土と合わせて使うこともできる。川の瀬に流れ積もった砂1坪分、深山の谷に長年木が腐って土になっているところがあるからその土を1坪分、古い薮に白いかびのついたところがあるからその土を1坪分、そして田にあるいなご土(上質の壌土)を1坪分、これらを混ぜ合せて青こけを付けておき、この土に若枝を挿せばどんな草木も必ず小さい根が出る」(16巻134頁)。
 この「古い薮の白いかび」こそ、今いう土着菌にちがいない。これを使って挿木をすることが17世紀の三河地方で行なわれていたのである。

地域おこしの手引書

 農産加工の分野にもさまざまな農書がある。製茶、豆腐、麩、醤油、製塩、漬け物、製油、あい染、べにばな、紙すき、塗物、炭焼、樟脳、などなど、なんでもある。全国各地の特産物(しいたけ、朝鮮人参、のり、たばこ、養蚕、なし、みかん、油桐、さとうきび、はぜ、綿、その他いろいろ)のつくり方が書かれた農書もある。
 これらの農書は、いま全国各地で活発にくりひろげられている地域資源による地域おこしの企画に直接役立つ手引書になる。当時の農書は決して一般論でなく、その地の風土・地勢に寄り添って書かれている。そこが得がたい特徴である。地域おこしとは全国で同じものを作り、同じことをするのではなく、土地土地の個性を発揮して盛り上げるものである。そこに、地域の個性が輝いた時代の先祖からの伝言、すなわち農書が役に立つのである(この欄の次ページにこれらの農書の一覧を掲載してある。ぜひ気に入った巻を購読していただきたい。なにしろ現代語訳付きで気安く読めるのである)。
 1つだけ例をあげる。『漬物塩嘉言』という農書がある。「塩嘉言」は「塩加減」のことをめでたくしゃれて言ったのである。東京の麹町4丁目にあった漬物問屋の主人、小田原屋吉兵衛という人が書いたもので、販売用の漬物64種の漬け方が並んでいる。たくあん漬け、奈良漬けなど今もさかんにつくられるものもあるし、山形内陸の特産となった「やたら漬け」のように、地方の漬け物もある。しかしオヤと思うものもあって、新しい特産名産つくりのヒントに必ずなるだろう。曰く「みつばのたまり漬け」「つくしの粕漬け」「うどの味噌漬け」「いんげんの青漬け」(おからに漬ける。いつまでも青々としているのでこの名がついた)「枝豆の塩漬け」「柿の粕漬け」「梨の粕漬け」「納豆漬け」(うりやなすを丸のまま納豆に漬ける!)、などなど。すぐにも応用できそうではないか。

農書は人生の書

 刊行開始から2年半たった昭和54年秋に農書研究の第一人者、故・古島敏雄先生を会長とする「農書を読む会」が発足した。機関誌『農書を読む』(年2回刊)の創刊号に、古島先生の発刊のことばがある。
 「農書を読む会は学会とか研究会を名のる研究者の集まりではありません。名前のとおり、いろいろな立場の人々が集まって、その1人1人の人生経験をもとにして、農書を読んだ印象、自分の立場からみた疑問などを話しあう会合でありたいと思います。」
 「近頃研究者の間にも農書を読む気運があると聞いていますが、この会はそのような人々の声をまとめようというものではありません。今まで木版や写本で伝わってきた農書や、活字本であっても古い文章のままで発行された農書は、直接農業に従事する人々や、農業に関心をもつ市民には親しみのないものでした。現代語訳を通じて農書にはじめて接した人々のなかに、多くの人々といっしょに読み、話しあいたいという希望のあることを知って、その声に応えようとして昨年(昭和53年)10月、金沢で発会したものです。」
 現代語訳によって農業従事者や市民が直接農書を読むようになったことを古島先生はたいへん喜んで、そういう人たちが「1人1人の人生経験をもとにして」農書をひもとくことを推めた。そして、農書成立地での見学や学習、交流活動などを、精力的に組織してくださったのである。
 農書は農法の書であるばかりでなく、人生の書、暮らしの書である。それも生産と生活が一体となった常民の暮らしでもある。『やせかまど』(第36巻)という現・新潟県小千谷市片貝の庄屋が書いた農書に、正月の村の風情を記した部分がある。
 「この日(正月2日)は1年の買物はじめということで、男の子も女の子も夜が明けきらないうちから商店に集まり、筆や墨、紙、元結(もとゆい・髪を結ぶひも)、髪油の類を買いそろえる。夜は謡初(うたいぞめ)といって謡曲の心得のある者もない者も集い、まことににぎやかなことである。」
 1809年の雪国の村の正月である。子どもが筆や墨や紙を買うのである。
 つぎは福島の現・郡山市片平の正月。
 「1月14日は女の礼日になっているので、女が家々を訪れて新年のあいさつをする。この日は、夫が食事をつくったり、馬の世話をしたりして家事一切を行ない、女房や娘に馳走する。1年を通し、食事や馬の世話は女房が受け持つ仕事であるが、この日だけはこの仕事を夫が行なう。」(第37巻『伝七勧農記』)
 この農書は伝七という「上農夫」(篤農家)の話を聞き書きしたもので、天保10年(1839年)に書かれたとされる。飢饉のなかの農村である。それでも、この辺りに広く見られたという年中行事「女の礼日」がきちんと行なわれていた。

江戸時代の村人の気概

 生産の技(農法)を記述してはいても、暮らしのこと、生活の技やしきたりが自ずと入ってくる。それが農書の世界だ。だから、農書は農書であって農書でない。江戸時代の(町場ではなく)農山漁村に暮らす人々のありようを生き生きと伝える1級の資料である。そこに、古島先生のいわれた「人生経験」と重ねて読むという読み方が成り立つ由縁があるわけだ。
 青森の津軽で生まれた『耕作噺』(第1巻)は稲作について書かれたものではあるが、その出だしはこうなっている。
 「日本国中を回って花の都京都、花の江戸、大阪、名古屋を見ても、生まれ故郷の津軽よりよいところはない。また津軽を回って見ても御城下弘前、や鯵ヶ沢港の賑わいを見ても、自分の生まれ在所がいちばんよい。」
 ここには、江戸時代の人々の生き方の気概が込められている。つづきは原文で読んでみよう。
 「我等が在所も人の見ば、かくやあらんと産宮の、講を催し御酒捧げ、所繁昌安全の、願いのほかは他念なく、講会ごとに田や畑の、耕作噺のほかはなく、思い思いを噺すなり」  わが住むところも他人が見れば、どうということもないだろうけれど、みんなで集まって鎮守様にお酒を捧げ、わが村の安全と繁栄を祈り、集まれば田畑耕作のあれこれを、思い思いに話して、稲の育ちを工夫しあう。生まれ在所でなければ、こうしたやすらぎは得られない。他所とはくらべられないやすらぎである。
 こうした土に根を張った人生観、その全体が現代にメッセージを送ってくる。
 「明日への環境賞」贈呈式で、編集委員代表の佐藤常雄氏は「農書は江戸時代からの大切な贈りものです」とあいさつされた。
 農書を読もう。農書を読んで地域の個性を知ろう。個性は地域の自然とのつきあいの中から生まれる。江戸時代の人々が、それぞれの「生まれ在所」でくり広げた自然と切り結び合う暮らし方に学ぼう。

(農文協論説委員会)


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