江戸時代からの陶器の産地、益子町の山本地区では、若者たちの力で、戦中、戦後と三〇年間闇のなかに眠っていた「山本太々神楽」や祭り屋台を復元しての「祇園祭り」が復活されました。
 これが原動力となり、むらづくりの気運が高まり、以後、観光農園、観光ツアー、農村レストラン、収穫祭等のイベントが活発に行なわれ、多くの人が訪れる町になりつつあります。

● 益子町 DATA●
 陶器の産地として海外にもその名を知られる。豊かな自然の懐で、益子焼きをはじめ、草木染などの芸術の里として賑わう。大正時代からの民芸運動の拠点。

● 人口
25,663人(平成12年10月現在)
● アクセス
・JR宇都宮線小山駅から水戸線下館駅で乗り換え、真岡鐵道益子駅まで39分、宇都宮駅からバス(東野交通)で60分
・北関東自動車道宇都宮上三川インターチェンジで下りる
● 問い合わせ先
・TEL:0285-72-2111(益子町役場)
http://www.town.mashiko.tochigi.jp/
(益子町役場)



●山本元気村と農村レストラン
 益子町の南、八溝山系に囲まれた水田地帯にある「よかっペ郡山本元気村」は、農家が集団になった観光農園です。収穫祭などのイベントを行なうほか、JRなどの農村体験ツアーの受入れ、各種イベントなどが活発に行なわれています。
 長い歴史を持つ益子町には、さまざまな伝統芸能が受け継がれていますが、元気村のメンバーの中にもその継承者がいます。初代よかっペ郡山本元気村の村長である広田茂十郎さんは、神楽とお囃し、雅楽を継承しており、同じくメンバーの柳芳伸さんも、雅楽の継承者。これらの伝統芸能も、益子町のむらづくりにいかされています。
 大郷戸ダムを中心にした「アクアグリーントピア構想」の一環としてダムの下流につくられた手作りの農村レストラン「アクアグリーンハウス」では地元の産物をいかしたそばが人気で、人々の憩いの場として活用されています。


●「山本太々神楽」と「祇園祭り」の復活
 秋の収穫ののち山本鹿島神社奉納のために舞う「山本太々神楽」は、真岡大前神社の流れを組み、明治初期から始まったといわれるもので、山本地区独特の舞です。戦後途絶えていたこの神楽を復活させようという気運が高まったのが、昭和40年代のこと。当時の4Hクラブの青年十数名が集まり、神楽を覚えている数人のお年寄りから継承しました。
 一方夏場に行なわれる「祇園祭り」は、江戸末期に松本の集落で京都から祭り屋台を買い入れて引き回したのが始まりと伝えられます。この祭り屋台も昭和62年に地元の手で復元され、以後祇園祭りの復活となりました。屋台の上で演奏される松本のお囃しは山本地区の子供たちの楽しみでもあり、毎年の練習にも気合が入っています。


●地域の結束を強め、町おこしのイベントで活躍する伝承芸能
 こうして、復活された伝承芸能は、伝承的な祭りの日以外にも盛んに披露され、農村のイベントに彩りを添えるとともに、地元の人たちの地域への愛着を深めることに繋がっています。学校のもちつき大会、お年寄りを慰労するイベントと、神楽の伝承者たちは時や場所を選ばず舞を披露します。それはこれまで細々と伝承されてきた雅楽の継承にも活気を与えました。
 幅広い職種のメンバーで村づくりを考えている「ひやくしよう塾」の主催で行なわれた「まみも収穫祭」でも、イモ掘り、もちつき、そばうち、焼きいもつくり、野焼き、パン焼き、豚の丸焼き、模擬店、売店、コンサートの他に、子供たちによる松本お囃子と山本太々神楽が披露されました。