与保呂集落は、悲恋物語が伝わる与保呂川、文化財に指定された神社や古墳、素朴な田園風景など美しい自然が残る谷あいの村です。こうした村の魅力を見直そうと住民自らが「与保呂楽しい村づくり推進委員会」をつくり、環境保全、伝統行事の復活、新しい農業の展開などに取り組んでいます。

● 舞鶴市 DATA●
 与保呂のある舞鶴市は京都府の北東部。本州のほぼ中央部に位置し、日本海が最も湾入したところである。昭和18年に城下町として発展してきた西地区と軍港の町として発展してきた与保呂のある東地区が合併した。与保呂は舞鶴市の南東、養老山と三国岳を隔てて綾部市と隣接。昔から農業が盛んで、山麓に上水道の水源地と浄水場がある。

● 人口
舞鶴市94,078人(常・木ノ下・与保呂2,938人、平成12年11月現在)
● アクセス
・JR舞鶴線東舞鶴駅からバスで約25分、タクシーで10分

● 問い合わせ先
・TEL:0773−62−6215
(楽しい村づくり推進委員会委員長・石束輝己)
:0773−63−3605(同副委員長・土本義己)



●村娘と大蛇の悲恋物語が残る与保呂川は村の象徴的な存在
 与保呂は、常・木ノ下とともに旧与保呂の三つの字(あざ)の一つです。集落の中央を与保呂川が東西に流れ、その両岸の穏やかな斜面には田畑と集落が広がっています。
 与保呂川には、「おまつ」と「おしも」という姉妹と大蛇の悲恋物語があり、子どもたちは昔話の一つとして祖父母から聞かされていたそうです。この昔話は与保呂川の氾濫を大蛇にみたてたもので、川沿いの蛇切岩神社には大蛇が三つに切断されたという伝説の祠も祀られています。
村の象徴的な存在は、この与保呂川と、地域の生活用水と農業用水、そして舞鶴市民の重要な水源の一つになっている与保呂水源地です。水源地は厚生省の「日本近代水道百選」や林野庁の「水源の森百選」などにも選ばれています。
 さらに、集落には愛宕山頂の愛宕神社、日尾池姫神社、青路古墳、塩川文麟の襖絵が残る報恩寺など文化財も少なくありません。
 このように昔話の舞台になっている川やそれを伝える神社、水源、数々の文化財など、豊かな自然の魅力をいつまでも残していこうというところに、与保呂のむらづくりの原点があります。


●圃場整備の賛否をめぐり集落が揺れるなか住民主導の村づくりが始まる
 与保呂の人たちが「むらづくり」に取り組みはじめたのは、昭和63年のことです。このころ集落は農家の高齢化に伴って担い手不足が進むなか、圃場(水田の基盤)整備の賛否をめぐって住民たちの思いは揺れていました。
 「でも、草のない田圃を見てもわかるように、むらの者が農地を大切に思っている気持ちは同じなんですよ。だから、掛け声だけでも楽しくやらにゃいかんと思って……」当時は農事組合の役員で、現在「与保呂楽しい村づくり推進委員会」委員長の土本義己さんはそう振り返っています。
 土本さんをはじめとする農事組合の役員たちの呼びかけによって、その年初めて「村づくり懇談会」が開催されました。住民主導のむらづくりの始まりです。
 平成2年、「集落話し合い運動推進事業」として京都府から活動費の助成を受けたことで、与保呂の活動はさらに活気づきました。翌64年、住民の1人が山の上から撮影した「村」の写真が、全国規模のコンクールで優秀賞をもらったことも住民たちの励みになりました。
 具体的な活動としては、集落内の環境ウォッチング、川の清掃、花いっぱい運動、特産物づくり試験田、景観意識調査、住民作品展など。募集した子どもの作文からも集落の自然や動植物の豊富さ、景観の美しさなどむらの魅力が再認識されました。当時、やはり農事組合の役員をやっていた団野誠さんは、住民が共同でつくったエビイモで芋煮会をやったときのことを「桜を見ながら皆で食べる芋煮は本当においしかった」と話を楽しそうにしてくれました。この芋煮会は現在、恒例になっている花見会に発展しています。


●伝統行事を復活させ、21世紀型地域農場づくりを目指すまでに発展
 むらづくり活動のなか、40年ぶりに害虫退治のための稲の虫送りが復活。この行事には常・木ノ下の住民も参加し、今では旧村の三字の行事として定着しつつあります。
 平成5年には「与保呂楽しい村づくり推進委員会」が旗揚げされ、地域の16団体から選出された38人の委員が伝承部会、環境景観部会、イベント部会の3つに分かれて活動を始めました。
 伝承部会は集落の文化遺産や伝統産業の発見と復活を担当。具体的には与保呂の景観写真展の開催や炭焼き窯の復活、郷土史づくりなどを実施しています。
 イベント部会は花見会や稲の虫送りなど昔の行事を復活させるだけでなく、住民が楽しく参加できるよう祭や盆踊りなどに新しい趣向を盛り込んだりもします。花見会や虫送りは集落外の人も参加できますし、愛宕神社の夏祭に奉納される子ども相撲も「男の子のみ」という古くからのしきたりを改め、女の子も参加できるようにしました。また、4年に一度の日尾池姫神社の秋祭では年配の者が若者に神楽や笛などを伝授。常・木ノ下を含めた旧村単位の祭として定着しています。
 さらに、環境・景観部会では与保呂川の水辺ウォッチングと水質検査、全世帯に対する「くらしの点検調査」を行ない、暮らしのなかでできる「与保呂川を美しくするための5つの約束」を決めました。
 平成3年から始まった圃場整備も終わり、いまでは与保呂の農業にも新たな展開が見えてきています。イチゴハウスは手間のかからない野菜採種ハウスに転換され、コスモスやグランドカバーなど景観作物が奨励されはじめました。与保呂の楽しいむらづくりによって、祭や稲の虫送りは、旧村域の常・木ノ下まで広がりました。平成8年、これらに後押しされた形で「三字はひとつ!」を合言葉に与保呂三字地域農場づくり協議会が発足。農作業の受委託システムなどを可能にした21世紀型地域農場づくりを目指しています。