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          | 成立市町村 |  文書名
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              収録 
              巻 | 内 容 紹 介 | 
        
          | 干潟町 | 草木撰種録 | 3 | 3種の作物の雌雄を図解した1枚刷。この図により雌雄を区別し、雌種を選ぶべきことを主張。そのわかりやすさが反響を呼び当時のベストセラーとなった。小西篤好の作物雌雄説の流れをくむ。 | 
        
          | 干潟町 | 農業要集 | 3 | 農業に従事しながら平田篤胤門下生として学んだ著者の処女作。『農業全』の影響を受けつつも体験と地域の実情に応じて記述している。五穀、四木、三草から紙すきにいたる64項目からなる。 | 
        
          | 大網白里町 | 家政行事 | 38 | 自家の繁栄を願って、自ら習得した農業技術や近在の人たちの体験談などを子孫のために書き遺したもの。農作業を主とする年中行事と、肥料の製造・施肥を主とした事項との2つからなる。 | 
        
          | 勝浦市 | 関東鰯網来由記 | 58 | いわし網漁が紀州から関東へ海路伝来されたこと、房総のいわし網によって生産された干鰯を売りさばく干鰯問屋組合などの成立事情、そして全国へ販売されるようになる経緯が述べられている。 | 
        
          | 干潟町 | 仕事割控 | 63 | 仕事割・仕業割は、暦日に割り当てた農作業の年間予定書きのこと。農民教導に活躍した大原幽学の指導のもとに作成され、農業に計画的・意識的・積極的に取り組むことが期待された。 | 
        
          | 干潟町 | 年中仕業割並日記控 | 63 | 仕事割・仕業割は、暦日に割り当てた農作業の年間予定書きのこと。記載内容は家内の人数、稼動する人数、田畑や山林の面積、作業別手間一覧や性学修行日数、仕事割りなど多岐にわたる。 | 
        
          | 千葉市 | 永代取極議定書 | 63 | 農村荒廃状況下にあった下総国千葉郡南生実村では、隣村の豪農・篠崎弥兵衛から復興資金の提供を受け、復興策を実行に移した。その具体的な方策を村民の総意で定めたもの。 | 
        
          | 千葉市 | 永代取極申印証之事 | 63 | 下総国南生実村での農村復興策の実践記録。融通金を活用して土地を買い戻し、その管理は村で行ない、質入れ・譲渡などはしないことを規定。名主以下総勢83名が連署し、村の総意で作成した文書。 | 
        
          | 富山町 | 高崎浦地震津波記録 | 66 | 元禄16(1703)年、関東諸国を揺るがした地震は大津波を誘発し、房総半島の沿岸はとくに大きな被害を受けた。著者はこの津波被害を客観的、具体的に記録し、子孫への訓戒としている。 | 
         
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