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農文協トップ主張 2002年12月号

「ドブロク」から21世紀の
新しい社会を展望する

目次
◆画期的な岩手県の「ドブロク特区」要請
◆酒税の徴税しか頭にない財務省の回答
◆自給にもとづく農家の生活文化を破壊した酒税法
◆ドブロクの個性が醸す豊かな生活文化
◆アメリカの「地ビール」に「自給の社会化」を学ぶ
◆ドブロクから21世紀の新しい社会を展望する

画期的な岩手県の「ドブロク特区」要請

 「個性ある地域の発展」「知恵と工夫の競争による活性化」をめざして小泉内閣が規制緩和の目玉として打ち出し、地域限定の規制緩和要請を全国各地からつのるかたちですすめられている「構造改革特区」構想で、岩手県が要請した「ドブロク特区」が注目をあびている。

 正式の名称は「日本のふるさと再生特区」。

 これは岩手県の地域独自の多様な食文化を活かしたグリーンツーリズムなどの推進を目的として、農家の家屋をつかって民宿をできるようにし、農家ならではのサービスが提供できるようにするために、「旅館業法」「道路運送法」「酒税法」の適用除外などを求めたものだ。いま、注目されている「ドブロク特区」の要請は、そのうちの酒税法にかかわるところで酒類の製造、販売の免許制や最低製造数量等の規制をはずし、ドブロクなどの手づくりの酒を自らつくるか同じ特区内の者から譲り受けるかして、民宿の利用客に提供できるようにしてほしいというものである。

 「特区」とはいえ、県の行政が「ドブロクづくり」の公認を要請したというのは画期的なことである。時代は変わった。農文協が単行本『ドブロクをつくろう』を出版し大きな反響を得たのは、1981年のことである。編者の前田俊彦氏はこの出版と相前後して、国を相手どり、自家醸造を禁止する酒税法は憲法違反と主張して訴訟を起こした。そして89年、最高裁から「自家醸造を禁じることは、税収確保の見地より行政の裁量内にある」として、ドブロクの自家醸造に有罪の判決を受けている。出版から約20年、判決から10数年。時代は大きく転回している。

酒税の徴税しか頭にない財務省の回答

 岩手県の「ドブロク特区」が認められるかどうかは、この10月の政府決定にゆだねられるが、岩手県の「ドブロク特区」要請に対し回答された財務省の見解は「特区としての対応は不可」というものだ。その「不可」の理由は次のようなものである(9月25日付、内閣官房構造改革特区推進室「構造改革特区の提案に対する各省庁からの回答等」)。

 「酒類の原料となる米、麦、ぶどうなどは、広く全国的に栽培可能であり、規制の特例を設けるだけの地域性は認められない。酒税法では、酒税保全のため、採算性が取れるか否かといった観点から、製造数量に最低限度を設けている。この最低限度基準は、設備投資などの初期投資や経常的に生ずる人件費などのコストを確実に回収するのに必要な水準であり、構造改革特区であっても特に事情が異なるとは考えられないことから、特例を設けることは適当でない。
(注)平成6年にビールの最低製造数量を2000キロリットルから60キロリットルに大幅に引下げ、いわゆる地ビール製造が可能になったが、現在では経営不振となっている例が多い

 このような回答を「的はずれ」というのではないのか。

 岩手県は、酒類の原料栽培における地域性を特区要請の根拠として言ったりはしていない。岩手県は、小規模の農家民宿で昔ながらの個性豊かな手づくりの酒や伝統料理を提供するかたちで、地域独自の食文化を押し出したグリーンツーリズムを考えているのである。

 また酒造のコスト問題について言えば、酒税を保全するには酒類製造の規模による採算性が問題になると財務省は言うが、岩手県は地ビールのように、大きな投資をして「酒造工場」をつくろうというのではない。県が考えている「手づくりの酒」は、工業的工程によらない、昔ながらの手法による酒である。わずかの道具で酒ができ、採算的には赤字になりようがない。酒税の徴税をしたいのなら、この手づくりの酒に課税すればよいのだ。

 ここには「手づくりの酒」がもたらす豊かな生活文化への洞察もなければ、グリーンツーリズムが何であるのかについての見識もない。そこにあるのは免許が与えられた酒造メーカー以外に酒はつくらせず、それもなるべく大規模のメーカーだけに限定して効率よく確実に酒税の徴収をしたいという、酒税徴税の既得権限を守る姿勢だけである。

自給にもとづく農家の生活文化を破壊した酒税法

 酒類の自家醸造を禁じているのは、世界広しといえども、先進国では日本くらいのものである。

 江戸時代までは、日本でも農家は自由にドブロクをつくり、暮らしに潤いをもたせることができた。ドブロクは秋の豊作を祈ったり収穫を感謝したり、村びとが集って神とともに飲むものであり、村びとの交歓の潤滑油、1日の仕事の疲れをいやす健康飲料だった。ドブロクは農家の日常的な生活のなかに息づいていたのである。

 ところが、幕藩体制を倒し政権を掌握したものの財政難にあえぐ明治政府は、酒造業者に課税するだけでなく、農家のドブロクづくりにまで課税することを思いついたのだ。

 自家醸造への量的規制からはじまって、自家醸造に対する免許鑑札料の徴収、自家用酒税の新設、その税率の引き上げなどをへて、日清戦争後の財政逼迫と日露の戦争準備のなかで、徴税の徹底のために、1899年、ついに自家醸造そのものを全面禁止にしてしまったのである。その結果、国家歳入の3分の1が酒税によって占められるまでに至った。

 いまでこそ農家はドブロクの隠し場所や、わが家流の呼び方、密造を摘発する税務署の役人を村びとが協力してだしぬいた話などをなつかしげに語ってくれるが、それまで、ごくあたりまえに生活に根づいていた農家のドブロクづくりは「密造」ということになり、発覚すれば重い罰金が課せられ、それを払う金がなければ監獄に入って労役に服さなければならなくなったのである。農家がその暮らしのなかで何千年にもわたって築き上げてきたドブロクづくりの豊かな文化の継承が、ここに絶たれることになった。その状態が国家財政に占める酒税の割合が僅少になった今日でも、いまなお、つづいているのである。

 『ドブロクをつくろう』の編者前田俊彦氏は、その「まえがき」で、「すでにながいあいだ酒の自家醸造を禁じられているわれわれ日本人は、そのことがいかに人間の基本的な自由の抑圧であるかを感覚的にわすれており、その自由の回復がかならず日本人の文化の蘇生をみちびくという展望も失っている」と書き、日本人の文化の蘇生のためにこの書を編んだと記している。

 その文化とは、農家なら必ずその根底にもっている「自給」にもとづく生活文化にほかならない。

ドブロクの個性が醸す豊かな生活文化

 ドブロクは、自然のなかで自然の力を上手にとりこみ暮らしをたてる農家だからこそできる、自給的な生活文化の典型である。

 『現代農業』誌では、その巻頭で、1986年から「ドブロク宝典」を16間年間連載しているが、149回におよぶその連載を通読すると、農家のドブロクづくりの豊かな世界が澎湃と見えてくる(注1)

 ドブロクは工業製品のように画一的ではない。つくり方も各人各様で、でんぷんを糖化するのに市販の板こうじをつかう人もいれば、こうじから手づくりしなければ気の済まない人もいる。酵母にしてもイースト菌をつかう人もいれば、それは邪道だと、にぎりめしを焼いて空中の酵母を採取する伝統的なやり方にこだわる人もいる。

 容器もまた、瓶や樽、ポリバケツなど、さまざまである。樽は材料の木の香が酒にうつって独特の風味をつくるが、雑菌が繁殖しやすく失敗も多い。そこで蒸気で蒸したり、アルカリ性による殺菌力をもつ灰をつかって洗ったり、経験的にたしかめられたさまざまの雑菌対策がほどこされる。

 発酵の場所も、干し草や堆肥のなかで発酵させる人もいれば、ハウスで発酵させる人もいる。雑菌のつきにくい寒仕込みのドブロクを土蔵や石積みの冷蔵室で保管し夏を迎えるなどの工夫もある。

 こうしてドブロクは、そこに加えられたそれぞれ個性的な人の手と、寒暖、乾湿、素材を育む土の特性などこれまた個性的な地域自然の力が合わさって、できあがる。だから、酵母により、つくる人により、発酵の場所により、そして季節により、多様な味になる。人と自然の個性を反映して独自の味が生まれるからこそ地域で利き酒会が開かれ、楽しさのうちに人びとのきずなが強まる。

 ドブロクは、このように各地の農家がそれぞれの多様な条件のもとでさまざま工夫を加えながら、長い時間をかけて継承してきた個性的な生活文化そのものなのである。

 ドブロクづくりに欠くことのできないこうじは、漬け物にも味噌にも、甘酒にもつかわれる。漬け物や味噌などの発酵食品をつくることが何ら特殊なことでないように、ドブロクづくりは農家にとっては、ごく自然な自給の暮らしの営みであり、農業の一環なのである。ドブロクによる農家の自給のとりもどしは、前田俊彦氏が言うように、漬け物や味噌づくりなどに広がって、金では買えない自給の豊かさを蘇生するてこになるだろう。そしてその個性的な生活文化によるもてなしは、都市民を魅了し、都市民のリピーターをふやすことになるだろう。

 いま都市部でも趣味の酒づくりが静かなブームを呼んでいる。ふつふつと発酵するドブロクは、酒が生き物であることをしみじみ感じさせる。自然と切り離され、お仕着せの商品文化に囲まれた都市の人間にとって、いのちを感得させるドブロクづくりは、現代社会で失われた自然性=人間性を回復させてくれるまたとない場となっている。

 そしてそのことは都市民が単なる消費者から生産的な消費者としての「生活者」に自らを変革し、もともと「根源的な生活者」である農家との協力的な関係を築いていく出発点にもなるのである。

アメリカの「地ビール」に「自給の社会化」を学ぶ

 世界に目を転じてみよう。フランスやドイツでは、歴史上自家醸造が禁止された形跡は1度もない。フランスの手づくりのワイン、ドイツの手づくりのビールには、各家々にそれぞれの味があり、村ごとにも個性がある。そして、このような個性豊かな自家醸造が広いすそ野をなすなかで、世界に通用するようなたしかな品質の、地域に根ざした大中小の酒造メーカーがあちこちにある。

 このような農家の自家醸造と醸造業との関係を考えるうえで参考になるのが、比較的近年(1979年)にビールの自家醸造が自由化されたアメリカで、地ビール工場がつぎつぎ生まれた事情について書かれた(有)醸自倶楽部、山本勝氏のホームページだ(http://www.george-club.com)。

 山本氏は、「学生時代にはインドの個性的ビールに驚き、アフリカの地酒「ポンベ」に感動し、卒論では酵母を研究し、高じて自ビールを造り、とうとう地ビール会社まで立ち上げてしまいました」という情熱家である。ここで「自ビール」とは自分でつくり自分で飲む自給的な手づくりビール、「地ビール」とは、その自給が社会化して他の人びとにも供給されるようになったビールを指している。

 その山本氏によれば、アメリカでは、「今から20年前に、個人の自家醸造が法的にも完全解禁になると、その後10年間で100軒以上の、さらに次の10年の間で、もう1000軒以上もの地ビール屋が誕生した。そして、その水面下には、百万人規模の自家醸造家群が存在しているという、現在ではかなり正常な民間主導型・ピラミッド型の『1.自ビール、2.地ビール、3.メーカー系ビール』という序列のビール文化が育ってきている」という。

 この3層構造ができた背景には、1920年から始まった禁酒法時代にビール醸造所がすべて消滅したというアメリカの特殊事情があるのだが、1933年の禁酒法廃止とともに立ち上がったビール会社は、すべて冷蔵庫内の大量生産ラインで自動生産する味のうすいアッサリ味の「ラガー・ビール」しか生産せず、禁酒法前にはあった常温発酵、未濾過で味の濃厚な上面発酵ビール「エイル」はいっさい市場に出回らなかったというのだ。

 そこで、アッサリ味のビールに飽き足らない人びとは、すでに自家醸造が解禁されていた白ワインと同様に、水面下でビールの手づくりに励んでいたのだが、79年、自家醸造が解禁されるやいなや、ただちに地ビール屋を開業しはじめたというのである。これらの地ビールは「クラフト・ビール」(手づくりビール)と呼ばれ、大手メーカーの大量生産ビールより上等とされているという。

 このように自家醸造の延長で、おいしいからと、たくさんつくって人様にもお裾分けするようになったのが、アメリカの地ビールで、千人の地ビール醸造業者はその何百倍もの人数の手づくりビール醸造家群のなかから輩出された職業醸造家であり、これこそ規制緩和による新産業の創出ではないのか、と山本氏は言うのである。

 個性豊かな手づくりの自給のすそ野が形成され、その「自給」に導かれつつ個性的な「本物」の味が製品化され、個性的な生活文化に根ざした新産業が起きてくる。これを農文協では、「自給の社会化」と呼んできた。自給と、それに根ざした新しい産業のあり方。そこに、21世紀の新しい社会の姿が展望できる。

ドブロクから21世紀の新しい社会を展望する

 山本氏は、1994年(平成6年)の細川首相による日本の地ビール解禁についても触れているが、日本のばあいは「町おこし・村おこし」の目玉として立ち上げた行政・企業主導の地ビール会社が大半で、人びとの自給的な生活文化に根ざしていないところに、バブル崩壊後、日本の地ビールが沈滞し会社がつぶれる一因があると指摘している。アメリカでも評価されずに廃業に追い込まれる地ビール屋はあるものの、「地ビール」自体は「自ビール」に導かれて大躍進をとげているというのだ。

 いま日本は、長期の景気低迷のもとにおかれている。そして米をめぐる情勢も明るい展望をなかなか描きづらくなっている。そのような状況のもとで、いま1度「自給」という根源から農業を見直し、農家のリードで、本物の味、本物の暮らしがわかる生産的な消費者を都市に幅広く形成しつつ、個性豊かな生活文化に根ざした新産業を起こすことを考えたい。そのためには、ドブロクをはじめ、まず自分たちの自給をとりもどし、暮らしを充実させることである。

 もともと農業とは、農産物を生産することだけを意味していなかった。衣食住のすべてをふくみ、ばあいによっては遊びや楽しみ、サービスの提供までふくめて農業であった。農業は、第1次産業から第3次産業までのすべてをふくむ「暮らしをつくる総合産業」なのである。

 そして、このように「自給」と「自給の社会化」という農業の原点にたつことは、農業の展望を拓くだけでなく、そのことによって都市をもふくめた21世紀の社会の展望が見えてくるのである。21世紀の新しい社会の根本原理は農業にある。

 いま、われわれは歴史の転換点にたっている。経済が成熟した先進国では大量生産・大量消費によってモノは行き渡り、人びとのモノ離れがおきて、もはや20世紀のような工業を牽引力とする飛躍的な経済成長は不可能になっている。一方で、経済成長によって暮らしは便利で豊かになったが、環境破壊で豊かな自然が失われ、画一的な大量生産で個性的なものがなくなり、自然との関係や人と人のたしかな関係が失われたことに、人びとは気づいている。都市における趣味の酒づくりの静かなブームも、個性的な農家民宿の興隆もその現われにほかならない。有史以来、人間は豊かさを求めて生産に励み、産業革命からはじまった工業文明は人びとを貧しさから解放したが、いま、われわれは人類史的な意味での大きな転換点にたっているのである。

 産業革命や20世紀の空前の経済成長は、人類の長い歴史から見れば、ごくごく短かい期間のできごとでしかない。21世紀は、農業の原理の時代なのである。

(農文協論説委員会)

注1 『現代農業』誌で連載の「ドブロク宝典」は、単行本になっている。貝原浩・新屋楽山・笹野好太郎編『つくる 呑む まわる 諸国ドブロク宝典』。合わせてお読みいただきたい。

▼本誌の来年1月号では「ドブロク復権で、農家の発酵文化を取り戻す」と題して、特集を組みます。乞う、ご期待。

 


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