津和野町奥ヶ野地区は、伝承芸能の再興を集落の活性化へとつなげました。「中山田植え囃子」の保存・継承活動をきっかけに、住民が力を合わせ、集落のきずなを強めていったのです。地区外住民との交流もすすみ、集落営農法人の設立や自前の地域放送網をつくるなど、さまざまな集落活動が展開され、奥ヶ野集落は今、先駆的なむらとして脚光を浴びています。

● 津和野 DATA●
 津和野町は、島根県の最西端、山口県と隣接した中山間地域にあり、城下町としての歴史、伝統文化に恵まれた自然豊かな観光都市である。町の中心部以外は農林業が基盤となり、水稲が主体だ。奥ヶ野は町の北部に位置する、標高300m、全27戸の集落。人口82名のうち、60歳以上が45人であるが、ほとんどの人が元気に田畑で働いている。耕地面積は32ヘクタール。

● 人口
6,204人(平成12年10月現在)
● アクセス
・奥ヶ野集落は、JR山口線津和野駅から石見交通バスで40分。タクシーで20分。
● 問い合わせ先
・TEL:08567-2-0650(津和野町役場)
08567-3-0707
(農事組合法人おくがの村) 
http://www.iwami.or.jp/tsuwanok/
(津和野町観光協会)



●田植え囃子の保存活動が地域づくりのきっかけに
 幕末に広島県の山県郡から伝えられ、祭の余興として集落に定着したのが中山田植え囃子の始まり。儀式的なものではなく、娯楽の少ない時代の集落の楽しみの一つでした。専用の衣装をあつらえたりせずに、太鼓もよその集落の借り物。せめて太鼓をと住民が寄付を募り、昭和55年に新調されました。これがきっかけで田植え囃子保存会が結成され、積極的な保存活動が始まったのです。
 その背景には、集落のきずなを取り戻し、過疎化をくい止めようという人々の思いがありました。昭和53年にできた集落の若手13名による「集落後継者会」が、「伝統芸能の伝承なら、断る理由もないし、みんなの交流につながる」というところに目をつけました。高度経済成長期に入り、共生・共同の心が人々から薄らいでいくことに危機感を抱いた若手が、田植え囃子保存を働きかけたのです。この後継者会の活動が、その後のむらづくりを推進していくことになります。


●神社復活を機に自治会を結成、農事組合法人へ
 伝統行事を仲立ちに、集落には年齢や職業をこえた自然な交流が生まれました。また他の集落との交流や連帯感も強くなりました。同じころ、集落内で飼育していた牛が事故で立て続けに死亡したのを機に、長老たちが活躍して牛を祀る恵美須神社を復活。むらづくりの気運が高まり、昭和57年には奥ヶ野地区に自治会が結成されました。
 その後、集落全体をひとつの農場にして、法人が営農を引き受ける計画ができ、昭和59年には圃場整備事業がスタート。昭和62年に事業が完了し、「農事組合法人おくがの村」が設立されました。そこでは、大型機械の共同利用や農作業の受委託にとどまらず、お年寄りや女性を元気にする、生きがいの持てるむらづくりをめざした活動が展開されています。


●ケーブルテレビ網で集落の行事が見られる
 集落後継者会が結成されたころ、集落住民同士の意思疎通に一役買ったのが、集落新聞の「おくがのたいむす」。年4回の発行で、遠足や運動会など集落の行事報告やさまざまな出来事を手作りで載せ、集落全戸に配達しました。発行人は、のちに設立された「農事組合法人おくがの村」の代表理事でもある糸賀盛人さんです。
 また「おくがの村」を法人化した昭和62年には共同受信施設を設け、奥ヶ野自主放送局(OHK)の活動も始まりました。集落の全戸に、新年会や敬老会、田植え囃子など集落の行事や住民の結婚式を生中継したり、録画で放送しています。参加できなかった人や、家を出られない高齢者にも好評で、集落内のコミュニケーションと住民の福祉に役立っています。
 平成10年には、伝統芸能の継承から始まった一連のむらづくり活動が認められ、農林水産大臣賞を受賞。気持ちよく、楽しくむらで生活するために、これからも、奥ヶ野のむらづくりは続いていきます。