岐阜県と滋賀県に接する県境の町、今庄町は、古の昔から京の都と北陸を結ぶ交通の要所として、また織田信長の安土城参勤の最短路となるなど、多くの歴史を刻んできました。山奥の豊かな自然が守り続けた歴史の足跡は訪れる人をロマンの世界へと誘います。多くの貴重な文化財が保存され続け、これを利用した観光ツアーも盛んに行なわれています。
 また、全町民総出のそば祭り、そばの花見会、「する観光」としてのそば道場など、旅人をもてなすことで生きてきた町の人の気質は今にも受け継がれ、もてなしの心と歴史的遺産に出会える町として蘇っています。
● 今庄町 DATA●
 福井県のほぼ中央に位置し、東と南は分水嶺で岐阜県、滋賀県に接する。宿場として栄えた今庄は、京の都と北陸を結ぶ要町であったため、歴史上に数多くのドラマを残した。今もその遺産に当時を偲ぶことができる。

● 人口
5,222人(平成11年3月現在)
● アクセス
・JR北陸本線(各駅停車)今庄駅
・北陸自動車道今庄インターチェンジ下りる
● 問い合わせ先
・TEL:0778-45-1111
(今庄役場商工観光課)
:0778-45-0074(今庄町観光協会)



●あるがままの自然のなかに見え隠れする歴史のロマン
 今庄の宿場を守るように聳えている藤倉山(643メートル)と鍋倉山(516メートル)。両山の山麓には七堂伽藍(しちどうからん)と千坊があったと言われ、谷間一帯はブナの樹林が繁茂し、懸崖に散在する多くの巨石は古代の岩座(いわくら)であったと推測されます。このような今庄の立地を利用して建てられた木曽義仲の城跡は、今も平家軍との戦いの跡を忍ばせています。
 標高1099メートルの山頂にある夜叉ケ池(やしゃがいけ)は竜神夜叉にまつわる数種の伝説とともに雨乞いの池と言われ、夜叉渓谷には緑の合間を縫うように豊かな水が流れています。
 町ではハイキングコースやキャンプ場を整備しており、山菜とり、渓流釣り等、四季折々訪れる人が歴史遺産を散策しながら、豊かな自然を楽しむことができます。


●歴史を垣間見る貴重な文化遺産の保存
 かつての今庄の宿にあたる旧街道沿いには、1060メートルにわたって家屋が櫛の歯のごとく立ち並び、当時の面影そのままに軒を連ねています。美しい町並みは今庄町並み保存委員会によって保存されており、本陣跡や制札場など、主要な所には看板が建てられ解説が書かれています。平成6年から町内の高齢者27名による観光ボランティアが生れ、いつでも町内の歴史を詳しく解説してもらえます。
 またお盆の頃にはかつて旅人を慰めた「羽根曽踊り」が旧街道で行なわれます。武士、町人、旅娘、鳥追い、僧侶と、バラエティーに富んだ数種類の衣装で、優雅に舞うこの踊りは大変難しいものですが、保存会のメンバーが小学生などに教えて継承しています。
 今庄から続く栃ノ木峠の峠下集落である湯尾、板取、二ッ谷もその昔賑わいをみせたところです。当時を忍ばせる「妻入兜造り」の茶屋の跡や道知るべが残され、これらの文化財も町で保存につとめています。


●もてなしの心が蘇るそば道場とそば祭り
 その昔旅人をもてなしたのは、1つ食えば1里、3つ食えば3里歩くと喜ばれたつるし柿と、奈良の木地師たちがこの地に伝えた手打ちそば。手打ちの伝承が途切れないように開かれた「そば道場」は、いつしか今庄の観光の目玉になり、全国各地から人が訪れています。5月の連休には町内の全集落が集落ごとに自慢のそばを出店する「そば祭り」が大々的に行なわれ、9月には一面に咲くそばの花を見てのそば花見会も催されます。
 ありのままの自然の中に散在する歴史の足跡を求めてこの地に訪れる人々と、つるし柿やそばをつくり続け、旅人に振る舞う今庄の人たちのもてなしの心が触れ合うとき、訪れる人は安らぎを覚え、再度の訪問を期してそれぞれの生活の場へと帰っていきます。